はてなキーワード: 進化とは
上記の仮説について、私の見解を述べます。これらは全て仮説であり、議論の対象となる可能性があります。
完成度説: 画像生成AIの完成度が一定以上のイラストレーターの実力を持っているため、他のAI技術よりも議論が大きいという説です。これはAIの技術の進化により、画像生成AIが高い品質の絵を生成できるようになったため、イラストレーターとの競合が生じている可能性があります。
文化説: 音楽やプログラムなどは他者の著作物を自由に利用する文化があり、画像生成AIに対してはそうした文化が定着していないため、反発が大きいという説です。これは著作権や知的財産権に対する文化的な考え方の違いが影響している可能性があります。
データ特性説: 音楽生成には複数の要素が関与しており、そのデータ特性からAIによる再現が難しいという説です。一方、画像生成AIは画像データそのものを利用するため、特定のアーティストの作風の再現が可能であるとされています。
消費市場説: 絵の消費速度が高いため、AI画像とイラストレーターが競合しやすいという説です。画像は短時間で消費できるため、AI生成の絵がより広く受け入れられる可能性があります。
権利者保護団体不在説: 音楽業界には強力な権利者保護団体が存在するが、イラスト業界にはそのような団体がないため、反発が大きいという説です。これは著作権を守る仕組みの違いが反発に影響している可能性があります。
市場競合説: AI画像で金や承認欲求を稼ぐ者が多いため、市場が競合しやすいという説です。絵は金銭に換えやすく、競争が激しいため、反発が大きい可能性があります。
すでに終わった議論説: 音楽業界では初音ミクなどの議論が終わったため、画像生成AIに対しては新たな議論が生まれているという説です。これは過去の議論と現在の状況の違いを指摘しています。
法律もウェッブルールも糞くらえ!俺が嫌だと言っている説: これは個人的な意見であるとされているため、一部の絵師の反発が大きいという説です。絵師のコミュニティが独自のルールや考え方を持ち、一般的な法律やルールとは異なる可能性があります。
これらの仮説はあくまで一つの視点であり、AI技術の発展や文化的背景、市場の変化など様々な要因が組み合わさって反発が生じている可能性が考えられます。
数週間単位で進化が止まらんのに10年弱くらい時が止まってるよな
日本絵画の絵師の流派を判定する人工知能(AI)が登場した。源氏物語を描いた絵画の中に、わずかな差異を見つけ出し、95%以上の精度で専門家と同じ判定を下すことができた。人間が知らない特徴をつかんでいる可能性も判明。AIが専門家の目を超える日も近そうだ。
https://www.sankei.com/article/20180616-UQIQWCVYDFJXNO6YUUPRPIWVZM/
見分けることが出来るのだから当然描くことも出来る
Microsoftとオランダの金融機関 ING グループ、レンブラント博物館、デルフト工科大学などが協力して施行されたプロジェクト「The Next Rembrandt」です。
この方向性で進んでほしい
「影響力のある発明家」ってこれまでいなかったしな
生成AIの基盤となる大規模言語モデル(LLM)の開発が国内外で加速している。各社のLLMのパラメーター数と特色
米オープンAIの「Chat(チャット)GPT」など対話型AI(人工知能)の基盤となる大規模言語モデル(LLM)への投資に国内企業もようやく本腰を入れ始めた。ただサイバーエージェントやNTT、NECなど多くの日本企業が足元で注力するのは、欧米大手が手掛ける汎用的な対話型AIとは異なるニッチな領域だ。欧米勢に後れを取る中、日本語や特定の領域に特化することで活路を見いだそうとする国内勢の動きを懸念するのが、ソフトバンクグループ(SBG)の孫正義会長兼社長。かつて国内市場独自の進化により世界で競争力を失った「ガラパゴス携帯(ガラケー)」に重ねて警鐘を鳴らす。
【写真】ソフトバンクグループの孫正義会長兼社長は、日本企業のAI開発への取り組みに苦言を呈した
「電気代を節約するとか、あんまりチマチマしたことを言っていると、あっという間に日本は取り残される」。東京大学が7月4日に開催した生成AIのシンポジウムに登壇した孫氏はこう懸念を口にした。さらに「日本の取り組みが『ガラケー』になってはいけないと苦言を申し上げたい」と付け加えた。
アンチコメントとの関わりや、芸能を続ける理由を語った部分の文字起こし。
※それ以外の部分は省略しています。
「(心無い言葉について)いろいろな人がいろいろな感情を持つことは自由ですからね。
それを共有するのか強要するのか、というのはだいぶ違うことだとは思うんですけれども、意見を持つことは自由なので。
でもこういう芸能のお仕事をしているとそれを目の当たりにして。見なくてもいいかもしれないけど、私は見てしまうタイプの人間なので、
言葉を目だけで写して、心にまでは入れないっていう強い日もあれば、心無い言葉でさえ心に入れてしまう弱い夜もあって。
人間って、そうですよね?
