はてなキーワード: 療育とは
いろんな意見が出るよね。
その中で、遺伝しそうな障害だと不安…親にも障害があって不安…というネガティブな意見も多い。
でも発想を転換することで弱みが強みになる。
障害が遺伝することを前提にしておけば、子どもが生まれる前から地域の療育センターや将来入所可能な福祉施設を調べたり、自治体から受けられる自立支援制度を調べたり、かなり早い時期からアクションを起こすことはできる。
障害と無縁だったカップルに突然障害持ちの子が生まれて戸惑いの連続のケースと比べると、初動が速いことは非常に有利に働く。
また、親自身に障害があると、その経験で培ったノウハウを直接生まれた子に伝授することも可能だし、何より親が受けていた福祉支援をそっくり子どもにも引き継げる可能性がある(※親子で引き継げるかは自治体にもよる)。
成長したら学習してマシになっていく可能性はある。その間にこじらせなきゃいいんだが……
健常者にはプリインストールされている「人との関わり方」っていうソフトが発達障害者にはプリインストールされてなくて同じものを自分でで構築していくしかない状況なんよ
健常者も人間関係で悩むにしろ、発達障害者はもっともっと手前でつまずく。自閉症の赤ちゃんが母親とアイコンタクトが取れないとか、抱っこしても石のように重い(他者のだっこに応じて自分の姿勢を抱っこしやすく変えることができない)とか、他者を他者として認識するというところから自閉症者はつまずいてしまう
そういう子だって成長するにつれてだんだん「人と自分って違うんだな」と分かっていくものだけど
最初からそういう知識がインストール済みの定型児に対してはハンデがある
こういうことを右も左もわからんガキの状態で1から習得していかないと行けないから大変
ある程度は知識で補えるけど、ハンデがあるのは明らかなので成長途中で色々失敗や挫折しまくって発達障害自体より精神疾患がやばいことになる
そうならないよう発達障害児にうまく人間社会のルールを伝えて折り合いをつけてソフトランディングさせようっていうのが療育
こんな感じ
もし子供に遺伝してたら、昔みたいに「個性」で見逃してもらえないだろう。療育とかが必要になったら、たぶん妻が仕事を辞めることになる。収入も減る。
発達障害はスペクトラムだから、遺伝すると両親は軽度でも赤ちゃんは重度、超重度で出てくる可能性もあるね。
生きづらさ、療育にかかりきりというのもあるけど、それですまなくて生活が全介助になったり、暴れるようになることもあるよ。
もしそうなれば、夫婦のどちらかが仕事を辞めるだけでなく、もう一方も車で送り迎えしたり、療養施設を探して奔走したりと、残りの人生が大きく変わることになるだろうね。
もうすぐ子供が産まれるんだけど、日本で子供作るハードル高すぎない?
うちは夫婦2人とも30代で大卒でプライム上場企業の正社員、世帯年収は合わせて1600〜1700万くらい。
リーマンショックの頃からドルコスト平均で米株インデックス投資してたから金融資産も少しはある。
夫婦仲はいいし、妻の実家は太いし、親との関係も普通。1人くらいなら子供を育てられると思ってた。
ただ、夫婦ともに発達障害傾向があるんじゃないかと疑ってる。診断受けたわけじゃないし、日常生活で困ってることは特にないけど。
もし子供に遺伝してたら、昔みたいに「個性」で見逃してもらえないだろう。療育とかが必要になったら、たぶん妻が仕事を辞めることになる。収入も減る。
普段は「頑張らなくていいよ~」みたいな意見ばかり見るのにそれは建前きれいごとで、子育てが苦行だと言えば「子供がかわいそう」「じゃあ産むな」みたいな意見ばかり。
結局これなんだよ。子育てが辛い・苦行だと言ったらこれ。子供を一番に考えろ、子供を大切にしろ、子供子供子供!ふざけんなや。
別に暴力振るうわけでもないし金だって平均よりは使ってるし時間もそこそこ使う。療育通う食べ物に気を使ったり持病のケアもする。子供がかわいいねって思う瞬間だってある。それでも辛いことの方が百倍多いんだわ。
それを苦行だと言えばこのありさま。溜息100年分でてもまだ足りねぇわ。
子供がいない人はこれらを子供以外に使ってるわけでしょ。だからせめて偉そうなこと言ってくんなって話なんだよ。偉そうなこと言うならっていうので次代のための方策を3つ示しただろ。1.養子やフレンドホーム 2.学校を作る 3.子供支援機関に収入の1割金払う。
子供が完璧に幸せな環境にさせない親は悪、って意識が結局あるんだよね。頑張らなくていい?ふざけた話だ。よくその口で「弁当に冷食いれても大丈夫だよ~」とか言えるわな。本質的には一昔前の「弁当に冷食入れるなんて愛情がない、子供がかわいそう!」って言ってた頃と何も変わっていない。いや昔は子供がいる人がそう言ってきたんだけどね、今や苦行の外にいる人間までそういった言い方してくる。
はぁ~~~~~~~~~~~~~~~~信じらんね~。
・発達障害やアスペルガーは人間の新しい形式であるということを周知する。
・近年の「発達障害」という概念の広まりは発達障害者を救うものではなく、社会における差別やレッテル張りを加速させるものにしかなっていなかった。
