はてなキーワード: 法則とは
差別がいい悪いなんて話は俺も俺以外もしてねーよね。
果敢に話すり替えようと頑張りましたが下手糞です。
しかも全部根拠薄弱で
1・へたれ親子がタクシー運転手にむかつくこと言われて反撃も出来ず。
3・ばかじゃねーのこいつ。
あ、3つめはまとめじゃなくて俺の感想か。
お前とのやり取りもシンプルにまとめると
1.元増田には酌量すべき!親父にはするな!
2.ばかじゃねーのこいつ。
まさにそれだ、低学歴だどーだと見下してる運ちゃんにキャンとも言えないくせに
自分に甘いパパにばっかりネチネチネチネチ。苛められっこのガキ。
馬鹿親父は完全に甘やかしすぎて娘腐らせてる。
お前の言い分は結局
まあね。性差別がしょうがないで済まされて恨み言が封殺される世界じゃないからね。
俺はまったく痛くない。
内心がどうこうとかしょーもない言い訳を聞くまでも無く、
俺は痛々しくてたまらないぜ。
赤の他人のへたれ具合にあれだけ触発されて罵詈雑言書ける人間がいるという事実が。しかも全部根拠薄弱で自分の苛立をぶつけてるだけ。
落ち度はない!
「ショックで」「心神喪失で」「仕方なく」何も言い返せず黙ってたってだけで
雑魚過ぎて話になんねーよ。
こんな雑魚に発言権は無い。
その雑魚が雑魚2号をふんぞりかえって叩いてるからみんな笑ってんだ。
低学歴で将来ない相手でも無礼で好き勝手なこと言えるんだって思ったら誰でも唖然とするぜ。
なんか、誰の役に立つのか分からんけど、私が高校生の頃にこういう説明があったら良かったなぁ……とふと思ったので書いてみた。
さて、大学の工学部機械工学科に入学するとしよう。基本的に機械工学科に含まれる研究分野は多い。もちろんそれには理由があるのだが、それでもほぼすべての学生が学ぶ共通の内容があり、機械工学科を卒業した学生に企業が期待するのはそれらの基礎知識である。そういう意味で機械工学は非常に実学に近いと言っても良い。
機械工学科の教員は本当に口を酸っぱくして「四力を身につけろ」と何度も何度も授業の度に言ってくる。古いタイプの教員ほどその傾向は強い。いわく、「専門分野の基礎がわかっている人間が社会では強い」、「四力が身についていなければ学科長が許しても俺が卒業させない」、云々。で、その四力というのは以下の4つの「力学」のことを指す。
機械力学というのはいわゆるニュートンの力学でいう「剛体の力学」で、弾性・塑性変形しない対象がどのように運動するかを扱う。振動工学とか解析力学とかはだいたいこの延長線上で学ぶ。高校の力学に微分積分を足した感じだと思えばいい。
熱力学はマクロで見た気体や液体の持つエネルギーを対象にする。これも微分積分やエンタルピー・エントロピーの概念を除けば高校で学べる物理とそう大差はない。次の流体力学と合わせて熱流体力学というジャンルを構成していることもある。統計力学は熱力学の延長線上で学ぶことが多いが、量子力学とともに挫折する学生が非常に多い。
流体力学はその名の通り気体と液体を合わせた流体の運動について学ぶ。航空関係の仕事がやりたいなら必須。多くの近似法を学ぶが現実にはコンピュータ・シミュレーションが用いられるのであまり細かく勉強しても役に立つ場面は少ないかもしれない。下の材料力学とは連続体力学という共通の基礎理論を持つ遠い親戚。
最後の材料力学は、弾性をもつ(=フックの法則に従う)固体の変形が対象。建築学科とか土木工学科だと構造力学という名前で開講されているが、内容はだいたい一緒。これも多くの近似が含まれる体系で、実際にはコンピュータを使った有限要素法でシミュレーションする場面が多い。とはいえ基本を大学学部時代に学んでおくことは非常に重要。
で、これら4つの科目がどう生きてくるかというと、たとえば20世紀における機械工学の結晶であるところのエンジンの設計なんかにはこれら全部が関わってくる。機械にかかる荷重や振動を解析し(機械力学)、エネルギー効率の高いサイクルを実現し(熱力学)、吸気と排気がスムーズに行える仕組みを作り(流体力学)、これらの条件に耐えうる材料を選ぶ(材料力学)。もちろん就職したあとにこれらすべてに関わることはないし、実際に使える高度な知識を教員が授けるわけではないが、機械の設計に際しては必須の基礎知識ばかり。とはいえ後のように四力から直接発展した研究をしているところはまれで、院試のために勉強したのに後はもう使わなくなった、なんてこともままあるわけだが……。
