はてなキーワード: ドライバーとは
私が新宿でデリヘル嬢やってたときは、店長やドライバーから「ホストに貢ぐのだけはやめろよ」って言われてたんだけどなー。本番無しの店だったからかな。
でももう16年くらい前だ。
(時の流れ早っ!)
当時は、歌舞伎町の辺りを一人でぶらぶらしてると、昼間なのに黒いスーツ着た童顔な若い男の集団に捕まって、どっかに連れ去られそうになった。誰も助けてくれないから、頑張って自力で逃げた。奴らが若い女捕まえてどこに連れて行こうとしていたのかは知らん。
ハロはご存知?
しかしですねレース用の車ってのは屋根がない車もたくさんあるんです。
Formula-1とかって知ってますかね?
ああいう車。屋根がなくてドライバーの頭部が外へとむき出しとなっている車。
そういう車、当たり前なんですが屋根がないのでドライバーの頭部へものが飛んできたら直撃します。
もちろんヘルメットはかぶっていますがヘルメットでは防ぎきれない衝撃は多々あるわけで。
大昔によくあったのはレース中のクラッシュでタイヤが飛んでくる、とかですね。
それによる死亡事故も昔はしばしば起こっていました。
あとレースの車って軽いから衝撃で浮き上がったりするんですね。
そういう飛んだ車が運悪くドライバーの頭部へと突撃してくパターンなんかもあります。
だから割と昔からこれは危険だから保護装置をドライバーの頭部を守るフレームのようなものをつけねばならないでしょうと
提言はされていたわけです。
ところがこれは長きに渡り反対勢力によって保護装置の導入は見送られてきた歴史があります。
曰く、ドライバーの頭部周辺にフレームを配置したりしたらFormulaカーの見栄えが悪くなるから、Formulaカーの伝統に反するからってことで。
すったもんだの末にハロが導入されたときにも、かっこ悪いと一部では大不評でした。
すぐに見慣れるよ、との声も多数ありましたが、それでも皆本音では格好悪いよね安全には変えれないけど、と思ってました。
とはいえとはいえ、ハロが導入されてからの数々のクラッシュでハロの有効性が証明されます。
レース中に浮き上がったマシンのタイヤがドライバーの頭部めがけて落下する、なんて場面でも
ちなみにハロの強度はロンドンの2階建てバスが落下してきても耐えうる強度らしいです。
あとレース中のマシントラブルでちょっと考えられないような角度、猛スピードでガートレールへと車が突進したときにも
車が衝撃吸収構造により文字通りバラバラになりつつガードレールを歪めながら車が突き刺さった際にも
ハロのおかげでドライバーの生存空間が確保されたおかげで死ななかったねということが起こったり、
そういう事例に枚挙にいとまがないです。
張り詰めたレースが続いている。
当たり前のように年間チャンピオンを確定する、
という展開になりやすいのだ。
とくにFormula-1ではここ数年はハミルトンと
ひたすら自分との戦いを続けていた。
そこにまさかというか予想外というか
このようなライバル争いは本当に久しぶりで
いつ以来のこととなるのか
我々の世代だとアイルトン・セナとアラン・プロストとの争いが昨日のことのように思い出せるほど
鮮烈に記憶に残っているのだが、
あるいはそれ以来、とも思わせられる
あまり注目されることのない
こういった力の拮抗が見られるというのは
興味があった勢には
今からでも十分に間に合うと思うので
世紀の対決に是非注目して欲しいと思う。
若い者には80-90年代の実態が何も伝わってない様で 「免許持ってるだけで半年勤め上げれば月給50万になる時代」 みたいなブコメを見て乾いた笑いが出た。
佐川は自分が求めればどこまでも過重労働を選択できて働いた分はちゃんと払ったので、ドライバーによっては月に百万稼いだ、なんて話も伝わってくるくらいだが、余りにきつくて若い盛りでも体力が保たないので、佐川で集中的に稼いで自分のトラックを買い、独立するって道筋が多かったのよね。 どん底不景気じゃなかったからって免許持ってるだけでそんなに稼げるほど甘くもなかったのよ。 労基法もへったくれもないオペレーションが普通に行われてた時代でもあったのでな。
