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はてなキーワード: 公理とは

2022-11-30

コンピュータサイエンスは「サイエンス」なのか?

サイエンスとは自然科学、すなわち実験と観察による帰納演繹公理論理による再現可能性だ。

そういう意味ではコンピュータのあれこれって人間が決めた規格でしかなくて、サイエンスと言われても甚だ疑問だ。

情報理論統計学論理回路、アルゴリズム人工知能計算理論、数値解析)

このあたりはもちろんサイエンスと言えるが

OSI参照モデルネットワークプロトコルプログラム言語RFC

このあたりは人間が決めてそう作ったものしかなく、サイエンスとは言えないと思う。

2022-11-28

anond:20221128223448

いや違う。なぜ咲が生き残ったのか/人気になったのかが正しい設問だ。

答えは明らか。少女萌えエロから。作中では徹底的に、ほぼほぼ男性排除されてるのも忘れてはいけない。

『男は薄っすら嫌われる。女は薄っすら好かれる。』

これが理由のすべて。

この公理から一直線に駅構内での麻雀ゲームエロ広告、はては女性議員フェミニストによる糾弾オタク男性達の反発までの未来が導き出せる。

男嫌女好公理絶対である限り、どれだけ隔たった並行宇宙だろうとも同じ結果に至るだろう。

2022-09-28

anond:20220928174936

公理系を緩めたり拡張したりしていく感じかなあ。正しさが積み上がっていくというよりは、「今のところ正しいと言える範囲はこれ」という形で公理系が設定されるという感じで、実はもっと広いクラス公理系でも成立することがあとからかるというか。その時々の公理系は「これが正しさの限界だろう」というある種の数学的な信念だけど、拡張されることでその信念が誤りであったことが示されるというようなことはあると思う。例えば可積分関数に対して定義されていたフーリエ変換が超関数拡張することでより広いクラス関数空間についても定義できるようになるとか。

まあ俺は数学素人なんで間違ってるかもしらんけど。

2022-09-10

anond:20220910145158

そのレベル数学定義(〜伊藤清の本程度)は流石に知ってるけど、それが確率だっていうのは数学公理をどう矛盾なく用意できるかという話であって

結局現実で我々が想定しうる確率と一致してるのかとか分からないままオッサンになった

2022-08-31

anond:20220830225149

平たく言うと従来のキリスト教人間から脱却して

合理的人間観とその公理論理の構築を目指し、それが後に実存主義として100年近く風靡したからすごいと言われる

仏陀などのインド哲学に触発されているのは確かだし、一致する見解も持つが

原始仏教実存主義であるように仏陀や他の哲学者と完全一致しているわけではない

2022-08-14

[]バナッハ・タルスキー定理

球を何回か切って貼り付け方を替えてやると、その切り方や貼り付け方によっては、体積が元の2倍になってしまうというふざけた定理

しかし、トンデモ科学の話というわけではなく、現在数学一般的に使われている公理系(ZFC公理系)を認めるならば、この定理ちゃん証明できてしまう!

から数学の厳密性とは何なのか…とついつい考え込んでしま定理であり、非常に興味深いのだが、社会での認知度はかなり低いように思える。

証明というかその実例は、回転群を使って構成することができるらしいが、その詳細を書くには、この増田は狭すぎる(って感じでご容赦を)。

2022-08-07

anond:20220807224905

文系哲学法学数学が出来る者のことを指す

法律文言は正確に理解数学公理系や定義、許される演算ロジックや工夫など教養レベルから少なくとも100パーセント読み取らねばならないし全世界に向けて自らの功績を発信しなければならない