生きていたら、心に入れなくていいと思っていても、どんどんその言葉が心に入ってきて、頭に入ってきて、自分の自信がなくなってしまう夜って、誰にでもあると思います。私だけでなく。
実はね、今年はいろいろな発表もさせていただいて、でもその中でやっぱり、自分の自信が本当になくなる瞬間が多々あったんですね。
自分ってなんのためにいるんだろう。
なんのために芸能人をしているんだろう。
なにを届けられるんだろうか。
そういうことをすごく考える日々が、今年は特に多かったんじゃないかなと思います。
そんな中で皆様からのお声に助けられて、周りの人に本当に助けられて、自分の中で強くなれたからこそ、今こうして動画を回しているんですけれども、その過程の中で、
「こういう風なryuchellだったら芸能人として、出る意味があるかもしれない」とか、そう思えたことがあったので、
私が表に出続ける意味っていうところから、ちょっとお話をさせてもらえたらなと思います。
正直、ネットニュースだってやりたい放題じゃないですか。ふふふ。言いたい放題で、あの方々もお仕事ですけれども、それを信じて欲しくないなーみんなにはこんなこと・・・と思っていても、信じるじゃないですか。
何か物を見るとき、人を見るときもそうですけど、その人・物の裏側を見るよりも、表面だけを見て判断する人は、やっぱり多いのがこの世の中で、そういうもんじゃないですか。
その人たちに「違うよ」って一人ずつ言って歩き回れないし、しょうがないことなんですよね。
表に出るっていうことはそういうことだし、覚悟の上でやっているから。いろいろなアンチコメントとか直接私に送る方も、その人だって頑張って生きてるんですよね。
(アンチコメントを送る人は)もしかしたらみんなからも好かれて本当にムードメーカーで、愛されている人かもしれない。そう考えたら、(八つ当たりできる)芸能人って、すごくいいポジションなんですよね。
私に色々なお声をDMで送って発散して、その代わりに他で笑顔になれたり、明るくなれたりするのであれば、八つ当たりされる=その人の余裕ができるということなので。どんなに八つ当たりされても大丈夫なんです。
でも「あーアンチコメントかー」とか「この人は心無い言葉を八つ当たりで言ってきているのだな」と思える日もあれば、
目だけで通さず、心にも通してしまって。本当に全部を受け入れてしまって、病んでしまう夜も正直あったんですね。
ただ、私がそれこそ人前に出て、何がいいんだろう。何を求められているんだろう、何を届けられるんだろうと考えた時に、すごくアバウトかもしれないんですけど、
正直私は生き方が上手じゃないですね。皆様もわかると思います。(にっこり笑う)
数年前までは、若いのに夢を叶えて偉いね、すごいねとか、若いのに幸せを掴んで偉いねとかいっぱいいっぱい言われてきました。
そう見せてたんでしょうね。そう見えてたんだと思います。
でもきっと私にその幸せって似合わなかったのかもしれなくて。
カリスマとして芸能人として、皆様のことを引っ張っていく、そういうこともうできないと思うんです。できないかもしれない。
コメンテーターとかさせていただく中で。ずっとおこがましかったし、そんなことないと思っていて。ただ、だけど、イチ人間として、弱い自分・幼い自分というものを見せた・・・はみ出てしまった。今年はそういう年でもあった。
でもホッとしたというか、そういう気持ちにもなったりしました。
そんな中でみんなを引っ張ることはできないかもしれないけど、人の痛みや弱みがわかるぶん、みんなを抱きしめてあげられる。ハグできるタレントにはなれるかなって思ったんです。
ryuchell強いね、って今でも言っていただいて、それは自信になるし誇りになります。プレッシャーになるとかはないんですけども。弱いって自分で言いたくないけど、強くなれない夜はryuだってあるのね。
だからこそ、そこを強みというか・・・強みにはならないかもしれない、わかんないけど・・・。人の痛みを理解できる、上手に生きていけないそういう人たちをハグしたり、もしかしたら時には画面の向こうかもしれないけど、より添えるような、皆様に寄り添えるような、そういうタレントではいられるなって。いたいなって、新たな目標ができました。
本を出したことがあるんですけども、そのタイトルは「こんな世の中で生きていくしかないなら」というタイトルで。
うーん・・・今でも世の中に対してキラキラと希望を抱く、そんな日は私には少ないです。
ただ、自分の人生を、そして自分の周りの人や動画を見てくださる人にはやわらかく、明るく幸せをゲットしてほしいと思っているので、そのきっかけになれるような、時には強さも与えたいし、笑顔も与えたいし、そういうタレントでいたいなって思いました。
まあ、こんな私ですが、これからもね。応援よろしくお願いします。
