はてなキーワード: コメディアンとは
リンディ栄養学 (Lindy nutrition) とは、「リンディ効果」と呼ばれる法則に端を発した栄養学。リンディダイエットとも呼ばれる。
古くから受け入れられてきた知識や習慣はそう簡単には途切れないということは、誰しもが経験的に知っている。そこには、長く使われれば使われるほど、つまり長生きすればするほど寿命が伸びていくという一種のパラドックスが生じているわけだが、これを科学的に説明したものがリンディ効果である。
リンディという名称はニューヨークにあるリンディーズという飲食店が元になっている。そこでは、毎晩コメディアンたちが集まり公演したステージの反省会を行っていたのだが、その会話の中でリンディ効果の原型とも言える仮説が生み出されたという。その後、大学教授によって現在の形に洗練されたこの法則は、リンディダイエットの提唱者であるPaul Skallas氏の手によって食事、健康、運動などあらゆる分野に応用され、一種のライフスタイルへと昇華された。
リンディダイエットの根幹にあるのは「時間こそが最も優れた判断基準」という思想であり、時間という試練に耐え、古来から生き延びてきた食生活ほど健康上の利点が保証されるとしている。リンディ効果に照らせば、そのような伝統的な食生活は今後も長きに渡って存続することが予想される。これはSkallas氏によれば、人間の消化器官は昔ながらの食生活に適応しているためであり、人間が慣れ親しんでいない加工食品が消費の中心となった西洋社会では、心臓病や糖尿病の罹患率が高まっているという。そのような訳でSkallas氏は、過去500年以内に発明された食べ物や飲み物を口にしないよう勧めている。
Skallas氏によれば、最もリンディな飲み物の一つには「紅茶」があるという。数千年の起源を持つ紅茶は、「ディープ・リンディ」な飲み物なのだ。一方で、コーヒーについては、「比較的新しいが、400年という時間のふるいにかけられたものであり、恐らく身体にも悪くないでしょう」と語っている。
また、20世紀に発明された紙巻きタバコはリンディではないため、リンディな形で喫煙したい人にはパイプタバコが勧められている。運動についても、現代的なエクササイズマシンではなく、ギリシャ神話に描かれたようなシンプルなウェイトリフティングこそがリンディな運動の仕方である。Skallas氏によれば、「ボディビルカルチャーは近代によって生み出されたグロテスクなサブカルチャー」であり、「運動の目的は筋肉増強ではなく、体の中で関わり合っている様々な仕組みの調整にある」のだという。
Skallas氏は、ヨガについても懐疑的な目を向けている。というのも、現代のアメリカ人が行っているヨガは20世紀に発明されたものだからだ。「ヨガは体に良いのか悪いのか、それはわかりません」「リンディは『それをするな』とは言わない。『何が起こるかわからない』と言うのです」
「ビデオゲームは?」
「リンディではないですね」
「大人のおもちゃは?」
「あちこちで犯罪を犯したり虐待する金持ち?とてもリンディです!」
エプスタインの例が示すように、リンディは道徳的な基準を内包しない。それが良いものであれ悪いものであれ、古来から連綿と続いてきたという事実には重要な本質が隠されているということをリンディは教えてくれるのだ。「人間の本質は変わりません」「古代の人々は人間の身体や行動について深く研究していましたが、それらは今でも有用です」
リンディ・ドリンクやリンディ・エクササイズなど様々な造語を作ってきたSkallas氏だが、隔離生活の閉塞感から逃れるために考案した「リンディ・ウォーク」は、中でも最も注目を集めていると言えるかもしれない。
「基本的にはただ散歩するという意味です」とSkallas氏は語る。「でも、多くの古代文化でも散歩は重要な伝統として扱われているでしょう。例えばキリスト教には『安息日の道のり』があります。ギリシャではヴォルタと呼ばれていて、イタリアにも同様の文化がある。これはただ歩くという目的のために歩いているだけなんです」
