はてなキーワード: 編集者とは
結局、だれも傷つかないためには第三者のマネージメントが必要という傍証にはなるかもね。
たださっきもいったとおり、自分で納得のいく第三者を見つけて相手の納得する額で雇うこと自体も非常に難しいから
秀峰先生レベルですらない人は市役所レベルの編集者に頼らざるを得ないんだろうけど。
2~3社で並行して連載をもってる漫画家なんかそうやって交渉役いれないと絶対編集部が「ウチだけ優遇して」ってごり押ししてくるじゃん。
ただたいていはそこまで売れてないから作画アシスタントの手配まで市役所の均一サービスみたいな編集部まかせになっちゃうと。
(例外として今回の事件に発言の多かった佐藤秀峰さんなんか自分が有能なので作画アシスタントに労基法まもった雇用した上で電子書籍までマネージメントしてるけどね。
女性漫画家だと、有能な男性編集者と個人的つきあいが発生して結婚し、マネージャー役を一生やってもらうってのもよくきく。
そもそも芸術家肌とビジネスマネージメントは昔から本当にそりが合わず大変なんだよね。
弟テオドルスに頼り切りで脚本家とおなじ結末にいたったゴッホや、
マッチョ愛人にロミオメールするミケランジェロ(まあこれはマネジメントの失敗ではないが)の例をひくまでもない。
近年は、個人絵描き同士の間で、twitterで相互マネージメントみたいな生態系が発生して
(脱稿ボロボロでも値付けを投げやりにするなとか相互に注意してくれる友人がいるのは精神衛生にもよい)
いたけど、
そのあとXになって生態系ズタボロ。イーロンマスクへの呪詛はそういうとこもあるとおもう。
今のXは、脚本家のセンセーショナルな事件の顛末だけはいち早く届くが
「そうならないためにどうすればいいか」という大事な友人による地味な注意やケアはとどきにくくなった(ツイート間引き)。
ほんともうどうしようもねえわ。
こんばんは
脚本家たちの深夜密談です
と言いますのもですね
やっぱり脚本家の深夜密談ということで
はい急遽決めました
私たちだけでは心もとないので
伴さんのお話を
お伺いしたいと思いますが
お伺いする前に
一応ちょっとここまでの経緯を
まずこの件の発端というのが
で当初は9割方脚本家を攻めるような
28日になって原作者の方が攻撃したかったわけではなくてごめんなさいというツイートを残してアカウントを消されてるんですよね
その段階で私自身も伴さんにこの話したいんだとお願いしてはいたんですけれど
やはり当事者の方がもう触れてほしくないのかなというツイートをアカウントを消されてるってことは
もう取り消しにしたいのかなというので触れない方がいいのかなと考えたりもしていたんですけれど
今日になって芦原さんがお亡くなりになったというニュースが届きまして
やはりここはちゃんと取り上げて
あくまでも報道やSNS上ご自身たちの発信で知ったことが全てですので
手に入れてお話しするつもりもありません
ドラマ作りなどあるいは脚色の仕方など
どんなことを脚本家がしてどんなトラブルこれまで起こってたのかなどを
お伝えできればなと思っております
伴さんもこれまでの経緯をかなり
チェックされたりされているかと思うんですけれど
伴
進んでしまってるのが一番の原因かなと思ったんですよね
僕は揉めたことなくて
そうですね
お友達になって飲みに行ってっていう方の方が多いんですけどね
ドラマを成立させてくれたんだなとは今振り返って思っててね
話し合いをしたいとこっちが言ってるけれども
間に入る編集者とかプロデューサーがそこは合わせない方がいいと思ったのか
お互い忖度してくれてるのか
合わずに
話が進んじゃう
面白かったですって言ってくれたりみたいなことがあったので
会う時間がなかったのかもしれないけれども
何かあったら直接会って話すっていうのは一番誤解もとけるし
そうですよね
私はしがちですけどね
私はして当然だと思ったりするところもあるんですよね
ただそんなに何だろう
トラブルになる
トラブルが全くなかったってわけではなく
原作者の方からこういう要請が来ましたみたいなことは結構ありますし
そこで意見がぶつかって
呼びつけられて
あなたって本当に私の原作のこと全然わかってないわねみたいなことを言われてたこともありましたけど
ただ基本的に直接脚本家が原作者の方と会うってなかなかないですよね
それはやっぱりですよね
だからそんなのを合わせたらお互い対立するに違いないみたいなこともあったり
プロデューサーが間に入り調整した結果
5聞くことにして5は原作者の方に納得していただいて
持ち帰った5だけはこちらが説得されて直すとか
やっぱりツイッター上でX上でね
とっても心が痛んだんですよね
伴
いや僕の場合結構そういう意味では原作から変えてることが多いんですよ
例えばツイッターにも書きましたけど
クリカンとか
あともう1人子供も加わってみたいなことまで
それをプロデューサー止めてたのかどうかもわからないんですけれども
本当に面白かったみたいに言っていただいて
みたいなことまで
犬がパートナーっていうのも
あのこっちで作ったやつだと思うんですよね
それが参りましたみたいなね
本当に面白いこういう漫画を書きたかったみたいなことまで書かれてたんですよ
なるほどね
そのお二人の原作に
入る時にですよ
原作ってどれくらい変えていいですよみたいな説明ってありました?
