一番最初はCだった。ポケコン付属のstdio.hしか無いCを使い倒して、PCを買って普通のCを始めた。
BCC32のセットアップが分からなくて電子計算機部の同級生にPATHを通してもらった。
セミコロンがなくて1週間止まり、友達に相談したら本当に3秒で解決した。
ポインタが分からなくて1年間止まり、翌年C++を初めてから何かのきっかけで理解した。
あの頃は「黒い画面でカタカタやってる人たち特別感あってかっけー!!!1」ってのが動機だった。
社会人になった。
専攻とは大きく異なるけど、web系の会社でプログラマという名前の職を得た。
土日で書いた趣味のコードをGitHubに上げてボコボコに叩かれたりして楽しく過ごせるんだろうなと思っていた。
確かに研修はそんな感じだった。朝礼が終わったらオライリーを見ながらプログラムを書き、終業時間を過ぎても勝手に書いていた。
それが終わったら、既存のプロダクトを保守するところに配属された。
新しく作るなんてものはもう無かった。
それは別に悪いことじゃない。重要な事なのはわかっている。作って終わりではないのも分かっている。
でも自分じゃない誰かが、よく分かっていないままよく分からないものを作り続けてここまで来たのであろうそれを直すのは辛い。
「新しいコードに書き換えればいいじゃないか」というのはもっともだ。
でも新しいコードに書き換えたところで、新しいものを作っているということにはならない。
その借金は自分のものではない、なのになぜ自分が返済するんだ、というネガティブな考えが頭から離れない。
新入社員だからというのか、コードを書いている時間よりそちらのほうがとても多い。
電話番もしていた。
新卒採用の手伝いもしている。
何のためにどんな仕事をするべきなのかわからないし、自分が何をしたいのかも分からない。
「土日で何か勝手に書けばいい」というのはそのとおりだ。
仕事が遅いし、これと言える成果もあげていない。
また今週も何もしていないという考えで1時間くらいシャワーを浴びている。
水道光熱費がどんどんあがっている。
公開できるような、会社が期待しているようなwebサービスとかでは無い。
会社のみんながこうでは無いのも辛い。
新しいコードを書いている人もたくさんいる。
なぜ自分はそうなれていないのか。辛い。
新しいものを作っていたほうが、新しいコードを書き続けていたほうが楽しいに決まっている。
感謝もされるだろうし、自分が中心にいる満足感だって得られるのだろう。
そのうえで「運用が大事」とか考えるようになるんだろうな と妄想している。
何の論拠もない、僻みしか考えられない。
もう土日でwebサービス作るとか言うのはやめよう。
仕事もろくにできていないのに。
私がサードブロガーという言葉を始めて目にしたのはこの記事を読んだときである。
はてな村では「誰が言ったか」より「何を言ったか」とか言うけど嘘だよね。またはサードブロガーアワードでも、γブロガーアワードでも、+αブロガーアワードでも同時並行で勝手にやったらええねん
この記事について私はこのような感想を残している。
順位を気にしてるからこそ「順位なんか気にせず行こう!」って言ってるみたいで、なんか根本的な解決になってない気がする。宇野常寛っぽい。 2013/10/19
http://b.hatena.ne.jp/masudamaster/20131019#bookmark-165863730
「電車に新しい席を作ろう」という話を書いたつもりです
と言っているが、新しい席も何も、インターネットという場には無数に席がある。それこそ無限にだ。
勝手に座ればいいのに、アルファブロガーがうんぬんアワードがうんぬんと言い続けるその姿勢
カースト論そのものがそもそも馬鹿馬鹿しいし、ましてやブログにはそういった類の優劣は無いはずだ。
私のような疑問・違和感を他の人も表明している。
・サードとかフォースとか言ってる人たち
ゴメンやっぱりよくわからない。
この人ら、何が言いたいの?
