はてなキーワード: 児童文学とは
あるよ。キャプテンハーロックは隻眼。隻眼キャラは眼帯のキャラ付けが厨二的で格好いいのかけっこう多い。
漫画じゃないけど昔の海外児童文学が原作のアニメ「宝島」のジョン・シルバーは片足義足で松葉杖だけどしびれるほどに強くて海賊の頭でワル、なのに料理も上手というハイスペックナイスガイ。19世紀の原作だから強化機械義足の設定とかじゃなく普通に木製の義足で無双してる。
戦後すぐから昭和中期ごろまでは戦争による傷痍軍人が巷に溢れてたから彼らを活躍させたいというアンチヒーロー的視点がその頃の漫画やアニメにはあったんじゃないかな。水木しげる先生もそうだし。ブコメにもあるけど「どろろ」とかも。昭和の漫画には多いと思う。
昭和後期以降は傷痍軍人が減った反面、車椅子の電動化やバリアフリーで傷痍軍人ではない障害者を世間で見かけることが多くなって障害者への世間の認識とともに漫画の障害者に対する認識も変化したと思う。
ハガレン的設定は現代的だよね。漫画の人物としての彼らにはあまり障害を負った人間というハンデを感じさせない。ストーリー上活躍させるとなると障害を感じさせない展開にならざるを得ないから障害者と認識されにくくなるんじゃないかな。安楽椅子探偵みたいな設定ならまた違うんだろうけど。
加えて萌え界隈の基地外&低脳&非オタク率(オタク文化に対する知識の無さ)は異常
未就学児にファーストフードばっか食わす親みたいに、
「これが売れるので商売としてやってます」なら需要と供給があっている話で終わるけど
萌え界隈に群がるのは個人情報をばら撒いたり執拗な個人攻撃を繰り返したりする基地外ばかりの世界と認識ある上で
2000年代お固めな企業 (銀行やMSなどなど)が萌えキャラ採用して
ライトノベルはそれまで児童文学とかジュブナイル小説とかファンタジー小説とか言われていたジャンルなんだよ
児童文学と呼ぶには大人びてる、ジュブナイル小説と呼ぶには日本のサブカルの影響が強すぎる、ファンタジー小説(ハイファンタジー)と呼ぶには設定の練りが甘いなど、言葉にするには何とも言いようのないものだった
装丁は内容と合致するとは限らないという最近の例として「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズの別の装丁verとかあるよね
https://image.itmedia.co.jp/l/im/nl/articles/1901/25/l_fsfigharuhibunko01.jpg
そもそもライトノベルというジャンル自体がそれまで複数のジャンルへまたがるものだった
例えばこのあたりの話題で出されるのはタカシトシコ先生の1996年に発行された「魔法使いが落ちてきた夏」が良い例とされる
この作品は児童文学ジャンルで発行されているんだけど、あらすじは以下の通り
ままさんが買ってきてくれたポストカードには黒いローブを着た白い肌、すきとおった黒い瞳をもつ中性的な魔法使いが描かれていた。その魔法使いに主人公カナは一目で惚れた。
その夜、カナは夢を見る―今にも石版に飲み込まれそうな魔法使いを助ける夢・・・
両親は出かけてしまい、一人でお留守番中のカナの耳に聴こえてきた破壊音。リビングを確かめてみるとそこには小さくなった夢の魔法使いが屋根を壊し落ちてきたところだった!!どうやら敵に追われているらしい。
「大魔術士(グランメイジ)」という表現とか、あらすじには出てこないけど登場人物の名前として「阿修羅」が出てきたりとか、今で言うライトノベルをやってる
ルドルフとイッパイアッテナという児童文学があって、これ出版されたのが1987年なのだ
まずは1987年当時のことを思い出して欲しい。えっ精子にすらなってない?なるほど子供は早く寝ろ。えっ成人してる?嘘だろ
ともあれ地域猫なんて言葉もなく、ネコの権利(!)は今より曖昧で、世間ももうちょっと緩かった時代である
そんな時代に書かれた、ネコの街中冒険ファンタジーを2016年に映画化するとどうなるか
答:ネコの飼い主が糞、地域猫として扱いが不適当、とめっちゃ揉めた