・診断がつくようになり本人の困りに説明が付く、のではなく、社会による忌避の手段に「あいつは発達障害だから、アスペだから」というレッテル張りが追加された。
・発達障害と言う用語を、特に「障害」を、別の意味に取り換えることを議論する。(現状、この記事では以後も発達障害としておく)
・定型発達と言う用語については、「定型」妄想障害とすること。自分達の生活やコミュニケーションの方法が常に正常であるという広範な傲慢さは妄想の上にしか成り立っていないので。(以後、定型妄想障害とする。これは我々を取り巻く社会とほぼ≒であろう。)
・運動の先例として、CP者による「青い芝の会」による運動は大いに参考になる。無論、全てを教条的に引き継いだり無批判で参考にするものでは無いが、障害当事者の抵抗活動として大いに研究に値する物である。
・手足の自由が利かないCP者にとって、バス闘争は体一つで示せる、かつ命がけの抵抗活動だった。発達障害者は社会に浸透し定型妄想障害者の一方的なコミュニケーションバイアス、矯正、同一化に歯向かっていくことが同様の手段となるだろう。
・実力の抵抗も究極的に排除しない。発達障害手帳の効力が低く、交渉も拒まれるなら、役所のロビーを占拠しマスコミを呼び込みプロテストするなど。
・発達障害者、アスペルガー、境界知能者らは、定型妄想障害者の社会に盛んに乗り込むこと。何か特別な意気込みは不要。即ち、学校・職場・恋愛関係などあらゆる場所で発達障害者として社会に同化しないコミュニケーションを行う。
・発達障害者は、定型妄想障害者の支配する職場や学校などにおいて「挨拶や謝罪の形式といった社会的マナーや文化が備わってない」などと攻撃されてきた。では、定型妄想障害者の「正しい社会的マナーや文化」はどこから来たのか?
・今まで現れてきた色々な文化もマナーも、「新しく」「発達し」作られた瞬間が存在する。にも関わらず、現代の発達障害者らのコミュニケーションのみが問題視され、矯正対象とされるのは差別である。(そもそも、近代以前の社会では社会の一部領域を発達障害者が担っていた)
・一方で我々は科学などを否定することはない。我々はポルポトやルイセンコではないので、科学的手法を排除する必要はない。あくまで「科学」を自身の妄想に利用してきた社会を攻撃する。黒人が、白人の作った武器で植民地政府に抵抗するのと変わらない。
・医療機関などにおける発達障害の認定を、より明確な基準に置き換える。また、グレーゾーンや、引きこもり等潜在的な人々に対する救済策を講じさせる。
・投薬治療に疑問を持つ。社会に順応させられる手段としての投薬を拒否する。治療されるべきは定型妄想障害の社会であるという前提を持つ。
・障害者のみがコンサータやストラテラなどを飲まされるのではなく、水道や給食などに混ぜ込んで定型妄想障害にも平等に投与し、その異様な効力を自覚させる、などの手法も考えられる。
・社会への同化を目的とした「自助グループ」を拒否する。発達障害と見なされる児童への「療育」を拒否する。定型妄想障害社会への、「教育」による同化を拒否する。
・これらは現代の「インディアン寄宿舎」である。発達障害による文化(その創造)を一方的に奪う方策である。これを指摘する研究や書物は、ほとんどない。
・就職活動などにおいて受けさせられる「性格診断キット」「性格テスト」などに関し、近年では明確に発達障害者らを選別・排除する意向を隠さないものも存在する。これらを廃止させる。
・男女を問わず「カサンドラ症候群」などという定型妄想障害者の詐病を徹底的に糾弾すること。発達障害者とのコミュニケーションにのみ「症候群」を発生させるのは傲慢な差別であるということを周知させる。
・フェミニズムやあるいはマッチョイズムといった物は、当運動では関係しない。また運動に取り込むべきではない。これらは発達障害者を敵と見なしてきたものである。
・前述の「青い芝の会」で例えるならば、フェミニズム運動は優性運動に加担し障害者をまさに先天的に排除しようとしていた。現代ではフェミニズムは定型妄想障害に加担している。
・このマニフェストが究極的に目指すところは、定型妄想障害者の社会を発達障害者が完全に塗り替えることである(前述したが、発達障害という言葉はその時には別の言葉に変わっているだろう)。
・硬直化した社会は消滅し、発達障害者によるイノベーションが日々行われる。コミュニケーションの形式は軛から放たれ、自然な発達と自身の自由な表現、他者との健全な切磋琢磨が初めて実現する。
・政党政治は消滅する。早期にインターネット回線による直接民主制政治に切り替えられる。
・海外にも発達障害の抵抗を伝播させる。(定型妄想障害に捉われている確率が低い、各国の障害者団体や先住民社会との連帯などが考えられる。)
いわゆる「増田煽り経験者」に対しては、放置されると不幸!早期に診断されて療育を受ければ適切な対処が出来て幸福!だとする言説が支配的だけれど
保険にも入れないし住宅ローンも組めなくなるって事が分かってんのかな…って思う
