「ギガンティックO.T.N」という曲をご存じだろうか。「O.T.N」は「オチン」と読む。
まずはこの動画を見てほしい。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm19532708
ニコニコ動画のアカウントを持っていない人はYouTubeでも閲覧できる。
https://www.youtube.com/watch?v=2auo4lkBvZ4
作曲が誰だの作詞が誰だの、この曲の詳細な情報などどうでもいい。ただこの曲は強烈におもしろい、それだけで十分である。
この曲は一見ブッ壊れているように見えて実は壊れていない。だから聴いていて心地良いし、何より笑えるのだ。
私はこの曲に破壊―再構成の歴史を見る。滅茶苦茶なものが作りたいと思った人が滅茶苦茶なものを作り、それでは作品として成立しないと気付いたとき、再構成が行われる。その歴史がこの作品のいたるところに垣間見ることができる。
曲の後半にセリフ朗読の部分がある。全文は以下のようになっている。
主に△○□×などで取り扱われており、男女兼用である
ありとあらゆる種類のおちんが流通してきているが
取り外し型のおちんを取り外したまま紛失するケースも少なくないため
なお、いわゆる性的な象徴としてのおちんとは全くの別物であるため注意が必要
このどうでも良さ!文章で読むとあまりのどうでもよさとつまらなさに辟易してしまうだろう。しかしオケのリズムに沿って朗読されるだけでこのどうでもいい言葉ががらっと姿を変え、まるでラップのような心地よさを伴って私たちの耳を刺激してくる。
変な理屈で勝手に想像してレッテル貼りしてるって、ここはそんなんばっかりじゃん。
さっき増田を開いて流し読みしたら、こういう思考をしてるのは痴漢だとか、DV予備軍だとか、そんな決めつけばっかりでうんざりしたわ。
あるいは「俺は今までコミュ症だコミュ症だと自分で思ってきたけれど全然甘かった、本当にマジモンのコミュ症だしそれは治らない」と思い知った話。
とても仕事のできる先輩の下に付けられた。向こうは十年のベテランで、こっちは別部署で三年ぐらいのペーペー。
俺は机にじっと座ってPCとにらめっこ的な仕事がとても好きで(ミスが多いので得意とは言えない)、人に何か頼んだり相談したりというのが苦手〜普通くらいの感じの好き度だった。
しかしその先輩の仕事ぶりを見てると、何というか、苦手とか好きとか言う前に俺の仕事は完成度がそもそもなってないというのを思い知った。
その先輩はとってもコミュ力が高い。人をイジってしかも不快にさせない、俺から見れば戦慄の才能を備えている。
そしてそれを駆使していろんな部署から情報を仕入れ、あるいは根回しし、あっちゅう間に仕事の段取りをまとめてきてしまう人である。だからクソ忙しい。
その先輩がもっと新しいことに手を広げていこうというので跡を継げと言われている。ぶっちゃけ無理なので逃げ出したい。
だってその人よその部署の人とだべってきた後で「忙しい身で無駄話してきたと思ってる?でもこれから○○の業務であそこにはお世話になるから、コミュニケーションとっとこうと思って」とか言ってるんだぜ!?