伴
これをやるんだったらこうしたいとかね
で大体そこでまとまったら
そういうのをやったと思いますよ
やっぱりそれは企画会議っていうプロデューサーさんとの会議を経て
なんか決定することですよね
そうでその企画会議でいやいやこれは原作通りにやってくださいって言われた時に
伴さんであったとしてもなかなか変えられるものではないですよね
伴
えっと原作通りにやれっていうことですか?
まあまあ会議上
伴
まあそれはもちろん同意がないとできないですもんね
できないですよねっていう
あの僕がやる時は大体プロデューサーと一緒に本を作ることにしてて
出来上がったもので
でただ****の場合はもう現場の周りもすごい面白い監督なんで
まあやったんですけどそれもまあ僕のシナリオからはみ出してない
それも面白がってくれてたんですよね
あの原作者の方の中にはやっぱりなんか2種類いるなと思っていて
もうご自由にどうぞ出来上がりを楽しみにしていますっていうタイプの
まあそういうタイプの多分今のね2ケースの場合は2ケースの場合は多分そういう原作者さんだったのかなっていう気もするんですけど
その一方で特にあの
初めて書いた本ですとか小説ですっていう原作者さんに多いのがやっぱり自分にとってすごくこだわりがあるので
原作はなるべく変えてもらいたくないですっていうようなケースもありますよね
まあ以前前々回かな深夜密談でもちょっと話題に出た柔らかい生活のね
小説なのでっていうことでまあちょっと裁判になってしまったりとか
伴
この作品だったら自由にやってくださいでもこれはっていうのがあって
だから私の場合は原作で企画ができた段階で原作者の方ってどれくらい変えていい方なんですかっていうのはまず聞くようにしてますね
そういうぐらいちょっと最近はやはりこだわられる方が増えてるのかなっていう以前よりも感覚として
という感じは
伴
で実は東野圭吾さんが**賞を撮って放課後っていうのを脚本してるんですよ
それは高校が舞台のやつだったんでもうちょっと青春よりな青春ものっぽいノリで書いたんですけど
それに関しても東野さんと会ってもいないし
なんか*****も聞いたこともないんですよね
うんうんうんそうなんですよね
ただやはり今回の場合すごく実は特殊なケースだったんだなって後から分かったのが
そのドラマ化を許可する段階の条件として原作通りにやってくださいという条件が出されていたっていうのが
ただそれを受けてしまったというか伴さん可能ですかと思うんですよね映像化するにあたって
原作まんまみたいな
伴
何をもってまんまっていうのかだってもう媒体が違うわけだから絶対同じものにはならないじゃないですか
同じものにはならない
そうですね
なんですけれどやっぱりそれをどこまでならないですよ
だけどできる限り原作を生かす方向でいきますみたいな説明がなされたのかとか
やっぱりそのあたりがまずどうだったのかっていうことと
あとその点をどれだけ脚本家に伝えていたのかっていうこの2点が分からないので
伴
脚本家のインスタ見るとそれは全く伝わってない感じですもんね
それは丸山雅樹さんが書かれたけれどもこれだから約束ごとの問題ですよね
なんか良い悪いとかじゃなくてそこがちゃんと伝わってない
両方が思ってることが違うっていう違ってたっていうことですもんね
伴
えっと僕とは多分交わしてると思うんですけど
伴
どういう約束しましたかみたいなことは聞くことは可能かと思うんですけど
ただえっと
**せ再びって
筒井康隆さんの原作のやつをNHKでやったことがあるんですけど
その時にはもうプロデューサーが筒井さんにこういう風に変えたい
なぜならこういう理由でみたいなことを愛を込めた文章でメールを送られて
そういったところから始まったみたいですね
それもこういう理由でみたいな
そういったことを言って多分テレビ化をOKしてくれたと思うんですよ
原作者チェック以上にここはこのセリフは繋がってるかみたいなことまで毎回メールをいただいて
そういうやりとりをやりました
始まる前にちょっと原宿のお家にも挨拶というか説明に行ったこともありますけどね
いやだけどなんか伴さんの今の話を聞いてなんとなく問題点が分かってきたなって ちょっと感じたのがですね
とある原作者の方がすごくドラマ化に当たってもめている最中にその原作者の方と
あってお話する機会があったんですよ 私はかからなかったんですけど そしたらその原作者が言うには別に変えてくれてもいいんだけど
