はてなキーワード: 社畜とは
地方公務員やインフラや医療やシステム保守や運用で働く常駐・派遣労働者など世間が12日の土曜日は休んで当然、出勤する奴はバカと罵る中には災害時に社会を下支えする人達がいる。
その人たちは危険を承知で働かなければならない立場上どうしても出勤しなければならない。
これは個人の問題ではなく、いないとシステムの停止や社会インフラのストップが発生したり医療の混乱と言う甚大な被害に及ぶ可能性があるため行かざるを得ない人達である。
電気通信企業やマスコミや病院や各自治体の緊急体制の裏には下支えする労働者が必ずいる。彼らは労働契約上、「何があろうと決められた時間に出勤退勤」をしないと契約違反となり最悪訴訟問題に発展する。
そんな現実を知らずに「12日の土曜日に出勤する人はバカ」とか「ブラック企業を存続させる同罪者」とか「社畜の鑑」と叩くことには迫害に近いモノを感じる。
受け取る給与に関係なく社会基盤を支える宿命を持たせ何が起きても決められた時間に出勤退勤を契約で労働者に強いる社会を作っている企業を叩くのなら別だが。
労働者を叩いてすっきりするのは間違っている。この国は労働者の「命」より「客との契約」・「会社間の契約」が重い国なのだから。
よく東京の満員電車が「異常な光景」として扱われるけど、ここ数年のスタバもたいがいだと思う。
席は常に満席状態でみんな狭いスペースで肩丸めながらパソコン開いていて、ちょっと腕を伸ばしたら隣の人にぶつかるぐらいギッチギチに敷き詰められてさ、それでコーヒー一杯で何時間もいる貧乏臭さ。
渋谷のスタバとか見ると社畜の収容所かよって感じで、気分が悪くなる。
こんな状態なのにスタバが「ちょっとランクの高いカフェ」扱いされてるのも意味わからんし、あんなに収容率高い場所に押し込められてるのに客がドヤってるのも意味わからん。
お腹は頻繁に壊すし、軽い頭痛はしょっちゅうあるしたまに目眩もするし、生理の時はロキソニン手放せないけど、都心で10年程接客社畜してる割にはインフルにもノロかかったことなくて、というかインフルの検査すらしたことない。
逆に旦那は季節の変わり目には必ず風邪ひくし、毎年器用にインフルにかかってて、一冬で二回かかったとこもあるくらい病弱。インフルエンザ旦那と同じ家で過ごしてるのに移らない私凄いな。
そんな増田家に子供が産まれた。世間ではお母さんの勘は当たるからおかしいと思ったら病院連れてけって言われてたりするけど、私には一切その自信がない。蕁麻疹出たことないし、顔も浮腫んだことないし、顔色悪いとかイマイチ分からないから絶対勘とか働かない。
あと今後保育園に入れたら山程の病気貰って帰ってくるんだろうけど、弱い旦那が移されたとき子供と一緒に看病する自信がない。そもそも自分が健康すぎて人の看病の仕方が分からない。
はてな見てると自分がみじめになる時がある。自分より若い人たちが退職エントリとか書いて、やりがいある仕事で、すごい難しそうな技術語って、ほんとスゲェと思う。
保有資格はTOEIC910と中国語検定2級のみ。35歳で800万、年功序列企業に勤め、仕事もごく平凡。愛想良くペコペコ調整するだけで何のスキルも無い。
IT企業の若者がプログラミングとか語ってるのをネットで見かけると、別世界で異次元な出来事に感じる。雲の上の存在だ。
そんな無能系社畜リーマンだが、土日の時間を使ってプログラミングスクールにでも行こうか迷ってる。毎日2〜3時間の勉強で何か身につくもんかな?
