はてなキーワード: ヒジャブとは
オタクは後天的な趣味だから、先天的で変更できないor変更困難な属性(在日、黒人、ゲイ、女性etc...)に置き換えるのは無理がある。
「オタク差別」を論じる時には「異教徒から改宗してイスラム教徒になった人への差別」が置き換えるのに適切な例だと考える。自分で選んで差別される立場になったという共通点から。
https://anond.hatelabo.jp/20211121073713
いちいち言うのも嫌だけど、オタクを在日とかと入れ替えてみてくださいよ。
在日から凶悪におぞましい犯罪者が出たら(実際出てる、当たり前)、在日全体を蔑視したり疎外したりしていいの?
(中略)
tokatongtong 先輩「俺はゲイだけどゲイは弁えるべきだし同性婚まで求めるべきではないと思う」っすかあ
「古臭い差別野郎の手垢のついた手口」を更に天丼してくるそれってなんかのギャグなんすか?
イスラム教は、開祖のムハンマドは最愛の第四婦人アイーシャが9歳の時にセックスして、聖戦で死んだ者が行く天国は処女膜が無限に再生する美少女ハーレムと描写されている。どこかの「エロゲ」か「なろう小説」かな?
コーラン他の聖典には異教徒差別、女性差別、同性愛者差別がいくらでも見つけられる。
こういうのが(旧約聖書の食事のタブーのような)古代のとっくに廃れた教義では留まらず、現代に至るまで、
「自爆すれば美少女ハーレム天国に行ける」と絶望的な生活をしているパレスチナの少年をテロリストが勧誘する文句に使われたり、
女性や異教徒を奴隷にするイスラム国やタリバンを生み出している。
フィクションと理解した上で12歳小学生アイドル催眠陵辱エロ同人誌でオナニーしているキモオタと比べて、9歳女児第四婦人セックスや異教徒性奴隷化や無限処女ハーレム天国を神聖な預言者の事績や神の言葉と本気で信仰しているイスラム教徒の方が潜在的に遥かに危険な連中であるのは間違い無い
……とイスラム教については素人の私などはついつい偏見を抱いてしまいそうになる。
しかし、だからと言って、仏教徒からイスラム教徒になった日本人に対して「このロリペド・セクシスト・ホモフォビア野郎め!」と罵倒してはならないし(たとえ彼が生まれながらの信者ではなく自分の意思で「9歳女児とセックスしたムハンマドは神の使徒なり」と改宗を誓ったとしても)、
公共の施設でイスラム文化に関する展示が行われる時に「このような女性差別・同性愛者差別の思想を公共の場で税金を使って宣伝することは許されない」などと攻撃して展示の中止を求めるのは宗教差別であろう。
我が国には信教の自由というものがあって、ペド教祖が受信した差別主義の煮凝りのような神の言葉を聖典と崇める宗教の信者が、公共の場で堂々と彼らの宗教シンボル(例えばヒジャブ、女性の隷属的地位の象徴と批判する意見もあるだろう)を表現できる(偏狭なフランスと違って礼拝所の外ではヒジャブを脱げとか日本では法規制されない)。
公共の場で児童婚をした教祖を崇めて実在の女性にヒジャブを被せるイスラム教徒を容認するほど、我々の社会は多様性を尊重するのだから、12歳の架空の偶像を陵辱するキモオタの罪の無い妄想ぐらいは容認すべきであろう。
というわけで、オタクを黒人や在日のような生来のマイノリティに例えるのは無理があるけど、イスラム教差別への反論はオタク差別への反論に使えるぞ。
それなりのサイトで女の子がハゲヅラ被ってるテーマの同人誌やサークルを探していたが結局剃髪をテーマとしたものしか見つけられなかった。
ハゲヅラというフェチには直接的にはみやこの全裸.zipによって思い当たることになった。
間接的にはフィメールマスクの着脱シーンや全身タイツ界隈にいた経験の蓄積によるものもあったかもしれない。