変えるなら変えるなりの理由を説明してもらいたいんだよっていう そういうあたりをふわっとしたまま変えられても納得いくわけないじゃないですか
その方がおっしゃってて うんまっその通りだなと思ったんですよねうん こっちだってね他の方の原作を変えるには 変えた方がいいっていう確信がなかったら
安易に変えてるわけじゃないじゃないですか でそれをどれだけねお伝えして納得していただけるかっていうのはやっぱり丁寧な
プロセスだし時間が必要なんだと思うんですよ だけどやっぱり最近のテレビドラマの撮影のスケジュールとか制作のスケジュールを見る
ともうそういうスケジュールを取る余裕さえないような状況で作られている場合と多いかなと思うんで なんかまあねー
でもそこは時間かけるべきところですよねぇ
ほんとそう思いますねーどってそこに時間掛けなかったら その原作者にも意図も伝わらないし
うーん脚本家にもにもう 何ですか原作者にも意図が伝わらないから
そうなんですよだから不信感だけが募ってって ことなのかなってちょっとコメントいただいているので
木村さん、芦原さんは最後の2話をご自身で脚本を書かれていますが、全話ご自身で脚本を書く話はなかったのかなと思いました
いやそれは多分ご自身もなんか出ているニュースを読む限りは本当は書きたいよ 書きたくて書いたわけではなかったという
うんでねえまあを推測はしないというは言いましたけど 多分最初の約束として提示されていたんですってこれを憶測じゃなく事実として出てるん
ですけれど 完結していないからドラマの完結するその話に関しては
自分の通ストーリーを使ってほしいし、セリフもそのまま書いてくださいという条件を出していたんです
企画の時に でただその最中ですごく加筆が多くて時間的なことも考えて自分で書いた方がいいん
じゃないかって決断されたんだろうと思うんですよね だからやはり脚本は脚本家で最初のうちはきちんと任されていたんだろうと思います
そんなになんか色んな要求をされていたわけでもないしいただ やはり
何て言うんでしょうね その芦原さんには芦原さんのファンもいらっしゃるし
その脚本家さんには脚本家さんのファンもいるわけでそのファンの方々がそれぞれね自分の好きな脚本家さんあるいは原作者さんに期待するものが多いしその期待に応えたといと
思うのってやっぱりそれはねお二人とも当然 じゃないですかだからああいう説明に至っ
たんだろうと思うんですよね でそれぞれのファンの方はそれ読んで納得
すればそれで済むことだったのに そうじゃない人たちが
なんかあまりにも攻めすぎなんじゃないのっていうのは
ちょっと感じましたね
伴
まあね芦原さんの最後のツイートがツイートっていうかポストがね攻撃したかってわけじゃ
なくてって そうなんですよだからこれね
それなのに原作者がこういうことを書くっていうのはやっぱり
心を痛められたのかなぁと思っちゃいますよね
まあ 推察なんですけど
その辺りはあれなんですけれど
そうなんですあのなんでしょうねやっぱり ここ最近本当に私自身がもういけない風潮だなーって
やめてもらいたいなと思っているの がすぐに対立構造でものを語りたがる
対立したりしていた話ではなかったように思うんですよ
なんかそれで脚本家が意地悪をしたとかねー
語ってしまっているからこういう 原作者さんにしても胸を痛めるような
になってしまったのじゃないかと思いますし なんか意見を言うのは本当にねまあ
憲法で保証されている 言論の自由みたいなものを重ねておっしゃる
作られるのか先ほども言ったように脚本家1人の独断でなんて絶対改編できないのに
そんなことも知らずに なんか脚本家が一人で
な原作を変えたかのように決めつけ 避難するっていうそこはやっぱりしてはいけないことだと
私は思いましたし それは本当に皆さんにお伝えしたいなと思って
うーん今回時間を設けさせていただいているんですが
つづく
→ https://anond.hatelabo.jp/20240203204953
セクシー田中騒動で海猿の原作者(以下、佐藤氏)のnoteが話題になっているけど、
みんな大事なこと忘れているし、佐藤氏も敢えてそこに触れてないことが気になった。
死ぬほど嫌でした
https://note.com/shuho_sato/n/n37e9d6d4d8d9
ということ。
これ、まるでメディアミックスによる報酬を原作者は受けていないと言いたげで、(まあ実際その通りなのかもしれないけど)
一般大衆はそこに同情してTV局や編集者を鬼のように批判している。
でもそんなことないよね?