なお高専からの編入生が入ってくるのは2~3回生なのだが、彼らはすでに四力を身につけていることが多く、運が良ければ通常の学部生からは羨望と尊敬のまなざしを勝ち得ることができる(しかし英語ができないので研究室に入ってから苦労することが多いようだ)。
高度な数学や電磁気学であったり、機械加工や金属材料や設計に関する専門的な知識もカリキュラムに含まれることが多い。みんな大好きロボットは制御工学の範疇で、これは四力とは別に学ぶことになる。ロボット=メカトロのもう一つの必須分野である電気電子系の講義はほとんどないので独学で学ぶ羽目になるが、微分方程式が解ければ理解にはさして問題はない。プログラミングや数値計算などの授業は開講されていることもあるしされていないこともある。とはいえ機械工学科を出てガチガチのプログラマになることはほとんどないし、教えてくれてもFORTRANか、せいぜいCが限界である。さすがにBasicを教えているところはない。……ないと信じたい。
実習や実験がドカドカと入ってくるのは理系の宿命なのだが、特徴的なのはCADの実習。おそらく就職したら即使う(可能性がある)ので、研究室に入る前に一度経験しておくといい。もちろん実際にCADで製図するのは専門や工業高校卒だったりするのだが、そいつらをチェックしてダメ出しするのは大卒なり院卒なりの仕事になる。
四力を身につけたらいよいよ研究室に配属されることになるのだが、基本的に四力を応用した分野ならなんでも含まれるので本当に各研究室でやっていることがバラバラ。隣の研究室が何をやっているのかは全くわからない(もちろんこれは機械工学科だけではないとは思うが……)。そのため学科のイメージを統一することが難しく、どうしてもわかりやすいロボットなんかをアピールすることが多くなってしまう。とはいえそういう「わかりやすい」ことをやっている研究室は少数派で、実際は地味なシミュレーションや材料のサンプルをいじくりまわしているところが多数派である。最近は医療工学系の研究をしているところが増えたらしいが、光計測だったり材料物性だったり航空工学だったり、あるいは全然関係ないシステム工学だとか原子力工学の教員が居座っていることもあるようだ。こういう教員を食わすために機械工学第二学科(夜間向けの第二部ではない)が設立されたり、環境とかエネルギーとかが名前につく専攻が設立されたりすることがままある(昔は学科内に新しく講座を作るにはいろいろと制限があったらしい)。そういうところは(上位大学なら)ロンダ先として利用されるのが常で、そうした研究室を選んでしまった学部生はマスターの外部生の多さに面食らうことになる。
とはいえいろいろ選べるならまだマシな方で、大学によっては計測か材料かしか選べなかったり、工業高校ばりの金属加工実験を延々とやらされたりすることもある(ようだ)。やりたいことがあるならそれをやっている大学に行け、とは機械工学科志望の高校生のためにある言葉かもしれない。
そう、就職は非常にいいのだ。「学内推薦が余る」という噂を聞いたことがある人がいるかもしれないが、まぎれもない事実である(とはいえ最近は上位校の推薦でもガンガン落としまくる企業が増えたようで就職担当も頭を抱えているようだが)。機電系なる言葉が広まったのはネットが登場して以降らしいが、機電系=機械工学系と電気電子工学系、というぜんぜん関係ない2つの学科をまとめてこう呼ぶのは、それだけこの国の製造業でこの2学科出身者が必要とされているということだろう。我らが機械工学科の後輩たちのために、これからも経済産業省には「モノづくり立国」なるわかったようでよくわからないスローガンを推進していただきたい。
inspierd by http://anond.hatelabo.jp/20110929232831
追記:あえて上位と下位の大学の事情をごっちゃにして書いているので、受験生諸君はあまり鵜呑みにせず自分でリサーチするようにお勧めする
なんつーか、世の中、数字とか数式が出てくるとそれを絶対普遍の真理みたいに捉える奴が多すぎる。
畏怖なのかなんなのかわからんが、馬鹿ほど数式や数字は絶対正しいと、(数字的な)ルールありきで話をし出す。
純粋数学がなんでああいう構造になってるのか、とかいう話を除いて、本来数学なんつーもんは人間の感覚を
なんでそんなことしたかっていうと、それが必要だったからだよ。もの作ったり社会を作ったりするのに。
ルールなんて知らない子供も感覚は持ってるわけ。掛け算が可換だとかその程度のことは、感覚に訴えて理解させればいいんだよ。