ハゲヅラの装着によってその娘のもつボディラインそのものの魅力を強調させ、素材の味というものをより楽しめるようにする。
シリコンの質感と地肌のおでことの絶妙な一体感。あるいは一体しきっていない感じ。
俺なら後背位だな。尻越しに頭で3つの丸み。どれも丁寧に撫でまわすんじゃ。その姿勢で少し悶えた横顔が見えるコマが一つは欲しい。
ヅラをおでこから少し持ち上げて、あるいはずらして前髪をちら見せした格好で前から突くのもいい。パンチラならぬ髪チラ流行れ流行れ(ヒジャブ界隈だとおなじみだろうけど)ここらへんはゼンタイにおいて前髪が少し出てるのを楽しんでる段階からその萌芽があっただろうな。
あるいはヅラの後ろ側から首にかけて地毛がちょろっとはみ出させるのもいい。
厚さが薄めのハゲヅラという設定で少し地毛が透けてるのもいい。
そういうのを経た後でズラを外した状態でのセックス描写というクライマックス感にこちらもドビューっといくんだよなあ。
まあそういう感じでやっぱりフェチってどんどん先鋭化してくんだよねえ。一種の通過儀礼なのかもしれない。
俺だってジャンルとして成長するように働きがけたいところだが絵心からないからどうしようもない。果報は寝て待てなんていうけど、ジャンルが確立されるなんて夢のまた夢だろうなあ…という虚しさに寄せてこの増田を残すことにする…
犬飼敦子さんは直近のインタビューで「キリスト教文化が根付いているフランスにおいては、別の宗教を基にした考え方は相入れない」と言っているのだが、この認識は平均的フランス人の感覚とはズレてると思う。フランスではライシテという強力な政教分離原則が政治システムに埋め込まれていて、これはキリスト教文化に対しても適用される。だから19世紀からカトリシズムとライシテは対立関係にあった。特にライシテが法律上重視されている公教育の場には、キリスト教であろうと何だろうと、宗教的コードを持ち込んではいけないし、宗教的標章を掲げてもいけない。
このライシテ原則が、80年代後半からイスラム教文化圏からの旧植民地移民にも適用されるようになり、イスラム文化圏の女性の多くが習慣的に身に付けているヒジャブなども(イスラム教信仰を示す宗教的標章であるとして)公教育の場で顕示してはいけないということになった。しかしイスラム教的な考え方からすれば、公教育の場であろうと何だろうと、女性は頭髪を隠すもの(目を伏せ、プライベートな部分を守り、男性を魅惑させないよう飾り立てない)ということになっていて、これを禁止するのは信仰の自由の侵害であり、信仰の自由に伴う権利としてその着用を求めている。
つまり、フランス社会・文化がイスラム教と「考え方が相容れない」根本的原因は、犬飼敦子さんの言うように「キリスト教文化が根付いているから」というよりも、少なくとも建前上は共和制以降は世俗主義・非宗教主義を強く志向していて、それがイスラム教の基本的価値観とコンフリクトしているからだ。このことを彼女が理解していないような語り方をしているので、自分はかなり驚いた。
別に反出生主義者を煽りたいとかそういうんじゃなく、人生の幸福度を決めるのは個人個人であって反出生主義者じゃないよな?って純粋に思うんだよね。
不幸な子を生み出すべきじゃないと言うけれど、不幸かどうかは子が決めることでしょ?
そもそも幸福度ってどうやって測ってるの?絶対評価?相対評価?反出生主義者は何を基準としてその子を不幸だと判定しているの?
例えばヒジャブやブルカを着用する文化圏の女性は幸福なの?不幸なの?
おそらくはてサヨの皆さんは「その女性の自由意志に基づいているのならば不幸とは言えない」って返してくれると思うんだけど、つまりこれは子が幸福かどうかを決めてるって判断で良いんだよね?
