はてなキーワード: エージェントとは
二年目にして既に仕事辞めたくて迷ってる。
医者からは「辞めるなり休むなりするなら診断書書くよ」とは言われている。
今の仕事のいいところは、
▲年収400万弱あるから一人暮らしで貯金しながら十分遊んで暮らせる
いやなところは
▼残業が多い(1年平均で月100時間超、半年以上日付変わる前に家に帰れていない)
▼土日返上がしょっちゅうある(代休はない、運がよければ休出手当てをつけてもらえる)
▼年末年始・大型連休も仕事(リリース、保守作業があるから当番で出勤)
▼女の人がいないので部署内で孤立している
良くも悪くも
■仕事内容は嫌いではない
■上司・先輩からはしょっちゅう怒られるが原因は自分にあるのでそこは腹を括っている
■同僚とは距離があるものの、たまに一言二言仕事に関係ない雑談をすることはある
どうしたらいいんだろうかと迷えば迷うほど気持ちが沈んで悪循環。
転職エージェントみたいな人に会う予定は立てたけどどうなることやら・・・
リマインドしようにも、これを書いた人(=自分)の学力だと読めない本だったから無理。無理ゲーだった。
第一章
1
意味論的に透明なシステムと結びついた心の概念および計算機モデルを意味する。
この主義の限界を
2
チューリングの形式化が持っている特徴
(1)物理的組織によってではなく、記号操作の形式的特性によるメカニズムの集合全体を包括
(2)そのメカニズムがいかにすれば十分に明確化された問題すべてに取り組むことができるか示している
(3)万能チューリングマシンを定義する方法を示している
⇒ 素材は重要ではなく、形式的特性が能力を原理的に保証している
フォン・ノイマンがコンピュータを設計し、1960s、ジョン・マッカーシーがLISP(プログラム言語)を開発。
⇒ 研究開発が可能に
A・ニューウェルとH・サイモンが物理記号システムという概念を提出
⇒理論的に自覚化・明確化される
3
・物理記号システム
①適切に操作可能なトークンに対して任意に意味を割り当てることができるシステムであり、
②正確にプログラミングすればこの割り当てられた意味論的内容と細かい点においても一致した仕方で行動すると信じられるようなシステム
by 1976 ニューウェル & サイモン
・強い物理記号システムの仮説
SPSS strong-physical-symbol-system
「標準的な記号アトムのフォン・ノイマン型の操作を行っている仮想機械は、一般的な知的行為を実現するための直接的かつ十分な手段を持っている」
①仮想機械
そのプログラムに我々が命令を与える機械を模倣させるような「機械」
・記号を割り当てる
・変数を束縛する
・記号列の複写、読みとり、修正
等々
③標準的な記号アトム
④一般的な知的行為を実現するための直接的で必要かつ十分な手段
そうした機械は、それを支えている特定のアーキテクチュア(その基盤になっている他の現実的もしくは仮想的機械から)まったく独立に真に知的でありうるのであり、逆に言えば他のアーキテクチュアや機械をシュミレートすることなく真に知的でありうる
4
このような主張(標準的なLISPのアトムのごちゃごちゃした操作が、知能や思考の本質を構成しうるという見解)が、ニューウェルとサイモンのものだとできる動かぬ証拠は、彼ら自身の実践。
彼らの仕事の特徴(例:BACON)
・規則あるいはヒューリスティックス(発見的手法)の直列的(経験則を用いたも多少は運が左右する⇔体系的)適用に依存している
・そうしたヒューリステイックスの大部分が、かなり高いレベルで意識的に内省可能
・選ばれた課題領域を扱う
BACON:一連のデータから科学的法則を帰納する(ケプラーの第三法則、オームの法則)
・BACONが取り組んだデータをフォーマット化下のは、人間の労苦
・BACONは十分に構造化された課題にしか取り組めない。
ケプラーの第三法則は見つけられても、ペトリシャーレのカビとバクテリアの関係からペニシリンを発見する事はできない
・BACONが展開する知識とヒューリスティックスは、人間のプロトコルや実験記録に大いに頼り、われわれが自分自身の思考について内省する思考のレベルからかなり直接的にコード化されたもの
⇒この種の思考は原初的で瞬間的なプロセスの上に後から被せられたもの。理解するということを具体的な例で説明する事には役に立たないであろう
サイモン等は、人間の思考のすべてがただ一つの種類の計算アーキテクチュアに依存すると信じている。
しかし、筆者は違う考えを持つ。サイモンとラングレイの仕事では、洞察のひらめきといったタイプの認識を表現できない。
心は、多くの仮想的アーキテクチュアからなる複雑なシステムであると考える
知的課題や、感覚運動的な課題のような、なめらかに無意識的に行われるものは無視されている
5
古典的システムは記号アトムの使用に頼り、コネクショニズムはこれを避ける。
