はてなキーワード: 山ちゃんとは
関ジャムで特集ゲストに登場してフレンドライクミー歌うらしいので
山ちゃんが吹き替えやネズミの国でやってるディズニーキャラ一覧をおさらい
実質アラジンだけで一人10役くらいしてると思うので2019年の実写版宣伝では山ちゃん出てきたけど
お互い好きになったら結婚できるよと言ったら、どうやったら好きになって貰えるのかと聞かれた。
ネットで男は優しくてもモテないと騒いでる男達も多分昔お母さんから優しい男がモテるよと教わってしまったゆえに現実とのギャップに頭おかしくなってああなったんだろう。
友達が出来る人と似たようなもんで、人間性良いに越した事はないが、例えアレでも価値観があってたり付き合ってて楽しい人が強いだろうと思う。
先日結婚を決めた山ちゃんの恋愛テクは使えるだろう、相手を徹底的にリサーチして話を合わせ気の合う人だと思わせるジゴロ手口だ、でも相手に徹底的に合わせてもいずれボロが出る。
どんな人と一緒にいると心地良いのか考えたら、自分を好きでいてくれる人だと思うので、相手の良い所を見て相手を好きになるのがいいと思うが、意識してできるのだろうか、下手したらおべんちゃら使いと紙一重だ。
とりあえず身奇麗にお洒落に育ったら何とかなるんじゃね。
少なくとも結婚会見での山ちゃんの「男らしい」という評価は、ルックスは関係ないと思う。会見という場を設けてどんな質問にも真摯に応じた事、女性を庇って自身が矢面に立ち上手く受け流した事とかじゃないか?
ストレスフルな言葉に対して、パートナーを庇って矢面に立つのが理想的な男と思われていること自体がつらい。言葉の暴力に対抗するのに男女の体格差は関係ないはずなのに。
攻撃的な言葉には攻撃的な言葉で返すか、合気道のように受け流すか、ストレスを全身で受け止めるしかなくて、攻撃が嫌いで言葉を巧みに操ることもできない普通の男は人知れずストレスをためていくしかないのが現状。
ワイは別「なんでも逆張りマンではないとは思うんだけど、山ちゃんの結婚に世間が向ける熱気に対して温度が低い。
え、そんなに盛り上がることなのか?と。
それは単純に、「自分がテレビ見ないので山ちゃんを何年も見てないから」だと思うけども。
さすがに名前は知ってたけども、まだいたんだ~っていうのが自分の人生の観測範囲からの感想。
あと、既に言われているように(n番煎じ)
「"山ちゃんのようなブサメンでも女優をGETできる、逆玉ワンチャンある"という希望を持つ人いるけど、山ちゃんは超ハイスペックだし親子仲も良い上級国民なんだよね」
については、なぜ「下に見られている」のかがよく分からないですね。スゴイ=シツレイですよね(ブーメラン)
「他者の能力を正しく計測するだけの能力を持たない人」に、顔と印象と職業で下に見られている。ということなんでしょうか・・。
自分はフェミだけど金輪際男性を褒めるとき「男らしい」と表現することを辞める。
理由は、「男らしさ」を理由に暴力を正当化しようとする意見が思いの外目立つからだ。
女「男らしさは手離してもいいんだよ」
男「でもそれじゃ女は寄ってこねーだろ!」
この問答をどれほど見たか。
男らしくない男を選ばない女が悪いのだという意見を何度見たか。
更に困ったことに「男らしさ」を暴力性なと結び付けている男性は予想よりずっと多い。
それなら「男らしい」ではなくもっと具体的な言葉で褒めていこう。
男が男らしさの重圧から解放されるために、女の方からまず変われというなら、変わってやろうじゃないか。
「女性はもっと、おとなしいタイプの男性を好きになろう!」なんて自分が言える訳ない、そこは個人の自由なので。
自分に出来ることは「男らしい」という言葉を封印していこう、と提案することくらいだ。褒める時は具体的に、なるべく誤解曲解されないように、わかりやすく。個人を褒め、そこに性別を結び付けないだけでいい。かつて女社会の同性圧力だった「女子力」という言葉が、時代遅れになったように。
増田に書いたところで何も変わらないかもしれないけど、少しでも何か思うところのある女性は、頭の隅に置いてくれると嬉しい。
※
蛇足だが、蒼井優と山ちゃんの結婚会見で「男らしい」という言葉がおそらく”ルックスに反して”という意味で使われていることも含めて、全てが余計なお世話だなと思った。
ちなみに、封印するまでもなく「男らしい」という言葉は自分があえて使用する語彙の中には無いので、少なくともここ10年は使ってない。この増田は意識的に使わないということの表明。
自分がこのエントリを書こうと思ったきっかけはこの記事と、ここについてたいくつかの「女のせいだ」というブコメ。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65074
奢り奢られ…とか、力仕事を押し付ける…とかそういう話ではなく、一番下のレイヤーにある「怒り以外の感情を封じてしまう」人が、悲しいときは悲しいと言えるようになるために、女増田の自分が可能な範囲でできることを考えたまで。
「フェミ」と最初に名乗ることで最初から喧嘩腰になる人の多さを、体験として初めて実感した。
ちなみに自分のフェミ度合いは、性犯罪の被害者を庇うような発言をしていたらそのうち「フェミ」と呼ばれるようになったのでフェミと名乗っている程度。当然フェミ二ストの代表面するつもりは毛頭ない。
フェミニズムの専門家から見たらツッコミ所だらけだろうし、全てのフェミ二ストの発言を把握しているわけでもない。
フェミと呼ばれたからフェミと名乗ったけど、名乗ってしまってすいません…?