メディアミックスの恩恵は、漫画や小説の増刷による印税増という形で得ているよね?
どいつもこいつも誰もそこに触れない。
担当編集者は口を酸っぱくして「アニメは二次創作!アニメは二次創作!コミカライズも二次創作だからな!」というのを口を酸っぱくして言っていた。
・キャラデザチェック
・脚本チェック
・色関係のチェック
・アーティストのチェック
・コンテチェック
・アフレコチェック(あと、1回だけ効果音やBGMつけるところにも参加した)
・グッズチェック(見本が大量に送り付けられてきてウザい)
・描き下ろし各種
自作品がアニメになることで純増したのはこの辺の仕事。作家さんによってはもっと色々チェックしている人もいるだろうし、逆に俺はそこまで見させてもらってないけど?って人もいるだろうけど。
ちなみに勿論無給。(それに対して文句を言っているわけではないし、報酬を渡されても困る)
担当氏はアニメ化作品をいくつも手掛けている人間で、「普通作家さんにはここまでお見せしないのですが先生だけ特別」とかなんとか言ってすごいチェック物を送りつけてきつつも、
「そんなもん俺わかんねえよ」みたいなところは「まあここはお任せってことでいいですよね」で気持ちよくスルーさせてくれた。
てか、コンテとかキャラデザとか脚本とか見せられてもわからないんだよね。オープニングとかエンディングの歌手も言われても正直わからない。
「今をときめく歌手」じゃなくて「業界内で次にくるとされている歌手」を起用されたし。(ちなみにその後本当に有名アニソン歌手になった)
アフレコで、「このキャラってこういう演技でいいですか?」って言われても全然わからん。担当氏はバリバリ演技指導しててすげえなって思った。
勿論チェックで、「ここはこうで」とか「これはイメージと違います」ってのは伝えさせてもらったけど、実のところ、それで完成品のクオリティが上がったのかはよくわかっていない。
俺はアニメ脚本のプロじゃないし、映像のプロじゃないし、デザインのプロじゃないからだ。
作画関係、神作画になってほしいなーって言ったけど、担当氏はそれはうちでコントロール効くところじゃないから無理と一刀両断だった。
話に関してはバレるからあんま言いたくないけど、オリジナル展開も結構挿入され、それがかなり好評だったので地味に凹んだ。担当氏は「そんなもんだよ!」みたいな感じで笑ってたけどね!
とにかくメディアミックスはみんなが思っているより大変で、地道なもので、どの領域にどの程度口を出せばどういう修正になって、どういう完成品になるのかまるで想像がつかない。
お互いがお互いを尊重するといえば聞こえはいいが、それはお互いの仕事の妨害に直接的につながっていく。だからこっちも発言は配慮したし、向こうも投げてくるものは配慮がある。
「原作者に荒神みたいになられても困るんだよね。祈るしかないから」とは担当氏の言だが。
原作通りにという思いはみんなあるだろうけど、その負担が作家や出版社側にいかないような形にして欲しいね。
あと、第三者委員会に監修を委託とかは大反対。登場人物を増やして調整を増やすことに意義があるとは思えない。
上にも書いたようにただでさえ調整の仕事多いんだよ。でもこれを第三者に委任する気にはなれない微妙な原作者心もわかってくれ。担当氏ならいいけど、第三者は嫌だ。
まあ、俺はあと3作品、5作品とアニメになるような作品を作る気でいるし、いつか自分が満足するものに当たればいいやという気持ちでいるので、その節は皆様よろしくお願いします。
(追記)
音響監督が担当氏と俺にキャラクターの演技がイメージに合ってるか聞いてくる。
誤解を招き申し訳ない。
(追記2)
契約書、読むのがめんどくさいんだよな。
お疲れ様にござる。増田殿に代わって、誰が悪いのかを妄想で押し付けるブクマカ共に、誰が悪いかの正解を講釈して進ぜよう。
この件の責任は100%出版社にある。他の登場人物の責任を全部足しても0.何%にしかならぬ。
マンガ家サイドが自分の見聞した範囲ですべて真実を書いていたと仮定すれば(そうでなくても出版社の責任は変わらないのでこの仮定は実は不要)、出版社は
「(実現出来るはずのない)条件をのませた!」
