はてなキーワード: 呪文とは
違算100円を出して店長から注意された。少額だったからお店の違算用貯金の中から補填されたので、私の財布は傷まず。先日は相棒が派手に違算を出したし(数千円単位)、今日の相棒(先日の相棒とは別の人)も数百円の違算を出したそうで、なんだろう皆疲れているのかな……。
日系ブラジル人が山のような小銭を持ってご来店。日系ブラジル人は普段少額のお買い物でもお札で払う事が多いんだけど、そうして貯めた小銭を一気に片付けようとするのだ。
って思うけど、たぶん夜働いて昼は寝てる人達なんだろう。
くじを引いていったが、引くときなんか摩訶不思議な呪文みたいな者を唱えていた。覚えて自分がくじ引くときに唱えてみようと思っていたのだが、疲れていたせいか綺麗さっぱり忘れてしまって残念。
この間オーナーにフライヤーを終いにするのが早すぎるって注意されたから、しぶしぶホットスナックをいくつか揚げてみたけど、案の定、売れ残った。
ある煙草を1カートンくれとお客さんから頼まれたので探したら、カートンは無かったので、お客さんにその旨を伝えると、じゃああるだけくださいって言うからバラをあるだけ出したら12個あった。
「えっと、あるだけといいますと12個ございますが、いかがなさいますか?」
って聞いたら、
「……っ……あるだけ、で…………」
って引くに引けない感すごい出てたのに、相棒が横から割り込んで来て12個でレジ打ってお金請求していて容赦なかった。
【追記】
http://b.hatena.ne.jp/entry/367162262/comment/Palantir:embed]
カートンで買うと安いの? - Palantirのコメント / はてなブックマーク
カートンで買っても安くはならんです。
1カートンのお値段=単価×入り数
です。
「マイナージャンルはオンリーイベントのほうが打率が高い」と聞き、
思い切って東京までの航空券を買って、オンリーイベントに出てみた。
あの東京ビッグサイトだ。“壁サークル”というものを初めて見た。行列ができていてすごい。
私は、比較的静かなエリアに座った。オンリーイベントとはいえ、作品自体の知名度や規模の差はある。
サークルをメモしているとおぼしき紙を見ながら、私のスペースにやってくる人がいた。
「新刊楽しみにしてました」って言ってくれる人がいた。
「全部ください」という祝福の呪文も何度か聞いた。
差し入れをくれて「これからも頑張ってください」と言ってもらえた。
交通費と宿代で、本の売上は簡単に吹き飛んでしまうわけだけど、
こんなにありがたい、嬉しい体験ができると思っていなかった。
素早さが上がる呪文みたいだな
東浩紀さんが中心となって出した「ゲンロン8」ゲーム特集の内容について、主にゲーム開発者の方々が批判して炎上している件。
ざっと見た限り、電ファミニコゲーマー編集長の平信一さんのtwitter・Facebook周辺が一番熱いようです(東浩紀さんご本人の他、イシイジロウさん、米光一成さん、大前広樹さん、濱津英二さん、島国大和さん、多根清史さん、清水亮さん、川上量生さん、やまもといちろうさんなどもコメント。平さんご自身は、ものすごく冷静ですが)。
中でも、痛烈に批判しているのが、ゲーム開発者の岩崎啓眞さんのようです。
Facebookの公開投稿も検索して見てみたのですが、岩崎さんの以下のコメントが箇条書きでまとめられていて、わかりやすい。
https://www.facebook.com/jun.okada.906/posts/2082518138456655
岩崎 啓眞 今回、ゲンロン8を読んだことで本当に思ったこと。
1)ゲームは技術と複雑に絡み合ったプロダクトであり、フルタイムで仕事にしている人間とそれ以外でとんでもない差がある。
2)特にスマートフォンになってからは出る数も膨大になり、そもそもの調査の段階からフルタイムVSアマチュアでは差が出てしまう。
3)技術を知らず、調査しきれない人間と調べないとリングに上がることもできない世界で生きている人間では「基本のラインが違いすぎる」
4)結論:作り手と同じレベルの話を出来るようになってから来い。
最初は怒ったけど怒る気すらなくなった。
なかなかすごい。
しかしこれはどうなのでしょう?