コミュニケーションってそうやって業務の必要度に基づいてあらかじめ取っとくものだったんだ!? ってなってる。今。
俺はコミュ力ってものをいざ仕事ってなったときに必要なことを説明できる能力、ってくらいにしか捉えてなかったよ。
確かにその先輩は本当にいろんな部署に話を通すのがうまくて、単に話が通りやすいとかいうレベルじゃなくて俺がちんたら説明するよりも短時間でより広範囲の部分が伝わってるって感じなんだよね。
でも無理だ。その効率を達成する土台にあのイジリとしゃべりの才能が要るのは火を見るより明らかだ。俺はそれムリ。
そもそも人をイジるのって嫌い。なぜなら俺はイジられたくないから。学生時代最終的にイジメに転化したイジリを見てきたりしたのでイジる人ってのがもう関わり合いになりたくないレベル。当たり前だがそんなんだからイジるのもイジラれるのも著しく下手。
それに業務としてのコミュニケーションってのがその先輩と俺とで定義が違いすぎる。あんな親しく楽しそうに話してて実はその陰に目的があるってのがもうなんか無理。それでいて普通に業務と直結しない感情移入とかもしてるんだよ。なんというかもう、精神構造が違いすぎて理解以前に想像もつかない。俺は情報伝達としてのコミュニケーションってレベルまでしか人とコミュニケーションが取れない。親しくなるってのはもう次元として別で逆にそこに業務が持ち込めない。先輩みたいな形のコミュ力を身につけようって気がない。異星人相手っぽい恐怖心を抱きつつさえある。
どう見てもこんな状況じゃはよ辞めんとならんのに先輩が本当に、本ッ当に忙しいので、かつ忙しい中時間を割いて俺の指導をしてくれていて、なのにこんな心境の俺が仕事ができるようにならないのでクッソイライラしていて怖いので、今日までズルズルと辞めると言えないままきてしまった。俺には適性がない、向いてないと思ってる、ということは何度か言ったけど全部なかったことにされている。
はっきり言って俺はできなさすぎてかなり詰められてるので休日の今、自室で、部屋の全てをこうして残したままiPhoneも置き去りに失踪したらどんなにステキだろうと思い始めて涙が止まらなくなっている。
落ち着くために書いた増田だけど平然とした感じのまま両目から水だけがやっぱり止まらない。外は晴れているけど外出できない。昨日仕事から戻ったあと風呂も入ってないし食器とかも洗ってない。頭が割れそうに痛くて万年床で転げ回ってるうちに寝てしまって目が覚めたらもう9時過ぎてた。9時すぎたらどこへも行けないって感覚が強い。上野公園とか散歩に行きたかった。でも涙が止まらないしどこへも行けない。
※追記4
書き始めた時点で存在している、返信が必要だと思ったブコメに対する返信
id:kusoinakakagoshima 卑怯なのはテロ行為なんですが。ムスリムの価値は豚の糞以下だよ 肥やしにもならない
はい、テロ行為はこれ以上ないほどに卑怯です。しかし、表現の自由を守るという文脈で私たちはシャルリーである、と言うのも卑劣な行為ですというのは増田を読めばお分かりいただけると思います。また、あなたの後半の発現はヘイトも同然な発言です。在日の価値は豚の糞以下と言っるのと同様です。つまり、シャルリーにように建前として宗教を批判しているのではなく、建前の時点で宗教を信じている人たちを直接的に攻撃しています。
id:sny22015 難しいな。米映画「ラリー・フリント」では目を背ける様な唾棄すべき表現であっても法の下では護られるべきという、自由を勝ち取って作られた国の理念が描かれていたが…それは自由の濫用だという非難にも首肯できる
アメリカは徹底した表現の自由の国です。あそこまでいくといっそすがすがしいなという思いがあります。ヨーロッパは、特にユダヤ人に対する抑圧の歴史から、第二次大戦後ヘイトスピーチを規制しようという機運が高まってきたので、事情はアメリカとは異なります。
id:vhthlh これフランス国内の一般人や知識人達はどう考えていたのか気になる。
フランス人の間でも前々から議論になっていました。イスラム系団体の中には裁判という言論によってカウンターを行うグループが出てきたりしていましたが、こうした流れのさなかに今回のテロ事件が起きました。恐らく今まで積み重ねてきた努力が水泡に帰してしまうことを考えると、本当にテロは許されざる行為だという思いを強くします。