そして最後に言いたいんですけれども、最近すごくネットニュースとかで、可愛くなったねとか言っていただくことがすごく多くて、すごく嬉しくて。
ただ一つ言いたいのが、インスタとかほぼ毎日投稿しているので、可愛いアピールかよ、みたいな。どこ目指してるんだよ、みたいな、そういうお声もたまにいただくんですね。うふふ・・・。
で、確かになんか化粧もしてるじゃないですか。ネイルとかも・・・うふふ(爪を見せて)キティちゃん。
可愛いのは大好きなのでやっていて、ただ毎日SNS投稿しているのは、毎日ありがたいことにお仕事いただいていて、その時にメイクをしていただいて、衣装をつけてもらって、スタイリストさんにスタイリングしていただいて。その可愛いのを残しておきたい。
表現だけじゃなく、言葉だけじゃなく、体現する。私の強さ、私の個性をファッションで表現すると、人によっては「この人の強さ」として受け取ってもらえる時もある。
SNSではただ可愛いでしょ、イエーイってしているだけなように見せかけて、「私にとってこんなにキラキラ生きていきたい!」「私も!」と思ってもらえるようには生きられないかもしれないけど、「世の中って捨てたもんじゃない」「こういう人もいるんだ」とか、そういうお声をいただくとやっぱり頑張ろうと思っちゃうんですよね。
俺が小さい頃に初めて見たテレビは「小さく低画質なブラウン管テレビ」だった。
俺はそのテレビを使って、ビデオを見たり、スーパーファミコンをやっていたりしていた。あんな小さいテレビで、よくゲームをすることができたものだ…。
最近の10代(特に2006年以降に生まれた子供)は知らないかもしれないが、鮮明に映してくれる今のデジタル放送とは違い、当時はアナログ放送だったため、電波が悪いといつも「ザーザー」と砂嵐ばっかりになって画面が見えずらくなり、大好きな放送が見れないことにがっかりしたり、イライラしていた時期がよくあった…。
小学生高学年になってから、「ニンテンドーDSを買え!」と親にねだった時もあって、親はイヤイヤながら買ってくれたのが懐かしい…。
中学生になってから、家にあった「Windows Vista」の新しいノートパソコンをよく使うようになったのだが、動作が非常に遅く、じっと待つしかなかった…。どのくらい待つのかといえば、電源ボタンを入れてから、間食用のカップラーメンを3分で用意できるぐらいだ…。ゲームぐらいさせてくれよ…。
あとインターネット回線の速度も死ぬほど遅かったものだ。画像1枚を読み込むのに1分もかかったことも珍しくなかった…。
高校生になってから、自分のお小遣いを使って、内緒でウォークマン「NW-Sシリーズ」を1万円で買って、沢山の音楽を聴いていた時期もあった…。
大学生になり、家電量販店に行った俺はアルバイトで貯めたお金を使って、3万円した32型の液晶テレビを買うことができたのは、何よりうれしかった思い出だ…。
数年後には「各4Kテレビ」が販売されるようになったが、当時はまだ気軽に買える値段ではなかったぞ(たしか50型の4Kテレビは最初「40万円以上」もしていたのは覚えている)…。
そしてしばらく時が経ち、コロナが流行り始め、家に居る事が多くなった俺は、久しぶりに家電量販店に行ってみると、50型の4Kテレビが20万円以下で買えるようになったことに驚き、これを機にそのテレビを買った。やっぱり新しいテレビはいいよ…。より快適になればなるほど、感動は沸くものだ…。
そして最近になって、コンビニの店内や駅前、さらに電車の中にも、巨大モニターが設置されるようになったため、もはや街路中にモニターがあることが珍しくなくなった。
街路中に巨大モニターがあるだなんて、俺が高校生になるまで、「渋谷ビル」か「新宿アルタ」ぐらいしか思い浮かばなかったのに…。
まとめに入るが、俺は人生の中で最も変化があったものは、やはりテレビや電子機器の進化だったのではないかと思う…。
ちなみに今、4Kテレビの値段を見てみたが、50型でも10万円を切るほど気軽に買えるようになった…。あと8Kテレビの値段も、「20万円以下」で買えるようになったのも驚いた…。
1950年代に白黒テレビが販売された当初、一生かけても庶民には買えないぐらいの値段だったのが、今ではもう気軽に超高画質なテレビが買えるというギャップよw
コマンド入力が難しいから悪いんじゃなくて、コマンド入力というシステムを存分に楽しむにはクソ高いアケコン買わないとだめっていうのが家庭用格ゲーを衰退させた原因
パッドで遊ぼうとおもったら過去の冗長なコマンドは不向きだからモダンは家庭でネット対戦ができる時代への正当進化だと思う
でもゲームのレベルデザインは5を含む過去の格ゲーのノウハウの蓄積から作られているので「コマンドが難しいからこその技性能」がそのままワンボタンで出せるようになってしまった
モダンを導入するならこの考えを刷新するべきだったと思う そういう意味では6はゲーセン文化から切り離されたまったく新しい格ゲー環境としてアプデに期待