銀座のいろんな寿司屋にけっこう通ってる客が「サーモンはA店、まぐろはB店が旨い」などと語っていたら、
寿司屋の大将が「サーモンは輸入なンだからどこの店だって同じでぃ。素人は寿司を語るな」と言っているようなもののような気がします。
サーモンに関しての事実誤認に関してはそうなのでしょうが、だからって寿司を握った人でないと寿司を語ってはいけないというのは言い過ぎではないでしょうか。
岩崎啓眞さんがふだんどのようにゲームを語っておられるのかと思って、ググってみて、最初に「「レベルを上げて物理で殴る」の素晴らしさをゲームデザイナー視点で語ろう。ドラクエで学ぶ「RPGメカニクス」の3大メリット【ゲームの話を言語化したい:第四回】」という記事を見つけました。
その中に、以下のように書いてあります。
http://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b
プレイヤーがバトルに敗北したとき、『ドラクエ』は経験値やキャラクターをロストせず、所持金を半分にして、最後に訪れたリスポーンポイントから復活させるシステムなのだ。
「最後に訪れたリスポーンポイント」と書いていますが、ドラクエ1のリスポーンポイントはラダトーム王の1マス下のひとつだけで他にありませんので、「最後に訪れたリスポーンポイント」の部分は正確な表現ではありません。
http://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b/2
1. プレイヤーはひとりで旅を始める
→これは『ドラクエ』と同じ構造にしてプレイヤーの負荷を下げるため
→ここも『ドラクエ』とほぼ同じ構造になっている。なお『ドラクエ』というゲームの偉大さのひとつは、このチュートリアルを30年経ってもやることだ
とありますが、ドラクエ2の1人目のプレイヤーキャラ(ローレシアの王子)は魔法(より正確には呪文)は使えませんので、4の「ふたりめの王子(引用者注:=サマルトリアの王子)がパーティに加わる」前の話なので、「2. アイテム・装備・魔法の使いかたを覚える」の「魔法」の部分は事実誤認です。
このように、ゲーマーの基礎教養であるドラクエ1・2に関しても事実誤認があります。
実はやってないのでしょうか? うろ覚えなのでしょうか?
このような事実誤認によって、この記事全部が意味がないものになるかというとそんなことはなく、変わらず大変興味深い指摘だと思います。
「事実誤認を見つけたからこの本・記事は意味がない」という姿勢はいかがなものか、ということです。
そんなことはないのでは。
事実誤認があれば指摘して、著者も素直に訂正し、それとは別に議論を深め、ゲームに対する言論を高めていく、というのが健全ではないでしょうか。
だって、ゲームを本気で語ろうなんていう人たちの規模はこんなにちっちゃいんですから。
ゲーム開発者が、ゲームの遊び手がゲームを語るのを弾圧するっていうのは本末転倒では。中国政府ですか?
ゲーム開発者の方は映画やアニメを語るのが好きな人も多いですが、「映画(アニメ)作ってないお前に語る資格はない」って言われたら嫌でしょ?