古典主義者:意味論的に透明なシステムの構築に対して、方法論的にコミットしている人々
STS semanttically transparent system
「システムの振る舞いについての記号的な(概念レベルでの)意味論的記述と、システムの形式的な計算活動の内的に表現された対象についての投影可能な意味論的解釈との間にきちんとした写像関係の記述が可能な場合にのみ、そのシステムは意味論的に透明であるといえる」
きわめて大ざっぱにいえば、あるシステムかSTSと見なされるのは、そのアルゴリズムの記述(レベル2)における計算の対象が、概念的レベルの用語で表現されたその課題の分析の記述(レベル1)と同型である場合である。
(レベル1:計算理論:(高い抽象レベルにおいて)どのような関数が計算されるかについての考え
レベル2:表現とアルゴリズム:それを計算する(具体的な)方法
レベル3:インプリメンテーション:現実の機械において計算がいかにして肉体あるいはシリコンなどで実現されるか)
(1)古典的理論は――コネクショニズムはそうではないが――統語論と意味論を組み合わせた記号システムを仮定している
(2)もし何らかの種類の構造化された表現が利用可能であれば、それらの表現についての計算操作を、その構造に鋭敏に反応するかのような形で規定できる。
もしそのような構造が存在していなければ、(すなわち、どんな記号表現も存在していなければ、)計算操作を規定することはできない
◎要するに、古典的システムは、統語論的に構造化された記号的表現を仮定し、そうした表現の構造によって、それに適用される計算操作を規定するものである
第二章
1
ドレイファス:古典的認知主義の問題は、人間の常識的な知識を表象として再現し表現しようとする形式主義の妥当性
サール:形式的なものと志向的なものとの間に、あるいは統語論と意味論との間にギャップが認められる
この二つの種類の懸念について検討する。
2
「あなたの持っているのはそんなにいいボールじゃないわ。それを私にちょうだい。そしたら私、このキャンディーをあなたにあげるわ」
この言葉を理解するために、ミンスキーちとパペートは膨大な概念のリストをあげる。
ウィノブラードのSHRDLUでは不十分。
・フレームは、常識がうまく対処している偶発的出来事のすべてをカバーしているとは思えない(バースデーケーキに立つ黒いローソクに、フレームは対処できるか?)
・フレームからフレームへの移行を促す規則(メタフレーム?)をいつ適用すべきか、システムはどうやって知るのだろう?
ドレイファス:互いに関連しあった特徴や可能性のすべてを、文脈に依存しない事実や規則によって形式的に把握するという課題には際限がないのではないか
3
・ドレイファスの二つの主張
(1)身体問題
「このシャンプーが目に入らないようにご注意ください。もし入った場合は、ぬるま湯でよく洗ってください」
コンピュータは、身体、欲求、感情、共通言語や社会習慣も持たない。だからコンピュータは、この文章が何を洗うように言っているのか理解できない
(2)コード化
人間は自分たちを取り巻く状況がどんなものかを絶えず感じ取ることができる。
このノウハウは、何らかの知識表現言語によって、一種の知識として表現できるものなのだろうか?
AIプログラム(=言語)が知識を表現する仕方が、現実の課題に対して根本的に不適合だと懸念する。
4
「強いAI仮説」を、サールは批判する
強いAI仮説:適切にプログラムされたコンピュータは、文字通り認知的な状態をとり、その際プログラムは人間の認知を説明するものとなる
Schank and Abelson 1977の、「ストーリーを理解するという志向的活動をシミュレートしているかに見える特別なプログラム」に対して、「中国語の部屋」を使うことで批判する。
サール:形式的に区別される要素に対する計算操作を行っているだけでは、どんなコンピュータも〈理解する〉ことはできない。したがって、そのような計算操作を規定するプログラムが、心の固有の性質について何かを示すこともあり得ない。
具体例:英語話者が英語を理解することと、中国語の部屋の操作者が中国語を「理解すること」の比較
「人間は何も理解していなくても形式的な原理に従うことができる」
以下、サールの誤りについて論じる
5
サールに対する仮想反論「脳シュミレーター説」
脳シュミレータ説:あるりプログラムが中国語を理解する実際の中国人の形式的な構造をモデル化したと仮定すると、そのときそのプログラムは間違いなく真の中国語の理解を構成したことになる
↑(サールの再反論)
(1)脳の形式的な性質は志向性を構成しない(三章にて説明)
(2)脳の形式的な性質が志向性を構成しないのは、ある種の素材だけが思考を支えることができるからである
↑(アナロジー)
光合成:光合成の形式的な記述を手に入れても、素材が違えば光合成は再現できない
では、思考をもたらすような脳の物理的性質とは?