(よく知らないなら呼ばれたからって名乗るなや、て突っ込まれそうだけど、それならよく知らない人も人をすぐフェミフェミ呼ぶのをやめてほしい)
山里亮太さんと蒼井優さんの結婚について、コメントが炎上している宗美玄さんについて思うところがあったので書きます。
こちらは女性目線でもブサイク目線でもなんでもなく、ただの私目線での話です。
まず彼女の発言の真意。彼女の釈明ツイートを読んで、私が考えたことを書く。私自身を彼女に重ねてしまっている部分があり、こういう解釈もありなのでは?という話だ。
恐らく彼女は今まで自分の外見で損をしたり傷ついたりしてきた経験が多いのだと思う。彼女がツイッターのプロフィールに"外見ことに触れられると嫌がります。"と書いているのは、これ以上傷つきたくないからだと思う。
自分の外見が良くないことが原因で、外見に対するコンプレックスが原因で、死を考えるほどに思い悩んだことがある人はどれくらいいるだろうか。私は過去何度も自分の外見が嫌で散々悩み苦しんできた。彼女も私と同じなのではないかと考えて、彼女の発言を私はこう解釈した。
「私が結婚相手を探すとするならば、子供に私と同じ思いをさせたくないから見た目を求めてしまう。」そして「そういう考えをしないどころか浮かんでさえいなさそうな蒼井優さんが心の底から羨ましい。」
自分が多数の人に褒められるような外見ではないから、もし自分と同じように外見が良いとは言えないような相手と結婚をしたら子供が美しい顔を持って生まれる可能性は非常に低い。そうしたら子供は自分と同じことで悩み生きることになる。それは絶対に避けたいと思ってしまう、そんな自分の考えが見た目だけではなく心まで美しく見える蒼井優さんに対するコンプレックスとして現れた結果の発言のように私には思えた。
ツイッターを眺めていて、「自分もブサイクなのに他人のことをブサイクと罵るなんて…」というようなツイートを見かけた。彼女が山ちゃんに対して失礼な発言を、しかもテレビというメディアで不特定多数の視聴者に対して発しているのは決して良いことではない。映像を見て、そりゃ非難を浴びるだろうと私も思った。「女性目線でいくと」と彼女は前置きしていた。女性の代表のようにテレビであんな失礼な発言をされるのは、私は同じ女性として本当に嫌だ。しかし、彼女の外見まで非難していい理由はひとつもない。彼女の発言を非難するのは大いに理解できる。ただ彼女の外見に言及してしまったら、それはただの匿名の悪意に満ちた罵りだ。彼女のことをブサイクだと言っている人は何を考えているのだろう?自分が非難している相手と同じようなことをしていることが分からないのだろうか。
だいぶ言いたいことは書いたがもうひとつ思うことがあるので書く。
今回の発言をしてしまった彼女以外にも、その言葉を笑って受け止めてしまった周りのコメンテーターたちも良くないと思う。ただ、周りのコメンテーターたちも彼女の発言の相手が山ちゃんでなければ笑わなかったかもしれない。
今回の件で、私は日本のお笑い界の「外見イジり」自体を問題視するべきじゃないのだろうか…とも思った。
山ちゃんはブサイクではない。多くの人が言っているが、私もそう思う。なぜ山ちゃんがよしもとブサイクランキングで殿堂入りするほどブサイク扱いされているのか、それはあのメガネと彼自身のキャラ作りによるものだと思う。彼は自ら進んで"ブサイク"になっているのだ。日本のお笑い界では"ブサイク"の方が得をすることが多い。だから彼は自ら"ブサイク"を演じているのだ。
実際結婚会見でも「美女と野獣って言われるのは嫌じゃない」と山ちゃん自身が言っていた。ブサイクが美人女優と結婚、と言われて一番得をするのは山ちゃんだと思う。山ちゃんは自分の外見を武器に芸人として生きているから。(もし山里さんが本気で傷ついていたら心の底から申し訳ないと思います。)
日本のお笑い芸人を考えたら、自ら"ブサイク"を演じている芸人さんはすごく多いと思う。よしもとブサイクランキング、なんてものが存在する時点でお笑い界で"ブサイク"が得をするのは自明のように思われる。