アラフォーになると、自分が何者にもなれないことに絶望するんだってな。
いままで何とも思って無かったのに、急激にそんな恐怖に襲われてる。
新卒で中小滑り込み、何度かの転職で大企業に潜り込んで、いま管理職やってる。
でも基礎能力は後輩に遠く及ばない。
努力は厭わないし社畜って言葉もむしろ褒め言葉って印象なんだけど、年収は
さすがに頭打ち感がしてきた。
そりゃ人よりはいくばくか多めに給与は貰えてるんだけど、能力も対してない、ただ調整や
もうすぐ下期が始まる。
出ていったメンバーも、入ってくるメンバーもいるが、俺は異動もできず、ずっとこのまま。
転職成功しても、メンバーからは後ろ指を刺され、失敗したら上司からは飼い殺し、下手すれば
クビ切られる。
最近ね、頭頂部が薄くなってきたんですよ。髪が細くなってきて、伸びるスピードが遅くなってきた。あぁ、男はこうやって髪の毛が薄くなるのかと思った。髪をつまむ、明らかに前よりも細くてふにゃふにゃしている。
髪が細くなり伸びるスピードが落ちてくる。だけど何で頭頂部だけ?全体的に同じ様に下がれば全体的に薄くなったと思うだけなのに何でそこにわざわざザビエル的な風味を追加するのだ我が体よ、ホルモンよ。
と思っていたのだけど、最近ふと「あ、自分は死に向かって軌道修正をしたのだな」と思うようになった。離陸した飛行機はいつかは着陸する、この着陸に向かって高度を下げ始めた感じといえばいいだろうか。軟着陸してほしい。ハードランディングは避けたい。
死に向かっていると感じたときに急に人生の意味なんて別にないんじゃないかとか、若者たちがありもしない人生の意味を追いかけて必死になっているさまを見て何アホなことやってんだろうと思うようになった。なんか一生懸命鼻息荒くやっているけどそれがお前の設定した目標になにか近づくの?とか思うようになったが盛り上がった若者に説明するのなんか単にしらけることを言う嫌な奴としかおもわれないから何も言わない。
多分人間はこうやって老害化していくのだろうと思った。要は若者たちのやっていることがアホなことに見えるようになったからだ。
ただ、自分のやっていることが素晴らしいと思えるほどに自信家じゃないので老害化はしているが公然と嫌味を言ったり批判したりという人間にはまだなっていない。ただ、そんな意味もなく人生を浪費している彼らを見て「自分そのもの」について考えるようにはなった気がする。
多分人は成長の中で意味のある20%の、意味のない80%の試行錯誤を繰り返すんだろう、とか漠然と思うようになった。そして多分自分もそうだ。やってみて単に時間をお金を費やしただけ、ということはけっこうある。学びもあるが費やした時間とお金に見合っているかというと疑問を感じることも多い。
社畜として生きていた自分、会社は会社に俺がアウトプットする業務とその成果に興味はあるが俺そのものには興味はないと思う。夫として生きていた自分、家族は家庭に俺がアウトプットするお金やヘルプに興味はあるが俺そのものには興味はないとおもう。
振り返ってみると、何かをして「ありがとう」と言われることはあった。だけどそこまでだ。ありがとうの先はない。ありがとうの先に何があるかというと自分を人として尊重する、ということだと思うが、仕事をして家庭を持って、趣味をやめ、遊びをやめ、起きてから寝るまでの間自分の自由な時間なんか殆どないがそれを「ありがとう」で片付けられている。ありがとうと言っている側は趣味に習い事に遊びに時間をふんだんに使っている。ありがとうと言っている側は懐がどんどん潤っている。
ありがとうの対価に会社は利益を得ているようだし、家族はより良い暮らしを手に入れているようだが、それらが自分になにか還元されているのだろうか?ありがとうと言われているうちに週末にどこかに遊びに行きたいとはもはや言えなくなった。家族が遊びに行くから運転しろとは言われる。行き先の選定に自分の意見が入ったことはない。つまり週末も自動的に自分の時間は奪われている。
自分の予定を入れていても結局変更させられる。「それって来週にできないの?どうしても今週じゃなきゃだめなの?」と言われる。「じゃぁ来週にずらすよ」と言う。「ありがとう」と言われる。翌週も同じことをする。「ありがとう」と言われる。消化されないやりたいことは山のように溜まっていく。それを覆い隠すように更に大量のありがとうが降り注ぐ。
周囲の人はみんな「ありがとう」を忘れない。これまでは自分もそれでいいと思っていた。だが、「死」を意識したときに急にこの「ありがとう」が自分にとって何の意味もないものに成り下がった。
「ありがとう」というから限界ギリギリまで、たまに限界を超えてまで一生懸命仕事をするんでしょ?
