はてなキーワード: パージとは
突如として仁藤夢乃が温泉むすめ叩きをしたのは、室井佑月とのビーフがやや劣勢な膠着状態になってたから、その目眩ましだろ
なんで仁藤が室井佑月と対立することになったかっていうと、彼女の夫の米山隆一が政界復帰し、本多平直のパージをはじめとした昨今の立憲民主党のアイデンティティ・ポリティクスへの傾倒を批判してたからだろ
なんで室井佑月と米山隆一が出会ったかっていうと、朝も晩も右や左の旦那様とレスバしてワチャワチャしてた界隈の仲間だったからだろ
なんで新潟県知事であったはずの米山隆一がツイッターで政治レスバ魔人にならざるをえなくなったのかっていうと、女子大生とパパ活して涙ながらに辞職したからだろ。そしてこれは若い女性への性的搾取に反対する仁藤が米山を嫌うきっかけでもあった
逆だぞ
若い世代は都市偏重の歪さを分かってるから地方にスポットを当てようとしてるしご当地アニメなんかも好意的に受け取られる
年寄りを姥捨てのごとくあしらっていいかのようなネットの風潮は昭和の価値観であってダサいものと喝破されていく一方で公共政策側の老人優遇偏重は人口比からしてある程度理解は示すものの若者世代に負担をどんどん積み上げていくのを良しとする自民党的な考え方は否定されていく
障害についても同じだ、やたらに攻撃される風潮はダサいものとされていく
若者は日本を支配してきた空気の理不尽さや陰の側面をネットを通してよく観察しているしまともな形へと変えていくはずだ
現にタバコや飲みニュケーションのような害の大きかったものは影響力を失いつつある
だが露悪を吐き出し独りよがりに拗ねたい放題して新しいものを安易に全否定するお前のような短絡な思考は昭和の消し去るべき幼稚なおじさんの態度としてパージされる
GP01の名前が有名。ガンダムのOVAである0083(初代ガンダムの3年後)の主人公機。新型開発計画において初代ガンダムのネームバリューやコンセプトを図々しくも借りて「ガンダム開発計画」と名付けたプロジェクトの1号機。ガンダムだ。
ガンダムシリーズの2作目。古い。
作品ごとに新型が登場し大抵の場合はその中に1体はガンダムがいる。つまり作品の数だけガンダムが増えると言っていい。ただし「多くのものが知らないモブ兵士達による戦い」が舞台だと主人公機がジムタイプだったりする。
ガンダムの量産型廉価版。ガンダム開発時の歩留まりたパーツをかき集めて作った一級品のパチモノ。陸上でしか戦えない上にコアファイターで脱出も出来ない。ジムよりは遥かに強いが使ってるパーツが規格落ちなのでガンダムには劣る。兄より劣る不出来な弟というだけでガンダムだ。
セガサターンのゲームの主人公機。陸戦型ガンダムをベースにした改造機。当然陸戦型ガンダムよりは強い。特殊システムを搭載する関係上頭部パーツが一新され、アンテナのないジムっぽい外見になってしまっている。青いジムと呼ばれれることも多いが、ガンダムだ。
OVA08小隊の主人公機。元は陸戦型ガンダムだったが、一度大破したあとにジャンクパーツやジムのパーツを組み合わせて大幅改修された。Vアンテナをへし折られた代わりにつけたアンテナのせいでこちらもちょっとジムっぽい頭にされてしまっているが、ガンダムだ。
Zガンダムに登場するリック・ディアス(γガンダム)。上記のガンダム開発計画で得た技術を基に開発され、素材にはガンダリムγなるガンダリウム合金のパチモノを使って作られたMS。γガンダムという名前であっがパイロットであるシャア(クワトロ)が別の名前にしろと要望したことでリック・ディアスと改名された。元々ガンダムなのだから当然のようにガンダムだ。
閃光のハサウェイに登場するライバル機体。主人公機Ξ(クスィー)ガンダムの兄弟機。原作の小説では必死にガンダムでないことをアピールしていたが、いつの間にかオデュッセウスガンダムなるガンダムがペーネロペーユニットを装備した機体という設定になった。こうなってはもうガンダムだ。
閃光のハサウェイの主人公機。「Ξガンダム」の読み方はクスィーガンダムとされるのが一般的だが、映画のハサウェイの発音だと「クシー」である。ただ「Ξ」を変換したいだけなら「くさい」と打つのが一番楽。くさいガンダム。ペーネロペーと違いこちらは最初からガンダムだ。