:外因的および内因的な刺戟に対して脳に大規模な変動が引き起こされること
↑(コメント)
『中国語の部屋』が大規模な構造的変動を必要としないシステムなら、中国語の部屋による反論は無効
6
微視的機能主義
機能主義は、心的状態の本質を、
入力、内的状態の変換、出力からなるプロフィールと同一視した。
(適切なプロフィールを持つシステムはどんなものであれ、その規模や性質や構成要素にかかわれなく、当の心的状態を実現するであろう)
↑(批判)
(中国国家脳のような)心的状態を実現する見込みがないようなシステムも、「入力、内的状態の変換、出力」のプロフィールを持つシステムへと組織することは可能であるよように思われる。
こうした極端な寛大さは、機能主義の立場を掘り崩してしまいそう
・問題は、「入力、内的状態の変換、出力」の系列をどこに位置づけるか
×大まかなレベルに位置づけ
⇒感覚質の欠如、極端な寛大さ
△ライカンの「小人機能主義」
○微視的機能主義
・機能主義の批判はゲシュタルト盲に陥っているのでは Lycan 1981
:機能的な構成要素があまりにも大きい、極度に小さい、それらしくない等であるために、そうしたものからなるシステムに志向性を帰属させるという考えに抵抗するということ
(ライカン「小人機能主義」
:機能的な下位システムは、それがエージェントのために何をしているかということによって同定される)
微視的機能主義
内容や目的に関連づけからはかけ離れた用語で
記述しようとするもの
・諸関係が得られたとき、システムには大規模で柔軟な構造的変動が引き起こされ、またそれによってさまざまな創発敵的性質が得られるようになる
第三章
1
2
「民間心理学」
:自分や他人が、信じたり、希望したり、恐れたり、欲求したりしているということについての日常の理解
民間心理学は、行為・運動を説明するときに、信念や欲求という表現を用いる
「民間心理学は、人間の行動に先立つ内的原因についての素朴で原初的な科学」
3
(1)民間心理学は、偏狭な、特定の人々に限定されたような理解しか与えない。
民間心理学は、子供や狂人や外国人を前にすると、まごついてしまう
(2)民間心理学は停滞したまま、なにも生み出さず、長い間ほとんど変化も進化も発展もしていないところが他の諸科学と異なる
(3)民間心理学は、これまでのところ科学の主要部分にうまく統合されていくような徴候をまったく示していない。残念なことに民間心理学は自然を神経生理学的ないみで妥当な要素にまで分割することには関心がないようである
最近の分析哲学
:頭の状態に関する科学理論というゲームと、民間心理学というゲームを比較することが、そもそも不適当なのではないか
4
Daredevil believes that Electra is dead.
Mary hopes that Fermat's last theorem is true.
のthat以下を、心的状態の内容と言う。
心的状態が考えられる傾向
:われわれの心理学的状態が、本質的に、周囲の世界がどのような状態にあるのかということによって決まるのではなく、
われわれにとってどのように見えているかによって決まる
↓(言い換え)
我々の意識や無意識に何らかの形で影響を与えられないものはどんなものであれ、
本質的に我々の心的状態の正確な限定に関わることはあり得ない
⇒我々の心的状態が現に持っているような内容を持つものは、われわれ自身のあり方ゆえであって、
知られていないかもしれないような周囲世界の事実とは関わりがない……☆
・双生地球……☆に対して疑いを投げかける
双生地球で、「海に水がある」と発話される。
地球A:海にH2Oがある
地球B:海にXYZがある
この違い以外は同質だとする。
すると、
地球上の発話と双生地球の発話は、それぞれH2OがあるかXYZがあるかによってその真偽が決まる
(たとえば、地球Aの海にH2Oがなくて代わりにXYZがあるとしたら、地球Aでの発話は偽になる)
⇒
もし意味が真理条件を確定するのだとすれば、
自然種に関する表現(水、金、空気など)を含む陳述の意味は、
単に主体の限定的に規定可能な状態に言及するだけでは十分に説明できない……☆に反して
二つの選択肢
(1)心理学的な内的要素(地球の話し手と双生地球の話し手に共通)と、
世界関与的な外的要因(仮定上、二つの地球を越えて不変ではない(H2OとXYZ))の両方によって内容が決まるとする、意味と信念に関する合成説
(2)そういったケース(地球と双生地球のケース)は
〈心的状態の純粋に内的でまったく心理学的な要素(☆のこと)〉という観念にさえも疑いを抱かせるものであると考えることもできるだろう
プティ と マクダウェル
「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない。
しかし、
〈頭の中〉にあるものが心の状態に対して構成的関係にあると考え必要があるのだろうか?」
筆者
:あらゆる内容が根本的に世界に関与している(選択肢(2))ということが判明したとしても、
そのこと自体は必ずしも〈認知科学は心の理解に深く(ことによると構成的にではないかもしれないが)関わる研究である〉という主張を覆すものではない
その主張に対する仮想反論と、それに対する再反論をHornsbyは行った。
仮想反論
:「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、
内的構成に違いがなければならない。」
という考えを保持すべきである」とするならば、
心的内容は限定的に規定されねばならない(自然種を指示しない)
(「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、
内的構成に違いがなければならない。」
という考えを保持すべきである」までが、プティとマグダウェルの、「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない」に対応する。)
仮想反論の詳細
:仮定①:
二人の動作主の心的状態は、彼らの行動傾向に何らかの違いがある場合にのみ異なる
(そこに赤いボールがある、と信じなければ、ボールを投げようとは思わない)
仮定②:
行動が異なる(すなわち、行動が異なる)ためには、内的な物理的状態に何らかの違いかなければならない
結論:それゆえ、心的状態に対応する内的な物理的状態に何らかの違いがなければ、心的状態が異なるということはありえない
「(民間心理学的な心的状態を帰属させることは、限定的内容のみに関わることであるという)結論は、深刻な疑義にさらされることになる。
限定的内容といっても、それを妥当な概念として了解できるかは明らかではない」
なぜなら、
「民間心理学的な内容を(物理的状態に?)帰属させることは、身体的な動きを規定するような頭の状態についての独我論的な研究から引き出すことができるような切り口とは
まったく違った切り口で現実を切り取ることであるように思われる。
その具体的理由として、
ボールをひろうことは、「そこにボールがあると私は知っている」という心的状態と関連するが、そのときの細かな指の動きはそのような心的状態と関連するものではない。
5
筆者
:広域的内容を伴うによ伴わないにせよ、
頭の中で起こっていることに関することに関する科学的カテゴリーや分類に
きちんと還元されるなどということは
とてもあり得ないように思われる。
・民間心理学は、科学的心理学と同じゲームを行ってはいないかもしれない
→
世界を記述しない信念であり、なおかつ
ある人が同じ考えを抱いているといえるような別のケースに投影可能な述語が(科学的記述の上には)存在しないことも可能
6
民間心理学の道具立て(信念と欲求という概念によって、命題的態度を帰属せさるという道具立て)を用いて、心的状態を二者が互いに帰属させあうという日常の慣習(傍点)の目的は?