リンディ・ウォークでは、A地点からB地点へ真っ直ぐ向かうのではなく、目的地を決めず、手当たり次第に曲がることで心を刺激することが推奨されている。「歩いていたら面白いことが起きました。アイデアの波が次々と押し寄せてきたんです。考えようとしたわけでも何かを思いつこうとしたでもないのに、ただ現れてきた。魔法みたいにね」
現在ではSNSを中心にカルトな人気を集めており、大勢の人がリンディ・ウォークの最中に撮った写真をシェアしている。また、Skallas氏のツイッターアカウントも5万人を超えるフォロワーを擁しており、リンディの人気の高さが窺える。
Skallas氏は、リンディが人気を博した一因にはパンデミックの影響があったと推察している。氏によれば、これまで私たちは、人間を「不可侵の存在」だと捉えて楽観視していたところがあったのではないかという。しかし、パンデミックによって歴史上の出来事に過ぎなかった古代の大規模な危機が生じたことで、世界に対する人々の認識が一変。隔離生活の中で「欠乏」について考えるようになり、「人生において本当に必要なものはなにか」と自問するようになったことから、リンディに関心が集まったのではないかとしている。(ちなみに、500年前にも人々はマスクを付けていたことから、パンデミックも「ディープ・リンディ」なんだとか)
例えば明らかに頭がおかしいレベルでネットで「非芸能人」を叩いている場合、弁護士費用などもろもろとかかるが、訴えたほうがいいだろう。できれば示談に収めたいが、やるならとことんやる。体力も使うが、やりきったほうがいい。金使うんだから。
芸能人の場合、これも「俳優」の場合はやったほうがいいと思う。大概、事務所が代理でやってくれるし、「事務所がやったこと」なので、本人がやったイメージは薄くなる。もし泥沼裁判になったとしても、役者の本分はセリフを喋ることなので、その後の活動にはほぼ影響はない。
若く事務所に守られる系のバラエティタレントは、これも俳優と同じだ。若いって素晴らしい。自分の意志が無いように見えたり、若気の至りと判断される(まるで訴えることが悪いようだが後述)。
まず自分の発信する言葉で芸をしているということを念頭におかなければならない。「誰も傷つけたことはないか」胸に手を当てて考えるべきだ。法律はそこを鑑みない。しかし、客はそうではない。もし恨みを買うようなネタをしていたら、こんなことを言われるだろう。「批判をされる覚悟はなかったのか」「自業自得」「いじめのような暴力的発言(行動)をしてるくせに(バラエティに出てるくせに)法律に頼るのか」
またはこんなことも。「文化人ぶるな。深夜にケツだしてたくせになにいってんだ」「もう笑えない」
コメディアンって本当に大変だね…。
それでもやっぱり訴えるべきときは来ると思うのだ。ただし、やはり見極めが大事だ。四六時中叩かれてる人は芸風に問題があるのではないだろうか…。一件で終わればいいが…。
同じことを「Youtuber」にも言える。
本人たちやファンの中ではそうでもないかもしれないが、いかんせん君たちの社会的地位は低い。どれくらい低いかというと炎上しまくる芸人よりも低い。つまり「社会的に同情してくれる人が少ない」
法律でどれだけ勝てても動画内で無作法であれば、バカ同士で喧嘩しただけに見えてしまう…。
ただ個人的にはどんな場合でも訴えて勝ってしまえばいいと思う。お金あるなら。
しかし、「見とけよ」とか「争おうぜ!」とか言っちゃうYouTuberなどを見ると、法律裁判をエンタメ化しているのではないかと考えてしまうのだ。その後の代償は考えていなさそうだ。
どちらに正義があるのか、法律は分かっても世間はわからない場合がある。
