はてなキーワード: 関西人とは
そら関西にうまいもんありまっせ東京で高い金はろてたいして美味しいないもん食べてはる気がしれませんわ!という人もいます。でも関東のほうが美味しいものについてはさすがの関西人も黙ってうなずくもんですよ。
あと例えば佃煮。そら佃の佃煮が一番でしょう。あの濃厚甘辛は関東の味、ってかんじで。
海苔、関東の海苔うまい。房総の岩のりパリパリで香り高くてラーメンに入れてもお茶漬けにしても最高。
あと鯵。鯵の上手さは関東に来てから知った。味がいいから鯵。納得。
もんじゃ。いい。最高。お好み焼きとは全然ちゃう、うまいしつまみやすい。鮭バターもんじゃが一番ウマかった。
ラーメンもクオリティが高すギルティ。秋葉原で食べた塩ラーメンの高貴さ。市川で食べた醤油ラーメンの澄みきった味。
関西人だけど、関西人が非関西地域に出た時の「自分は関西人やから笑いには厳しいで〜」アピールがウザくてたまらない。
「笑いに厳しいで〜」アピールするやつらに限って、関西圏では元からたいして面白くもないくせに、非関西地域に出るやいなや関西人アイデンティティーを前面に押し出して調子乗りだす。
誰かが会話の中でボケたりしても「おもんな。そんなんじゃ笑わへんで〜」的な感じでスルーする。もしも誰かがスベろうもんなら徹底的に叩いて、「関西やったら死んでるで」感出してくる。自分は一つもボケもツッコミも滑らない話もせず、「関西人を笑わせてみろよ」的な感じでただひたすら批評家ぶる。うざすぎる。お前の方がおもんないわ。
関西人なら誰かがボケたら突っ込むかボケを被せろよ。誰かがスベったなら率先してフォローして場を保つ努力をすべき。「笑いに厳しい」≠「笑いの技術がある」ということを自覚しろ。お前らがそんなアピールしても一切おもしろくならない。自分はおもんないくせに無駄に関西アイデンティティーを前面に押し出して、関西人というだけで上から目線やからウザがられる。お前らのせいで歪んだ関西像を持たれて関西の好感度が下がるから一生関西から出るな!
日本人という生きもの(今日の主語)は神の愛を知らないものですから、基本的に愛だの幸せだの権利だのセックスだのはすべて金で買えると考えています。
というか、金でもって費やした額でしか、ある対象についての愛情を定量的に推し量るすべはないわけです。ないと考えられているわけです。
それはまあ、しょうがないです。
問題は、日本人という生きもの(以下、私たち)が暴力を行使する権利までも手放したコインの重量で決定されると思い込んでいることで、この手の信仰は倫理的にただしくないよと活字上では言えたとしても、現実生活で意識するのはなかなかにむずかしい。
たとえばファミレスのバイト店員のサービスが悪い。マックの店員の笑顔に嘲りが含まれている。デパ地下で購入したおかきにひびが入っていた。
これらはすべて担当者をゲザらせるに足る理由となりえるように私たちには思えます。むしろ、膝をついて頭に床につけて誠心誠意詫びを尽くし、その上でこちらの懐に「どうかこれでお納めを……」と年間無料パス的なサムシングを忍ばせる以外にどんな解決法がありうるというのか。私たちにはそうした謝罪を受ける権利があるのではないか。だって金を払ったんだから。
そうですね、その主張はただしい。
圧倒的に正しい。
「お客様は神様です」という慣用句を三波春夫が本来どんな意味や文脈で用いたとしても、RTで大炎上時代を生きる我々の目には「お客様=GOD」という極めて自明で論理的な構文にしか映りません。
それでいいんです。
販売者に手落ちがあったら徹底的に責めればよろしい。土下座でも営業停止でもなんでものませればいい。
で、本題に戻ります。
では、同じコンテンツを嗜んでいる他のユーザーまで殴っていいのか?
試食コーナーに提供されたおかきをポリポリ食って訳知り顔で「やっぱ関西人はおかきの作り方を知らんわ。赤坂柿山の爪の垢を煎じて飲めよ」とコメントしたおばあちゃんにカチンときたからといって、ひざげりを食らわす権利は私たちにあるのか?
あまつさえ、そのばばあがくるりとこちらをむいて、「あんたみたいな嫁き遅れにおかきの味がわかるんかい?」とからまれ、その時に、相手のしわくちゃ面が先日見合いしたアンパンマンみたいな顔をした地方公務員の母親に酷似しているのに気づいて大変に不愉快な思いをしたとしても、手をあげてはいけないのか?