2022-06-04

anond:20220602225024

先生「のび!公理からやり直しとれ!」

のび太「もうこりごりだよ〜〜〜」

2022-06-02

現代数学では小学校算数にすら三角関数

ここ100年ほどの数学のやり方だと小学校レベルの「角度が全部60度の三角形は三辺の長さも等しい」程度の命題すら

三角関数やそれに類する概念定義した上で角度を定義するか

または通常より複雑な公理系を用いた上で角度等を定義しなければいけないと言うのはあんまり世間では意識されてない気がする。

いやぶっちゃけ意識する必要はない。どっかの議員に賛成する訳では決してないが

現代数学スタイルなんて殆ど人達にとって学ばなきゃいけない物では無いのは確かだと思う。

ただいっちょ前に数学に関しての哲学的な要素について口挟みたい奴がはてなかにもいるけど

だったらせめてこの程度の現代数学の特徴くらいは分かっておくべきではあるとは思う。

同じ端点を持つ2つの半直線の間の角度を定義するには、現代数学では合同変換を用いる。

片方の半直線がもう一方の半直線に移されるような合同変換を求め、その変換のパラメーターの一つを角度として採用する訳だ。

この合同変換を行列として定義した時、行列の要素に三角関数が現れる。

から2つの半直線の間の角度やその後に2つの線分の間の角度を考えられるような状況では、三角関数は既に分かってるのが普通ななのだ

現代数学では三角関数定義するかそれ以上に複雑なやり方を使わなければ、3つの頂点の角度が全て60度の三角形すら定義出来ないのである

それ以上に複雑なやり方についても書くつもりだったが、増田の余白はそれを書くには狭すぎるので割愛する。

現代数学というのはとっても厄介な物ですね。

2022-04-08

anond:20220408030646

whataboutismは本当に不毛だという事が公理として広まるべきだと思う

(とはいえなぜ不毛かってところがすっ飛ばされてしまうのでwhataboutismって言葉が普及すればいいってもんじゃなさそうだが)

2022-03-08

はてサってやっぱ知性放棄してんだな

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/masuwo1980/status/1500295051838365706

エビデンスエビデンスって言う人は、あまり自分の頭で考えず、科学的根拠にすがってるように感じる。

数学に関しては、人が発明した学問なので揺らぎようはないと思うんだけど、数学以外はもっと複雑な感じがするし、物理だと理想気体とか、数学でも近似値とか、あいまいなところはあるよね。

id:zyzy というか数学こそまさにエビデンスが一切ないジャンルなんよね。公理という人間がこれで上手くいくという感情的思い込みで決めたものが論拠なので。エビデンスを求めるなら数学は一切使えない事になる。

id:RRD エビダンスエビダンス言ってる衆は、砂は固体だというエビダンスがあるから固体の上に楼閣を建てても大丈夫、って言うことが時々あるよね。

こんなバカ同意ちゃう位に本気で頭悪いんだな…

2022-01-23

anond:20220123100152

「いつ」批判していいのかを考えるのが誤りで、

「どのように」批判すればいいのかを考えるんだよね。

 

悪口にならず、

過度の否定にならず、

共感を失わず

配慮を失わず

マイクパフォーマンスではなく、

真と善と美と公理公益のために、

己のためでなく相手のための言葉を使うのだ。

 

同じ夫婦にしても、言い方はあっただろうよ。

2021-12-24

anond:20211223171928

死刑制度が無ければ、自分の大切な人間を殺した人間報復しても制度に殺される心配が無いから、廃止した方が良いやん?


……というのは冗談だけれども、「復讐したい」という気持ちと「死刑という制度への反対」は同時に成立し得るわけで、その二つを直結させるのは、ちょっと飛躍があるよ。同じく、死刑制度存置派が悪でリアリストで、死刑制度廃止派が善でグローバルスタンダード、みたいな思い込みも、ちょっとものごとを単純に見過ぎているよね。


個人的に感じる、そもそも漠然と「人を殺すこと」への忌避感は、「死刑だ!」と叫ぶ人の中にも当然あるわけだよね(だからこそ殺人に対して過剰に反応するわけだから)。だから、「人を殺してはいけない」という規範整合なのは、むしろその「人を殺したくない」という気持ちであって、制度をそちらに寄せて設計するというのはそれなりに理には叶ってると思うんだよ。死刑制度必要と叫ぶ人は心の中では、周囲が蛮族しかいない状況で暮らしていて制度的にそこまでキツく縛らないと誰もが人を殺しかねない、と感じているのかもしれない。……まあ、昨今のニュースを見ていると、ここが蛮族の地であることを、いまいち否定しきれないけれども。ただ、安心を求めたいのは分かるとしても、それはいわゆる「お気持ち」であって、本当にそれが制度としてベストなのか、っていうのはまた議論余地があると思うんだよ。