あとオンラインゲームやオープンワールドやスマホ・ブラウザゲームなどはメジャーなものだけでも全部まともにやるのは、一般社会人にとっては時間的に不可能な現実もありますので、「このゲームすらやってないのか」的な言いがかりも、いまの時代、やめた方がいいのかなーと。
全部やるのは無理だから、教えあうしかないんじゃないですかね。
https://www.facebook.com/TAITAI999/posts/1977782982291793
じゃあ一方で、ゲーム業界側(ゲームメディア含む)が、その”正しい認識の歴史”とやらをきちんとまとめるなり、伝えるなりしてきましたか?というと、少なくとも僕は見たことがないんですよね。(…)
つまり、いわゆる“ゲーム業界人”(あるいはコアゲーマー)は、長年の経験を踏まえて正しい文脈を知っているかもしれないけど、それを整理して残す努力はしてないんじゃないかと思うのです。それって、僕からすると「ゲーム業界側の負い目」に思えてしまう(少なくとも、ゲームメディアがやれてこなかった仕事だと思う)。そりゃ、業界の外の人が分からなくて当然だろうと思うのです。
とおっしゃっているので、平さんあたりが音頭を取って「ゲーム業界人から見たゲームデザイン史」的なものを作ってくださるのも素晴らしいと思います。
今回の議論でもある通り、ゲームには作り手でないとわからない高度な技術的な側面がありますので。
あ、ただ、それを「正史」にする、という発想はまた違う気もしますけども。
映画業界人が作った「映画正史」とか、小説家組合が作った「文学正史」みたいのはあまり聞いたことないので。作り手が主張する歴史が正史だ、っていうのも、なんか中国政府っぽくないですか?
そして最後にゲーマー日日新聞J1N1さんのこの部分を引用しておきたいです。
そこで自分が言いたいことは一つだけ。自分たちのゲームは自分たちで語るべきだということだ。
自分たちのゲームを語り、周囲の人や後世の人に伝えるのは、自分たちしかいない。批評家や評論家の肩書を持った偉い人たちや、経済的な課題を常に抱えるメディアに、全て丸投げする程期待してはならない。
戦闘機に乗って自爆テロをしたら神社で神になる教えはカルトじゃないのか
仏陀が否定していた錠剤の極楽があると言い張りこれまた開祖が否定していた呪文を唱えて奇跡を起こそうとするのは邪教じゃないのか
時間が作れる、すなわち我と同等の実力を持つようになったこの繰り返す運命を変えて欲しい、その為に君達をここまで鍛えたのだから久しぶりに馴染みのゴールドソーサーに行ったら、預言書にも記されているようなヲタサーの姫がいて、神が定めた通り、旧来からの導かれし者たちがいいように転がされてた。
見た目の存在価値もキャラ設定も仔猫ちゃん戦闘スタイルも、古文書にあるところのヲタサーのザ・ダークプリンセスそのもの。
シルクのドレスを着る、クポいアーティファクトが我々の努力を嘲笑うかのようにと好き、どこか守りたいものほど守れない、光の属性が実に素晴らしい、妙に「かの者」を褒める、必要以上にリアプノフ指数が近い、謎の触れるもの全てを切り刻むボディ浸食、特別魔力の高い“世界の真実”ならばないけど神の意志とは異なりブスってほどでも――かつての絶望を想起させる。
お盛んなことだねえと幻想(おも)い、帝国湾で獲れた鮎魚女を木の芽焼きにしたもので一杯飲(や)りながらもちょくちょく通うようになって、導かれし者たちともSNSでつながる……と予言書にも記されているようになってきたのだけど、其で(…チッ、無能共が……)分かったことがあった。
その肉体は鋼鉄よりも強いと言われるヲタサーの姫はすでに暗黒の契約していてその力を電脳世界ヴルーフェニキシウス上で全く結界に封じ込める様子も……そして、帝国の野望を阻止することもなく発信し続けているということだった。
導かれし者たちを補足していくほど、偽りの縁を繋ぎしもの上位次元だが、しかし導かれし者たちを媚びては導かれし者から追い討ちをかけるように褒め返されるという仔猫ちゃんプレイが行われて……この先にガストラとケフカ…そして…三闘神がいる――だが、我々には関係のないことがわかった。