Ξガンダムのパイロットであるハサウェイ・ノアはブライト・ノアの息子。一年戦争の出世頭の息子という立場でスクスク育ち、悪名高きカツ・コバヤシに匹敵する調子こき男となる。今では立派なテロリスト。親の七光りが強すぎると人間歪むものである。決め台詞は「人の犯した過ちはマフティーが粛清する!」
なまじ知識があると「フルアーマーダブルゼータ」と呼んでしまうのだが、これで「ファッツ」と読む。ガンプラの雑誌企画「ガンダム・センチネル」にて登場。外見はほぼ白一色のフルアーマーZZ。ただし装甲はパージ出来ない上に色々とお安く作られており変形も出来なかったりと色々劣る。ZZのハイメガキャノンの1.5倍の強さを持つハイパーメガカノンなるクソデカ武器を持っているのが特徴だが、それを発射するだけの装置とさえ言われることも。なにより凄いのが頭にハイメガキャノンは付いているが見かけだけのダミーということ。一見するとガンダムにしか見えないコイツが実はガンダムでないというのが、ガンダム認定のややこしさを加速させる。コレジャナイ。
SEEDに登場するガンダムは起動させるとOSに「General Unilateral Neuro - link Dispersive Autonomic Maneuver」だったり「Generation Unsubdued Nuclear Drive Assault Module Complex」の当て字が表示される。これが表示されるかどうかがSEEDにおけるガンダムかどうかの切り分けである。外伝に登場するスターゲイザーは名前こそガンダムではないがOSには「Guider UNmanned Deployment Autonomic Manipulation」が表示される。ガンダムだ。
「目が2つついててアンテナはえてりゃマスコミがみんなガンダムにしちまうのさ!」というセリフがクロスボーンの作中にある。初代ガンダムの角がアニメでは白なのに、何故か黄色く塗られていることが多いというネタも混じっていると思われる。どっちが正解なのかについては「最新の映像作品が正史」というルールに従うの無難。
最新作「水星の魔女」のヒロインの父親。自分の都合で「ガンダムだ」「ガンダムではない」を使い分けるとされる。この増田のような話題になったら「ガンダムだ」「あれはガンダムではない」をとりあえず言ってみよう。面倒くさい人達が早口で解説してくれるかも知れないぞ。
劇場版ガンダムWエンドレスワルツの名台詞「五飛、教えてくれ……俺たちはあと何人殺せばいい?俺はあと何回、あの子とあの子犬を殺せばいいんだ……ゼロは俺に何も言ってはくれない……教えてくれ、五飛!」が混じっている。ゼロはウィングガンダムゼロのこと。ちなみにガンプラやゲームでよく登場するウィングガンダムゼロカスタムという機体は存在せず、プラモやゲームで利便性のために使われている「あだ名」のようなものである。劇場版のウィングガンダムゼロはアニメ版のウィングガンダムゼロと「設定上」同じ機体なのだ。あくまでカメラ映りが滅茶苦茶よくなりすぎてベツモノに見えるだけの同じ機体である。「再現VTRにおける演技者が違っても歴史上の事実は変わらない」といった解説がよくされる。平行世界のガンダムWではストーリー全く一緒だけどガンダムに羽が生えているんだなと理解しよう。まあ漫画でいつの間にかキャラの体が伸び縮みしても体重・身長の設定は変わらなかったりするし創作物はそういうもんだよ。ガンダム認定もそういうもんだよ。
勝手に期待しといて勝手にガッカリするのおかしいけどう〜〜ん・・・
語彙力・リズム感・構成力がめちゃ高だが、常識に分類される知識をすべてパージするギャングスタラッパーもといネットラッパーは以前も書いたが、
今回は別の方
語彙力・リズム感・表現力がめちゃ高で随所に本が好きなんだなぁ感があり純文学アピールもするが、
・・・い〜や・・・どうしたって、そ〜はならんやろ、みたいな・・・
おそらく、この方は文体模写もめちゃくちゃ得意なはずで、萌えオタクなら必ず一度は目にする某作家とぶっちゃけ少し似ている
ただ軽快さは遥かにこの方の方が上で、クリアボイスの歌手が唄うようにスムーズに言葉が入ってくる
『え?今なんて言った?』と全くならない
おそらく、相当、幅広い分野の本を読まれていると思うのだが・・・・まぁ殆どのお話には大抵お約束があるよね?