:
他人の頭の内的状態を追跡しようと試みることによって、
その人の身体の動きを予測し説明するための手段
民間心理学の主要な目的
:
世界の中で活動している仲間たちの行動を、(傍点開始)我々が(傍点終わり)理解できるようにすること
(予測したい対象であり主体である)われわれの仲間たちの四つの特徴
①世界に対する感受性、すなわち感覚や生得的な原書的概念の道具立てをわれわれと共有している
②世界をわれわれと共有している
③彼らは我々自身のもっとも根本的な関心と必要の大部分を共有している
④彼らの思考の有用性は、
(我々自身の思考と同様に、)
彼らが世界の実際の有様をたどっていることと関わっており、
彼らの思考作用が、世界の実際の有様に十分適応していると我々が(進化論的な理由から)考えるような目的と関わっている
この特徴があるので、
「~したい」という欲求さえ同じであれば、
・民間心理学は、脳の状態の違い(that かなり目の粗い、行動上の違いとしては現れてこないような)に対しては、敏感に対応しないように設計されている
・民間心理学は、個人の間の差異を覆い隠し、
さらには種の間の差異さえも覆い隠してしまう(長所であっても短所ではない)
7
筆者の見解
:私の見解では、われわれが信念を帰属させるのは、
行動の全体に一種の解釈の網をかぶせることによってである。
……関連する行動を可能にするものとしての、
根底にある物理的あるいは計算論的な構造がどのようなものであれ、
そうした構造における自然な区分に、網の結び目(すなわち信念と、欲求の特定の帰属)が
対応している必要はない。
――
ということは、Davidson(全体論者)に対するFordorの批判は、筆者の意見にも当てはまるのではないか?
<Fordor>
意識の全体論というのは、
「命題的態度の同一性――特に志向的内容――が、その認知的連関の全体によって決定される」
という考え方。
これに、Fordorは懐疑的。
(命題pの認知的連関というのは、主体がpの意味論的評価、すなわちその真偽の決定に関係するすべての命題のこと)
われわれは、信念や志向的状態を共有している。が、そのとき、すべての命題(認知的連関)を共有しているとは思えない。
信念は、その内容をそれぞれ別に持つ。
:信念がその状態を獲得するのは、脳の状態が逐一、世界と因果関係を結ぶことによってである。
「ある生物が『牛』という概念を持とうと持つまいと、その生物は『馬』という概念を持ちうる」
</Fordor>
筆者
:Fordorの間違い
全体論は、もしそうであれば、人間の心の理解が芋蔓式に進んでくれるのにという、いわば願望。
Fordorが軽蔑したものの通りに進んでくれるかは別問題。
Fordor:バラバラになったブロックを一つの全体に組み合わせるやり方が、全員同じになるはずがない。
筆者:一つのブロックの組み合わせ全体を理解するために、各人が別々のやり方でバラバラにしている
全体論という言葉の使い方が違うから、Fordorの批判は筆者には当てはまらない(という、批判をかわすための節)
7
一章3節での、チャーチランドによる民間心理学批判に、今では応答できる。
(3)に対して、
民間心理学の関心事は、他の主体の顕著の行動パターンだけを可能な限り効率的に分離することである。神経科学とつながることを目的とはしていない
(1)に対して、
民間心理学の道具としての適用範囲は、仲間。狂人の理解は、そもそも目標としていない
(2)に対して、
なので、その中核部分が時間的および地理的な次元を越えて相対的に恒常的であり続けてきたことは驚くべきことではない。
整理。
民間心理学には、きちんとした定義がある。
これまで「民間心理学」として使われてきた言葉の、新たな用語法:「素朴心理学」、「メンタリズム的な理解」
8
因果関係と、構成的関係の区別
構成的関係
:
研究の主題と何らかの形で密接に結びついているということ
因果的に関係
:
因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、
それらの要素を差し引いてもそれによって思考という観念そのものが存続しえなくなる
ということはない。
(チェス盤がなくなっても、チェスの続きは打てる。石を駒に見立てたり、口頭で)
9
・消去主義的唯物論:民間心理学が、心に関する科学に対して歪んだ影響を及ぼすのではないか。民間人は自分自身の心を知らないと、消去主義的唯物論は思っている
↑
(構成的関係)
↓
心
科学と心とを結びつける構成的関係。その得難さが二つのスタンスの対立を生んでいる。が、どちらの立場も同じく、認知という地形に同じ隆起とくぼみを見ている。
では、構成的関係とは何か。
構成的関係←→因果関係
構成的関係:研究の主題(この場合は心)と、何らかの形で概念上密接に結びついていること
因果的関係:因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、それらの要素を差し引いても、それによって思考という観念そのものが存続しえなくなるというひとはない
(駒はなくてもチェスは打てる)
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なんつーか、求めてる職の種類が根本的に違うんだろうなあ。
当然俺も転職経験者だし、エージェントやヘッドハンターも使ったことあるよ。
http://anond.hatelabo.jp/20110907193725
を書いた増田だけど久しぶりに増田にログインしたらトラバがついてたんでお返事。
http://anond.hatelabo.jp/20111005112736
見てるかわかんないけど。
これはそのつもりで書いてます。ブラックリストホワイトリストという言い方ではなくて、オプトイン、オプトアウトという考え方で。元記事にも書いてあるんだけど、日本の法律ではオプトアウト方式は認められていないので、合法にやるにはオプトイン方式でないと無理だと思っています。
オプトアウト方式が認められていないのに、著作権違反はいくら大規模にやろうと親告罪であると言うゆがみがあると思っているんで、個人的にはそこは改善されるべきだと思っているけど。フェアユース導入なり、大規模著作権違反の事案は摘発が可能なようにするとかバランスを取るべきだと思う。
例えば自炊依頼のために許諾を求める業者は、その結果に責任取れるんだろうか?
