はてなキーワード: 二番煎じとは
ぜんぶなんかの二番煎じじゃねぇか
何もわからないマンさんらはそれに気付かずに弱者論に騙されてる
勝ち組なんてほんの数%で殆どが負け組になり貧困男子になるのにね
どうあれこうあれなにはともあれ何はなくとも
強者に有利に働くんだよ
そんでこの世はゼロサムなんだよ
誰かの利益ってのは誰かが損してることの
裏返しでしかない
強者がいっぱい集めるってことは
弱者がいっぱい失ってるってことに他ならんわけで
しかもゲームそのものが成立しなくなれば強者も全員負ける無効試合になる
弱者男性さんのやってることは、戦争に勝てないから自国領土内や敵国にドカドカ核兵器や生物化学兵器ばら撒いて100年は人間が住めない土地になってオメーらもオレも死ぬがオレは道連れだから勝ちだざま〜〜〜〜みろwとかやってるようなモン
結局やまもといちろうとか青識亜論が相手の場合もそうだけど自分の意見と食い違った場合って言論には言論使って戦うより
「あー…なるほど…わかったわかった。なんだ、君もそっち側だったんだね…」ってな感じでわかった風な顔しながら適当な言葉で相手をカテゴライズして差別主義者やら悪魔やらに仕立て上げた方が頭使わなくていいし楽だもんね。
アメリカなんかの場合はエリートリベラル様に異を唱えた時点で悪魔にされてガチで社会から干されるからみーんな多少「ん?」って思っても誰もが(というか主に公人、著名人)逆らえなくなって今の世相ができあがったんだろうな。
BLMの暴動や略奪への批判、 実際に各国で起こってる移民政策に関連した社会問題、防犯とブルカの関連。何人が議論を投げかけたその時点で差別主義者とされたか。
んで結局そんな極一部の上級がドヤ顔で作ってる歪な構造に皆が納得できるわけがないから歪みとしてトランプみたいなのが生まれるわけか。
現代のインターネットって俯瞰する高さを競い合うレスバトルになってる気がするわ。
ルールは簡単。できるだけ高いところから相手を俯瞰して、過去の類似の論破済み(と思ってる)クソコテを見つけ出して「○○の二番煎じ」と認定したり相手の言動や思想に名前をつけることができれば勝利。
はてなの左翼共はそういうテンプレート化した手法で相手を攻撃するのは慣れてるけど防御力は皆無だから
白饅頭みたいに「お前らリベラルはペラ1枚だけに書かれたペラッペラの差別してはいけない流行属性リストだけ見ながらドヤ顔してるだけでそれ以外の大多数の弱者は平気で差別も搾取もするし都合の悪いことはあーあー聞こえないで逃げるただの差別主義者のクソ野郎共。お前らが批判してる人種と同類。」って同じ手法ではっきりと直接的な言葉で批判を向けてくる奴にはめっぽう弱い。
なーんて相手の言ってる内容には突っ込まずふわっとした言葉で発狂するしかできなくなる。
最近ネットでよく「感想の書き方が分からない」という声を見かけるので、誰にでも簡単に書ける、感想の書き方をここに記す。
まず大前提として、感想を送るということがいかに読み手に有利な行いであるかを伝えたい。
クリエイターは何時間(何十時間)かけて作品を作っても、面白くなかったら読んでもらえない。
とんでもなく面白くても、膨大な作品に埋もれて読んでもらえないことすら多々ある。
その点、感想は作者に届きさえすれば、確実に読んでもらえる。
その上、場合によっては返事がもらえる。
10万文字の小説に『面白かったです』って7文字の感想もらってヤッターっつって喜んでるクリエイター、普通におる。
感想文がどんなに稚拙でも「誤字ヤバくて草」とか「二番煎じ」とか言ってくるクリエイター、おらんやろ?
お手紙書いて文章がどれほど下手くそでもありがたがって読んでくれるの、普通は親だけやぞ。
縁もゆかりもない、赤の他人が無条件に喜んで読んでくれる! 感想文ってすごい!!