だいたいログラインで興味を引くような展開になっているわけなのだけど・・・何故それを・・・全無視・・・なのか?
これが、読者に好かれる人物にする法則さえもブン投げていれば、逆に、『そうなんだ』って腹落ちするが、何故かそこだけはぶん投げていない
合わない人は合わない川端康成(ワイは好き)みたいな淡々とした話でも、欧州の監督が撮りそうな何も起きないノンフィクション風の体裁の映画みたいな話でも、
プログレみたいな実験的な話では無いのだわ・・・いや・・・強いて言えば、ボカロの曲でありそうか・・・?
でもよくよく考えるまでもなく、ワイくんもそこそこさまざまなコンテンツに触れておきながら、比喩ではないガチうんこばかり捻り出しているので、
な、無邪気に自分が他人をパージする側だと思ってるだろ?席を譲るでも己を顧みるでもなくクビがまっさきに来る、それが驕りということです
アホには難しいかな
運がほしいなあ
おれもなあ
推すというのはアーティストの価値観に共感するからで推すのであり、
まぁ推すことは微塵もできないが(当然、義務教育が怪しいレベルのストーリーになってる)
漫画は構成要素が多いので、テキスト内容・舞台装置・小物・ストリートにドン引きつつも、
けど小説は文字だけだからな。ドン引くほどに常識が無いともうそこで世界に入り込めなくなってしまう
漫画の方は商業でも義務教育レベルが怪しい人が大作家やってたり、無限にちょっとアレな方はいらっしゃるが、
小説の方は商業だと『なろう』でもあまりいない(怪しい人もいるにはいるが、多くはご都合で浅いだけ)
個人的にはそりゃそうだろうよと思う
小説書きにそこそこの筆力がある場合、そこそこ本を読んでいるはずである
だからこそ、語彙力・表現力・リズム感・構成力を得ているはずで、常識的な知識を得る機会は無限にあったはずである
稲作があるから水生環境ができてオタマジャクシも大量に生まれて生きれれれるじゃん
なんでしぬほうにフォーカスしてんだ
畜生に権利なんてものはないし、だから倫理規範として賛同できない
差別主義者がすみ分けていこうという理屈は通る。現実では差別主義者はあらゆる場所からパージされ白眼視されるだけであるが、それを受け入れるのなら勝手に差別すればいいしそうして住みわけは進む
植物自体が苦しむのか否かというより、稲作をする最中にオタマジャクシ等が確実に死んでいることについては?命の選別だよね
畜生は一切なんの権利も有してないし、だから人間のエゴで畜生の命を自由に消費する権利がある、というスタンスの方が一貫性がある
ハートマン軍曹みたいなもんだよ
畜生に権利なんてものはないし、だから倫理規範として賛同できない
差別主義者がすみ分けていこうという理屈は通る。現実では差別主義者はあらゆる場所からパージされ白眼視されるだけであるが、それを受け入れるのなら勝手に差別すればいいしそうして住みわけは進む
植物自体が苦しむのか否かというより、稲作をする最中にオタマジャクシ等が確実に死んでいることについては?命の選別だよね
畜生は一切なんの権利も有してないし、だから人間のエゴで畜生の命を自由に消費する権利がある、というスタンスの方が一貫性がある
ハートマン軍曹みたいなもんだよ