はてなキーワード: ベクトルとは
こんなん何回も言われてることだけど、趣味が楽しめなくなったとか言う奴ってニートとか引きこもりじゃなくて、基本シングルのオッサンオバハンなんだよな。
んで、オタク趣味だろうが本人は普通に働いたりしてて、全体的にはまあ普通の社会人なわけ。
「普通の社会人」なら20代後半くらいまでは学生時代の延長線上で友達付き合いがあったりするもんだが、アラサーにもなれば友達もそれなりに結婚してたりするしアラフォーにもなればもっと結婚しててどうしても友達とちょっと疎遠になりがち。
今時、職場経由でそんなすげえプライベートでも仲良くなれる人なんて滅多にいないしね。
そうすると、それまで友達付き合いで補充していた「他人と接することで得られる刺激や安心感」が不足してくる。
だから趣味が楽しめなくなったとか言う奴ってほぼほぼ一人でできる趣味ばっかいうやん? 他人と接する機会がある趣味がアラサーになって楽しめなくなったとか書いてる増田ほぼおらんやん?
あと家庭持ちで趣味が楽しめなくなったって言うやつもおらんやん?(家事育児で趣味に時間を取れなくなったって嘆いてるやつはよくいるけど、それは悩みのベクトルが違う)
趣味が楽しめなくなったお前らは、実は人間関係に飢えてる可能性をまず疑うべきなんだよ。
だから新たな知り合い・友達を作ってそいつと付き合う時間を作れ、ていうのが答えだよ。
その具体的な手段として他人と接する趣味を始めてみるとか、例えばバーにちょくちょく行って飲み友達作ってみるとか、なんか社会人サークルに入ってみるとか、そういう話。
数か月前にそんな増田を書いた覚えがあるが、個人的にお勧めなのはアマチュアオーケストラだな。
弦楽器はむずいけど、比較的簡単な管楽器(例えばユーフォ、サックス、トランペットあたり。できればフルート。男のフルート吹きは少ないので重宝される)なら半年~1年頑張って練習すればまあ下手なりに参加を許されるくらいにはなる。
んでオケって当たり前だけど最低でも30人~40人くらいは必要なんで、人間関係に飢えることはなくなるぞ(逆に悩まされることもよくあるけどなw)
あと下世話な話として、大人になっても楽器やってるやつって男女問わず実家が割と太かったりするので、中流家庭の上または上流家庭の下くらいのお嬢さんと出会えるチャンスの場だったりもする。
自己肯定感アゲアゲ文化は労働奴隷を育てるためという指摘は正しい。
アメリカはプロテスタンティズムの影響も強く、労働を通して実力で認められ勝ち取るという価値観が異常に強い。美醜などの価値観もこの枠組に包含されている。
反動で多様性が推し進められているが、それすら「あれも美しい、これも美しい、全部美しい」というように、「美しい=善」という、強弱や善し悪しの枠組から逃れられていない。
社会のものさしに沿って自己を肯定しなければならないのは辛い。ものさしが一方向(良い悪い=強い弱い)しかないので、そこにはまらない人間は自己を卑下するか増田の言うように欺瞞的な肯定を言い聞かせるしかない。
「良い」のベクトルは一方向性で、社会に役立つかどうかという視点に貫かれているので息苦しい。みんな違ってみんないい、よりも、みんな違ってみんなだめ、という方が気は楽だ。幸福な家庭は一律で、不幸は多様だというのと似ている。だめなままでも気楽に生きられるのが本当に多様ということである。
自分はこんなにだめなところがあるが、人間くさくていいじゃないか、自分は好きだ、と開き直ると生きやすい。実際、強い人間より弱さを見せる人間の方がよほど好かれる。だめなままで、社会の基準を半分降りて生きる物語は寅さんなどに代表される。
社会のものさしは社会維持や拡大をめざす構造上それを大っぴらに許容しない。許容される必要があるだろうか?と最近思う。半径を狭くして、社会とは違うものさしを持ちたい。
なんでやおもしろいで
キャラとか世界設定とかありがちなストーリーで最強とか寿命がながいとか全部おきまりパターンでそんなとこもうどうでもええやろ
全部言いきらずわかってるみたいなモーションだして次の一手を視聴者自身にもってくる控えめな演出
これが最強なのに隠してましたでざまぁする系じゃなくて視聴者がいる前提でつっこみをさせるのを一回でおわらせず逆にコンセプトとして連続させてる根性がすごい
しょうもない、から最高のくどさや何千年生きても無感情な不自然さとかを逆にコンセプトに取り込んでるところもすごい
修行と術式開示でみたいなのがちょっとあったけど前提回収の終わり部分やで
4話いこうはおきまりの定型パターンでいったん下げてから上げるわかってるみたいな表現が多いけど特筆すべきはその評価をモブで表現しないところ
みてる客ありきとして客につっこませるのを前提に展開する演出がすごい
なかでもいったん表現と脳内の音声で視聴者がふれた情報におとものキャラが気づいていないという場面がひとつでてくる
これは一気に視聴者を最強の主人公側に引き込む演出になってるぞ
ほかにも状態や評価の表現に既存の単語を使っていないところがなかなかいい
予定調和とおきまりのキメが若干つよいがブランディングとしては申し分ないだろう
続きを、きっとみてみたまえよ
おいおい、おらのコたちよ。
リアルなことをちゃんと理解するためには、このヒルベルト空間ってヤツを理解するのがヘビーだぞ。
まず、ヒルベルト空間ってのは一体何かって?