「僕はアルファーになれない。アルファーになれない僕らは何者にもなれないのと同じ。でも何者にもなれないのはツライから自らが何者かであると自称する。よかったら認めてくれ」って話なの?そうとしか聞こえないわけだが。
それが書き手個々人の自尊心とかやる気にとって意味があるのは何となく分かる。だが、読み手にとってそれ何の意味があるの?個々人が胸の内で持っていればいいことじゃないの?その概念を広めて最終的にどうしたいの?
(略)
そのサードブロガーとやらは、アルファとは何が違うの?アルファと違って何が読み手にとって素晴らしいことなの?別にブロガーにプロアマの違いがあるわけでもないし、「アルファブロガー」の劣化版としか思えないわけで。 サードブロガーとして認められたら何か満たされるの?すでにサードブロガーとして認められた人たちは、何か心が満たされましたか? 何か生活変わりましたか?
自分なりの目標立てて満足したいだけなら、そんな名前いらなくない?
そもそもなんでアルファにこだわる必要があるの?アルファとかにこだわってるの君等だけじゃないの?自分に自信はあるけどアルファは無理、だからセカンド、サード、フォース、フィフス。そんな志半ばで折れてくたびれた人みたいな話に読み手が付き合う必要あるの?
毎日のように「本物のブロガーとは」みたいなこと言ってる人は、本当はアルファになりたいんじゃないの?
「僕らはアルファになれないブロガーです!」と自称する意味がわからないし、それを公表して一体どうしたいのか、とは
誰もが持つ疑問である。ほとんどのブロガーはアルファではない。しかしブロガーはそんなこと気にしないし、ましてや
いちいちそのような自虐めいたことを記事にはしない。
「僕らは競争から降りたんですよ」と言っているわりにはアルファブロガーに対する意識がとても高く、これにも矛盾を感じた。
この時点で、私のサードブロガーに対する印象は最悪である。自分の立ち位置を意識して書かれたブログなどに価値は感じないからである。
このような記事が投稿されたが、私はこれがまったくわからないのである。
何が言いたいのかわからないのである。村上春樹がここで出てくる。
「○○かもしれないし、○○かもしれない」
「完璧な○○など存在しない。完璧な○○が存在しないようにね」
一事が万事この調子で、とても難解な文章になっているし、私や他のはてなユーザーへの回答・反論にはなっていないと言って良い。
なっていないから「サードブロガー」の意味は二転三転したのである。
それはこの池田批判にも繋がる
サードブロガー問題について理解したいと思っている読者に対して何かを説明しようという意図は全く感じられない。説明する前にさらに自分の課題意識を語って問題をさらにややこしくしている。読んでる人完全においてけぼりである。
そうこうしていると、次はトマト祭り(?)なるものが開催され、よくわからないが、この事件には私よりも私以外のユーザーが不満を漏らしていた記憶がある。
たぶん、トマトをお題にブログを書いてブックマークし合う、といったような話であろう。
身内ブクマ問題である。この部分にはあまりコミットしていないので私にはわからない。
そうすると今度は、やけに声の大きいとても目立つブロガーたちが集団で現れた。体調わる子を筆頭としたはてな女子、大彗星ショッカー、まつたけ、etc・・・。
彼らははてなで大騒ぎをした。とんでもないタイトルととんでもない極論をまぶした記事をはてなに大量に投げ込んだ。
はてな移住前のファンを引き連れてやって来た(ホットエントリが確保されていた)。
お金をください、ファンになってください、と叫んだ。自殺宣言をした。馴れ合った。アイコンを女体に変えた。
私は彼らのことをさっぱり理解できず、嫌悪感を持ちながらも考察した。彼らがブログを書く動機や目的は何か。
そして彼らをどうカテゴライズすればいいのか。
そのとき、私やはてなユーザーは、池田氏が提唱した「サードブロガー」という言葉を持っていた。
これを使わない手はなかった。
池田氏の提唱する「サードブロガー」に対する嫌悪感と、新参DQNブロガーに対する嫌悪感が合体した瞬間である。
「まとめて呼んでしまえ」
ここで池田氏は「提唱者が違う」とおっしゃられるかもしれないが、私はこの記事を提示したい。