■感想の書き方
作品の良かった箇所を知らせろ。
それがセリフなのか、表情なのか、構図なのか、話の展開なのか、関係性なのか、詳しく語ればさらに喜ばれる。
難しければ、引用したって良い。
ただし、クリエイターがマシュマロなどで返事をする場合、ネタバレにならないように気を付けろ。
感想を書くには語彙が足りない、という悩みをよく目にするが、そんなものは必要ない。
お気に入りの箇所を読んで、手に汗握るほど興奮したのか、日ごろのストレスを忘れるほど癒されたのか、ここに教会を建てたくなったのか、
詳細に語れるなら語ればいいが、それが難しければ全部「好きです」でいい。
「好きです」、だけじゃ寂しければ「最高です」と「ツボです」も使え。
〇〇のシーンの■■のセリフが好きです!
▲▲のシーンの〇〇のポーズ、最高でした!
●●のシーンの□□の表情、ツボです!
この組み合わせの感想を聞かされて、不快に思うクリエイターはほぼいない。
次回作を楽しみにしていることと、尊い作品を作り出してくれたことに感謝をして文を結べ。
クリエイターが興味あるのは自分の作品であって、読み手ではない。
「私は姫騎士の生まれ変わりですが、ギルド内部のあれこれがマジであるあるすぎて説得力ヤバかったです」とか言っていい。
そういう情報はありがたい。是非教えて欲しい。
一つ知って欲しいのは、全てのクリエイターが感想を欲しがっているわけではない、ということだ。
見分け方は簡単で、『マシュマロ』や『お題箱』のような匿名のツールを用意している相手は感想を送っていい。
そういうものを設置しておいて、「私が力を入れたのはそこじゃなかった」「お前からの感想は望んでいない」とか言い出したら
それはクリエイター側に問題があるので、あなたは傷つく必要はない。
その場合は大変申し訳なかった、私が代わりにぶん殴っておくので、あなたは忘れて次の神作家を見つけて欲しい。
人間誰でも生きていて「ちょっと誰かに親切にしたい」っていう感情はあると思う。
『無償で』『自分が好意を持っている相手に』『いつでも自分の好きなタイミングで出来る』上に、かつ相手に喜んでもらえる。
そんな都合の良いもの、私は他に知らない。
シン・エヴァンゲリオン。どうやら相当世間を賑わせているらしい。
私も先日鑑賞した。その感想は……はっきり言って、物足りない。
何故ならば、庵野秀明の攻撃性が、作品からあまり感じ取れなかったからだ。
ある時は、「そんなに1人でうじうじ悩んで、勝手に決めつけて、気持ち悪い」と一蹴し
またある時は、「何時までもエヴァンゲリオンに齧り付いてるんじゃねーよ!」と叱責された。
私は作品を通して、庵野秀明からのメッセージを過剰なまでに深読みし、勝手に殴られて勝手に死にかけていた。それが私の「エヴァンゲリオン」の楽しみ方だった。
逃れられない現実を突きつけられるような演出の数々は、私のマゾヒズムを的確に刺激してくれた。
今回の「シン」も、もちろん庵野秀明に殴られる為に劇場へと足を運んだのだ。
「シン」はどんな手で私を弄んでくれるのだろうか。
しかし実際に画面へ映し出されたのは、
牧歌的な風景。Qと変わらない描写。極めつけに旧劇場版を薄めた二番煎じ。
それは主体となっている人物が碇シンジではないからだ、というのは重々承知している。
しかしそれでは物足りないのだ。
私の求めた「エヴァンゲリオン」は、答えを探して堂々巡りをし続け、答えの先に絶望を与えてくれた。
私が外に出ない理由をくれた。
これらがまぜこぜになって出来上がった「エヴァンゲリオン」が、好きだった。
「まさかエヴァンゲリオンをこんな爽やかに終えられるわけがないだろう」
そう思いながら鑑賞した。
それは思い違いだった。トウジ達だけじゃない。庵野秀明も成長していたのだ。
成長していなかったのは、私だけ。
当然だが。
そんな私を「エヴァンゲリオン」から解放する為の作品を、庵野秀明は作り上げたのだ。
違うんだ。「エヴァンゲリオン」という女王様から放たれる、一級品の鞭さばきを私はその身に受けたかった。そしてそのまま意識を失ってしまったなら、それはどんなに素晴らしい事だろう。
今作は、デコピンを額に受ける程度の威力しか秘められていない。
私を快楽へと導いてくれたエヴァンゲリオンは、一体どこへ行ってしまったんだ。
単に