たとえば、いわゆる凶悪犯罪に関する資料を読んでいると、「人を殺したら死刑になる(からやめておく)」みたいな歯止めが一体どれくらい有効なのか、まさに「現実的に」考えて疑問に思うことはあるよね。どちらかというと、「人を殺したら自分が殺されるから利益が無いな」と考えて殺人を止めるという思考ほとんどサイコパスの(=極端に合理的しか物事を処理できない)それであって、一般的な人は、よほど追い込まれたか自暴自棄になって殺人を犯すんじゃないだろうか。だとしたら、「死刑がある」から歯止めがある、という論には説得力がないよね。まあ、「自殺したいけど自分死ぬのは怖いか死刑になるような犯罪をやりました」とかいうとんでもない人間がいる時点で、歯止め論は破綻しているんだけども。


いわゆる凶悪犯罪殺人も含めた)を犯した人が社会に戻って、再び刑務所に入る確率って、だいたい1~2割だと言われている。やっぱり1~2割のヤツは凶悪じゃん! て思うだろうか。それとも、刑務所帰りの人にそれなりに冷たい社会であるにも関わらず、凶悪犯罪をする人だって、状況が違えば、あるいは、適切な教育を経たなら、8~9割の人は殺人なんかしない人だった、と考えるか。これは、半分水が入ったコップを眺める楽観論者と否定論者の議論のようなもので、取りようによって見方によって異なるのかもしれない。けれども、これが(すぐ隣にある)死刑囚にも延長して考えられるなら、少なく見ても「死刑」になる人の7~8割は、状況が違えばそんなことしなかった、「普通の人」なんじゃないだろうか、と推測することは可能だ。まあ、そういう風に考える人も世の中にはいるという話として聞いて欲しい。


……自分自身が、生まれつきそんなこと考えるほど楽観的な人間観をもっていたわけではないんだけど、上のように考えて実際に行動に移す人が世の中にはいるんだよ。そして、多年にわたる行動の結果、「どう考えても救いようなんてないヤツ」としか思えないような言動をしてた死刑から真人間のような言葉を引き出すのに成功したりもしている。いや、そんなことお前にできるのかと言われても、普通にできないと思うよ。でも、出来る人がいるわけだから、それを否定するのはおかしいとも思う。実際やってる人は強いよ。死刑制度というのは、そういう人や考え方を否定する制度だと思うんだよね。それって、おかしくないか


よく言われる「遺族感情」というヤツ、これもくせ者だと思う。遺族感情って何だろう。遺族は全員「復讐」を望まなくてはいけないのかな。復讐を望むことだけが「正しい遺族」なのかな。なんでそれが決めつけられるのだろう。だって物語とかなら誰だって言うじゃん、「復讐は何も生まない」とか「復讐にとらわれるのではなく、お前の人生を生きろ」みたいな。で、大体においてそれは正しいよね。現実世界でも同じだと思うんだけど。警察があり裁判制度が整備されている現代では、(死刑制度の有無は別として)不公正な行いに対しては社会的に処罰が行われ、個人的な敵討ちをする必要がなくなっている。それは何よりも、「復讐から個人を解き放つことが社会としては「正しいこと」だと考えられているからじゃないかな(だから、冒頭の話は私の本音とかではなくて、ただの冗談だよ?)。死刑を存置する理由として「遺族感情」をもってくるのは、個人的には危うい理論だと思う。そもそも検証できない一時の感情絶対事実のように語って全体の制度の前提にする危うさ。だから「遺族感情」論にも説得力を感じない。実際に遺族になってみないと分からないし、自分がそうなったとき何を感じ何を望むかは分からない。少なくとも、誰かに勝手自分錯綜する内心を決めつけて欲しくないとは思うと思う。