確かに弁護士は「戦おう」「絶対勝てる」と言うだろう。それは、金になるからだ。勝てる見込みもあるのだろう。そこから依頼者、相手方からむしりとれる見込みも。
もしくは「話題になってテレビ出演ができるかも」というメリットがある。
金にならない場合はこの通りではない。まず訴えないアドバイスをしてくれるだろう。
多くの有名人はそこを素通りしてる気がするのだが、「裁判後」のことを考えて賢く生きてほしい。
ポイントは「多くの人から同情してもらえるかどうか」だろう…。
あの人はもっと同情を買うこともできたのだろうが、
いかんせん法律をかじってたので情に訴えかけない行動をしてしまった。
もしかしたら裁判したら勝てるのかもしれないが、それじゃあどうしようもない。
「明石家さんまさんみたいな古いコメディアンは価値観のアップデートができてないんです。」
「私はそういう時代に合わせて言ってはいけないことは言ってはいけないと理解できるんです。価値観をアップデートするのは大事ですから。」
「時代は目まぐるしく変わるし価値観もそれに伴って変わりますね。価値観はアップデートしなければ。笑いも変わっていきます。」
「少し前は笑えていたことも、今の時代だとダメだってことがあるんです。私も自覚的にならないといけない。」
「価値観のアップデートは良いことです。傷付く人が減るので。誰も傷付かない笑い、私は好きです。」
自民党と旧統一教会の癒着問題は、株クラ出身で自民党政権に抵抗のない自分にも衝撃をを与える事件だった。
カルト宗教との関係をひた隠し、認めたとしても謝罪すらしない議員の態度にはさすがに怒りを覚える。
これを激しく責め立てるひろゆきや有田芳生とかは頼もしいとも感じるこの頃
自民党への怒りをはてなブックマークにも書きなぐり、twitterに投稿する。
普段気にも留めていない左翼の系アカウントの意見を無限にRTして、志を同じくする人物に勇気づけられる。
この活動を行っている間はまあ怒りもあるけど、とても楽しいんですよ。
そしてこの楽しさって俯瞰して振り返れば自らの正義感に酔いしれているゆえの排他的感情なんですよね。
正論を吐き続け、その正当性に酔いしれ、脳内麻薬でシャブ付けになるその果てには何があるのか?
若い時は素面だったのに晩年コメディアンとして転向したら急に左傾化した人間とか
twitterの左翼論客とか、彼らは知識を積み重ねた上てでの義憤感じての左傾化かもしれないけど
今なおも、変わらぬ現状を否定しながらも、そんな状況で満足しきって無限に頭の中を麻薬で満たし続けていないかと不安になってくる。
猜疑心のカタマリであるプーチンの敵はあくまでNATOであって、元コメディアンであったゼレンスキーではなかった。アメリカ政権のただの傀儡だと思っていたのだろう。だが、それは違った。
ゼレンスキーの面白いところは、ロシアに対しては当然としても、欧米諸国に対しても「われわれはあなたたちの代わりに戦っているのだから…」などと、同様にイチャモンをつけてくるところだろう。傀儡ならそれはできない。
アメリカの介入の有無を考えたとしても、ゼレンスキーのそれに対する同調の有無はまた別のところに理由がある。つまりゼレンスキーは、欧米側という枠組みなどではなくて、あくまで自国たるウクライナ側だったのだ。
プーチンは見誤ったと思う。ロシアはウクライナに絶対に勝てない。https://news.yahoo.co.jp/articles/02094db9edc4abaf0af1c8de132d931e138cab32
デイヴは『Netflix Is a Joke: The Festival』のステージで男から体当たりされた際、一度はその場に倒れ込みながらも、その後パフォーマンスを続行しており、自身のセキュリティチームが男を袋叩きにしたことを「一度やってみたかったんだ」と笑いのネタに。
さらに、米New York Postによると、自身を襲った男について「あれはトランス男性だった! 」と、自身をめぐる騒動に絡めてジョークを飛ばしたという。