まあそれでも「仕事は十分にあった」「働いた分はきちんと支払われた」時代ではあったから、どちらも労働者から取り上げられてしまった現代よりもマシな世界だったとは言えるだろうな。
自転車のマナーや走行環境の問題、自転車に対する自動車ドライバーの悪質行為などは散々言われてる事なので割愛する
それらとは別に自転車が車道を走る上で重要なのに、無視されがちな問題が一つある
自動車の免許を持ってる人間なら勉強した事があるであろう自転車の手信号だが、目にする機会が少ないせいで大抵のドライバーはさっぱり忘れている
この様な状況にしてしまった責任は手信号をほとんど出さない(知らない自転車乗りも多い)自転車側にもある
だが例えば三叉路などの場合、手信号で自転車側が進行方向を示さないと危険なケースがある
自転車側がきちんと手信号を出しても自動車側が理解できていないと、自動車側からは自転車側が突然進路を変更した様に見えてしまうのだ
そればかりか手信号をただの危険な片手運転と誤認して「マナーの悪い自転車乗り」扱いするドライバーまでいる
これに対して「自転車にも方向指示器(ウィンカー)を付ければ良い」という意見がある
自転車用のウインカーもあるにはある(ちなみにブレーキランプ的なものもある)
夜間であれば十分な視認性があり、自動車側がそれをウインカーとして認識してくれれば有用なアイテムと言えるだろう
ただ昼間にウインカーとしての役割を期待するには甚だ心もとない
また自転車には視認性の良いウインカーの設置箇所が限られるという問題もある
そして視認性の良い箇所は往々にして破損しやすい箇所でもあるのだ
また自転車用ウインカーの価格も考慮すると、自転車にウインカーを装着させるよりも手信号の徹底を図った方が確実だと思う
これは個人的な意見になるのだが、自転車乗りの意識向上には手信号の徹底が非常に重要だと考えている
自分の意図を示す事と相手の意図を確認する事、その上で互いに譲り合って安全を確保する事が運転をする上で最も重要な事だ
今の自転車乗りは自動車側の意図を確認しようとする事はあっても、自分の意図を示すという事が極端に少ない
自分の意図を示す機会が無いから、多くの自転車乗りが自身の行いに対して無責任になりがちなのだと思うのだ
自転車は軽車両であり、軽車両はれっきとした車両で、道路を走る上で車両には守るべき義務が多々存在する
そして義務が存在するという事は同時に権利も発生するという事なのだ
自転車が優先されるべき状況ならば、相手が大型トラックだろうが路線バスだろうが警察車両だろうが優先されるべきだ
安全に車道を走行する権利があるからこそ、それを守る為に自転車に乗るための義務が生じる
「自転車には車道を走行する上で様々な義務がある」「だが自動車の走行に不都合なので自転車に安全に車道を走行する権利は与えない」
これでは上手くいくはずがない
自転車が車道を安全に走行し、その権利を守る為に様々な義務を守る
権利を守る為に義務を果たさない者を警察が取り締まり、適切な罰則を与える
そんな当たり前の環境を整え直す為に、手始めとして自転車乗りの手信号の徹底とドライバーの手信号の尊重が重要なのだと俺は考えている
社会人デビューして2年目に先輩からクラブセットを譲ってもらって20年弱 スコアが万年140台という残念なゴルフ人生を歩んできた
正直 付き合いでゴルフに参加してたけど 楽しいと思ったことはあまり無かった 週末の時間を潰し 安くないプレー費を払い
良く分からないオリンピックなる競技にも参加させられカネを巻き上げられる始末
周りからはゴルフの下手さをいじられるも 流石に後輩からも白い目で見られ これはマズイと一念発起
道具が変わればゴルフが変わる と勝手に考え Golf5で店員のお姉ちゃんに言われるがままにタイトリストのドライバーを買うも
全く当たらず・飛ばず ゴルフは道具だけじゃない 基礎が大切だ と痛感し 20年前に買ったゴルフ教本を再び手にして読むも
