はてなキーワード: イコールとは
「反社会的勢力」だろ>これ
わかりづらいかもしれんけど、反社会的勢力は法律上の暴力団員とイコールなんや。
その暴力団員は法律上どこの組の構成員なら暴力団員って決められてるんや。もちろん警察は全員の名簿持ってるぞ。
でも、その線が暴力団員以外でも引かれる可能性がある/現在の暴力団員でも反社にならない可能性がある ってどういうことかってのが重要なんやな。
暴力団員をお店からはじき出すのは合法だった。しかし、暴力団員でも反社ではない人をお店からはじき出してしまったらどうなる?
はじき出された「反社ではない」暴力団員はどういう行動に移ると思う?
それがこっから先の日本社会の経済活動全般にかかってくる可能性があるってことなんやで。
怖いだろう? 怖いぜ?
現代ビジネスの記事 「負の性欲」はなぜバズったのか? そのヤバすぎる「本当の意味」(御田寺 圭)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/69024
について、読んでいて多少飛躍があるなと思ったところ、疑問が残るところ、検討したいところを引用しコメントをつけています。Twitterでやろうと思ったけど長くてむりだった。
【オスの性欲は「交渉権の行使」であるのに対して、メスの性欲は「拒否権の行使」であるともいえる。
積極的・能動的にパートナーを探し、あわよくば複数のメスとたくさんの子孫を残そうとするオスと、受動的・消極的にパートナーを選ぶことで子孫の生存確率を高めようとするメス──前者の行動を「正」の性欲に基づく行動とするならば、後者の行動はまさしく「負」の性欲に基づく行動といえる。 】
→筆者はこれが負の性欲の定義としている。受動的・消極的が「負」というのはなぜ?
→そもそもパートナー選びは非常に能動的な行動では? メスはオスを選んでいる。「選択権の行使」ではないか?
→これは人から聞いたのだが生態学や進化心理学には「正」「負」という概念はないのだそう。あるのは適応度。優劣を持ち出しているのはスペンサーの社会進化論(適者生存)で批判されている――とのこと(この辺は自分は不勉強)。
【異性に「生理的嫌悪感」を内心で抱くぶんには自由である。しかしそこを踏み越えて「キモい」「消えろ」「ゴキブリ」「ウイルス」などと対象に言明することは侮辱・侮蔑であり、まぎれもなく加害性のともなう行為である。】
→「拒否権の行使」は「キモい」「消えろ」「ゴキブリ」「ウイルス」と言うことを示しているのか?
→「拒否権を行使」することと、「キモい」という言葉をもって相手を拒絶することは、イコールではないのでは? 相手を選ぶ権利は誰にでもあるが、選ぶ際に相手を加害する権利はない、という主張には納得する。
→どれくらい「キモい」って拒絶されているの? その拒絶の仕方は女性特有なの?(これは後段にもあるが、男性が女性を「キモい」「ブス」といって振るケースもたくさんある。ならばこれはオス・メスに分けて考えるべき問題なのか?)
【「異性に対する加害性をもつのは男性だけではない」──とする、いわゆる「反転可能性テスト」のひとつである。】
→ここは同意です。
【性淘汰はホモサピエンスにも働いていることについて】
→そう。ただ、動物よりも淘汰が働くスピードは遅いのでは。また文化が変化しているため、なんの特質が評価されているのかはわからない
→性淘汰=「負の性欲」なのか?(ではなくない?) むしろこの原稿の主題は「負の性欲」から発生する「キモ」言説の加害性ではないか?