アメリカのポリティカル・コレクトネスに照らし合わせると、これは全く許容されない発言。
デイヴのパフォーマンスを舞台袖から見学していたというクリスは、デイヴが男からタックルを受ける様子を見て「ウィル・スミスかと思った」というジョークを飛ばして笑いを誘っていたという。
17歳の時から10年以上大阪府に滞在していたため、日本語が堪能。「日本での生活を通じて、人間として大切なことを学んだ。日本の歴史、文化を心から尊重している」と語り、「親日家、日本通と呼ばれることは気分がいいものではない。日本人にとっては私は外国人にしか見えないかもしれないが、日本は私の第二の故郷。同じ日本人として接してほしい」と語っている[21]。 千葉真一と親交があり、千葉がハリウッドに拠点を移してからは、セガールが流暢な大阪弁で「千葉先生、居てはりまっか?」などと、頻繁に千葉へ連絡している[22]。淀川長治とも日本語で対談を行い、淀川の「日本語がお上手ですね」に対してセガールは「恐れ入ります」と応えた[要出典]。初主演作品の『刑事ニコ』のオープニングシーンおよびコンベンションセンターでのシーンや、2005年公開の映画『イントゥ・ザ・サン』では日本語の台詞を用いているほか、いくつかの作品では日本語の単語を台詞のなかで用いている。2008年正月、『奪還 DAKKAN -アルカトラズ-』のテレビ放映時に出演し、「あけましておめでとうございます」と挨拶をしてから、日本語で映画のみどころをアピールした[出典無効]。しかしコメントの締めの日本語を言い間違えたあと苦笑いをし、「日本語はもう20年ほど話していなかったため、忘れてしまった」とやはり日本語で語っている[出典無効]。それでもコメディアンで画家のジミー大西がテレビ番組[要文献特定詳細情報]のロケーション撮影でアメリカを訪れた際、たまたま現場に居合わせたセガールはジミーに「おう。元気か」「自分、大阪はどこ?(ジミーが関西弁を話していたため)」「ウチはどこや」「新宿か。新宿のどこだ。四谷か。そうか」などと話しかけ、流暢な日本語でやり取りをしていた[要出典]。『情報プレゼンター とくダネ!』[いつ?][出典無効]に出演した際、シルヴェスター・スタローンが『ロッキー・ザ・ファイナル』の製作を発表したことについてコメントを求められ「彼は最近仕事がないから」「品のある年の取り方をして欲しい」と答えた。さらにデーブ・スペクターとパパラッチ問題について語り合った際は、デーブとのやり取り含め、すべて日本語だった。日本のテレビコマーシャルにも多数登場し、日清食品のカップうどん・ごんぶとのCMでは日本語で演技を行い、アリナミンAの爆走する車の屋根につかまり「こう見えても、疲れまんねん」と言うCMシリーズでは娘・藤谷文子と共演した。大阪在住時に阪神タイガースのファンとなり、タイガースの低迷期に朝日放送のインタビューで「今年もまた負けたらしいのう。わしゃ、もう情けないわ」と大阪弁でコメントしている[要出典]。
クリスロックがジョークを言う→ウィル・スミスがキレる→ビンタ&罵倒→ウィル・スミスだけ処分→日本人「クリスロックに罰がないのはおかしい!」
高校生が電車内で喫煙している男の胸倉を掴み罵倒する→男、キレる→ボコ殴り&土下座要求→男だけ逮捕→日本人「高校生えらい!」
おかしくね?
殴られたクリスロックにも非があるから処分するべき、ってことならボコられた高校生にも非があるから処分すべき、ってなるはずだろ
さきに手を出したのは高校生なんだし
クリスロックがジョークを言うのはコメディアンとして当たり前のことをしたまでで、そのやり口が悪かったから処分すべき、となるなら
高校生が喫煙者に注意するのも人として正しい行いではあったけれども、やり口(大声で罵倒する、胸倉を掴む)が不味かったのは事実なわけで、処分すべきってことにならなきゃおかしいだろ