交換法則なんつー抽象は必要ねーし、割り算の(小学校的な)ルールも必要ねえ。
人間の脳の認知能力をナメててクソしょうもねえマニュアル思考で教育する馬鹿が自分の仕事を確保するためだけに無駄に物事を複雑化して子供の可能性を潰す。
単位は「人本」じゃねえよ。
n[人]×m[本/人]=nm[本]
だっつうの。
もーこいつも糞どうしようもない馬鹿だし、レスしてるhttp://anond.hatelabo.jp/20111226014247こいつもスーパー馬鹿だし(「交換法則」を証明しなきゃいけないとかそういう問題じゃねえ)、なんで日本ってこんなに馬鹿だらけなの?マジ頭痛くなってくる。こんな馬鹿ばかりだからこんな糞どうでもいい話でいつまでも議論(笑)してられるんだな。
こんな計算は、意味から考えて、順序を交換できないのは明らかにおかしいんだよ。掛け算が先にあるんじゃねえよ。交換できて答えが自然な演算規則として掛け算が適切だったというだけ。指導要領とやらが絶対の糞お役所根性丸出し野郎と、教科書(笑)が絶対の糞マニュアル思考野郎と、ただの馬鹿。こういう奴らをなんとかするために教育があるんじゃねえのかよ。糞が。
そもそも、すくなくともかけ算九九で、一桁の掛け算の交換法則は習うはずだし、問題も一桁なわけだし、何が問題なのだろうと。
なぜ今の教育でそうなったんだ?というのがネタじゃないなら、知りたいとは思う。
交換法則を持ちだしたのは、コレが正しいと主張する大人への説明で合って、子供への説明ではないわなぁ。
とまれ、子供でも、かけ算九九で逆にしても同じは、実習として、九九の表を書いて習うはずだが?
そしてそれが、のちの中学校での、交換法則へとつながるという教育のはずだが。
算数で、6x8も8x6も同じだから、かけ算九九は表の半分を覚えればいいんですよ実はみたいな事まで教えておいて、後々逆にしたら☓は論理矛盾だわなぁ。
そんな、指導要綱本当に作ったら、なんだ?とは思う。
物理だけじゃないぜ。
じゃぁ、何というのを示して欲しい。例を付けて。
あとm^2あたりは普通に幾何の範囲だと思うが・・・。なぜ物理に限定?
あと、本論は、言われた通りにやれ、というのなら、将来、リスクを取って起業しろみたいなことを言うな。というのが本論であって、交換法則そのものは、そう教えたいなら教えればいいと思う。
物理にしろ、幾何にしろ、そう教える将来への合理的論理は提示して欲しいけど、それ自体も、大したことじゃない。
言われた通りにやれ、と教えるなら、将来、企業しろ、リスクをとれ。みたいなことは言うべきじゃないし、なんでもいいから、言うことは統一してくれればなんでもいい。
よって掛け算の交換法則は成り立つ
これなら小学校の範囲で証明できるんじゃないかな。まあどうでもいいことだけどね
4+4+4と3+3+3+3は区別すべきかもしれないけど、それは自然言語で説明させるべきであって、
交換法則が成り立つことを自明として話進めて「超疑問だわ」とか言ってるのが超疑問だわ。確かに増田の例題では、たまたまMN本で答えは変わらなかったけれども、交換法則が成り立つ、ということを明示的に言わない限りそれはあくまで「偶然」であっていつも一致すると言いきってしまってはいけないよ。
もちろん、小学生にそういう証明の順序を一から説明するのは不可能に近いけれども、勝手に前提条件を決めつけて計算に取り掛かってはいけないという「空気」を感じ取ってもらうだけでも、例の小学生に対して何かしらの追加指導をする、というのは間違ってない。(※答えまでペケにしたのはやりすぎだし、あんな身も蓋もない採点は無いだろうとは思うが)
ずつも何も
1mx1mx1m=1m3(立方メートル)
1人x1ヶ月=1人月 とかな。
割り算だともっとわかりやすくて、たとえば、1gの油を10mに引いて行ったら
1g/10m=0.1g/m となるよな?単位は消えないんだよ。
N人xM本=NM人本で NM人に1本づつくばるまたは、1人にNM本配れる状況という以上で、勝手に単位を削るほうがまちがっとるやろ。
どうしても法則性にこだわるなら
N人xM本÷1人=NM本 として N人にM本づつ配ったものを1人にまとめると何本になるか?という答えと、鉛筆が全部で何本あるか?という答えは同じである。
よって、NM本である。
としろや。とか思うわけだ。
交換法則を用いて
M本xN人÷1人=NM本
で。答えは、かわらんぞ?