つまり、俺たちが普段生活しているこの現実も、ヒルベルト空間上のベクトルとして表現できるんだ。
正式には、ヒルベルト空間とは、その空間が完全な計量空間である距離関数を誘導する内積を備えたベクトル空間のこと。
それぞれのベクトルは、ある状態を表してて、その状態の変化はベクトルのアクションによって示される。
だから、俺たちが経験してる現実は、実はヒルベルト空間上でのベクトルのガチンコ対決ってワケだ。
これが、量子力学の中核なんだよ。
量子力学では、パーティクルの状態をヒルベルト空間上の波動関数ってやつでフルボッコに表現する。
そして、その波動関数がどう時間と共にブンブン変わるかを計算することで、パーティクルの未来を予測できるんだ。
だから、俺たちの現実がヒルベルト空間上のベクトルってのは、俺たちのリアルが量子力学の法則にしっかりとノせられてるってワケだ。
おれたちの日々の暮らしにもビシバシ影響してくる可能性はあるけど、それでも、理解しやすくてコントロールできるリアルをくれるってわけだ。
芸人の結婚報道を見て思った。これが仮に18歳デビューしたモデルやグラドルと結婚したとか言われても「ロリコン」とか蔑まれないし「うらやましさ」のベクトルが違う。
それまで結婚や女性との付き合いにネガティブでネタにしてた男が結婚を決意する理由って相手が「子供の頃から知ってる女か(少女時代から知っている女か)」ってところにあるのだと思う。
非モテ系弱者男性は学生の時にもてなかったことがコンプレックスになっていつまでも引きずる。本来なら自分が子供の頃から一緒に成長して相手の酸いも甘いも一番知ってる「あの娘」と付き合って結ばれたかった。でもそんな娘できなかった。
だから少女の頃から一緒に仕事をして成長を見守って18歳成人するのまで人格を見極めた女との結婚というのは学生時代のリベンジにもなる。
やってることは実はそんなに複雑じゃなくて、
4. 1と2と3から、目的地は自分から見てどっちの方向にあるかを推論する
(1→2ベクトルのなす角度から角度3を引くと角度4が求まる。)
たとえば。
地図上で、現在地から見て目的地が右下にあったとします。方向は右斜め下向きの矢印です。(↘)
周りの建物の配置や道路の向きなどのランドマークから自分が今「真南」を向いていることがわかりました。方向は下向きの矢印です。(↓)
↓を基準に↘を見ると、目的地は左前方にあるとわかります。(↖)
3連休に観に行ってめちゃくちゃ面白くて、この感動を共有したい!とウキウキで出社したのにほとんど話題に出てなくてガッカリ
-1.0見ないのはもったいないぞ
VRゴーグルもジェットジャガーも出てこないから安心して見ていい
けっこう反応あったので感想を足す
↓↓↓
ネタバレあり
色々ツッコミどころ満載であるところは重々理解してるし、ゴジラシリーズってそもそもそういうもの
なのであえて良かったところだけ書きます
従来のゴジラって「なんか変な反応がある」って科学者や自衛官が気づいてそれを調べてったらゴジラいたみたいな話が多い(そもそもゴジラがいる世界の続編だったりするのもある)
そんな中で巨大化前のゴジラに襲われて生還した主人公と東京を襲うゴジラの過去の因縁と敗戦で戦力を失った日本の中でなんとか国を守ろうと立ち上がる元軍人たちの対立構造がカッコ良かった
「ゴジラと戦ったからって必ず死ぬわけじゃないんだろ?それじゃ戦争よりよっぽどいい」は名台詞だと思う
・新しいフォーマット
ゴジラが出た、日本壊滅、なんとか鎮めた。怪獣出たゴジラ出たゴジラ勝ったゴジラ帰る。のフォーマットしか無かったゴジラに戦って倒すフォーマットが追加された
シンゴジで前者(初代ゴジラ)のリメイクが成功を収めたけど、次ってもう怪獣プロレスしかねえし、ハリウッドでさんざんやったものを見せられても……と思ってたけど、まさか真正面から戦うとは
(え?夢の中で怪獣たちが大暴れ?オール怪獣大進撃見てんなら-1.0は当然面白い側に入るだろ!)
上陸の理由を明確にしなかったのも良くて、なんとなく日本に暴れにきたゴジラは飽きたら巣に帰る。「次来るときが勝負です!」なんて行動はそれがあるからできる
あとゴジラが来るのを待ち伏せて海で戦えるというのがさらに良くて、戦艦と戦闘機が活躍できた
・新しい絵
そういやシンゴジ見てええ!って思ったのもゴジラの尻尾を振るシーンを下(人間視点)から撮った絵を予告で見たからだった
視線恐怖症ってのとは違うと思う。
なぜなら、そこに隠され(ているかもしれない)た意図に怯えている訳ではないから。
こちらが接客として笑顔を見せ、それに対応して相手も笑顔をみせる。
そこにコミュニケーションを円滑にし敵対意図が無い事を表現する以外の意図など、両者にとって存在しないはずのシチュエーションで、
ぞわっと するのだ。
相手が笑顔を見せているのだから嬉しい若しくは緊張が和らぐはずなのに、脳が痺れるように騒つく。新入社員で、接客を初めてからずっとこうだ。
はじめは"嬉しい"のかな?と思っていたが、どうも嬉しい、の感情とは少し違う。ベクトルがズレている。"恐怖"には近いけどやっぱり違う。考えてみたが、本当によくわからない。わからないから"不安"の感情が湧いて来る。これは接客上のマナーである、と強く思う事で多少落ち着く事ができるけど、強い感情が脳裏にこびりつき、チリチリという刺激(目線、表情、が繰り返し再生される)が心の安定を奪い、次のタスクに集中できなくさせる。