その責任の所在を、自炊業者に求めるなら、法的リスクと収益で割が合わないだろうし、事故として上限免責されてしまうなら、許諾するのが馬鹿らしい。
これはそもそも自炊業者には責任は発生しないと考えます。許諾を得ていればもちろんのこと、許諾を得ていない真っ黒な現状でも。
電子書籍でもDRMフリーで販売されているものがありますが、そのDRMフリーの電子書籍が違法に流通して実害が出たとしても、DRMフリーの電子書籍を正規に許諾を受けて販売した業者は責任を問われないのと同じです。違う言い方をすればコピー機を有料で貸し出しているコンビニや、ドキュメントスキャナ、コピー機を製造している業者が違法性を問われないのと一緒です。もちろん違法流通のために特別な何かをしている場合は別だし、幇助レベルではない別の違法行為があれば違います。
実際に裁判で訴えられるとしても訴える側が自炊業者側に違法性を予見して未必の故意があった等と言う事を証明しなきゃならない事になるわけだけれど、そんなことはまず無理だと思う。
証拠(因果関係)が希薄だから自炊業者無罪なら、余計悪い方向だ。
ちなみに。
電子透かしを求めようが、何をしようが、業者が故意に行うデータ流出は防げないし、アフィリ等で流出の方が儲かる事情があれば簡単に崩壊する。
これは信頼関係を築いていくしかないと思います。と言うのはこれ電子書籍に必ずついて回る問題だし、昔は書籍についても同じ問題がついて回っていたから。と言うのは、販売量は業者しか分からないと言う事だからです。
最近の本でも伝統がある出版社の本なら奥付に「検印廃止」って書かれているのを見る事ができると思いますが、これは何かと言えば昔は出版社が作者に内緒でたくさんすって売っているのではないか(いわゆる偽版)を防ぐために、著者が検印を押した紙で確認するという事が行われていた名残です。同じ版をつかって作者に内緒で刷って裏流通させているんじゃないかと言う疑惑があったんですね。また電子書籍でもDRMがあろうがなかろうが、電子書籍販売業者が横流ししていると言う疑惑は当然ついて回ります。
もちろん、「状況が同じだからって自炊業者が問題無いわけじゃないだろ」って話は当然あって、だからベンチャーなんかがぽっと出でやるのは難しくて、信頼のある印刷業者やら取次やらが既存の自炊業者をノウハウごと買収してやるのがいいんじゃないかと言う〆にしてあるわけです。
実は元記事では触れてなかったけど、ここにある需要があって商売になるかってのが最大の問題としてある。でこれについてはなかなか難しい。
今後電子書籍は黎明期を脱してくるだろう思う。Amazonが来るぞとか言う印象論ではなく、
などが主な理由で、つまりは大手出版社が本気になりつつあるからと言う事なのだけれど、だけどこれは新刊や比較的近年に発行されたものに限ると思うんだよ。
一方今自炊したいという人の話を聞くと、だいたい2種類需要があって
と言う所なんだけど、電子書籍が普及してくると前者の需要は尻すぼみになると思う。と言うかむしろ成りつつある。わざわざ同価で販売されている電子書籍をDRMがあるからといってわざわざ自炊する人間がどれだけいるのかというとそんなにいるとは思えない。
一方後者の需要なんだが、こちらはむしろ電子書籍が普及すれば普及するほど増加してくるんじゃないか。今でも切実にスペースが足りない人は多い。たとえば私もそう。で、電子書籍の環境がだんだん使い物になるようになってくると、その欲求はどんどん膨らんでいくと思う。
また電子書籍で本を読むことが当たり前になってくると、古い蔵書を読みたいという時、紙じゃなくて電子化して読みたいという需要もどんどん増えてくると思っています。
しかし、新刊書籍については需要もあるし、DTPデータも丸ごと保存された状態から発刊と同時に業務フローの一環で電子データを作る事ができるからコストは安くすむし、どんどん電子書籍が出るだろう。
一方、古い書籍はどうだろう?DTPデータが消えてしまっている、あるいはそもそもDTPで作られていないとかで電子書籍を作るコストも新刊書籍より高い。しかも需要はニッチだから作成コストがとれない。だから全ての書籍をカバーすることなんてとうてい無理だ。ただこう言った事情から電子書籍が出ないのであって、権利問題がある訳ではなかったりするのも多いでしょう。電子化するコストは多くの人が言うほど安くはありませんし。
そこに、自炊業者と言うのは存在していけるのではないかと思うのだけれどどうだろう。確かに今の違法でありつづけることで必要なコストを払わない対価ではとても無理だが、たとえば引っ越し業者などと提携して、貴方の蔵書丸ごと電子書籍化しますといったサービスとしてはありえるのではないか、許諾があるものは自炊し、許諾がないものは既存の電子書籍がある場合はそれを案内しつつ、どうしても許諾がなく電子書籍化もできないものは返却する。(希望に応じて裁断だけ手がける)電子書籍化の要望が強いが権利者不明などの理由によってできないものは裁定制度を利用するといった電子ライブラリ構築エージェント的になれないかと思うわけです。
今年冬以降に発売されるandroid端末のメディアプレイヤーはHTTPヘッダのUser-Agentおよび拡張ヘッダにIMEI番号が含まれるということが分かり、騒動となった。
カレログ、applogに続きNTTドコモが参戦? - http://togetter.com/li/202490
NTT docomo IMEI垂れ流し問題 http://togetter.com/li/202536