とマンガ家に嘘をついていたとしか解釈できぬ。伝言ゲームで実際の契約内容が違っていたパターン以外に、実際の契約書の文言にそのような条件が盛り込まれていたパターンでも、会社間・部門間の力関係でそれを実際に行使するのは至難であると理解してない編集者がいたら、社会人失格レベルの無能にござる。
テレビ番組とは、局以外にも、スポンサー・代理店・事務所・出演者・BPOなどなど、無数の人間が関わる大伽藍のような物にござる。それを、原作者の思惑だけで全部ぶち壊せるというのは、法理上そうなっていても、現実的とは言えぬ。実際に企画が走り出して枠が決まってしまったら、立ち止まることは許されぬ。マンガ家個人の担当編集者以外は、全員、この企画を回して無事に放送を終えることを最優先に行動するほかなくなるのでござる。
マンガ家に出来ることは編集者を通じて要望を出すことしかなく、編集者が100%マンガ家の味方をしようとしても、映像化に合わせて色々と企画を立てているであろう社内の各部署が味方になってくれる可能性すらそれほど高くはござらん。雑誌の看板作品であれば編集部は味方になってくれる可能性はあるやもしれぬが、テレビ局との窓口になっている部署は、当然、局の顔色を窺うであろう。そういう仕事であって、個人がどうだったとか考えて始まらぬ。
「作者にどんな不満があっても、なんとかなだめすせば放送を終えることができるだろう」と担当編集者以外の全員(あるいは、担当編集者を含む全員)が考えていても、何ら不思議な事ではござらぬ。それに、何かの間違いで、今回の事案に限っては出版社が全社挙げてマンガ家の味方をしていたとしても、やはり責任の100%は出版社にある。
その場合の最適解とは「原作を尊重したドラマ化など現在の情勢ではほぼ不可能だから、今回の話は惜しいですがなかったことにしましょう」と誰でも分かる常識的判断を下すことでしかなく、あるいは、本読みの初期段階で「やはり無理なので原作を引き上げます」と撤退することにござる。それまでの数々の先例から考えれば、守られる可能性が極めて低い約束を結べたなどとマンガ家に告げて、徒に疲弊させることではない。
最後のブログへの投稿に至っては言語道断である。出版社はなんとしてでも止めるべきであり、マンガ家を守るため、出版社名か、それが無理ならせめて編集部名で何らかの説明を出すべきだった。それをせずにマンガ家個人に情報発信させるというのは、最悪中の最悪手であり、先の仮定『何かの間違いで、今回の事案に限っては出版社が全社挙げてマンガ家の味方をしていた』可能性は、やはりゼロだと考えるほかない。社内政治だか局との関係だかなんだかを優先して、本来やるべきだったことを怠り、守るべきマンガ家を悪意の中に抛擲したとしか言えぬ。
この後、第三者委員会が作られて真相が解明されるかはわからぬ。分からぬが、仮に、何かの間違いで、出版社が本当に作者に説明したとおりの内容の契約書のもとにメディア化を許諾し、それを守らせようと最大限努力していて、局の側もそれを誠実に守ろうとしていたのに、ひとり脚本家だけがそれに逆らっていた、という子供の正義感を刺激するような話が結論になったとしても、それは出版社を免責する物ではない。そしておそらく、真実はそんな簡単な話ではなかろう。人の噂も七十五日。報告書が出る頃にはこの件で騒いでいた人間は何も覚えておらぬだろう。今はただただ故人の冥福を祈るのみである。合掌。
「原作通りに」と言われたところで生身の人間に再現できる限界は当然ある訳で「そういわれても限界はありますし、ドラマらしい作りというのもあります」って説明してそこが受け入れられないならドラマ化を諦める決断も必要だった
コミュニケーションろくに取らないとかざら。
原作者さんの近くにも駆け付けられる家族や友人がいればねえ・・・
プラスマイナス岩橋さんは28日14時頃、「昨日の玄関ガチャガチャのあと鍵してたのに人がドカドカ上がってきて終わったと思ったらマネージャー2人と兼光と元嫁でした
漫画編集者って漫画家といっしょに作品を作り上げるパートナーだよね。漫画家を見出して引っ張り上げる指導者。物語を漫画とともに作り上げて作品の校正をするパートナーであり、漫画家が原稿の締め切り管理するマネージャーだったり。
漫画家にとって編集者は社とのパイプ役であり、かつアドバイザー。漫画家が作品作りに集中できるのも、また良い作品が描けるのも編集者のおかげ。
