はてなキーワード: ビリビリとは
ホロライブがゲーム会社各社の著作権を侵害していたと強く疑われている件
今回の中国問題を受けてゲーム会社の対応に変化はあるのだろうか
水面下で訴訟の準備が進行しているのではとも言われていたが
ファンの過剰反応を心配して訴訟を躊躇う企業があるかもしれない
どこも訴訟の意図を深読みされて国際問題に巻き込まれるのは嫌だろう
(ディズニーの映画がホロライブの中国ボランティアによってビリビリに転載されたこともある)
著作権者削除スリーアウトによるYou TubeのBANでホロライブが引導を渡されていれば
今からでも死刑ボタン方式で4社以上の企業が一斉にYou Tubeに通報すれば
原因を絞らせずに終わらせられないかな……
古くは、はてなダイアリーにスターを投げ合う習慣もそうだった。
今だと、noteとか、ココナラの商品のお気に入りとか、公式にもやめろと通知を出した(←どっちだっけ?→)、Entyのフォローとか
ゆーて、自分もフォロワー増やしたいツイッターアカウントでいいね押しまくってたわ。
バラエティでお笑い芸人が食らってるビリビリでいいから、いいね押すたびに流れるように埋め込み手術しないと、
ついついやってしまうし、少しでも足しになれば、と新規参入者が後を絶たない。
といっても、嘘でもいいねとかフォローとかあったら嬉しいので、結局は現状がユートピアなのかもしれない
いいねで名誉棄損に当たるかとかクソどうでもいい判例が固まるまでは、いいねとわるいねとなんとなくねボタンを実装しておくといいかもしれない
より具体的には「とりあえず押しとけばこっちを見に来てくれてなんか共感したりしてくれるかもしれないから、一番手っ取り早くこいつを押すね」ボタンの実装
分かるわー(たぶん)!
ビジネスホテルだと、お上品にふるまわないといけない、という圧がないから開放的な気持ちになれる。あと、なんかコストを下げるためには工夫や文明の利器の利用を惜しまない感じがビリビリきて興奮する。
少し前まで「紙媒体」と「web公開」の二つにこれと言った価値の違いを感じられなかった。
すぐに見てもらえる手っ取り早い方法はweb公開だし、「沢山の人に見てほしい」って想いもweb公開の方が叶いやすいよな?って思ってた。
でも作ってみて知ったんだ。
お金を使う時はその金額と手に入るものの価値を天秤にかけて、じっくり考えて何度も自問自答してから答えを出す。
それに加えて「紙媒体」に特別な価値を感じていなかったから、自費出版って行為は完全に自分とは別世界のものだったんだ。
あとは入稿とか搬入とかそういうの大変そう、よく分かんないって思ってて、それも手が伸びない要因だった。
でもある時、ある人から「本が欲しいです」って言葉をもらったんだ。しかも既にweb公開してるヤツの。
なんで!?って思った。不思議だった。だって無料で読めるものをなんでわざわざお金払って…!?って。
その人はこんなことも言ってくれた。
「この作品は本がすごく似合うだろうなって」
「紙を捲って読みたいんですよね」
よく分かんないけど、体中に電気がビリビリ流れるみたいな衝撃があった。よく分かんないのに、もう、私はその時、信じられないくらい嬉しかったんだ。
こんなことも言われた。
その言葉がずっと忘れられなくて、だから私はメチャクチャ勇気を振り絞って本を作ってみようと思い立ったんだ。
せっかくだから中身はまるきりの新作にした。
本って形が似合うお話を作ろうと思って意気込んだ。
あと、素敵な言葉をくれたあの人への「ありがとう」を「丸ごと書き下ろし」に代えて贈りたいって気持ちもあった。
どれくらい売れるか分かんないのに印刷費用を全部自分で出すってのが、本当に本当に怖かった。丸ごと赤字になったらどうしよう、だってこの金があったら一体なにが買える?回る寿司とか出前とか何回利用できる?そんなことばかりが脳内を占めていた。生粋のケチだ。
部数もどうしたら良いか分からんし値段設定もよく分からん。悩みに悩んで、その結果初めての本は「部数は弱気・値段はほんのり強気」って感じで舵を取った。
入稿までスマホ一台で全部やった。カバー付きの文庫本だ。本にするなら文庫サイズがいいなってずっと思ってたんだ。文庫大好き。
本文はAの会社、カラーカバーはBの会社に印刷を依頼した。そのやり方が調べた中で一番安かった。もちろん最安の早割にした。少しでも赤字を抑えたかった。
本文をpdf化してくれる無料のサービスもあったし、表紙はフリー素材のサイトからイケてる好みの写真を選んで使った。(無料とかフリーって言葉が大好きだ。ケチだから)
表紙の入稿は三回くらい不備を出しちゃって印刷会社Bさんに多大な迷惑をかけてしまったけど、とにもかくにも、そんなこんなで、本体とカバーがそれぞれ自宅に届いた。
………感動した。感動してしまった。
表紙に自分のつけたタイトルが印字されてる。中を開いたら自分の書いた文が明朝体でかっこよく印刷されてる。
紛れもなく、本だ。
なんだこれは。
なんだこれは!!!!!