サードって言葉使うと俺はサードではないとか、まつたけは一緒にするなとか、原義がー事実誤認がーってうるさいんだよ、あいつら。
そんな細かいこと知らないし、ソース当たるために読み返さねーよ…
そこまでしたくなるほど魅力的な人物や文章がない。
かなり口は悪いが、それなりのことは言っていると思う。
つまり我々は、友達でもない人のブログをいちいち過去に溯ってまで読まないということだ。
自分のブログを過去に溯ってまで読まれるということはとても光栄なことであり、それは自分に興味を持ってくれたということでとても嬉しい。
ただ、それはとても稀なことであり、だから私の過去もあなたの過去もほとんど参照されない(それは救いでもある。東浩紀レベルになってようやく参照されまくる)。
池田氏以外の最近のブロガーにも言えることだが、「私はこのときこう言ってるんですけど!」「過去記事見てください!」
というのは文章のコミュニケーションではたぶん有り得ないことだ。文脈の時制を統一するのが文章のやり取りであり、もちろん
日本のインターネットに居るほとんどの人ができているのに、サードブロガーになると途端にこれがダメになる。
「私の過去ぐらい知ってるでしょ?(みなまで言わないわよ)」ときたもんだ。そんなもん知らないのである。
そういう姿勢が、サードブロガーの文章の読みにくさの大きな要因となっている。
話は逸れたが、つまり私や他の多数のユーザーにとって、「サードブロガー」の提唱者・代表者は間違いなく池田氏だということだ。
さて以上が「私がサードブロガーという言葉を使うまで」の私的(主観)歴史である。
サードブロガーという概念・言葉が二転三転した経緯を私はこう捉えている。
他の人はどう考えているのか。最後に私の目に止まったものを紹介して今回の記事を終わる。
kanose 「サードブロガー」が今までのブログとどう違うか明確に説明されず、他人が理解できない時点で、定義がどんどん出てきたのは当然だったんじゃないかな 2013/12/23
そんな絶望した世界にサードブロガーという言葉が定義されました。
だって、そんな名前つけなくてもWebには、小さな世界や日常をを映し出す人達なんていくらでもいた。
トマトブロガーになりませんかって茶化す記事があったときに一緒になって笑っていた。
別の人間も、フォースブロガーでもプラスアルファブロガーでもええやんと言い出した。
いっぽうで、はてなブログの馬鹿騒ぎに苦々しい思いをしている人たちは、
だから、彼らが大して大事にせずにほったらかしにしてた言葉を使うことにした。
この動きがあった時も、大して反論のようなものは見られなかった。
この時点で、もはやサードブロガーは提唱者のものではなくなってしまった。
乗っ取りが完了してしまっている。
(略)
起源などどうでもいいとはいわない。言葉を提唱したこと自体に意味が全くないとは言わない。
だが、サードブロガーという言葉をどのように使うか決められるほど
トマトバイトテロが洗濯機に入って浮かれているときに笑って見ていた。
ところが、「サードブロガー」周辺のやりとりをみるに、このあたりがよくわからない。PVや影響力だけがすべてではない、と主張しているようにみえるけれど、実際、サードブロガーに該当しそうなブロガーがPVや影響力を軽視しているようには見えなかった。既存のはてなダイアリー・はてなグループのブログ群のほうが、よほどPVや影響力を意識せず動いているようにみえたからだ。そして、彼らはお隣さん同士で「拍手」をつけあい、「あしあと」を気にしあうようなプライベート的ブログ文化圏のソレに近いようにもみえた。本人達の思惑はさておき、日本のブロゴスフィア全域を前提として考えた時、第三の極と言えるようなポリシーの鋭利さは見出しえなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20131222231100
http://anond.hatelabo.jp/20131209142219
http://anond.hatelabo.jp/20131224125320
http://anond.hatelabo.jp/20131228163827
俺はブログと言う世界で生きている、この世界で偉いのは金持ってる奴でも喧嘩強い奴でもない、土日祝日ブログ書く奴。サードブロガーです!