汝が隣人を愛せよ。
「オタ仲間同士は性別やこじらせ具合を越えて仲良くせよ」というゴッドの教えです。
神の教えです。
神がいないので倫理がありません。
だから殴ってもいいんです。本当のところ、私たちの暴力に理由なんていらないのです。
理由なんてものは二千字のレポートを要求された大学生にとっての最後の二百字にすぎません。
埋草なのです。冗言なのです。意味なんてないんです。
「私はコンテンツに対して人一倍金を払っているので、忠誠心に劣る他のユーザーを殴る権利がある」?
「私はコンテンツに対して人一番時間を費やしているので、理解に劣る他のユーザーを貶す権利がある」?
単なる文字列です。
なぜ私たちが他人を殴れるかといったら、殴っているから、殴ったから、殴るであろうから、それだけでしかないんです。
オタクの世界はすべてアクションで構成されています。言葉はなんの力もありません。言葉はなにも生み出しません。
ここはすでにファイトクラブです。人は人にすぎず、出来事は出来事にすぎない。インターネット以前から、twitter以前から。
私事ですが、最近サブ垢を、twitterのサブ垢を消しました。
Facebookアカウントなんて最初から持っていません。LINEもやってません、といいたいところですが、極めて遺憾なことに現代社会の必須ツールです。
私たちは夜毎夜ごとにあなたたちのブックマーク一覧を巡回する死せるオフィーリアです。
永遠の命が欲しいならまず死ぬことです。おまえはタイラー・ダーデンと知り合いか、ちかごろ私たちはよくそう聞かれます。
喜びは本編BD一巻分の値段です。
蔑みは作っている本人たちすらももうなんのためにどういう理由があって作ろうとしたのかわからないサブキャラのネタフィギュアの値段です。
いつものように難癖をつけて泣き土下座させているガストのバイトこそ、輝ける運命の人なのだといつか突然気づきます。
その人は、ひとしきり泣いたあと、はれぼったいまぶたをごしごしとこすりながらきっとこう言います。
「理解して」
「逃れられる」
「墜落を回避できる」
「そのために、話して」
三重県は近畿ではあるが、旅行ガイドなどではなぜか東海地方として載っている場合が多い。
そして、変な関西弁を使う
関西人なら、「できない」を「できへん」、京都なら「できん」「できひん」とか言うところであるが、
三重では「できやん」という。
相手に同意を求める「できへんやん」、この「やん」は三重県でも「やん」である
つまり、「できへんやん」は三重県では「できやんやん」とやんが2回繰り返される。(または「できやんに」と「に」が付くこともある。これがまた田舎臭い)
俺は三重県に生まれ、京都の大学に通ったが、「できやん」「できやんやん」とか言ってしまって散々バカにされたものだ。
ケッタ(自転車)、えらい(しんどい、疲れた)、道がつむ(道が混む)、机を吊る(机を運ぶ)
これらはうっかり他府県で使うと通じないが、三重県民はこれらが標準語だと思っている。俺もそうだったし。
以前、俺の出身中学にNHKが取材にきた。生徒へのインタビューをTVで見ていて恥ずかしかったな。なんて田舎丸出しの関西弁なんだと。
なので、俺は極力方言は出さないよう、一般的な関西弁(こてこての大阪弁や京都弁じゃないナチュラルな感じの)を話すように気を付けている。
最寄駅は、アメリカ西海岸のマイアミのような街に、と嘘のような本当の話で命名された舞浜駅。
ここは異様に関西人率が高い。
駅前には日本でもトップクラスの売り場面積を誇るダイエー新浦安店があるが、この中を闊歩している関西人の多いこと。
震災、液状化現象の影響もあり、一時期ほどのブランド力はなくなったが、それでも理路整然と区画整備された道路、広い歩道、並木道、
そして何よりもあのネズミーランドの近辺ということで、関西人にとってはあこがれの土地らしい。
しかもタチが悪いことに、新浦安近辺に住んでいる関西人は自分のことを千葉県民だと理解していない。
関西の友人にも千葉県民であるとは伝えず、ネズミーランドに近い、家からネズミーランドの花火が見える、ということのみを自慢にしている。
自慢される側もUSJで対抗するのだが、やはりネズミーランドの魔法にはかなわないらしい。
それでも近年の魔法勝負なら、メガネ魔法小僧が関西人になったので、いい勝負になっているかもしれないが。
またこの手の関西人に多いのは、関西住む友人を新浦安まで呼びつけて、家に泊めてあげるから遊びにおいで、とまた要らぬ自慢をするのだ。
誘われるので試しに来てみると、新浦安の埋め立て住宅地からネズミーランドまでは結構遠かったりするのだが。
なんにせよ、私はネズミーランド周辺の住宅環境にあこがれて新浦安に住んでいる関西人が嫌いだ。