まあそりゃそうである。引っ越しの際にネコを無くす(しかもそのまま)な飼い主とその親、アメリカに行くという理由でネコを置いていく(捨てていく)飼い主、ネコが侵入できる学校、餓死やごみ漁りを描けない都合上不自然に挿入される近所のノラネコ餌付け集団、どれも「現代的」ではない
まあともあれ、Amazon Primeで絶賛配信中である。高評価レビューは軒並み「ネコの飼い主が酷い」で埋まってる。いやでもこれ、いやあ、まあ、そうなんだけどさ…
構造的違和感を排さざるを得ないCGアニメにしてしまったのが敗因だと思う。いまさら朗読劇動画を映画館で流せとは言わないけども
スタートボタンを押してください ゲームSF傑作選 (創元SF文庫)所収。
30ページの短編。
すき家でワンオペにいそしむ男が強盗にあって殺されるが、直後その強盗になっていることに気づく。
その後もさまざまな人物に殺され、近くにいた人間になっている=リスポーンする中で最後にとった行動とは・・・・
という感じ。
All You Need Is Killのダメ男バージョンの焼き直しって感じで、最後どう落とすかが気になったけど、
そう来るか―って感じだった
期待以上ではなかったけど、まあ期待以下でもなかったかなあ
それ以外にも11この短編が入ってるけどそれは読んでない。
桜坂洋以外はみんな新進気鋭のガイジン作家らしい。後書きによると
パラパラとめくった限りでは翻訳SFにありがちなよみにクサはなさそうで読んでみたくなった
翻訳ものの読みにクサの原因のひとつはフォントサイズにあると思う
それがこの本ではな感じられなくて、普通の日本の小説くらいのフォントサイズと余白で読みやすかった
あとはこれがSFじゃないっていうそもそもの話もまああるんだろうな
翻訳者にもよるのか?
大鍋(コールドロン)とか隠れ穴とか一生知らなくてすんだ単語をいくつか覚えればまあ行けるかも
でもダーズリー家のくだりは悪口が駆使されててこれも一生知らなくていい単語
不死鳥の騎士団のことも「団」じゃなくて「マーク」だと思ってたので途中までわからんかった
あと疲れるのはつかれる
なぜかというと
(その感情モードになる理由は前後にちゃんと書いてあるけど、なんかこう突き動かされてるんじゃなくてゲームの状態パラメーターの上がり下がりみたい)、
なんかこう・・ついていけない部分がある。
特にうんざりモードが長く続くと読解速度が遅いせいかこれいつまで付き合わなきゃいかんのだとおもう。
日本語だとバリエーション豊かな感情語のせいか感情が極端に見えない
数年前に貴志祐介『新世界より』に衝撃を受けて以来、同じような恐怖と爽快感を味わわせてくれる作品を探している。
おそらく主人公サイドの(というか読み手の私が)信じていた仲間・信念・世界の構造・出自・打倒すべき敵みたいなものが、全部ひっくりかえる作品が読みたいんだと思う。「猿の惑星」みたいな。
求めているものがミステリともホラーともSFとも少しづつずれてるので、ドンピシャでこれというのを探せていないんだよね…。(うっかりggろうものならネタバレ踏みそう)
意識して探したり、あと過去読んだもので近い感覚を得られたかな?と思ったものは以下の通り。
・レイ・ブラッドベリ『10月はたそがれの国』収録「大鎌」
バーナード嬢曰く。でめっちゃ面白そうに書かれてたから読んでみた。
結果、自分には合わなかった。
もともと本格ミステリは苦手で面白いと思わない上に、翻訳ものも苦手っていう二重苦状態で、読むのがすんごいしんどかった
かなり評判がよく売れてるらしい
でも、翻訳ものにありがちなくどくて読みづらい文章と名前を覚えにくいキャラの数々ってのが改善されてることはなかった
かなり飛ばし読みした
冒頭で作中作ってことが示されてたからそれにかかわるネタがどこかで出てくるんだろうなとは思ってたから、下巻以降の展開もそこまで驚くべきものでもなかった
まあもともとアガサ・クリスティやらが好きな人向けのミステリってことだったらしいから、まともにクリスティ読んだことがない人間が読むことが間違ってたのかもしれんけど
これなら素直に古典ミステリか古典SF読んだほうがまだマシかなと思った
児童文学の翻訳ものは読みやすくて面白かった印象・思い出があるんだけど、大人向けのミステリやらSFの翻訳になると途端にくどくて覚えられなくて面白くなくなるんだよなあ・・・