そんな編集者がテレビ局の木っ端ADにボロ雑巾のように扱われたら、そりゃショックでしょう。世界が崩れていくような感覚になるよ。
名作コミカライズは良いストーリーを絵に落とし込む練習にはなると思うけど、
なろう専門みたいな出版社は編集者が編集者じゃなくただの営業だから、
だめだと思ったら早めに逃げた方がいいと思うんだよな
おつかれさま
アニメ業界では割と昔からこのネタはタブーで無くなってるので何度も描写されている。
忙しければ8話だけでも十分。主人公の妹が突然ラノベ書いてヒットしてアニメ化された時のエピソード。
展開自体はフィクション満載だが、実際にアニメ化される際の原作者の孤独感、無力感が見事に表現されてて秀逸。
脚本家の倉田英之は小説家として自作のアニメ化も経験しているためにここまで書けたのだと思う。
こちらは「第三飛行少女隊」という漫画のアニメ化に関するエピソード。
現在連載中の漫画をオリジナルを織り込んでアニメ化しようとしていろいろと苦闘してる。
以前の原作のアニメ化でひどい目にあった原作者との折衝がリアル。
わかりやすい悪役として担当編集の茶沢が出てくるが、彼のような人間は実際の現場にもよくいる。
彼を挟んだ地獄の伝言ゲームのせいで現場のヘイトは「わがままな原作者」に集まってしまう。
どちらもエンタメなので最後は超展開で主人公なりメインどころが活躍して問題を一刀両断に解決するが実際にはそうはいかない。
原作者を擁護してくれる優しい兄貴はいないし、最近の出版社は作者を護る意識の薄いところも多い。
伝言ゲームで事態を悪化させた奴は平気で逃げおおせて出版社やテレビ局や代理店に居座ってる。
原作者は本来法的にはとても強い立場なのだが、実際の映像化においては素人扱いでかつ孤独な立場になる。
サポートや折衝に特化した職務は事実上存在しない。一番身近な編集者も映像化には無力なことも多い。
出版社のライツ、マルチメディア事業部あたりがその役目を果たせればいいのだが、現実は伝言ゲームのヤバいプレイヤーの1員と化してる場合も多い。
まず、「セクシー田中さん」の作者が自死を選んだ胸の内は分からないし(流石にドラマの件が無関係なわけはないだろうが)、
ドラマ脚本が作者の意に沿わぬ形に改変されるプロセスに、どれほど脚本家が主で携わってるのかという裏事情も分からない。
・・・といった判断を保留すべき要素もあると思うんだけど、
そういう点は抜きにして、外野の各々が「脚本家のせいだ」と判断しちゃったとしても、それを今ネットに書き込むのはマズいと思う。
そもそも今回の騒動、元からネット民に袋叩きされてたのは圧倒的に脚本家側だった。
原作がメディアミックスで改悪されるトラブル話は定番中の定番の火種だし、
しかも「実写化」「テレビ局」という特に敵視されがちな要素が加わり、
おまけに「作者側が事前に、意に沿わぬ改変はしないよう約束を取り付けていた」というストーリーも乗っかれば、物申したい人は溢れるほどいただろうし。
とりわけ矢面に立たされてる脚本家の方、あとはドラマのプロデューサーとか、漫画の担当編集者とか、この件に関わりの深い人達は、きっと物凄いダメージを受けたことだろう。
「人が死んでしまったきっかけが、自分の仕事にあるかもしれない」という思いは絶対によぎるだろうし、それを背負って今後生きていくのは、物凄くキツい事だと思う。
その心情を思えば、流石に今、特定個人を対象にしてこれ以上追い込むべきでは無いと思う。
それでもどうしても何か言いたいなら、せめて日テレとか小学館とか、組織全体の体制を指摘するくらいに止めるべきじゃないかな。
これは人格攻撃する「誹謗中傷」ではなく、プロの仕事に対する「批判」だとか、
そもそも脚本家のインスタ投稿内容が悪かったとか、それぞれ言い分はあるだろうけど。
例えそれがどんなに正当な批判だったとしても、本当に対象にかなり非があるのだとしても、
このセンシティブなタイミングで、皆がこぞってそれを書き込んでしまったら、"叩かれている側"にとっては、四面楚歌のおぞましい状況に感じられることは想像に難くない。
誰かが批判の嵐に押しつぶされて、衝動的にまた、恐ろしいことが起きてしまう。そんな危険もはらんだ状況だと思う。
それでもなお、「脚本家のせいだ」と追い打ちをかける人たちが、どこを見渡しても山のようにいる今のインターネットの状況が、怖くて仕方ない。
昨日のジャンプ買った?