そんな奴らと付き合うくらいなら、ただ土地を持っていただけで超ラッキー的に金持ちになった漁師町浦安住民であるの一軒家成金のほうがよっぽどマシだ。
私は関西人だが、「進撃の巨人(関西弁版)」が想像以上に詰まらない。
そして、たぶん、編集者の(おそらく関東の)方は、こういう意見を読んでも、「要所要所にキツい大阪弁ジョークを交えて、関東人向けにしてるから、それは仕方ない、というか狙い通り。ぶっちゃけ関西人向けに作ってませんしww」と思ってるんだろう。別にそれは分かる。けど、残念ながら、違う。
下の引用元の増田は、関西人で、かなり苦しい思いをして「いいトコ探し」をしてくれたようで、それにはおおむね納得する。よいシーンもある。つまり、このコンテンツは、やり方次第では十分「関西人の笑いも誘えた」もののはず。にもかかわらず、現状は、おそらくほとんどの関西人が数ページ以上読み進められないようなひどさに満ちたコンテンツになっている。それはひとえに、もちいられている関西弁が微に入り細を穿って間違いに充ちているからだ。ネイティブなら一行毎に違和感しか覚えないようなひどいコンテンツだからだ。
ちなみに、こういうことは今に始まったことではない。というより、東京発の関西弁含みコンテンツでまともな関西弁が用いられている作品は、映画・ドラマ等を通じて何一つ無いと言っても過言ではない。
その原因は、近年益々ひどくなる東京人のエスノセントリズムのせいなのか、それとも単なる知的レベルの低下なのか、コンテンツ生産力の低下なのか、いずれにせよ、東京人がいつまでも東京人にしか楽しめないコンテンツを作っている現状を恥ずかしく思ってほしいと思い、あえてツッコむことにした。無粋は許せ。
というわけで、以下、「進撃の巨人(関西弁版)」の、関西ネイティブによる修正案を提示する。ちなみに、こうやったら東京人には面白くねえんだよ、という意見は却下する。東京人だって、嘘標準語で東京人や東京弁がバカにされてるジョークを見聞きしたら、いい気分がしないだろう。
「その日関西人は思いだした」
↑関西人は自分を「関西人」と言わない。○「その日ボクらは思いだした」
※なお、「ボク」の発音は「_↑(四声(中国語)で言うと2声)」
「ヤツらにキャン言わされとった恐怖を…」
↑元増田も書いてたとおり「ヤツら」とか言わないし、「キャン言わされる」もチンピラ関西弁なので、普通は使わない。また、「恐怖」といった熟語は口語では避けられやすい。○「あいつらにびびらされてたその恐さを…」
※「これでも関西弁的には意味不明に近い。本来は「あいつらの怖さ(ヤバさ)を…」で十分。
「鳥籠ん中に閉じ込められとった屈辱を…」
↑鳥籠のあとの「の」は音韻変化しない。a、e、i+「の」はang、eng、ingとなりやすいが、(例)「頭の中→あたま(ン)中」、u、o+「の」はung、ongとはなりにくいようだ。例外として、あとに母音が来る際は、その母音を含めて置き換えるケースがある。(例)「よその家(うち)」→「よそ(ン)ち」。また、「中に閉じ込める」といったもってまわった言い回しは関西弁では避けられると思う。○「鳥籠に押し込められとった屈辱を…」
「やったるで」
↑これは微妙ながら誤訳と思う。やったるでは「I shall do it.」だが、このシーンは「We」じゃないとおかしいのでは?
○「やんぞ」
「目標は一体や」
↑惜しい。が、こんな緊迫したシーンで、語尾に「や」をつけるのは過剰。格助詞「は」も過剰。
○「目標、一体!」
「必ず仕留めるで!!」
こういう言い回しはしない。失敗には突っ込むのが関西文化なので、「必ず○○せよ」でなく、一般には「絶対○○という失敗はするなよ」という言い回しが多用される。(その方が「○○すんなゆーたやんけ!」と後で突っ込みやすいため。)○「逃がしなや!!」
※(例)「仕留めるぞ→失敗→どうして仕留められないんだ!(半ギレ)(→…=救いがない)」「逃がしなや!→失敗→何逃がしてんねん(→す、すんまへん=救いがある)」ということです。ね?
「……」
↑関西人はこんな美味しいシーンで絶っっっっっっ対に無言にはなりません。
○「…っぅわ!」または「ちょっ、zqあwxせdcrfvtbgy」
「目標との距離400!!」
「目標との」っていりますかね。いらん気がしますね。いりませんね。省きますね。
↑ギャグで言ってるならアリですが、ギャグでやってたら殴られます。「めっちゃ」というのは、あまりシリアスなシーンで使う言葉ではないですね。まあ関西人にシリアスなシーンというのがあれば、ですが。というわけで、○「こっち来ます!」「来てます」の方が緊迫感あるかな?
…というわけで、便乗ネタのミニ関西弁講座でした。いかがでしたか?