id:hal9009 これに乗じてこういう統制主義者とでもいうべき規制派・自由嫌いがもっともっとヘイトスピーチとされる行為の範囲を拡大していかなければならないって言い始める機会も増えるだろうな~
表現の自由を維持するためには表現の自由をabuseする言論を一定程度は規制する必要があると考えています。
id:ayanapapa 針ネズミが腫れ物に当たったわけだからどうしようもない。ただ日本も無関係な話ではない、イスラム教徒は増えているが他の先進国と同じく疎外され殻に閉じこもる。近い将来フランスと同じ事が起こらないことを祈る。
id:cider_kondo 欧州極右の主張は「イスラムは非寛容で政教分離を認めない。西欧の価値の根源たる自由と寛容とは相容れぬ」ぐらい。セキュリティホールの一種で、イスラム側が世俗主義を導入しないと論理的解決はほぼ不可能。難しい
ブコメの字数制限があるため分かりかねるところがあるのですが、それはつまり「欧州極右の主張にも表れているように、イスラムに対して持っている問題意識はこれこれが最大にして唯一のものだが、これがセキュリティホールとなってしまっている。イスラム側がそうした問題点を解決しないと先には進めない」ということですか。つまり、イスラムの人々が社会的に疎外されてる云々というところに対する反応だということですね。しかしながら、日本における在日問題も見れば分かるように、二世、三世はほとんどその国の人間と文化的には同質です。そうした人間であっても、社会的に疎外されて、結局イスラム教にしかアイデンティティを見いだせなくなり、そしてイスラム教=私たちという図式になってしまうのです。イスラム教を否定されると、イスラム教しかすがるところがない人々にとっては、自身を否定されたも同然になります。なお、イスラム教はあなたどころか、欧州極右が考えているよりも案外柔軟な姿勢も持つ宗教です。イランのイメージを強く持ち過ぎです。バーレーンのような国では本当にイスラム教徒なのか、というくらいには緩い生活を送る人々が多くいます。
id:oktnzm シャルリーの風刺が表現の自由の枠外なら諸国の言っている表現の自由とは一体なにをさすのやらw一番守りやすいとこ守っても切り捨て行為にしかならんよ。
前者に関して、シャルリーの風刺はヘイトスピーチであるので、それを表現の自由から外すことに何が問題かよく分かりません。後半に関して、主張するところの意図が分かりかねますが、後半部は「一番守りやすい弱者であるイスラーム系移民を守ったとしてもそれは表現の自由の切り捨て行為にしかならない」ということでしょうか。でしたら、そもそも表現の自由の枠内に収まらないヘイトスピーチである以上、切り捨て行為ではないと思われます。
id:type-100 いや、正義の有無に関わらず与えられるところに、自由とか権利の価値はある。これが表現の自由に対する毀損と感じるのであれば、それはあなたが表現の自由よりも他の権利や価値観を優先しているだけの話だ。
与えられる、というか、侵害されないものとして、生まれつき保障されているというところに自由とか権利の価値があることは事実ですが、それを濫用することまでは種々の権利・自由は想定していないと考えています。つまり、他者の権利、即ち平穏無事に他者から毀損されることがないという権利を踏みにじってまで権利の濫用(ここではヘイトスピーチ)を行うことまでは許容されていないということは歴史が証明していることだと思います。なお、これは決して批判を行うことを否定している訳ではないことを付記しておきます。
id:nekora 如何なる歴史があろうと銃を乱射してはいかん。本邦国内に数十あるイスラム寺院にも本件についてどちらを支持するかの聞き取り調査と公表を急げ。
どうでもいいのですが、nekoraさんはもう同人活動を行われないのでしょうか。
id:masm これを見るに、テロは一定の成果を収めたのかな。糞言論であれ、10-0でテロリストが悪いって意思表示することは悪くないのでは?あと、「ヘイトスピーチ同然な言論」か否かを判断する十分なソースをまだ見てない。
はい、10-0でテロリストは悪いです。だからといって、あなたの言葉を借りたらヘイトスピーチも同然な糞言論も表現の自由の一環として保護することになる私たちはシャルリーである、というスローガンは非常に危ういものです。理由は既に述べてきたとおりです。