【人びとは「新自由主義的」なパートナーシップ市場で「よりよい相手」を巡って際限のないえり好みを続けている。厳選すれば厳選するほどに、よりよい相手と巡り合える可能性が高まるのだ。つまり「負の性欲」の効用が最大化される時代である。】
→これは効用は最大化されない。なぜなら男性は女性を年齢で選ぶ傾向があるため、厳選すれば厳選するほどに(=時間がかかればかかるほど)よりよい男性が遠ざかっていく。そのため女性はどこかで妥協せざるをえない。妥協しない場合、「よりよい相手」すら出会うことはできない。ちなみにこの「新自由主義的な市場における際限ないえり好み」は女性だけの問題ではない。この文章は男性側の方がむしろ当てはまる(なぜなら男性のほうが年齢による減点がゆるやかで年収の上昇のほうが効果的な段階があるため。一定までいくと年齢による大きな減点が発生することがほとんどだが、女性の方がその影響の発生がはやい)。
【「自分に接近し、性的にアプローチしてきた男性を拒否(厳選)する」という枠を超えて、特にSNS上では「自分に向けられているわけでもない、無関係な他人の性欲を発見したさいに、まるで自分のことのように被害者意識を持ち、これを断罪しようとする過剰反応」が頻繁に起きている。それこそが、「負の性欲」が問題化される局面である。】
→「頻繁に起きている」データがない文章。「それこそが」~とあるが、「自分に向けられているわけでもない、無関係な他人の性欲を発見したさいに、まるで自分のことのように被害者意識を持ち、これを断罪しようとする過剰反応」というより、筆者は「キモいと言うことの加害性」一本でいったほうが筋は通っているのでは。
【先日SNSユーザーたちが、ネットの片隅で「10代20代と結婚したい」と望み活動する40代男性に対して、「キモい」「加害者」という非難のニュアンスを多分に含んだコメントスクラムを炸裂させたことは、自他の境界を見失わせる「負の性欲」の暴走を如実に示す実例だったといえるだろう。】
→例えばこれが、18歳の子供をもつ40歳の母の発言だったとしたら筆者は「負の性欲」という表現を使うだろうか?(※でもこれはちょっと家父長制的な考え方だからこの問いかけは危険な部分をはらんでいる)
【現代社会はふたたび「一夫多妻制」への道を歩もうとしているのかもしれない。「キモい」存在は排除してもよいという「先進的な倫理観」に基礎付けられた、新たな一夫多妻制──すなわち、一生のあいだに多数の女性と性的関係をもつ男性たちと、一生生殖の機会が得られない男性たちに分かれる「非同期型一夫多妻制」の実現へと。】
→すごい飛躍であるのでこれ以降は特に読まなくていいかなという感じ。ただ一人の男性が複数回結婚している(再婚)疑似一夫多妻は現在の日本でも存在している(でもこれって近年増えているものなんだっけ? その辺のデータはどっかで見たことがある気もする)。SF的なIFを許容して話を進めると、現代は避妊技術が向上しており、アルファ男性といえども複数人女性とその子供を養うお金は十分ではないので、子どもは「正妻」しか持てないくらいの数に減り、社会は崩壊する。ヤッター!
最近なにか二次元の女が露出したり必要以上の巨乳になったとき、すぐ「女性蔑視」だの言う奴がいるだろう。
何故なら女である自分が蔑視とかなんだとは思わず、その二次元を楽しんでいるからである。
最近流行りに乗じて鬼滅の刃を読み始めたが、例えばあのいかにもお色気女子っていう恋柱の子がいるだろう。
あれなんか大好きだ。
ただ現実にあの女がいたとしたら間違いなく確実に、ドン引きする。そもそもあんな女はいない。
このように二次元にいれば好きですらあるのに、もし三次元に同じものが居たら受け付けない。こういうキャラクターは多い。
勿論これは女性キャラクターに限らず、男性キャラクターも同様だ。
特に女性をターゲットにした作品であればあるほど、男性像はフィクションに近づいていき「こんな男はいない」になってくる。
自分は物心ついたころからそこに既に二次元があった世代だ。テレビをつければ何かしらのアニメは放送していた。
そんなアニメネイティブな世代だからこそ、二次元と三次元が全く別物である事を理解している、いやせざるを得なかった。
ソースが周囲だが、アニメネイティブ世代はかなりの割合一度はアニメの登場人物に憧れた経験がある。
プリキュアや仮面ライダーに変身してみたかった。遊戯王のカードでモンスターを召喚してみたかった。ポケモンを携えて旅をしてみたかった。
少女漫画みたいな恋をしてみたかった。少年漫画の特殊組織の一員になり厨二な武器を持って夜を駆け抜けてみたかった。
しかしどこかの段階でそれが現実で出来ない事に気が付くか、あるいは実際に起こったところでそれ程良いものかどうかの疑問に直面する。
二次元と三次元は違うものなのだ。神の視点から見ているだけで、実際の世界と重なる事はない。
冒頭の女性蔑視の話に戻る。
フィクションの女性が三次元の女性蔑視と結びつく、まず二次元と三次元を混同する事が、自分には感覚的に理解できないのだ。
現実に程近い所にあるフィクションばかりを見ているという事なのだろうか。
それともドラマのような恋が現実的ではない事にまだ気付いていないのか。
フィクション女性が巨乳であるとき、何故現実の女性は傷付かなくてはならないのか?
同じ女に歩くポルノとしてラベリングされるのだろうか。それこそ失礼では?
そこに自分のコンプレックスや胸に対して何か言われた過去のエピソードは、本当に計算に挟まっていないか?