でも20年前にはメジャーではなかった Youtube が俺のゴルフ道を救ってくれた
ゴルフの基礎の基礎 たとえばグリップの握り方 立ち位置 構え方 ゴルフの教本ではイマイチわかりずらかった事が
Youtubeの動画ならとても分かりやすく解説してくれる Youtube で理屈を学んだら 練習場で実践 そうすると 僅かではあるけど
成果が出てくる
ゴルフクラブは腕でしか振ってなかったのを 腰や下半身を使って振るようにしたら スライスしか出なかった球筋が 真っすぐ もしくは
フックするようになった スライスが酷くて ゴルフ場では左を向いて球を打っていた俺にとっては これだけでも大進歩
そんな成果が出てくると 色々な点が気になって 更にゴルフの Youtube を見て ワクワクしながら練習場で実践してみる 正直
全然成果が出ないこともあるけど 140台 のスコアを叩き出していた頃と比べればショット時に乾いた打音が出るようになり
空振りばかりだったドライバーも 多少左右に曲がりながらも200y位飛んでくれるようになった
こうなってくると 正直 楽しくてしょうがない
今までは ゴルフ選手のツアー中継なんて 全く見る気もしなかったけど 今では 『腰はどうやって回してるのかな?』 とか
国外ではもう議論が始まっているけど、就職・就学できない、留学できない・イベントに参加できないなどの社会的不利益が、ワクチン非接種者に対し発生するのはそんな遠くない未来に現実になると思う。
また、軽症でも後遺症として集中力の低下などが指摘されていて、容易に学業不振につながりかねない。
それに加えて、自分が感染ドライバーになることで周囲(両親等の家族)に感染を生んで死者や長期的肺障害が出たら、それに伴って若者自身が経済的弱者に陥ることは十分にありうる。
不利益を知ってワクチンを打たない選択は全然ありだと思うし、そういう不利益を若者に与えないのが社会の役割だとも思うが、現実はどうなんだろうね?
そして、ここに溜まった「煤(すす)」を排除する作業、通称「すす焼き」をしないとフィルターが詰まり、エンジントラブルが起きてしまうのだが、その際、ドライバーがしてはならないのが「エンジンを切る」ことなのだ。
つまり大きく言い換えれば、「環境のためがゆえのアイドリング」なわけなのだが、こうした裏事情を知らない世間からは、「今すぐエンジンを切れ」などといった声が投げられることもある。
https://news.yahoo.co.jp/byline/hashimotoaiki/20210820-00254074
ドライバーやレンチを使って組み立てた自動車だって、自動運転に先進的なソフトウェア技術が使われていれば「先進的なソフトウェア技術によって提供された」と言って良いと思うので、特におかしいところは無いのでは。
日曜日の早朝、授業のために大学へ向かっていると、女子寮から女性たちが駆け出してきた。
何があったのか尋ねると、タリバンがカブールに到着したので警察が避難するよう言っている、ブルカを着ていない女性は殴られるのだと言う。
私たちは家に帰りたかったが、公共交通機関は使えなかった。女性を乗せたことの責任を負いたくないからと、ドライバーたちが乗せてくれないからだ。
寮で生活していた女性たちからすれば、さらに悲惨だ。彼女たちはカブール外の土地から来ていたので、どこへ向かえばいいのかもわからず、怖がり、混乱していた。
一方で周囲に立っていた男たちは、少女や女性たちをバカにしてその恐怖を笑っていた。
「ブルカを着てこいよ」とある男は言った。またある男は「お前たちが路上に出るのは今日が最後だ」と言い、さらに「1日でお前らの4人を娶ってやる」と言う男もいた。
周りを見渡せば女性たちの恐怖に怯えた顔と、女性を憎み、そして女性が教育を受け、働き、自由を得ることを否定する男たちの醜い顔ばかりが目に入る。
私が何よりショックを受けたのは、楽しそうに女性をバカにしている者たちの姿だ。彼らは私たちの側ではなくタリバンの側に立ち、その力をさらに強大化させている。