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/12/24/170036
めんどくさいがざっくり説明しとくと、
元々、Tumblr界の魔神otsu●e氏が道路を暴走し、それを「情報戦略は始まっとるんや」とウチで茶化したらクマのお医者さんが鉄製の屑籠を振りかぶって
「悪いことは悪いって言わんかい...オマエネタにして調子乗っとったらぶち○すど、このクソ猿ブログが!!」
と怒鳴られ説教されて「やべー!殺される―!!怖ぇぇぇっ!! (((( ;゚Д゚)))」と冷や汗かいてるところを取り囲んでブコメで騒ぐはてな村お馴染みの盛り上がりの一連をyarukimedesu氏が
ブログ記事を沢山書いて、アルファーブロガーになりたいな、なんて思ったこともあったけど。今でも思うけど、こらあかんわ。人生はあきらめが肝心だ。“
と書いた。
それを見たinujin氏が「アルファなんて目指さないでいいんじゃね?」と言い出したところが最初。
だから元々の発祥も「ボクたちサードブロガーはもっとブログ界を盛り上げて...」なんて意味でも無かったんだが、ちょうどその頃新進気鋭でロジック・思考甘々で釣りまがいの記事を挙げまくって軽く炎上するようなブログが(昨日今日も何やら燃えてたらしいが)幾つも出て来たもんだから「新進気鋭のブログ=サードブロガー」と結びついて、その瞬間本来的な「サードブロガー」と言う言葉と概念は死んだ。
(略)
http://anond.hatelabo.jp/20131222201757
http://www.f7.dion.ne.jp/~moorend/main.htmlより
● 近況。小学生のころから見てきた中3女子「を」辞めました。長らく寺子屋稼業をしてきたけど、僕から指導辞退を申し入れたのは初めてです。
● 理由は明白。「本人に進学する意志がない」から。5教科合計が90点なのは、点数を上げるのが仕事の僕として特に問題ありません。この夏休みで何とかしようと思って意気込んでいました(ちなみにこの生徒、昨年一度辞めてます。辞めていた4か月間のブランクが災いして、ここまで成績が落ちました)。
● ただ当の本人に勉強する気持ちが見られないばかりか、いくら僕が諭しても、毎回「親が悪い」「教師が悪い」など責任転嫁の言い訳ばかりで授業が成り立たない。成績表で、授業態度が最低評価Dになっているのも、本人曰く「教師がちゃんと見てない」からだそうです。
● ちなみに滋賀県では5教科合計が100点にも満たないと、よほど内申書の点数が高くない限り、県内最低レベルの公立すら通りません。また仮に定員割れなどで運よく合格したとしても、学力不足で進級は厳しいでしょう。最初の1年で生徒の3割が退学するような高校なので、まあ彼女も同じ流れだろうなあ、と。
● これは単なる僕の主観ではありません。過去指導してきた中で、その高校に合格、その後毎回定期試験前だけ僕が応急処置的に授業をして何とか高3になれた生徒でさえ、中学時代は合計130点取れていたのです。
● この前の授業でも、2時間近くにわたってあれやこれや言い訳を聞かされたけど、要は「勉強せずに合格したい」ということなのですよね。「そんな都合のいいことあるわけないだろう!」とビンタの一発でも浴びせてやりたい気持ちを何度も抑えながらこれまで5年間我慢して授業してきましたが、この大事な夏休みですら2時間ほどしか勉強せず、あとはテレビに読書(本人が言うには「自分の時間」)を満喫しているような生徒に、これ以上時間を費やしても成績向上は見込めないと判断しました。
● 反抗期まっただ中で、親とも口をきかないらしく、もう何かにつけてどうにもしようがありません。僕だってこの夏期講習シーズン、いつもの倍ペースで毎日授業をしていてそれでなくとも忙しいのに、1の指摘に対して10の言い訳を聞かされ続け、結果何も教えないで帰宅するような不毛な仕事はさすがにご勘弁願いたい。僕の精神衛生が保てません。
● そんなわけで、僕はこの仕事を降りました。ただ見捨てたつもりではないから、いちおう「本気で危機感を持ったなら、親を通さず、直接僕のところに連絡しなさい」と言っておいたけど、どうなることやら。
2013/8/9(金)
>毎回「親が悪い」「教師が悪い」など責任転嫁の言い訳ばかりで
SUV用をリピート。古い設計のタイヤではあるもののやっぱり乗り心地といい静粛性といい文句ないです。
・Zalto
ワイングラス。ステムの細さが心地よい。
・iPad Air 64GB
子供用のテレビとして。手持ちのDVDをエンコードして突っ込んである。(この作業って違法になったんでしたっけ?)