「ありがとう」というから自分の都合を全部後回しにして周囲の人を優先するんでしょ?
なにか自己主張する、許されない、ごめんなさいと言わされる、土下座をさせられる。そしてありがとうと言われる。
このありがとうってどういう意味なんだろう?相手の口から放たれた「ありがとう」に対して「いやお礼とか良いからいい加減自分の尊厳を主張させてください」と言ったら土下座させられるんだろうか?
キモくないし金もあるイケメンヤングはキモくて金のないおっさんを見下す、高学歴は低学歴を見下す、金持ちは貧乏を見下す、ホワイト企業に務める高収入は低収入底辺社畜を見下す
うん、とっても気持ちいいよね、わかるよ
でもさ、それしてて本当に「仕返し」されないとでも思ってるの?
底辺のゴミに噛みつかれた程度で死なねえよなんて君等は思ってるかもしれないけど、彼らって本当に根に持つし、彼らって本当に執念が深いのよね
だからぶつかりおじさんと化したりあおり運転かましてロードレイジで相手の車や相手そのものを壊しに行ったり、最悪ハゲックス刺殺事件やアキバ通り魔事件みたいな事をする
無敵の人を君等が生んでるんだよ、君らの軽い何も考えてない言葉で、彼らは君らに殺意を抱いて殺しに来る
それと技術力のある暇人、時間のある暇人、マイナス感情で動く暇人、執念深い暇人って本当に怖くてな、「自分を怒らせたから」って理由で家を特定して嫌がらせしにくるぞ
いやいや、嘘じゃねーって、こんな匿名サイトでも文体の癖を解析したり、出没時刻とかどっかで漏れたIPとかソーシャルエンジニアリングとかして垢を割り出したりするもん
生きがいとか、やりたい事がない。
精神科医的な見解だと、まずそういう事を考えてる事が通常ではないと言う。
これが17,8の高校生や大学生ならいざ知らず、30代をむかえてこの状態だって事がおかしいらしい。
(面と向かっておかしいと言われたわけではないけど、要するにそんなことを言われた。)
でも、だからと言って、30代では何がなんでも仕事に食らいつこう、所謂、社畜な精神状態になるのも難しいとも言ってた。
そろそろ、週3ぐらいで居酒屋のバイトをしながらのナマポ生活も1年が立とうとしてる。
とりあえず精神科に通い、何かしらで病名が必要な時につけられそうな病名がついた精神状態の改善と、将来的にはナマポ生活をやめて、朝からしっかりと働かねばいけないと思っている。と担当と医師に相談したら、居酒屋での生活サイクルからすぐに午前仕事にシフトするのが難しいだろうから、とりあえずは、昼から夕方で出来そうなバイトをはじめてみては。という事になり、居酒屋を辞めた。
新しい環境に身を置くことを考えられない。
求人を眺めて、ここは良さそうだな。って思うことはあるけど、面接のことを考えると萎縮してしまう、まず電話をしなければって思うと手が震えて、喉がつまる。
どうせ受からないだろう、受かってもまた続かないだろう。受かったとして今度は続けていけるのか?
スタートラインにもたってないのに、先の障害の心配をしてしまう。
別に受からなくても、続かなくても、生活は保証されてるわけだからやるだけやってみればいいのだ。
そうは思うものの行動できない。
世間ではこれを甘えと言うだろう。
働いてる人は、人の税金で生きてるくせに。と、こっちだって、働きたくて働いてるんじゃないけど、働いてるんだから働けよ。と思うだろう。
ごもっともだ。
がむしゃらに働けばいい。
四の五の言わずに何も感じずに働けばいい。
そう思うんだけど…
そもそもに手すらかけれない。
人はなんのために働くのか。
食べていくために働く。
人はなんのために食べるのか。
生きていくために食べる。
薬中を克服したベストセラー作家も考えることが同じだと思うと少し正気になる。
けど、彼は学があり文才が開花したから後世語り継がれる人物になれたわけで、私は違う。
生きるために食べ
食べるために働き
働くために生きるのか?
だったら死んでもかまわないんたが。
じゃぁ、なんのために生きよう。
生きがいや、やりがいが欲しい。
そんな事を永遠と自問自答している。