そして、もう一度「更生」に関する話に戻るけど、そんな手間を一人ひとりにかけていられるわけないじゃん、って「リアリスト」的な方々から反発の声があがることも予想できるんよ。でもちょっと待って。それって「余裕が無い=お金がない」という、ただそれだけの話だよね。じゃあ、死刑賛成派のリアリストは、「悪いことしたからお前ら死んで」と言うフリをしながら、本当は「いや、お金がないからお前死んで」って言ってるってこと? それってひどくない。何よりも、そもそも殺人は(理由いかんを問わず)許されざる罪」というのは、死刑賛成派の大義名分だったのではないのか。そして、百歩譲って「その殺人の罪が余りにも重いがゆえに、死をもってしか購えず」というのが死刑肯定最後妥協であるはずではないの。なのに、いつのまに「いや、実はお金がないからお前には死んでほしいんだよねー」って話になってんの? それ、お金目当てに強盗殺人とか犯した犯罪者の言い分とどれほど違うのか教えてほしい。そんなこと言う人間に、誰かを裁いて死なせる権利が本当にあるの。自称リアリスト」による死刑賛成論にも、こうして同意はできないことになる。

そして最後に、これは同意されるかどうかは分からないけど、「国家」という仕組みを自分はそこまで信頼してないんだよね。明治大正昭和近代史勉強したせいかも分からないけど、ものすごく大雑把に言うと「国家だって運営しているのは人間なので、とても未熟な人間やらかしがちな誤りを犯すことがよくあるんだよ。善意でつくった法律がとんでもない運用をされて混乱引きおこしたりとか、末端の人の過大解釈を引きおこしたりとか、それによって取り返しの付かない傷を国家が負ったりとか、そんな事例が山ほどあるのね。その中でも特に致命的で取り返しの付かない被害を引きおこしかねない制度が「国家国民を直接殺せる制度」なんだよ。たとえ獄中であっても、生きていれば、体制がまともになったときに再び戻ることもでき、取り返しがつくこともある。だけど、死んだら全て終わりなんだ。その意味では、余談になるけど、東京裁判戦争犯罪人死刑にしたのも、本質的には誤っていると思ってる。東京裁判自体が勝者の裁きであり……云々という話もそうだけど、彼ら戦争犯罪人に真の意味での「責任」があるかないか、生きて語らせた上で、占領終了後に改めて日本人自身の手で検証をさせるべきだったと思う。危険だと言うなら、終身刑として、検証まで徹底的に隔離して置けばよい。彼らを死刑にしたのは、復讐と、象徴行為(つまり見せしめ)と、それから一歩踏み込んで言えば、別の責任者を免責するためという、きわめて政治的行為だったんだろうね。戦争をきちんと精算しきれていない、という問題は、そのせいで今も日本に残る「疚しさ」という課題になっている。まあ、多少の「疚しさ」がある方が結果的には全体として健全さを保てる、という見方もあるから、そのことを100%否定したいわけでもないけどね。

まあ、まとめると、元々あった漠然とした「人を殺すことは正しいのか?」という疑問、更生に関わった人の記録、制度矛盾への気づき……などから20代半ばからゆるやかに死刑には賛成できないという立場になったという感じ。死刑賛成論が、純粋正義感から発していることは重々理解する。けれども、今のところ「消極的に、現状を追認し、急激な変化への対応を先送りする……」以外に、現代において死刑を存置すべき理路が全く見当たらないんだよね。というわけで、質問に答えたので逆に教えてほしいんだけど、死刑を存置すべき、何か自分には想像もつかないような理路が他にあるのかな。それとも「死刑は行うべし」というのは、増田にとってはもう公理なのかな。

anond:20211223171928

死刑反対論者です。

はっきりいうと、そもそも「死を持って償うしかないだろ」というのが、理解できません。あるいは、「罪」とか「償う」とかの意味がわからない。これって、ただの宗教的信念でしょう。

