陰湿なの嫌い。
例えばモテない高校生女子を主人公にした「わたモテ」は初期はきつい自虐ギャグと陰湿多めの作風だったが、
途中から陰湿さは消えて陰キャとなった。この変化の違いが判る人にはこの話は分かると思う。
明るい=パリピ=自分に攻撃してきたり疎外してくる悪、という構図がオタク作品には一部見られる。オタクくんに優しい黒ギャルは存在する。
これはオタク作者が実生活で受けてきた体験をもとに創作しているせいだと思われる。
要するにクラスの陽キャにいじめられた体験から明るく活動的なやつは無能で、寡黙な自分のような陰キャは隠れた実力者である、という構図を描きたがる。
実際はコミュニケーションを拒否する作者のほうがクラスの中では圧倒的に無能である。
単にコミュニケーション障害を抱えていることからくる疎外を、自身が問題である状況を他人に擦り付けているだけである。
作中キャラは基本的なホウレンソウはおろか、お互いが和解するような着地点もなく、相手を言い負かしたりマウントを取る関係性しか書けていない。
これは作者にとっての人間関係が自分に服従するお母さんか、言い負かされたり疎外されてマウントを取られた(と感じた)自分のような人間関係しか持っていないことが原因だ。
お互い対等な立場でお互いが納得のいく妥協案に着地した経験がないので、話し合いで円満に解決する方法も経験も知らないわけだ。
陽キャからされてきた力による支配を嫌っておきながら、理想のフィクションの世界では自分が他者にやりたがってる。
いじめっこを集めたクラスでもまたいじめが起きるというのは人間関係をマウントを取る取られるでしか築けなかったのが原因だというのも頷ける。
「いじめそのものが嫌い」な僕にとってはいじめから逃げたいのに、フィクションで主人公がいじめっこになっているのを楽しめるはずがない。
いじめられた経験のある作者がいじめられた経験のある読者に向けて成り上がり系作品でざまぁw展開をかいてそれにオタクたちが感涙する。
いじめ自体が嫌いな自分はこのムーブに全然乗れないわけである。
オタクがオタク向け作品を描こうとするたびに似たような作品ばかりになり、乗り切れない僕はサブカル離れが進んでいく。
アニメを追いきれなくなったのも二番煎じやコピー作品のせいというより、オタクが考えたオタク向け作品に「ウッ」と来たから。
自分はオタクだと思っていたけどどうやら世間のオタクたちはいじめられたら、いじめをし返したいと思ってるらしい。
いじめのない世界に行きたいのではなくていじめる側に回りたいって願う点において、相いれない趣向の違いが僕との間にできてしまった。
特に落ちもなく書き出したせいでこれ以上かくことがないが、ごちうさはとてもやさしい世界だからおすすめできます。最後の文を最初に読む人はごちうさをよろしく。