軽さでKindle HDXに惹かれながらもiTunesとかAppleTVとの組み合わせ考えるとやっぱりiPadが無難な選択。miniじゃちょっと小さいかな。
今まではオーディオにAirMac ExpressをつないでたけどCD聴くこともほとんど無くなったので思い切ってAirPlay専用スピーカーに。
電源が連動するのでかなりストレスフリー。音はそれなり。ボリューム上げないと本領を発揮しないかも。
・ルンバ770
いまさらですが。フルタイムの共働きなだと週末しか掃除できないので。
毎日こんだけホコリが吸い取られる様を見ると、買って良かったと言わざるを得ない。
上位機種じゃなくても十分。
ホームベーカリーとの組み合わせで、かなりマシなパンが自宅で焼けるように。
話題にはなったけどすぐ使わなくなりそうなエアフライヤーと同じこともできる。
・Bo Conceptの棚
子供服が増えてきたので。
いい歳こいて初心者なのですが、デリヘルに3度程行った。そこで気づいた事。
おれは虚構新聞なんて間違ってクリックしたことなんてないんだけど、いったいどういったわけで情報強者のはてなーさまたちが虚構新聞を見たくないにもかかわらず見てしまうわけ?
たとえばはてブの人気エントリからだったらすぐ虚構だってわかるからクリックしないで済むし、Twitterで流れてきていやなら虚構の記事にリンク張ったやつをフォロー外せばいいだけ。
なにがそんなに迷惑なのかよくわからない。迷惑だ迷惑だって、そういってるお前らの存在だってほかの誰かからすくなからず迷惑だと思われてるわけだけど。
おれにとって迷惑だからやめろってのは傲慢すぎやしないか。まあでもそれは素直だからまだいい。それがさ、最初は「おれにとって」だったはずなのに、どこかで「おれらにとって」にかわり、さらにすすんで「かれらにとって」になってしまう。冗談じゃない。卑怯なのはどっちだよ。
でもそんなのほかの人たちがおもしろいと思ってブクマしてるんだからしょうがないじゃん。世間がどうしておまえの都合のいいように動いていかなきゃいけないんだよ。
という感じだな。
早稲田慶応の経済学部卒あたりがボリュームゾーンの大手金融で営業マンとかじゃなくてそれなりに選抜されたホール部門の世界でこんなもん。
全然ちげーよそれはポリアだ
おっちゃんが若かったころは、ゲーセンや喫茶店(notカフェ)には、テーブルにモニタをはめ込んで、それを見ながらゲームができる「テーブル型筐体」というのがあった。
おっちゃんたちは、こぞって凄い色の付いたクリームソーダを飲みながらえろい麻雀ゲームとかやったのだけれども、最近はああいうの見かけなくなってしまった。
もし若い世代の人があれ見たら、タブレットがテーブルにはめ込んであるのかと思って、タップしたりフリックしたりしそう。ていうか実際タブレット埋め込みそう。そしてタップ操作でえろい麻雀ゲームやりそう。
「いかにして問題を解くか」の人だっけ