初めて作った本、不備も幾度となく出したし誤字もメッチャあったけど、それでも、心から大好きだって思えた。愛しかった。誇らしかった。直接触ることのできる紛れもない宝物だと思った。
その時、あの人がくれた言葉を鮮明に思い出したんだ。
「本が欲しいです」
そうか、本にするということは、
触ることができるんだ。確かな重みがあるんだ。確かに存在してるんだ。愛しいと思いながらギュッと抱きしめることができるんだ。
このことに気付けたのがすごく大きな財産になった。一冊も売れなくて丸ごと赤字だったとしても、それは赤字なんかじゃない。素敵な価値観を印刷費というお金で知ることができたんだな、私は。
でもそうは言っても売れてくれとは思った。ケチなので。
カバー巻きという楽しい内職を終わらせ、初頒布のイベント当日。
……本、メチャクチャ買ってもらえた。生涯忘れないと思う。人生トップ3に入るくらい嬉しい出来事だ。
あの人が言ってたweb公開済のお話も本にしようと思い立った。全部で300ページで、その中の100ページは書き下ろしにした。
これも胸を張れる大好きな一冊になった。自分が作った本の中でこれが一番分厚い。背表紙の厚みがすごい。
あの人は数日後、通販で買ってくれた。
全部全部嬉しくて幸せで、伝えたかった「ありがとう」は何十倍も大きくなった。
五冊とも全部愛しくて誇らしくて大好き。作って良かった。本を作るという喜びに出会えて本当に本当に良かった。
出会わせてくれたあの人には今もずっと感謝してる。一回だけメールで感謝を伝えた。超重たい超長文になってしまった。
何度も言うのはしつこいし重たいし、もうさすがに言葉にしてはないけど、これから先もずっとずっと「ありがとう」って思い続けると思う。
本当にありがとう。
先日、自宅の浴室乾燥機が動かなくなった。
管理会社に連絡し、直接家に来て修理してもらうことになった。
筆者は彼氏と同棲しているアラサーの女である。昨今流行りのウィルスの影響で、数ヶ月前から在宅ワークをしている。彼氏の方は、最近仕事を辞めたばかりで家にいるので、当日業者が来た時の対応を任せていた。
当日朝10時、インターホンが鳴り、約束通り彼氏が対応をしてくれていた。
この家は、居間に入らずトイレや浴室に行ける構造なので、業者の方と私は1度も顔を合わせていなかった。
彼氏は、最初に少し状況の説明をしてからはもう任せっきりという感じで、すぐに私が仕事をしている居間に戻ってきていた。
実はこの日の私は、朝起きた時から仕事を始めるまでに2回もトイレに行くほど、お腹の調子が悪かった。
元々便秘がちな体質で、何度もトイレに行かないと出し切れない上に、出し切るまでに何度も腹痛がある、ということがしばしばあった。
そこで、予想していた事態が起きる。
お腹が痛い…。
今すぐトイレに行きたい。
今行ったとして、長期戦になることは間違いないだろう。豪快な音が鳴ってしまう可能性はある。ブツが水面に入る時の音だって絶対に聞える。トイレットペーパーをガラガラして拭きまくっている音だって。しかも、今の私の格好、彼氏が大昔着ていたであろうサッカーのユニフォームに、太腿のサイドにクッションの付いたゴールキーパー用の短パン。
無理である。
アラサーとはいえ、私は女。謎の乙女心が邪魔をして、中々トイレに行く決心が付けられずに痛みに悶えながら仕事をしていた(仕事になってないが)。
いやいや、すぐ終わる修理かもしれないじゃないか…もう少しだけ待とう…。
そう思って耐えていると、彼氏に「人いるからって我慢してたってしょうがないじゃん、トイレ行きなよ」と催促される。
そんなことは分かっている。私にはアラサー女なりの葛藤があるんだ、少し黙っていてはくれないか???