http://www.nttdocomo.co.jp/service/developer/smart_phone/service_lineup/music_movie/index.html
(魚拓)http://megalodon.jp/2011-1019-1834-56/www.nttdocomo.co.jp/service/developer/smart_phone/service_lineup/music_movie/index.html
こう記述されている。
Android端末の一部機種では、音楽・動画コンテンツを再生するためのメディアプレイヤーをドコモがプリインストールします。
メディアプレイヤーがプリインストールされる機種は2011年度下期モデル以降の主なAndroid端末となります。
ユーザエージェント
メディアプレイヤーがHTTP通信を行う際のUser-Agentヘッダは以下となります。
User-Agent:<SP>DOCOMO/2.0<SP>[AAA](MP;[BBB];Android;[CCC];[DDD]);imei:[xxxxxxxxxxxxxxx];networkoperator:[yyyzz]<CR><LF>
<SP>:半角スペース
[]以外は固定値
AAA:機種名
xxxxxxxxxxxxxxx[15桁]:IMEI
yyy[3桁]:Mobile Country Code
HTTP通信時の拡張ヘッダ付加情報
メディアプレイヤーがHTTP通信を行う際は、以下の拡張ヘッダが付与されます。
x-dcmstore-imei:<SP>xxxxxxxxxxxxxxx<CR><LF>
<SP>:半角スペース
xxxxxxxxxxxxxxx[15桁]:IMEI
ケータイ用語の基礎知識http://k-tai.impress.co.jp/cda/article/keyword/43518.html
によれば、
とある。
端末に固有の番号であるという認識でよいだろう。パソコンで言うMACアドレスのようなものだ。
重複する部分もあるが、いくつかの問題が含まれているように思える。
twitterで見られた反応をいくつか整理してみた。
これが最も大きい問題。twitterでIMEIってつぶやいている人の大半はこれを問題視している。
IMEI番号をそのまま送信している。
すなわち、コンテンツプロバイダ(CP)Aにも、CP-Bにも同じ番号が送信されている。
CP-AとCP-BでIMEI番号を突き合せて、収集した情報をリンクさせることができてしまう。
IMEI番号は端末に紐付けられている。
したがって端末を買い替えない限り番号は変わらない。
これが問題。
10年以上前から同じことが繰り返されているため、空間的時間的に広い共通IDを使うことの「何が問題か」知りたいなら過去の事例を参照するとよい。
等
高木浩光氏による行動トラッキングの歴史と境界線についての備忘録 http://togetter.com/li/197732
インターネットにおけるIDとトレーサビリティ(2003年)高木浩光氏 http://www.nic.ad.jp/ja/materials/iw/2003/main/ipmeeting/panel-takagi.pdf
Tracking Cookie - Symantec http://www.symantec.com/ja/jp/security_response/writeup.jsp?docid=2006-080217-3524-99
まだIMEI送信機能付きandroid端末が発売されていないので、どういう実装か不明のため、これは想像上の懸念だ。
このIMEI番号送信機能は、おそらくDRMに利用することが目的の一つだろう。
特定の機種でのみ購入した音楽が再生できる機能が組み込まれている可能性がある。
その場合、機種変更をするとIMEI番号が変わるために購入したコンテンツを利用できなくなる可能性がある。
あるいは一人で二台以上の端末を所有する場合、どちらか一方の端末でしかコンテンツが利用できない可能性もある。
実際、iPhoneにおいて似た事例が発生していた。認証にUDID(端末固有ID)を用いていたアプリが機種変更ののちに使えなくなる事例があった。
また、それまで利用していた端末をオークション等で販売する可能性もある。
その場合、端末の新しい所有者が、古い所有者の購入したコンテンツを利用できてしまう可能性もある。
ただしこれらは想像上の懸念だ。
UserAgentまたは拡張ヘッダに記述されたIMEI番号をもとに認証を行うサイトの出現が懸念される。
参考:かんたんログインの事例 http://www.atmarkit.co.jp/fsecurity/rensai/keitaiweb02/keitaiweb01.html
そもそもIMEI番号の取得はかんたんだ。
友達が不用意にその辺に放置した端末で「*#06#」と入力すれば取得できてしまう。
送信される番号はどのサイトに対しても共通なので、他のサイトで使うことができる。
そしてなりすましも容易だ。
とか。
ぼくよくわかんない><
プライバシに関する専門家でもないので、補足訂正おねがいしまーす。
あと、この問題を扱うに当たって、何を「個人情報」だとするのかとらえ方が人によって違うことに注意したほうが余計な労力を使わなくて済む、と思いまーす。
詳細は省くが花王デモには経緯により嫌韓感情を持つ人たちが多く集まっている
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1316938148/155-
嫌韓じゃない人なんているの?