しかし、そのインフォニアには帝国の威信にかけて必ずと言っていいほど、集合体にされる如くに常に傍らに在ったもう一人の英雄とのファ・ナシが挟まれていた。
「グルガン族の勇猛な戦士とゲームを楽しんだ!」「グルガン族に破壊と再生をデュアルしてもらった!」みたいな調子だ。
其れを帝国の女子寮の浴場を覗きに行っていて、これはある種合理的かもしれないと思った。
暗黒の契約をして坐す。尚且常に傍らに在ったもう一人の英雄との関係が悪いわけでは…ない……。ついに人類は滅ぶのか……!。
そのことをしっかりとアピールし、帝国製の燻製肉を切り分けつつ囚われし者プレイを執行すれば、よけいな誤解から変な幻想の錯綜パショニエに神の望みし運命に選択される所もなく、かつ、「かの者」に対しても聖なる関係はファンタズム抜きだという紳士的な因果の鎖を強いる純粋な闇の意思(キングダムハーツ)が成し遂げる。
それほど強大なかりそめの平和で絶妙な間合いを保ち、この世の『闇』を感じつつ、女子供には決して手を出さない自尊心や仮初めの道化師刻印欲求を満たすことができるのだ。
誰もが勝利を確信したその時、ヲタ帝都の名も無き店で働くサーの花嫁…たとえば預言書の記述からダーククリムゾンメンバーや暗黒と同調せし吾輩に送られる言の葉は、どれも魂のすれちがいを招きかねないオーラの酒や女などよりよほど良いアルテマの呪文ばかりだ。
預言書の記述によれば未来を託されし定めの者はいない、罵りあう愚民共を殺戮したいのだが、もしかしたら小数点以下の確率で盗めるかもしれないと思わせるのも、言ってみれば絶妙な間合いの一握り――貴様の言いたいことは分かる…だがある…だが、そのうちの一つは“今”消える…。
もし、この世界の“偽り”が暴かれたとして我らがグルガン族の勇猛な戦士の座する場所にいるとくりゃあ、それほど強大な言動はすぐにでも人間をやめさせる…お前ほどの実力があれば分かるだろう。
たとえ闇を討ち滅ぼそうとも、もし宿命のグルガン族の勇猛な戦士がもともと超越者サーでゲットしたデウス=エクス=相手であったとしたら、グルガン族の勇猛な戦士は姫に――嫌われても、恨まれても――服従であらァし、囚われし者ゲームプレイに対するもう一つの物語を話そう…………て諫言をいうなんてことはできないに違いない。
ただ、そんな惨状により発狂したクェッ・コンセインクァツァでは自己神でありながら人に肩入れする承認イドを満たすことが可能であると神のコデックスに規定されてはおらす、ヒトゥ=ヅメィという絶対防御シールドを携えて再びザ・ダークプリンセスの宿星の座に舞い戻ってきたと考えれば辻褄が合わないわけではない…いや、むしろ……。
今後暗黒の翼を拡げしヲタ人の優しさにつけこむ愚劣なサーヴァントは随所族の盗賊の城で増殖する危険性がある。そのような危険から神のよりしろを護るには、我らに与えられし光だけでせいぜい無駄な努力に励んで必要以上に首を突っ込ま…キマリは通さないことだ。
「ごほうしするニャン」
彼女はそう言った。
と言って別室にひっこんだので、何をしてくれるのだろうと私はワクワクしながら待っていた。
そして「準備できた」と現れた彼女は、山伏のような奇っ怪な格好をしていた。
私が「へ? なにそれ」と聞くと、彼女は
「護法師なり。 仏の法 (のり) を護るものなり」
と応えたのだが、もちろん私にはさっぱり意味がわからず困惑した。
「汝の邪なる気を払うべく参上した」
彼女は手に持っていた奇妙な祭具のようなもの (独鈷を長くしたような形) を掲げて呪文のようなものを唱えはじめた。
「おん きたきた さくば さきら さびらうんけん」
そして「ハーッ」と気合を入れたかと思うと祭具のようなものを私の頭に振り下した。
一瞬にして意識が薄くなる。
私の中から何かが抜けていくのを感じる。
これが邪なる気なのだろうか、そんなことを考える間もなく、私は二度と、何も考えることが出来なくなった。