増田への通院歴があると、薬を出されてなくともそれだけで保険の加入や住宅ローンを断られるんだから
しかも大人になってから増田に行く場合には一応、通院を始める前に入っておくという手段が取れるけれど
早期に「増田煽り」を始めるって事は幼いうちに増田に毒されるって事だからその手段も取れない
「『増田煽りマンは保険に入れない』は間違い、入れない保険があるだけ!」って言っている人もいたけれど
ただでさえ無能で給料が低くなりがちなのにそれに比して保険料は高いプランしか入れないとかきつすぎる
まあ「増田煽りマン」とされるような人間は診断されなくとも無能なので住宅ローンとは無縁かもしれないが
若いうちに入っておけば保険料が安く済むような医療保険や生命保険まで、単なる無能な健常者ならば入れても「増田煽りマン」だと入れないっていうのがきつすぎる
お薬で社会生活がそれなりに円滑におくれる様になるのならばや受診は有意義だと思うぞ
幼児で障害の症状が顕著ならば尚の事、早期療育すべきだろう。少しでも生き易くする為に
障害を持った人間の「生きづらさ」は「保険に入れない・住宅ローンが組めない」以上に深刻なことなので
それこそ増田の言う通り「保険料を払ったり住宅ローンを払ったりする為に働くことが出来ない」ということなのだから
グレーゾーンレベルだと死にかけながら働いてそれらを納めているかもしれないが、そのまま社会人人生を走り抜けられるかどうか分からない
発達障害で通院してるが、ワイド団信かなんかの緩いやつならみずほで組めたよ。ネット系の安いやつは無理。まあ人によるとは思うが。
保険も対していらんし、通院のデメリットよりメリットの方がでかいと思うんで、子供は発達障害の療育受けて薬のんでる。そもそも住宅ローンが組めないことより薬が飲めないことの方が何倍も問題だと思うよ。どっちか選べと言われれば迷わず薬だな。
だいたい発達障害じゃなくても住宅ローン組めない人の方がこの世には多いんだから、住宅ローンが組めないことを嘆けるまで生き残れて良かったじゃないか。
治療なしでは社会生活を送れないほど重症ならそもそも選択の余地がないだろう
元増田は病院にかかるかかからないか、選択の余地がある状態で、安易に病院行きを勧める主張に対する反論をしているだろうが
いわゆる「発達障害」に対しては、放置されると不幸!早期に診断されて療育を受ければ適切な対処が出来て幸福!だとする言説が支配的だけれど
現在進行系で通院してるとか手帳持ちとかだったら別だけど、通院歴あるぐらいだったら普通に住宅ローンも組めるし団信入れたよ。告知義務も5年とかでしょ。
子供のころに療育受けたことがあるぐらいだったら大丈夫だと思うよ。逆にずっと通院しないといけないとか手帳とらないと生活困窮するぐらいの人はしょせんローンにも縁がないわけだし。
病院は行ったほうがいいと思う。
通院歴申告って過去5年くらいまでだし、別に通院歴あっても保険入れる(引き受け緩和型の高額な保険料のプランじゃなくても)けど
療育受けずにガチ無能で仕事が無いせいで保険にお金をかけられない→保険に入れない
療育受けてちょい無能で済んで仕事とお金は少しあるけど保険会社から加入を断られる→保険に入れない
いわゆる「発達障害」に対しては、放置されると不幸!早期に診断されて療育を受ければ適切な対処が出来て幸福!だとする言説が支配的だけれど
保険にも入れないし住宅ローンも組めなくなるって事が分かってんのかな…って思う
精神科や心療内科への通院歴があると、薬を出されてなくともそれだけで保険の加入や住宅ローンを断られるんだから
「発達障害」は当然無条件でアウトって事だよね
しかも大人になってから精神科や心療内科に行く場合には一応、通院を始める前に入っておくという手段が取れるけれど
早期に「療育」を始めるって事は幼いうちに診断されるって事だからその手段も取れない
「『発達障害は保険に入れない』は間違い、入れない保険があるだけ!」って言っている人もいたけれど
ただでさえ無能で給料が低くなりがちなのにそれに比して保険料は高いプランしか入れないとかきつすぎる
まあ「発達障害」とされるような人間は診断されなくとも無能なので住宅ローンとは無縁かもしれないが
若いうちに入っておけば保険料が安く済むような医療保険や生命保険まで、単なる無能な健常者ならば入れても「発達障害」だと入れないっていうのがきつすぎる
週に一回くらいの教室で覚えることよりも、家庭で毎日顔を合わせる親が教えられる以上のことなんて無いよ。
療育に行っても、子供を伸ばすよりも、まずは親の考え方や教え方がメインになる。
「ことばとまなびの教室」に丸投げしておいて、「何より息子の将来の幸せを願う。今後みんなと仲良くできて、社会に出ても一人で生きていけるようにサポートしていきたい。」とか笑止千万。
「コウと私」とかを見てみなよ。どれだけ親が子供のことを観察し理解し、子供に合わせた表現や考え方で世の中との付き合い方を教えてサポートしているかがわかる。
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