id:my_yours のっけから和訳を間違えている。
「We are 99%」に代表されるように、この手のスローガンは"私たち"という使い方をすることが多いので、Je suisではありますが、私たちと訳してしまいました。不適切なので、より原文に忠実に訳します。ご指摘ありがとうございます。
id:kappei 元記事の人もブコメで同調している人も、自由主義を理解してない。実はルソー、マルクスの系譜が日本では優勢な気がする。真理がある、と考える人たち。
すみません、何を言いたいのか、100文字という短すぎる制限では分かりかねるところがあります。申し訳ございません。
id:serio キリスト教徒が神だとしているイエス・キリストを、クルアーンで人間だと言明しているイスラームは、それ自体がヘイトスピーチなのではないか、と極論を言ってみたりする。
細かい話になってしまいますが、キリスト教徒はイエス・キリストを神である、とまでは言っていないと思うのでそのたとえの言わんとしているところが分かりません。
id:Mochimasa 『「テロ行為の是非」と「シャルリーによる風刺の是非」は全くの別物である』 それなら"Je suis charlie”は前者の文脈でテロの被害者として掲げられているのだから、後者の文脈でこれを批判するのはフェアではないのでは
それならいいのですが、表現の自由の一環としても利用されている、つまり後者の文脈でも利用されているのが問題なのです。つまり、その二つは別物なのに、スローガンにおいては前者の中に後者の視点も入れてしまっているのです。
id:homarara なんだそりゃ。誰かにとって辛い事は報道しちゃダメ、なんて縛りがあってたまるか。極論を掲載する新聞なればこそ、それを守る戦いが表現の自由を守る事になる。無難な事しか書かない新聞だけ守っても意味ないわ。
自身のアイデンティティを否定するようなヘイトスピーチは表現の自由の枠外であると考えています。「日本人は生まれながらの劣等民族であり、民族的に能無しで蛆虫で寄生虫で云々」というようなヘイトスピーチを載せる自由はどこにもないです。そして本件はイスラム教を自身のアイデンティティにせざるをえなかったにも関わらずそのイスラム教を批判されたために、先の日本人は民族的に云々と同等の効果をもたらしているのです。
id:hate_flag 苦しい生活を送っている移民が宗教に依存しているのでその宗教を批判したらテロられた、というだけのハナシじゃん。悪いのはテロであって宗教批判ではないよね。
はい、テロは圧倒的に悪いです。いや、完全にテロは悪い行為です。ですが、本件でJe suis charlieと掲げることはおかしな話なんです、というのが私の意図です。テロられたというだけの話ではありません。
id:rag_en 『「表現」の結果、とあるポジションが有利になるか不利になるかどうか』は、その「表現」の是非を決定付けません…で終了。表現規制の理由が「傷つく人が」云々な駄論の近似。「救済対象の選別」からの「聖域化」。
100字の文字制限があるからだと思うのですが、言わんとしていることが分かりかねます。申し訳ございません。
id:oldriver 思うに。(1)「テロリストにも三分の理」を全否定したい。つまり「この機にヘイトスピーチも糾弾しよう」というメッセージはNG。(2)言論の自由のコストを引き受ける覚悟表明。つまり、ヘイトは「我々」の問題である。
(1)も(2)もJe suis Charlieという標語の意図、ということですね。どちらも原理的には正しい態度ではあるように見えますが、その態度が本当に正しいものかどうかは非常に疑問なところがあるのですよ。元の増田で書きましたが、これは歴史や民族アイデンティティの問題も入った話です。そもそも、ヨーロッパではユダヤ教/ユダヤ人問題が大きなイシューになっていました。それを考えたときに、増田で書いたようなje suis charlieというスローガンの問題を掲げました。
id:sardine11 「あなたの言うことには何ひとつ賛成できないが、それを言う権利は死んでも守る」ことが言論の自由の意味であり近代社会の前提であるはず。たとえシャルリに嫌悪感を抱いても反テロ運動まで批判するのはどうなの?