とはいえ、殺し合いが起きていると社会が成立しないから、司法刑罰手続きを整備するのは理解できるので、「社会」を肯定的評価する限り、刑罰一般肯定できるわけです。しかし、死刑制度は無くても社会は成立するので、「罪」のような宗教的信念を共有できない私のような人にとっては、他の政治的・法的ロジックとの整合性こそ問題になる。

そういう便宜的にアプリオリとされる信念は極小にすべきで、社会の仕組みも、少数の公理から導出されるようにするほうが、私は美しいと考えます。ここで、近代社会を成立させる上で、最少の公理を定めるとすると「人権」を出発点にすることが妥当に見えます。(犯罪処罰妥当性も、人権から導出できる)

2021-12-09

anond:20211209024805

まあだから集合論知ってる」なんて言う人はいないよね。というか数学科でも「集合論知ってる」なんて言い方する人ほぼいないんじゃないかと思うけど。

「一応勉強したことある」とか「多少はわかる」とかそのくらいの言い方になるよね普通別に集合論に限らんけど。C++分かるなんてストラウストラップジェフディーンくらいじゃないと言えなくねみたいな。

てか集合論なんてまじでわかんなくない?無限個の積集合がどうやばいのかとか、位相空間で第二可算公理を満たなかったらどうやばいのかとか、全くピンと来てないんだけど。

2021-12-07

anond:20211207124052

ウイルス定義(数学でいう公理と同じ働き)とワクチン感染者が減るという科学的な事実との相乗効果で明らかだと思うけど

2021-11-19

anond:20211118233826

まあこれ、

オタク特有エロ表現が害であることを単なる不快感である以上には立証できていない、という文章への反論としての、侮辱罪の本質が単なる不快感である以上の立証はない、みたいな話だから

公理法益と害を観念した論理的立証の観測の話じゃないんやすまんな

2021-11-18

anond:20211118232150

これってめんどくさい哲学問答に付き合えって話だったの?

価値基準をどこに置くかってだけで、つまり公理を与えれば現実世界法益と害の論理的立証はできるでしょ

法的でも倫理的でも宗教的でも、功利的でもカント的でもコミュニタリアン的でも同じ

観念論ニヒリズムなのは知らんからパス

2021-10-07

もしピタゴラスの定理がなかったら

他の定理公理はありで、ピタゴラスの定理けがなぜか人類発見できない世界があったとしたら、どんな世界になるんだろ?

2021-08-10

anond:20210810063312

それは違うな。そう思っているなら教育の敗北だ。可哀そうに。世界公理演繹規則集合体よりもっと豊かなのに。

2021-07-28

anond:20210727235502

経済学はさ、数学みたいなもんだと思うんだよね。

自分ルール(= 公理)を作ってそれが記述する世界性質記述するという意味で。

から本当は数学と同じように「こんな新しい構造を作ったぞ」とか「この構造からこんな性質が導けたぞ」とかやっていれば良かったんだよ。

それがまかり間違って「経済」なんていう名前をつけてしまったがために、自然科学と同じ、つまり実際に起こっている現象記述する学問なんだと勘違いされてしまったのが問題だった。

自然現象と違って社会現象は複雑すぎて記述なんてできないしする気もないし再現実験もほぼ不可能だし反証可能性があるかすら怪しいのにな。

2021-07-18

以前カンブリア宮殿に出演しL/Rネジを開発した道脇 裕さんが0/0=1を証明

0除算によって0にできる代わりにa/a=1ではない公理系を作って、証明したと書いてる

http://www.next-innovation.com/divisionbyzero.html

俺も門外漢だけど、すごく初歩的なミス...?

https://link.springer.com/chapter/10.1007/978-3-319-75647-9_24#citeas

2021-07-04

anond:20210704111057

有限集合上で定義される強さ関係議論に限られるだろうから関係の特徴や公理化の方が有益だと思う。

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