・ 「アイシールド21」という作品にはひとつの欠点もないと感じる信心深い人
増田もそう思ってるよ。嘘じゃない。
看過できない仕上がりだったとも思っている。
なのでここにその旨のお気持ちを記録しておく。
・今回の読切に少しでも思うところがあった人
・「アイシールド21」という作品全体を通じて積年の思いがある人
向けの内容である。
・筆者について
・はじめに
・読切のストーリーについて
・作画について
・まとめ
の順で触れていく。
あと言っておくが「アイシールド21」の21周年は心から祝っている。
おめでとう。読切企画を実現してくれた関係者各位、先生方、心からありがとう。
・往年のアイシールドファン。連載開始から最終話までリアルタイムでジャンプで読んでた
・連載後半は2ちゃんのアイシスレ見たりもしてた(本スレがアンチスレを兼ねる様相で当時はおどろいた)
かきおろし読切の制作が決定したという作者の告知があってからこの日をずっと楽しみにしていた。
完結して十何年もたった作品の続きが読める、
こんな奇跡はまたとない。
発売日、即ジャンプ買って読んだ。
………………。
昨日からSNSは「アイシールド21が読めて嬉しい!」といった歓喜の声にあふれている。作品名でトレンド入りもしている。
いちファンが作品に真剣に相対したいち記録となることを信じてせっせとこれをネットの海に流している。
まずあの話、どうでした?
…とは思えなかった。
というか読切では当然のように「ヒル魔とセナ、双璧のW主人公」みたいな雰囲気が醸されているのだが、
という確認がなされないまま作られている印象だった。
ヒル魔というキャラクターが大いなる魅力や影響力をもっている、そのこと自体に異論はない。
彼の求心力とある種のカリスマ性が、読者並びに各種ファンダムを今なお牽引していることにも異論はない。
(原作者が格別の思い入れを注いでいることにも、この際異論はないものとする)
それでも、少年漫画としての「アイシールド21」に考えをはせるなら、第1話の構造からいっても、
この物語は「アメフトを通して描かれる小早川瀬那の成長譚」でなくてはならないはずだ。
……にもかかわらず、本作はそこをぶらしていった。
連載半ばから、ヒル魔は悪い意味でどんどん主人公化していった。
そしてそれが改善されていないどころか、全面化していたのが今回の読切だった。
思えば、最終話の落としどころはまだマシだった。
セナの結末とは別のレイヤーで、ヒル魔の着地点を描いていたからだ。
最京大・炎馬大・バベルスという別の進路をとり、三国志の道を選ぶ。
ここの3人が対等なライバルとなる結末は、
にもかかわらず読切で披露されたのは
「セナvsヒル魔、NFLにいくのはどっちだ!?」対決………って、
武蔵と栗田の立場がなさすぎて、あんまりじゃないのか????????
(※さらに言うなら武蔵に至っては読切に影も形も出演がないの、本当にあんまりだったと思う。回想の円陣にもいないとはいったい…。
※この点について「読切から興味をもった読者に武蔵の存在を伏せたかった・ネタバレを防止したかったからでは」という擁護意見も目にしたが、
そうであるなら円陣では後ろ姿で顔が見えないように描いたりすればいいだけだし、現在軸の観客ポジションにはいてもいいはずである。
読切の大筋を
という骨子にするのならせめて
セナ率いるドリームチーム vs デビルバッツ創立時メンバー3人が再結成するドリームチーム
…みたいな構図にはできなかったものだろうか。
さらに「AIをしのぐのは人間の勇気」みたいなテーマを(是非はともかく)導入したいのだったら、
半端にセナを主人公とせず、いっそいさぎよく「読切なので主人公はヒル魔です。セナは脇役として登場してもらいます」などとして構成してしまうほうが、
まだ「作者のエゴ」と「読者」と「読切作品としての完成度」、すべてに対して誠実な仕上がりをみたのではないだろうか。
このあたりの整合性のとれていなさ、ちぐはぐさが、読み味の違和感、納得感の薄さにつながっているように思う。
(※余談だが、アイシールドがスポーツマンガとして傑出している点であり特色のひとつに、
「天才と凡人」というテーマを残酷なまでに描いているところが挙げられると思う。
それを思うと、読切からその要素が完全に排除されていたのも惜しむべき点だった。
その意味においても、読切では
「身体能力においてはある種の天才であるセナと、今度はそれに挑む身体的凡人ヒル魔」
といったふうにセナとは別の視点≒ヒル魔視点から描いてしまうほうがいっそ面白かったんじゃないだろうか。
原作者のヒル魔描きたい欲も、キャラファン読者の需要も両方満たされただろうし
本作の新たな面を見せることができたんじゃないか、等々。
後述するが、原作者と編集者はそういった検討すらしなかったのだろうか)