自分も女性なので、男性からの加害を気に掛けるのはとてもよく理解できる。
でもそもそも「フィクション女性を性的に消費している男性」と「性犯罪など実際に危害を加えてくる男性」は本当にイコールだろうか?
被る事はあるかもしれないが、イコールではないと思う。
むしろ現実に行えない事の捌け口として、フィクション女性が実被害の身代わりになってくれている事はないだろうか?
二次元にしか興味のないオタクであれば、それとどこもかしこも全く違う三次元の女性に同じ事をしたいものだろうか。
長々と御託を述べたが、結局言いたかったのは「てめーらは二次元と三次元の区別もつかないのか」という事である。
胸が大きく、非常に性的な言動をするフィクション女性がいたとして、それは一体三次元の女性のどこと重なるのだ。
もし重ねて襲ってくる馬鹿がいるのなら、まず二次元にとやかく言うよりも、そいつを捕まえて罰する方法を考える方が先ではないか。
二次元の女が好きだ。胸丸出しの明らかなお色気キャラも水着回も好きだ。
女が二次元の女を性的に消費する事は事はいけない事なのか。ちなみに同性愛者ではない。
いけない事だともし言うのであれば、フェミニズムとはそれはそれは女にとって窮屈な考え方だと思う。
本当の女性は決して男性とイコールではないことを理解してください。もっと繊細で理知的な存在なのですから。
そして(ほんのわずかな)女性主人公ものでさえ、十分にキャラクター性を書けていない。
簡潔に言えば、やっぱり「本質が書けていない」のです。題材と作者の思想、主観との乖離。非常に残念だと思います。
↑
その女性の本質なるものを見て描ける作家先生が誰なのか教えてくれたっていいじゃん
あなたの言っている要は「男性漫画家は生身の女性を理解していない」理論が正しいとしてだ
あるいは、なろう作家に限定したことではないかもしれませんが。
なろう小説を3桁ほど読ませてもらいましたが、話の巧拙に関わらず共通点が一つ。
それは女性描写の少なさ。あまりに少ないもので、ひとしきり笑ってしまいました。
確かに作中に女性キャラは登場しますが、決して彼女たちは「女性」として扱われていません。
最初のキャラクター紹介で雑な外見設定を付けられ、あとは大抵が主人公の妾になるだけ。
いくら女性とのお付き合いが日々の中でないからって、自分の理想を書いているからって、
そして書くことが苦手なので、どんどん女性の描写が減っていく。思考が単一化していく。
その様な本を若者たちに読ませたら、ああどうなることやら。考えたくもありません。
お色気・破廉恥さに拠らなくても彼女たちは描写できるはずです。思考内面を文に落とし込めるはずです。
巨乳で主人公にベタボレで優しくて才女で……ほとほと繰り返される安易な女性描写には辟易しました。
「女性」は自分で熟慮し、行動でき、なおかつ確固たる意見を発現できる、そういうものだと認識しています。
(もっとも、今あげたのは女性の一部要素であり、他にも長所はたくさんあるのですが!)
……頼みますから、もっと質感的な、深みのある「女性」を書いてください。
「女性」を書くことを忌避しているうちは、到底真の作家にはなれませんよ?
貴方達が変わり、成長できることを、そしていつかちゃんとした「女性」を書けることを、心から願っています。
おそらく「転生後女性になった主人公」を反論に挙げる方がいらっしゃると思うので、先手を打って。
彼女らは、いいえ、彼らの転生元のほとんどは男性であり、女性の皮を被ったまま男性観を振り回しているに過ぎません。
本当の女性は決して男性とイコールではないことを理解してください。もっと繊細で理知的な存在なのですから。
寂しさとか辛さとかそういう穴を他人で埋めることが恋愛だと勝手に感じている(処女、年齢イコール彼氏いないに等しい)。
信じられるのは自分だけで、自分のことが分かるのも結局自分しかいない。自分しか見えてない人間なのは重々承知である。
処女を拗らせすぎたせいか、家族や友達の延長線上に恋人がいる、とは到底思えない。
辛くて寂しかったけど家族にも友達にも言わずに、言えずに過ごしてきて、たまに相談はしてみたけどやっぱり自分で解決しなきゃだし、人なんていつ裏切るか分からないし、全部なんて話せなかった。
甘えてみたかった。
頼ってみたかった。
どうやってやるんだろう。
相手の時間を奪ってしまうのが罪悪感で、電話すら申し訳なくなる。
優しいと言われるけど、優しいってなんだろうな。
人格とか性格とか褒められるよりも見た目とか能力とかを褒められた方がまだ受け止められる。
この際、結婚するなら恋愛じゃなくてお見合い結婚とかの方が楽かも。
…けどなあ。
(最初に戻る)