155
^O^ノ 呼んだ?
名前:スナフキン ◆kN7yEmFXJc [sage] 投稿日:2011/09/26(月) 19:14:02.87 ID:4FewSLGT [3/5]
155
^O^ノ 呼んだ?
この発言は絶対に許せない
小さいころから可愛がってきた甥っ子が婚約者だといって在日韓国人の娘を連れて来た時
フジテレビが韓流ゴリ押ししてるのが嫌なのも韓国が大嫌いだからよ
近所の人が寝静まった夜中に化粧して着替えて出かけて
泥棒みたいな思いをしながらコソコソチラシをポスティングしてきたのも
こんなに悔しい思いするとは思わなかった、涙が出てくるわよ・・・
>>204
まぁ、私もその発言は好ましくないと思ってますけど。
>>205
感情の問題よ、可愛い甥っ子の結婚を素直に祝福できないからこそ憎たらしいんじゃないの
そんな単純に割り切れるもんじゃないのよ。
これは弊社だけの事かもしれないけど、どうも「人材の育成」ってのに全く関心が無いように見える。なんでもかんでも「即戦力」ばかり求めていて、自分個人的にはお話にならない。
密室会議でプロジェクトの体制が決まるのだが、だいたい自分の担当範囲は「その他」と書かれている事が多い。
基幹部分はVisualStudioで、だいたい、VB.netで書かれたプログラムで目立つところばかり。でも別に基幹部分とはいえ、クリティカルな部分は無くて、万が一止まってしまったら、リブートすればいいだけ。この部分は、たいてい他の人に取られている。
で、自分に割り振られる「その他」ってのは、VisualStudioで、VB.netとVC++で、主にネットワークとミドルウェア、ドライバの部分、他のマシンでUNIXのX-Windowだったり、Webサーバ、Webアプリ、Oracleデータベースだったり、組み込みマイコンのOS、ドライバ、アプリの担当となる場合がある。
ちょっと待ってよ。なんでVBの部分は数人で作っているのに、その他のクリティカルで多様な部分は俺独りなのか?
聞いてみた。
「誰も出来ないから」
は?
俺だって生また時から出来るようになったわけじゃねーよ。誰も出来ないなら育てろよ、と言ってみた。
意味わかんねーし。
でも、最初から担当出来るならまだまし。たいていは、「出来ない部分」は外注に発注する。
そして、外注が失敗する。
その尻ぬぐいが俺になるパターンが9割を占める。
勘弁してくれ……。
自分の課の人員動向を見ていても気になる部分がある。課長や係長の様子を見ていると「使えない」と判断したら他の課に回してしまう、けど、教育はしない、みたいに見える(でも、部から外へは出ない)。
なんかおかしくないだろうか?
先述の外注の件も、「社内で遊んでいる人員がいるけど、技術が無いから、外注に出す」パターンで、結果、外注に踊らされて「動かないコンピュータ」が出来上がってくるパターン。
外注と話をすれば、(まぁ、だいたい15分も話をすれば)、相手がどのくらい出来るかどうかなんて判断出来る。たいていの場合「無理じゃね?」「これじゃ出来ないのあたりまえじゃね?」という結果が俺の脳裏をよぎる。でも、何故か、外注に発注する事になる。
おかしいよな。だって「社内に遊んでいる人員」がいるのに「外注に出す」ってなんなのさ?
「即戦力」
しか頭にないんだろうな。
外注も頭良くてね。業界つながりで他の会社の人達と話す事もそれなりにあるんだが、出来る会社、出来る人員(個人事業主も含む)は、口をそろえてこう言うんだ「悪いけど、君の会社の、特に君の部からの仕事は受けないようにしてるんだ」とね。表向きには言わないけど、複数の会社に相見積もりをとると、そう言っている会社は、弊社に出してくる見積書がめちゃくちゃ見積金額が高い。当然、弊社からはその会社に発注しないわけ。そう、残っているのは「実情を知らない会社とその社員」だけ。だから「動かないコンピュータ」が出来上がってくる。上の連中がどれだけ、この事を知っているのか。
の、割には「職人」に対する扱いがひどいのもある。
どうも、経営者、管理者どもは、自分の力で物理法則が変えられる、他人の脳をオーバークロック出来るかと勘違いしているようだが。どこかの国の政治家やDQN連中と同じように見える。
IT業界だけの話じゃ無いと思うんだけど、例えば……そうだなぁ、漫画・アニメ・小説とかのコンテンツ業界も(外から見てる限り)そんな感じを受ける。こっちの業界も、「即戦力」と「職人に対する扱い」に関しては、IT業界と同じに見える。
漫画・小説も、「既に売れている作品」に勝るとも劣らない作品をクリエイト出来る人間だけが採用されているような気がしてならない。いや、同人誌界を見てるとそう思うわけなんだが。
商品なんだから、それは当たり前の話なのも分かる。
だがよ。「育てる」事してないだろ?(という風に見える)
ある機会があって、就活生と話す事があった。やはりかなり焦っていて「もう仕事は何でもいいし、どこでもいいから内定とらないと」と言っていた。「うちの会社にだけは来るな」とだけ言って、俺は言わなかったけど、確かに「新卒」というカードを使えるのは1度きりだけど、「意に沿わない仕事、職場の雰囲気、自分の技術力、これらが合わないと、早々に精神を病むぞ」と言いたかった。現に、弊社やその周りの会社では早ければ入社後1週間、2~3年後までに辞めてしまう、またはメンタル疾患にかかる人が急増している。
なにしろ、育てないで、新人といえども「即戦力」を求めるからな。付いてこられない、精神的疲労は大変だろう。
今年の新人君と話をしてみたが、情報系の院卒のれっきとした修士でありながら、16進数とバイナリとテキストの区別が分からなかった、という驚愕の事実。これで「即戦力」?