しかし、あまりの正論にそんな言い訳も言えず、黙るのは私の方であった。
痛みには波がある。
数秒間の痛みがあり、引いてしばらくしてまた痛みが来る、の繰り返し。
なんとかその場をやり過ごしていたのだが、業者が呼ぶ声が聞える。彼氏が対応してくれる。どうやら、車に道具を取りに行くのか、部屋を出入りするのでインターホンを鳴らしたら開けて欲しいとのことだった。
これだ。早く行ってくれ。その間に用を足してやる。
それから少しして、玄関のドアが開く音が聞こえた。今しかない!
私はトイレに駆け込み、速攻で用を足し仕事に戻った。その後、家のインターホンが鳴り、彼氏がオートロックを解除する。
完璧だ。勝ったのだ。そう思っていた、この時は。
暫くして、また痛みが来る。戦いは終わっていなかった。便秘特有なのかもしれないが、すごい量のソレが溜まっているので、少し排泄しただけでは治まらず、何度も痛みと便意が来るのだ。そう、出し切るまで。地獄でしかない…。
また痛みに耐える時間が始まり、私はトイレに行くタイミングを見計らっていた。早く修理終わってくれ、どんだけ時間かかるんだ…。実際何分の修理だったか覚えていないが、腹痛に苦しむ私の体感では、2時間はあった。
仕事も進まないし最悪だ、早く終わってくれ、そう思っていたその時、なんと再び玄関のドアが開く音がしたのだ。聞き間違いではない!今だ!!私はトイレに駆け込んだ。
強烈な腹痛であったにも関わらず、排泄のためにはしばらく気張っていないといけない。暫くすると、出た。だが、様子がおかしい…。
歯切れの悪いコロコロのアレであった。仕方ない、とにかく出し切るまで頑張ろう、と力を入れていたのだが、集中が途切れたその瞬間、隣の浴室から音が聞こえたのである。
嘘だ!ドアの音は聞き間違いだったとでも言うのか?!勘弁してくれ!
浴室の音に集中していると、しばらくして音は止み、トイレの前を人が通っていくような気配がした。
もしや、終わったのか!?なら丁度いい、早くこの家から出ていってくれ!
そう思っていたが、何も起こらない。
残酷な事実に気がつくまでは一瞬だった。そう、業者はトイレに入っている私のことを、彼氏だと思っているのだ。1度も顔を合わせていないので、私の存在を知らないのである…。
終わった…。
ウサギさんなので、うんちがリズミカルかつ勢いよく、元気に水を弾く音を立てる。
ガラガラとトイレットペーパーを引く。おしりが綺麗になるまで、何度も何度も。
どう考えても全て聞こえている。
もうどうにでもな~れ。
全てが済んで、私はトイレを出た。
玄関の方をなるべく見ないように居間に戻るが、そこで小さめに声を掛けられる。
「あの、いらっしゃいますか?」
見覚えのないおじさんが立っていた。
無心でそう答えた。
長い戦いが、終わった――。
こんなことは始めてである。
痛みに耐えるのは容易なことではない。
私はやれるだけのことをやったのだ。
きっと、それだけで十分だ。
お疲れさま、私。
~完~
最長で三週間ほど、わたしは一日一食春雨スープで過ごしていた時期があった。それは時にワンタンスープであったりもしたけれど、それ以外はスポーツドリンクだけで過ごしていた。
当然、身体にガタはくる。倦怠感から始まり、だんだんと常に付き纏う吐き気に変わった。目眩を起こし、営業スマイルを作ることすら困難になる。
それでも、何か食べなくては、という気になれなかった。
ある朝、今までと比べられないほど具合が悪かった。
職場へたどり着いたはいいが、あまりの顔色の悪さに早退するよう勧められた。営業担当に早退許可を申請しているうちに吐き気を催し、スポーツドリンクしか入れていない胃から黄色い液体を吐き出す。吐くとそのうち楽になったが、ロッカーで帰り自宅をする間に手も足もビリビリと痺れ始めてまともに動けなくなった。なにもしていないのに全身の倦怠感と息切れ動悸が止まらない。
フラフラした体で休日診療所へ滑り込み、吐き気を訴えた。ストレスだと分かってはいたが、職場に診断を報告しなければならなかったからだ。
待ち合いの間に尿検査を受けた。普段風邪も引かないので診療の手順として順当なのかは分からないが、まあふつうに尿検査を受けた。
間も無く名前を呼ばれ診察室にはいると、おじさんよりはおじいさんに近い医者が座ってこちらを見ていた。
「どうぞ」
「吐き気がするんだね」
「はい」
「いわゆる『飢餓』の状態です。栄養が足りていなくて限界になった体は、自分の脂肪を燃やして生きようとしています」