「光落ちはハグでもスタプリでもやってるし恋愛ネタはハピチャでコケたし終盤での幹部浄化ネタはドキプリの二番煎じか、っていうかコロナで時間ねえわ(本音)」
な雑展開を
「救済しないプリキュア!新しい!(建前)」
って子供置いてけぼりで褒めそやしてるのが気に食わねえ
っていうか「最近のニチアサはポリコレ対応!新しい!」って褒め称えてる層とそれに嬉々として乗っかる広報が嫌い
プリキュアのメイン層に小難しい事なんか絶対伝わんないけど成長してふと気付けるぐらい印象深いコンテンツ作りたいなら今の毎年新作出すようなマラソン体制じゃ無理でしょ
正しさとは 愚かさとは
それが何か見せつけてやる
気づいたら大規模になっていた
持ち合わせる訳もなく
でも予算足りない 人手足りない
困っちまうこれは誰かのせい
あてもなくただ混乱するPJ
それもそっか
はぁ?うっせぇうっせぇうっせぇわ
嗚呼よく似合う
うっせぇうっせぇうっせぇわ
土日も出勤するので問題はナシ
つっても私模範人間
殴ったりするのはノーセンキュー
その頭に突き付けて撃てば
マジヤバない?辞めれやしない
不平不満垂れて成れの果て
クソだりぃな
手が空いたメンバーは直ぐに割り当てなさい
はぁ?うっせぇうっせぇうっせぇわ
もう見飽きたわ
うっせぇうっせぇうっせぇわ
うっせぇうっせぇうっせぇわ
うっせぇうっせぇうっせぇわ
私が俗に言う底辺です
うっせぇうっせぇうっせぇわ
何回聞かせるんだその武勇伝
うっせぇうっせぇうっせぇわ
元請けも大概だけど
陰湿なの嫌い。
例えばモテない高校生女子を主人公にした「わたモテ」は初期はきつい自虐ギャグと陰湿多めの作風だったが、
途中から陰湿さは消えて陰キャとなった。この変化の違いが判る人にはこの話は分かると思う。
明るい=パリピ=自分に攻撃してきたり疎外してくる悪、という構図がオタク作品には一部見られる。オタクくんに優しい黒ギャルは存在する。
これはオタク作者が実生活で受けてきた体験をもとに創作しているせいだと思われる。
要するにクラスの陽キャにいじめられた体験から明るく活動的なやつは無能で、寡黙な自分のような陰キャは隠れた実力者である、という構図を描きたがる。
実際はコミュニケーションを拒否する作者のほうがクラスの中では圧倒的に無能である。
単にコミュニケーション障害を抱えていることからくる疎外を、自身が問題である状況を他人に擦り付けているだけである。
作中キャラは基本的なホウレンソウはおろか、お互いが和解するような着地点もなく、相手を言い負かしたりマウントを取る関係性しか書けていない。
これは作者にとっての人間関係が自分に服従するお母さんか、言い負かされたり疎外されてマウントを取られた(と感じた)自分のような人間関係しか持っていないことが原因だ。
お互い対等な立場でお互いが納得のいく妥協案に着地した経験がないので、話し合いで円満に解決する方法も経験も知らないわけだ。
陽キャからされてきた力による支配を嫌っておきながら、理想のフィクションの世界では自分が他者にやりたがってる。
いじめっこを集めたクラスでもまたいじめが起きるというのは人間関係をマウントを取る取られるでしか築けなかったのが原因だというのも頷ける。
「いじめそのものが嫌い」な僕にとってはいじめから逃げたいのに、フィクションで主人公がいじめっこになっているのを楽しめるはずがない。
いじめられた経験のある作者がいじめられた経験のある読者に向けて成り上がり系作品でざまぁw展開をかいてそれにオタクたちが感涙する。
いじめ自体が嫌いな自分はこのムーブに全然乗れないわけである。
オタクがオタク向け作品を描こうとするたびに似たような作品ばかりになり、乗り切れない僕はサブカル離れが進んでいく。
アニメを追いきれなくなったのも二番煎じやコピー作品のせいというより、オタクが考えたオタク向け作品に「ウッ」と来たから。
自分はオタクだと思っていたけどどうやら世間のオタクたちはいじめられたら、いじめをし返したいと思ってるらしい。
いじめのない世界に行きたいのではなくていじめる側に回りたいって願う点において、相いれない趣向の違いが僕との間にできてしまった。
特に落ちもなく書き出したせいでこれ以上かくことがないが、ごちうさはとてもやさしい世界だからおすすめできます。最後の文を最初に読む人はごちうさをよろしく。