多分なんだけどさ、反出生主義って歴史的には結構古いんだけど全く議論が進んでなくて反出生主義者自身がロジックをまとめきれて無いんじゃない?
反出生主義者自身の心中では膨大な論理的矛盾を抱えている状態なんじゃない?
反出生主義者が反射的に感じた考えと、反出生主義が矛盾するみたいなこと結構あるんじゃないかと思うんだけど?
仮定の話をするけど、反出生主義者が自身の人生を不幸に思い、周囲を見渡すと不幸な子が一杯居る。不幸な子をこれ以上増やすべきでないと考えたとする。
これ完全に自分と他人の人生を主観上で判定してて客観視出来てないよね?客観的に判定できないロジックが本当に合理的なロジックだと思うの?
僕は「弱者男性」と聞くと田舎の実家で親と同居して未だに結婚してない「こどおじ」に成り果ててしまった小中高時代の友人たちを思い出す。
彼らのほとんどはちゃんと働いているものの、なにせ田舎なので低所得だろうし、何より親と同居という点で婚活市場で女性から嫌われる不利な立場にあるのは間違いない。
でも、女性の仕事の機会が「制度的」に制限されていて独身で生きていくのが今よりも難しい時代であれば、彼らの多くは結婚できていたのではないかと思う。それこそ彼らの父が見合い結婚したり、男性社員のお嫁さん候補として雇われ25歳までに寿退社することを強く望まれていた女性社員と「恋愛結婚」したりしたように。
「フェミニズム叩き」「女性叩き」で溜飲を下げても、決して「幸せにはなれない」理由
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81804?page=7
女性に比べると、男性のつらさは制度的なものというよりも実存的なものである側面が強い。たしかに男性のつらさのなかにも、再分配を手厚くするなど制度によって軽減できる種類のものもあるだろう。しかし、女性やパートナーがいないことによる孤独や承認の問題は、少なくとも近代的なルールを前提するならば、制度をどう変えても対処することは難しい。個々人が自分の人生に向きあいながら対応せざるを得ないものだ。
かつて「制度的」に就労を制限され、子産み育て機械・家事機械・農作業手伝い機械・義父母介護機械になることを強制された女性の多くが独身でも生きられる所得を手に入れ、苦しみから解放されたのは、リベラリズムやフェミニズムの偉大な勝利なのだが、
その分だけ結婚できない「こどおじ」が発生し男性の「実存的」な苦しみが増えてしまったのではないだろうか?
現代の民主国家で「近代的なルール」を引っ繰り返すというのはまず無理なんだけど(ジーンズ姿の女性達にヒジャブを強制したイラン・イスラム革命のようなものでも起こさない限り)、だとすれば「こどおじ」ができることは子供部屋から世界を呪うことだけじゃないかなあ。
行為そのものは関係なく誰かがエロいと言いはじめたらエロくなる
セパレートタイプの運動着を着て運動してるだけの女子競技がエロの目線で写真撮られただけでエロくなるのと一緒
侵害される人権は本来エロの目的で競技していたわけでもないのにエロの文脈を負わされた人間だ
まとめよう
・相撲がエロの文脈で消費された場合、対象の力士が抗議したらその文脈で語った人間は応答しなくてはいけない
・女子競技がエロの文脈で写真撮影された場合、対象の競技選手が抗議したらその文脈で語った人間は応答しなくてはいけない
・(応用編)女子競技で髪の毛をヒジャブで隠さないことがエロいと問題になった場合、対象の競技選手が「自分は自分の意思で髪の毛を見せている」と抗議したらその文脈で語った人間は応答しなくてはいけない
・BLがエロいと問題になった場合、作者がエロくない意図で描いたと抗議したのであれば問題にした人間は応答しなくてはいけない
・宇崎ちゃんがエロいと問題になった場合、宇崎ちゃん作者がその意図がなかったと抗議したのであれば問題にした人間は応答しなくてはいけない
これ以外の論争は外野の賑やかし