反テロ運動を非難しているのではありません。反テロ運動の一環としての表現の自由の中にヘイトスピーチを行う団体名が入っていることを問題視しているのです。
id:ysync 暴力であるテロと言論であるヘイトスピーチを同じ「許してはならない」でくくるのはどうかと。テロは国家権力(暴力)で排除すべきものだが、ヘイトスピーチは批判すべき対象で暴力(国家権力)で排除すべきでない。
ヨーロッパにおけるユダヤ教/ユダヤ人問題が参考になると思います。
id:enemyoffreedom アレをヘイトスピーチとしてしまったらもう宗教の風刺・批判はできないような。不快で低質な表現こそを守れ、というのが表現の自由かな
宗教の風刺批判ではなく、その背後にいる、その宗教を唯一無二のアイデンティティとせざるを得ない、社会的に疎外された移民の人々に対するヘイトスピーチになっているということを増田では書きました。後者に関しては同意しますが、表現の自由は差別的・攻撃的・他者を毀損するまでの表現を認めていません。
id:shakespeareneverdidthis 例え在特会みたいな下衆であっても、報復として殺害されることがあってはならない。
それは全くもってその通りなのですが、表現の自由を守るという文脈も下地にあるスローガンに私は在特会である、というものを使うのはおかしいのではないのかという話です。
こういう
女の人が痴漢されて心理的ダメージを受けるのは、相手が性的対象だからだろう。自分が性的対象とする相手から一方的に体を触られることからショックを受けるのだ。
ノンケなのでガバガバじゃないからって……本当にクロージング必要無いのか。
トラバで種類によると書いていた人もいて、概ね同意だが快便の場合必要無いと書いてある。
快便の時こそ、急に訪れる喪失感を止めるため、クロージングが必要になるのではないだろうか。
ひょっとして、私のクソ、ごん太?
元増田の文章からは、すごくDV臭、デートDV臭がする。泥酔レイプとか、そういうものから近い世界にいそうな感じがある。
女の人が痴漢された話は深刻になっていいしこっちも親身になって聞くよ。
実際に痴漢されたことがないにもかかわらず、「自分だったらこうする」という妄想を「普通の男」のスタンダードのごとく素面で語ることは普通の男にはできない。
性的対象であるかないかは触られることがシリアスになるかならないかと関係しない。ヘテロでもゲイでもビアンでも痴漢は嫌なもの恐ろしいものであって恐怖に固まって抵抗できないことはなんら不思議ではない。痴漢というのはやってることは簡易レイプであって、行為自体が恐ろしいものなのだ(「ひとけがないところでレイプされる=殺される可能性がある=恐ろしい」というような図式ではなく、レイプという行為自体がおぞましく恐ろしいもの)。
こいつの言ってることは要約すると「痴漢に対して抵抗できなかったのは痴漢を受け入れる気質があったから」ということであって、これはむしろ痴漢する連中の論理であり痴漢と無関係な普通の男のそれではない。
つまりこいつは痴漢予備軍。こういう奴がいるせいでかつて痴漢被害者の女性は痴漢糾弾の声をあげづらかったし今まさに痴漢被害者の男性は「普通でない男」として黙殺されようとしている。
あの記事を読んで一瞬でも「そうかも」と思った人間は認識を改めるべき。こいつ本人はおそらくもう治らないのでまともな人々が交友関係から逃げられるのを祈るばかり。なんとなく、すでにまともな人間は交友関係にはいなさそうだなという感じもしないでもないが。
5歳の時両親が離婚
顔がキモい 男 身長160㎝ 体重60kg 18歳にしてハゲ予備軍
誰かにやさしく接してもらったことなし
統合失調症 最近は幻聴が聴こえる 幻聴かどうかも分からないことも多いが
誰からも愛されたことがない
誰からも愛されない
21歳。男。3浪という名のニート。別に大学に行きたくない。ただただ死にたい。親は何としてでも俺に大学に行ってほしいらしい。センター模試は毎回500点あるかないか。統合失調症。センター試験が近くなればなるほど幻聴が酷くなる。悪夢も酷い。早く死んでしまいたい。
都心部が急騰・郊外が暴落するなら、通勤手当がなかろうと郊外に住む方が得と考える人も出てくるはずで
最終的にバランスが取れる所で落ち着くのでは。
男女逆だったらーと馬鹿の一つ覚えのように言ってるのが多いけど、
「55歳のBBAが21歳の男子学生と大学内でトラブル起こして全裸になった」って
ゴキブリ見て「気持ち悪い」って思うみたいな感じなんだけどな。