別に外見イジリ自体がダメだとは思わない。自分がブサイクであることが笑いに変わることが嬉しい人がいて、それを面白いと思う人がいる。誰も損をしていない状況、芸人さんの世界ではそれが成り立っているから許されているのだと思う。ただ、現実世界ではどれだけ笑いが取れても"ブサイク"扱いされるのが嫌な人は間違いなくたくさんいるだろうし、上手く生きていくために自ら"ブサイク"を演じるようになってしまった人もたくさんいるだろうと思う。それはすごく悲しいことだし、早くそんな事態は無くなってほしい。
日本ではテレビの中の「外見イジリ」が浸透しすぎて、現実世界でも外見イジリをよく見かける。本当は"ブサイク"を演じたくないのに"ブサイク"を演じている人がいる現状、そしてただ外見を非難されるのが嫌な"ブサイク"より"ブサイク"を笑いとして昇華できる"ブサイク"の方が正義のように扱われる現状は早く無くなってほしいと思う。
宗美玄さんが匿名の悪意に傷ついて、また自分の外見に対するコンプレックスを深めていないことを祈っています。
オワリ
なんで蒼井優が山ちゃんと結婚したのかわかった気がしたね。世間から魔性の女とか言われてるところあんなふうに真面目に否定して言ってくれる男がおったら、そらあ惚れるわな。
問題は山ちゃんのそういう優しさは惚れ込んだ相手にしか出せないところよ。静ちゃんに対するある態度を見るに。ある意味怖い人だよ
ロスっていうのもおこがましいよな。
僕があの人の何にでもないのにな
でも良くネットで言われる○○ロスってこういう気持ちなのかと思うのでロスって言うことにする
熱心なファンというわけでもない。
結婚されてからの喪失感?に似た感情を持つようになって自分でも驚いてる
IT社長とかイケメン俳優とかだったら、きっとそこまで何も思わなかったかもしれない。
やっぱり山ちゃんなんだな。
でもね、実際嬉しいんだよ。
ビッグニュースのファーストインプレッションは「山ちゃんなのか?マジか!やったじゃん!自分のように嬉しい!」みたいな感じだった。
でもどこか山ちゃんは僕ら側って思ってるところがあるんだろうな
嫉妬?
僕らの方に蒼井優は来てくれたという期待とともに結婚なされたので、そうしつかんがぞうふくされているのか?
全く何もない僕だが、場をわきまえない本能の気持ちを代弁するとすれば「僕らの方に向いたけど隣の人とくっついた!」という、「付き合えそうだったのに」という感情を道理なく感じてるんだ。
僕はひどい奴だ。
2019年6月5日、元号が変わって1ヶ月経ったところで対した代わり映えのある日常に変わったわけでもなく、常にニュースではいつ歩いている道路に突っ込んでくる自動車に対してどう対処しなければならないとか、年金もらえないから2000万円貯めなければならないみたいよとか、沈みゆく日本を眺めるだけ、みたいな話題で持ちきりのなか滅入っている毎日で、今日も眠れず丑三つ時、という状況に飛び込んできたTwitterでの新聞記事のキャプチャ画像。
少し睡魔が近寄ってきてさあ眠ろうか、といった寝ぼけ回路には刺激の強すぎる文字列と、ワンショット×2の何ともミスマッチなコラージュ画像。いや、ミスマッチどころか接点を探すほうが難しいくらい予想の外に飛び出した男女の組み合わせ。そこには「山ちゃん 蒼井優 結婚」と、強い単語が3つ、並んでいた。
「夢なんじゃないだろうか」。とっさにそう思い、眠気もあったことでその場はすぐ床についた。だけど混乱する頭はそうさせてくれなかったのだろう、午前4時半、再び目が覚めてしまった。そしてTwitterを開くと、更に新聞記事を詳しくキャプチャーした画像が多数出回っていて、「あ、やっぱりウソじゃなかったんだ」、そう理解することができた。「しずちゃんが恋のキューピッドなんだ」「そういや山ちゃんアンジュルムに軽ハマりしてたな」「っていうか交際2ヶ月って」みたいな浮ついた感想しか出てこなかったけど、両者のファンである自分には嬉しかった。特に、山ちゃんがこういうふうに幸せを掴むなんて。予想もしなかったし、考えうる未来の中で最上級の結婚相手を見つけたんじゃないだろうか。そんな失礼すぎる思いが頭の中を一杯にしてしまった。山ちゃんが掴んだ現実の話なのに。