「セナvsヒル魔の試合」という今回の読切が、アニメ最終話の追認に近いものになってしまっていることにも絶望しかない。
アニメのアイシールドはあらゆる意味で筆舌尽くしがたい出来栄えなのだが、満を持した読切がそれと今さらカブるって、そんなことがあっていいのか。
村田先生、みんなご存じ、少年漫画界屈指の超絶技巧ハイレベル画力の持ち主。
すなわち『ワンパンマン』のようなアップデートされた村田先生の作画で、
…というファンの期待は儚くも裏切られた。
今回の読切の作画、
……そうか……。
初期からずっと絵がうまくて、
どんどん画力が凄みを増していって、
20巻あたりになってくると最強に脂がのってきて、
強いこだわりや作品愛を感じられて、
あのすばらしい絵が、だいぶ淡泊でラフな方向へ変わってしまった、
そんな、あの頃の絵柄…
遠くにいるキャラには顔描き込みさえなく、
そんな、あの頃の絵柄…
それを誰も指摘しないままジャンプでお届けされていた、
そんな、あの頃の絵柄………
…………そうか………。
掲載日もガチガチに21周年に合わせているわけではなさそうだし、
読切制作告知はずいぶん前に行われていたし、
そんなこまごまとしたミスをチェックして修正する手間すら…惜しかったのだろうか。
もしや、アイシールド、描きたく……なかったのだろうか。
憶測にすぎないけれど、したくもない想像が膨らんでしまう作画がただただ悲しい。
なぜこんなにも失望感が大きいのか。
失望感を覚えるということは、
そもそも「アイシールド21」という漫画に何らかの幻想を抱かせるような霧でもかかっていたんじゃないだろうか。
その正体は何か。
理由をたどると「原作・作画の分業制でつくられた作品であること」が挙げられると思う。
そもそも、原作者の稲垣先生のほうはそこまでキャラの扱いに手厚いタイプではないと見受けられる。
かと思えば突飛なタイミングで再登場させたり、
桜庭のアイドルヘアや阿含のドレッドをある日突然無慈悲に剃り上げてファンを阿鼻叫喚の渦に叩き込んだり等々
(事実アイシ、ドクターストーン、トリリオンゲームと3本つづけて大ヒットを飛ばしている優れたストーリーテラーであるわけだし、どれもとんでもなく面白いし)
バックボーンを想像させる表情や振る舞いなどの魅力を付与して、
色んなキャラの色んな一面を描きまくってくれた。
別冊として出たデータブックでは各校の全チームメイトの顔カットを100人単位で書き起こし、
人物紹介には毎巻のように「ウォーリーを探せ」のようなぎっしり楽しい一枚絵を用意し、
神龍寺戦完結巻にいたっては、カバー絵などの余白をフルに使って、
アイシはただストーリーが面白い・アメフト題材に新規性があるというだけではなく、
そういう層のファンを獲得したという意味でも、商業的な成功をみた。
これは原作・作画別れているからこその、やや特殊な事例であると思う。
それは村田先生が魔法をかけてシナジーを起こしたキャラなのだ。
そして時を経て、魔法は解けていった。
何かのきっかけで、のっぴきならない理由で、本作を作画することへの情熱が失われてしまったのかもしれない。
読者にそれを知るすべはない。
ともあれ、作画による丁寧なフォローや補足はされなくなり、ありし日の熱量は失われ、
原作がある意味むき出しとなった結果が、連載終盤のアイシールドともいえる。
読切でも、魔法は解けたままだった。
そのことが残念でならない。
長々と書いてきたが、ぶっちゃけ少し真面目に作品に相対していればこのくらいのことはいくらでも思い浮かぶはずと思う。
なのにお出しされてきたのは、
そういう出来栄えの読切だった。
これに関して「編集者何やってんだよ」という視座を欠くわけにはいかない。
読切をつくるとなって、まともな打ち合わせの一つもしなかったのか?
批判されている点は?
少しリサーチすれば情報や感想は玉石混交いくらでも掘り出せるはずだ。
それを作品化するとして、最良の形とは?
精査していればもう少しブレや迷走は防げたはずだ。
編集者は作画クオリティ面にまでは口出しできないかもしれない。
にしても、あきらかな作画のミスを校閲し指摘することはできるはずだ。
「どうせ手を抜いたって、愛がなくたって、ファンなら喜んでジャンプを買い、涙を流してありがたがるだろう」
と、作品の知名度にあぐらをかいた編集部によって読者全員がナメられていること、
それが記念読切から透けてみえてくることが、作品を愛読してきた者として慚愧にたえない。
期待は捨てているけれど、改めて言いたい。
そして少しでも反省したなら俺らに誠意を見せてくれ。
すなわち、ファンもアンチもぐうの音も出ずに拍手喝采してしまうような、素晴らしいクオリティに練り上げた「アイシールド21」短期集中連載とか企画してください。金とアンケートならいくらでも出します。わあわあ言うとりますが未だにアイシールド大好きなんです。よろしくお願いします。ほんとマジで。