ブログを書かなくなって久しいが、復活にむけリハビリがわりに増田に書いてみる。
もっとも、大学教員である私が学生指導を通じて感じた知性について今日は書きます。
知性が低いと思われている人の中には、単純に広義の体力がないケースが多い。病気がちであったり、何らかの事情により物事に集中出来なかったりするために、知性を獲得する上で必要な思考が妨げられているケースが多い。
案外、中等教育期間中に体力づくりのための運動をすることは頭を良くするためにも大変理にかなっていると思う。また、特にチームスポーツであればリーダーシップを学べるので良いと思う。自分の子供にはそうさせてやりたい。
とくに運動が苦手な人を中心に、大学生になると定期的に運動する習慣を失う人が多いが、案外知性の獲得に向けてよろしくないような気がする。
本能や感情を抑制するのがまずもって社会生活を送る上で求められる基本的な知性である。そして、それらの基本的な知性の多寡は生まれつきの要素が強いが、しつけによるものもあるだろう。
もっとも、知性ある親はしっかりしつけるし、知性が獲得させた様々な社会的資源を活用して子育てするから、親は選べないということは本当に不公平なことであると思う。
人間は感情が優先される動物なので、都合の悪い(=悪い感情を引き起こす)現実は直視したがらない。そのため、基本的な知性が乏しい(=コントロールできる感情の水準が低い)と、自分にとって不都合な真実を理解しようとしないために、理解できる法則に限界がある。結果として応用的な知性(職業的に求められる能力など)も獲得されにくい。
もっとも、感情的にならず、冷静に周囲と調和できる人、いわゆる「良い人」が社会的に成功するとは限らない。全体的にみて、その様な人は所詮当たり障りのないことをしようとするから、つまらないことになる。
社会的に成功する人、特に経済的に成功する人の中には、性格的にユニークな人が多い。やはり、人並み外れた目立ちたがりだったり、強い欲望を元に事業を成功させるような人は強烈なエネルギーを持ち回りを引っ張ったりする。その人が良い人である場合もあるが、その様な強烈な感情は何らかのコンプレックスであることも多く、「良い人」でないこともままある。
というより、日本的な文化の中で、冷静に周囲と調和して生きるよう指導されているのは、社会が安定を求めるがゆえに、大半の貧民・庶民に隷属を強要することの裏返しかもしれないとすら思う。一方、親が金持ちだったり、社会的なポジションを有するようなケースでは、根拠の無い自信を持っているような奴もいて、比較的楽にリーダーシップを握ったりするなど、成功に近づく。社会階層が最生産される精神構造がそこにはある。
一定の素養がある人が習熟すると、だいたいの見た目や立ち振る舞いだけで、その人の知性の水準がわかってくるようになる。もっとも、その能力を獲得するためには、直感的に人を見る目を養わなければならない(少しシビアな)環境にいたかどうかが重要である。おそらく、過去の生活の結果に基づいて顔の形や立ち振る舞いと知性や性格との関係に関するデータベースができていて、それを無意識のうちに当てはめることでその推論が成立しているように思える。その構造を理解すると、第一印象に気を配ることは重要であることにも気づくだろう。
だいたいにおいて、賢い人は見た目も良い。もっとも、私は「見た目」に二種類あると考えている。一つは持って生まれた「造作」の良し悪しであり、もう一つは後天的に獲得した、あるいは経験した感情によって作られる「面構え」のようなものだ。前者はいかんともしがたいは物理的必然であるが、後者は自分の心持ちによってある程度コントロールすることが可能である。(もっとも、そのそれを改善するような心持ちを持てるかどうかも基本的な知性によるのだが。)
10代の間の見た目はまだ前者の「造作」によるものが大きい。しかし、大学を卒業するぐらいの年令になると、どのような経験により、どの程度の精神的成長を遂げたか?ということが顔に出てくる。ましてや40にもなろうとすると、それまでやってきたことの影響が思い切り顔に出てくる。結果として、大人になればなるほど、賢い人は見た目も良くなる。
