2022-09-16

芸能人にとって法律は無敵ではない

例えば明らかに頭がおかしレベルネットで「非芸能人」を叩いている場合弁護士費用などもろもろとかかるが、訴えたほうがいいだろう。できれば示談に収めたいが、やるならとことんやる。体力も使うが、やりきったほうがいい。金使うんだから

芸能人場合、これも「俳優」の場合はやったほうがいいと思う。大概、事務所代理でやってくれるし、「事務所がやったこと」なので、本人がやったイメージは薄くなる。もし泥沼裁判になったとしても、役者の本分はセリフを喋ることなので、その後の活動にはほぼ影響はない。

若く事務所に守られる系のバラエティタレントは、これも俳優と同じだ。若いって素晴らしい。自分意志が無いように見えたり、若気の至り判断される(まるで訴えることが悪いようだが後述)。

さてここから問題だ。

芸人」の場合

まず自分の発信する言葉で芸をしているということを念頭におかなければならない。「誰も傷つけたことはないか」胸に手を当てて考えるべきだ。法律はそこを鑑みない。しかし、客はそうではない。もし恨みを買うようなネタをしていたら、こんなことを言われるだろう。「批判をされる覚悟はなかったのか」「自業自得」「いじめのような暴力的発言(行動)をしてるくせに(バラエティに出てるくせに)法律に頼るのか」

またはこんなことも。「文化人ぶるな。深夜にケツだしてたくせになにいってんだ」「もう笑えない」

コメディアンって本当に大変だね…。

それでもやっぱり訴えるべきときは来ると思うのだ。ただし、やはり見極めが大事だ。四六時中叩かれてる人は芸風に問題があるのではないだろうか…。一件で終わればいいが…。

同じことを「Youtuber」にも言える。

本人たちやファンの中ではそうでもないかもしれないが、いかんせん君たちの社会的地位は低い。どれくらい低いかというと炎上しまくる芸人よりも低い。つまり社会的に同情してくれる人が少ない」

法律でどれだけ勝てても動画内で無作法であれば、バカ同士で喧嘩しただけに見えてしまう…。

ただ個人的にはどんな場合でも訴えて勝ってしまえばいいと思う。お金あるなら。

しかし、「見とけよ」とか「争おうぜ!」とか言っちゃうYouTuberなどを見ると、法律裁判エンタメ化しているのではないかと考えてしまうのだ。その後の代償は考えていなさそうだ。

一番難しいのは「政治コメンテーター」だろう。

どちらに正義があるのか、法律は分かっても世間はわからない場合がある。

かに弁護士は「戦おう」「絶対勝てる」と言うだろう。それは、金になるからだ。勝てる見込みもあるのだろう。そこから依頼者、相手方からむしりとれる見込みも。

もしくは「話題になってテレビ出演ができるかも」というメリットがある。

金にならない場合はこの通りではない。まず訴えないアドバイスをしてくれるだろう。

多くの有名人はそこを素通りしてる気がするのだが、「裁判後」のことを考えて賢く生きてほしい。

ポイントは「多くの人から同情してもらえるかどうか」だろう…。

事例としてあげたいのは、小室圭さんの手紙だ。

あの人はもっと同情を買うこともできたのだろうが、

いかんせん法律をかじってたので情に訴えかけない行動をしてしまった。

しかしたら裁判したら勝てるのかもしれないが、それじゃあどうしようもない。

1つ言いたいのは「裁判しようぜ」と血気盛んに来る人には注意、ということだ。

自分で考えよう。自分ごととして捉えてくれる人に頼ろう。

法治国家日本という言葉だけでは人間生きていないということを念頭に置くのは大事だ。

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