「…はい」
「なにかストレスがあるのかな」
柔らかい声だった。私はいまも、この言葉を思い出すと涙がでてくる。
問診票には、『ご飯が食べられない』とは書かなかった。ただ吐き気がする、とだけ訴えていた。熱もなかった。尿検査をしてみたらケトン体が出ていた。
ケトン体が出ると言うことは、つまり食事ができていないのだ。でもそれを症状の一つとして私は訴えなかった。つまり食べられていないと言う自覚があり、原因もきっと分かっている——というところまで医者は分かっていて、そう言ったのだろうと思った。
人間関係で、とは言えなかった。内科の医師には関係のないことだから。
心療内科に行くべきだったのを、ここへきてしまったことを申し訳なく思っていた。
「環境の変化というのはストレスの原因になるからね。それはもうどうしようもないこと?」
「はい…」
「何かうまいこといくといいけどね。…ケトン体が出るのが続くとそのうち倒れてしまうし、自分もしんどいでしょう。お砂糖をたくさんいれた飲み物でもいいから、お腹に入れるといいよ」
それが正しいかなんて、調べてもないから今だって分からないけれど、私はこの医者に出会ったことで間違いなく救われた。
精神的ストレスは専門外だから、と突っぱねられていたらあの時期を乗り切ることは出来なかったかもしれない。
結局そのあとストレスの原因は解消し、日常生活に戻ることが出来たが、それからも時折食事の取れない時期は訪れた。
せめて5位には入れるようにビリビリががんばる。
こういう記事がありまして。
「差別のない街の見本に」川崎ヘイト禁止条例 7月1日全面施行 在日コリアンの思い - 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20200630/k00/00m/040/196000c
朝鮮学校に通い始めて1カ月が過ぎた頃のことだ。初めて買った定期券を持ちバスに乗り込もうとすると、運転手がいきなり目の前で定期券をビリビリに破った。それが何を意味するのか、10歳では分からなかった。
こういうエピソードが成り立つためには、70年代初頭には「乗車時に定期券をバス乗務員に手渡し、記載の氏名まで仔細にあらためたうえで、はじめて乗車を認める」という運用が普通に行われていた、あるいは行われている地域が、いくらかはあったということが言えなければならないと思います。もちろん時代背景も地域差もあるとは思いますが、このような運用は、ありえたのでしょうか(渋滞の原因になりそうですが…)。自分はこの方より10歳ほど若い世代なので単純に比較してはいけませんが、バス定期券はさっと見せるだけで乗車できました。
で、上のような手渡しの運用が普通であったとすればよいのですが、そうでないならば、「子供が差し出した定期券を(乗務員が通常のフローでないにもかかわらず手に取って、氏名を確認したうえで在日コリアンだと認識して)ビリビリに破った」ということになりますが、幼少のころの記憶とはいえこの()の部分を忘れたり省略したりするものでしょうか。
この()の中身はいろいろバリエーションはありえそうです。例えば、地域にこの方が在日コリアンだということが知れ渡っていたので、嫌がらせを受けるというようなことなのですが、その場合でも定期券が乗務員に、なんらかの段階で手渡されていないと、「ビリビリに破」られません。定期券を手渡して確認するフローがスタンダードでない場合、ここの部分はあまり平和的とは言えない感じで行われる運びになりそうなのですが、この場合もやはり、その部分を忘れたり省略したりするようなことはあまりなさそうな気がします。
個人的な判断としては、単なる記憶違いか、フィクションだろうな、という気がしています。まあ、どうですかね。10歳ですからね。でも、そんなあいまいな思い出よりも鮮明なエピソードがもっとあるんじゃないですかね。
在日コリアンの方への苛烈な差別が過去にあり今もあるということを否定する気はさらさらありません。それらは一刻も早く是正されるべきです。なのですが、作り話やあいまいな記憶を都合よく盛った話で興味を喚起しようとしているならば、それはあまり品の良い話とは言えません。
ただ、これは受け手のリテラシーの話でもあります。このエピソードをそのまま額面通りに受け止めて「まあ、ひどい」とか言っているようでは、話にならないのでは、と思います。