性欲の強さは性格や知性にある程度の関係がある。社会生活をうまくこなすためには、強すぎても、弱すぎてもダメ。もっとも、ここで言う性欲とはある種のバイタリティの言い換えかもしれない。
性欲がある程度強ければ、異性を誘惑するという、生存上もっとも戦略性が要求される行為について自発的に考える。特に取るべきコミュニケーションの内容や、自分の振る舞いが相手に与える影響をよく考えるようになるからか、結果としてある程度の知性を獲得するのだろうと思う。
もっとも、性欲が強すぎるとそれ自身が知性の獲得に障害となることもあるので、社会生活的に見てうまくいかないケースもある。
性欲が弱そうにみえるタイプは、やっぱりコミュニケーションのとりかたに問題が出てくる。実は、就職活動をするときにモテる人とモテナイ人の差は如実に出てしまう。
言うまでもないことだが、基本的な知性が乏しい人は、自分の能力を効果的に伸ばすための選択ができない。また、自分の適性もなかなか決め切れない。結果として解決すべき問題、獲得すべき能力に関して集中的に取り組むことをしないで、ばらばらで組み合わせの悪い能力を身につけたりする。あるいは単純に時間を浪費する。
もっとも、将来的にどのような組み合わせが望ましいのかわからないという言い分もよく分かるつもりで、無駄なことなどないと信じたい。ただそのような言い方は、気の毒にも無い内定で落ち込んでいる学生を目の前にしてあまりにも無力である。
以上リハビリ終わり。
自然な出会いだと、生育環境が極端に違う人は近くにやってこない法則があるから、再婚願望があるならそういうの飛び越えられる状況に身を置くのが大事じゃないかね。
増田の場合は年上すぎるくらいも視野にいれた方がいいかもしれんよ、余裕があって。
あと、話すときの言葉遣いと立ち居振る舞いに気をつけると、虫除けになるよ。
言葉遣いひとつ、食べたあとの食器の状態だけで、別世界の人間だなーと思う事があるっていうのは、未婚の同級生談。
努力家、料理も出来て、力になりたいなーと思わせる文章力もあって、貯金の才能もあるようだし、話聞く限りでは男運だけ悪いみたいだけど‥。
稲中~グリーンヒルまで続いたギャグ路線を捨て、こうも一貫して
「幸せな日常は薄皮一枚、表裏一体で理不尽な不幸に落とされる」
を描き続けている理由を考えてみた
答えは分かりやすい所に書いてあった
それは、わにとかげぎすの最後のセリフ「富岡さんのような、寂しい時は寂しいと言える人間になりたい」から読み取れる
『自分に正直な人間は幸せになれるし、他人を幸せにもできる』というメッセージ
ひいては『だから、他人との違っていてもひねくれず、正直に生きろ』って事かなあ、と思った
一番わかりやすいのは、2ちゃんでもかなりネタにされている「冴えない主人公に、突然巨乳ロン毛の美人惚れる」設定だが、実わかりやすい幸せの形と言える
実はこの設定、主人公だけではなく大概の主要登場人物にもこの法則は当てはまっている
(例でいえばグリーンヒルのリーダー、ヒメノア~ルの安藤とか)
上記人物の共通項として、社会からズレていたり劣っていたりで、滑稽に見えるが、自分自信を隠そうとせず、常にさらけ出し、真っ当に生きている人物、という点が当てはまる
対して、妙にひねた目線で世を見下していたり、暴走して犯罪まで手を染める人物は、結果的に不幸な結末を迎えるケースが多い
この作者、ヒミズ以降の評判は正直良いとは言えず、ギャグ路線に戻って欲しいという声は多い
他の感想を見ても、何が描きたいかよくわからず奇をてらっているだけ的な意見もよくみられる
たしかに、単なる打ち切りによる尺足らずなのか、敢えて説明していないかどうかは不明だが、複線未回収だったり、唐突に終わる事はよくある
しかし、あの独特なダーティ-さは他の作品ではあまり見られず、これはこれで非常におもしろいので、個人的に次回作も期待している
(というか、個人的にはヒミズ以降の方が好きだ)
とりあえず、次回も取っつきにくい内容になるかもしれないが、古谷作品というカテゴリで一貫している共通項を見つけられれば、感想もだいぶ変わってくるんじゃないかと思った