そこからは普通の日常、仕事へ向かい、昼食を済ませ、お茶を濁して、帰路へつく。
だけど頭の中は山里亮太&蒼井優カップルのことで一杯で、「スッキリの天の声はさほど多くは語らなかったらしい」「会見が夜にあるらしい」「そういや不毛な議論も今日だ」とか、わずかの情報も入ってくる中、どうにか一日かけて頭の中を整理していった。
そうして帰宅し、AbemaTVでの微笑ましい会見を観て、芸能人の反応をチェックし、ベロンベロンのしずちゃんとそんなつもりで来たわけじゃないaikoがゲストだった不毛な議論を聴き、激動の2019年6月5日が終わった。
そういた一日を終えて、お似合いなふたりに見えてきた夫婦の顔を思い浮かべてこの文章を書いている。
山ちゃんはその日の最後の仕事である自身のラジオ、山里亮太不毛な議論のラストで泣いた。嗚咽混じりでリスナーへの感謝と共に泣いた。
自分は山ちゃんとは同じ中年男性ではあるけれど根本的に異なる存在だ。圧倒的に山ちゃんのほうが出来る存在だし、本来ならばモテて当然の男でもあるし、女優が奥さんでも決して見劣りしない一流の芸能人であり、そもそも残念だと言われたのは顔面と卑屈な性格だけなのだ。
だけど一つだけわかることがある。それは「非モテ」という名の呪いのことだ。
「非モテ」という呪いは恐ろしい。その呪いは自身の幸せを否定してしまうものであり、ひとたび呪われてしまったら自身のアイデンティティとなり、こびりつき、恋愛というものが世界と無縁であるように自然と自分から遠ざけてしまう。
山ちゃんはラジオで言った。「実は僕、結婚はすごく悩んでて、というのもラジオでずっと逆の人生の話をして、妬んできてて、幸せになることがあんまり良くないかなと思って、結婚するのが、怖くて」。
この言葉を聞いて涙が止まらなかった。「非モテ」にとっては「幸せ」になることは自身を否定してしまうことだ。誰かを愛すること、愛されることは、同じ「非モテ」である同士を裏切ることだ。
冷静に考えればそんな事無いし、そんな事思っているのは自分だけなのだろう。だけど「非モテ」という呪いはそんなバカですら分かることすら分からなくさせてしまう呪いなのだ。
かつて山ちゃんは友人であるオードリー若林、西加奈子と出演したボクらの時代でこう話した。「俺の走っている燃料が、妬み嫉み恨み辛み怒りだったら、彼女なり結婚なりというのはそれを消し去るものなんじゃないか」。まさに呪いだ。だけどそんな山里(もしかして若林にも向けているのかも)に西加奈子は言う。「うちらは『いや、みんなで愛し合って慈しみ合ってハッピーで、でもいいものを書ける』ってのを証明しようと思う」「大丈夫、結婚しても幸せになんないから」。
つくづく山ちゃんは幸せな環境に恵まれた人間だと思う。彼の周りには彼を肯定してくれる友人が多く存在する。彼にかけられた呪いを無かったことにしようと動いてくれた人達が存在する。だけどその環境は決して用意されたものでも、偶然現れたものでもなく、彼自身が作り上げたもので、その環境含め「山里亮太」の一部になっている。
もし、コンビ仲が最悪な頃、相方のしずちゃんが出演したフラガールで蒼井優と共演することを阻止してたら、コンビ仲が最悪のまま、南海キャンディーズとして漫才を続けることを拒んでいたら、不毛な議論で自身の幸せを信じるリスナーとの信頼を結べていなかったら、未知の仕事であったテラスハウスの仕事を受けなかったら、きっとこの未来にたどり着かなかっただろう。
しかし、この文章を書いている自分には未だにこびりついている呪いであり、現状、それを打破できる環境は作り上げられていない。
けど、山ちゃんの結婚で「非モテ」なんていう呪いのせいにすることはやめようと思う。そして、そんなきっかけを作ってくれた山里亮太、蒼井優、そして山里亮太を構成する周りの方々に感謝します。