「ゆとり」世代、の一言で方つけてしまうのは、少々酷かとは思うのだが、採用判定する方も「ゆとりジジィ」としか思えない。
まぁ、うちの部は、会社の中では「墓場」と言われていて、この部から出て行くには「自殺」「精神疾患による退職」の2択しかないのだが。
こうやって脱線した時の、リトライのすべが無いのも事実だよなぁ。
「そりゃ、実力が無いだけ」「努力が足りないだけ」
と一刀両断にするのは、いかがなものかと。まぁ、分からなくもないけどね。
前述のような事を書けば、ほとんどの人は
「辞めればいいじゃん」
と言う。まぁ、それも分かるわ。実際その通りだし。別に社畜じゃないし、会社に未練も無いから。少なくとも今の会社、出来れば「職人」を蔑ろにする風潮のIT業界からは離脱したい。
サービス業なんていけない。ぶっちゃけてしまえば、サービス業(例えば接客業等)って、いわゆる「感情職業」じゃないですか。一度鬱病やって休職した経験のある自分にとって、感情職業は無理。
転職エージェントとか見ていても、やはり「キャリア」。「即戦力」だよねぇ。
最近のmixiの(少なくとも自分にとっては改悪だった)状況に対する、mixi使っている人達の反応や、Twitterの非公式RTに関するページを読んでいて、「そんなに嫌なら、使わなきゃいいじゃん。自分に合ったものを自分で作れよ。」と思う。無料サービス・アプリなんだから文句たれてないで、使うの辞めればいいのに。
なんか、弊社のある課長を思い出したわ。ある有名なフリーソフトを使っていて「これ、使いにくいから、作者にクレームのメール入れるわ」とか……。おいおい。使いにくいなら使わなきゃいいだろう、フリーソフトなんだし。相手(課長)の常識より、自分の常識を疑ったわ。フリーとはいえ、クレームをつけるという常識が、昨今の風潮なのか、と。
と、思うのは、前述した「(会社を)辞めればいいじゃん」と同じなんだろうか?
少なくとも、金銭や契約が関わっている以上(他、労使契約、労働基準法等)、違うと思うんだよね。
と、書いても、例えば、喫煙者(愛煙家と言うか?)にたまにいる「金と税金払って吸ってるんだから、どこで吸おうと勝手だろ」というのと同じなんだろうか?
いったんレールから外れると、ほとんど復帰のすべが無いってのは、なんだかなー、と思う。
するとこう言う。
これも「(会社を)辞めればいいじゃん」「使わなきゃいいじゃん」と同じなのかな?
自殺する気は無いから、会社は辞めるけどね、耐えられなくなったら。自殺するくらいだったら、引きこもり→生活保護の方がいいわ。
1900年以来、第4位の大地震であれだけの災害だったにも関わらず、死者・行方不明者数が、スマトラ島沖地震、チリ地震よりも少なく、かつ、「年間の総自殺者数」の方が多いってのは、どうかと思うわけだが。
ちょっと、最近、閉塞感を感じるので、つらつらと書いてみただけ。
ありがとう。会社関係の友人には、本当に信頼してる人だけに言うことにする。
それなら裏切られてもしょうがない、って思えるし。
その他に「組織が腐っている」と感じた事例はない?思い当たるならアリ。
そういえば元職場、エライ人の夢広がりまくり鶴の一声で開発ターゲットが変わったんだった。
夢は大事だけど、それ若返りクラスの夢だから!と何度思ったことか…これも腐ったといえば腐ったか。
たぶんいいことなんだろうけど、自分はそれで大失敗したから…会社の健全性だけは絶対調べた方がいい。自分はエージェントを信頼してたら騙されてた。
健全性っていうと、財務面のことだよね。すっかり頭から抜けてた!調べてみるよ。
自分が転職した直接の理由は望まない異動(部署ごと)があったからだけど、
そもそもこの会社では自分のスキルが生かせなく、組織が腐っていたから遅すぎたくらい。
その他に「組織が腐っている」と感じた事例はない?思い当たるならアリ。
知識・技術が共通しないのでイチから勉強しなおし、一方同期には数年分の経験が。ということは、私は出世が遅い、もしくは出世しないと推測(出世したいわけではないけど)
自社について考えると、主柱事業(=A事業部)はつぶれないだろうけど、多分これ以上伸びもしない
出世しないにしても追いつける領域なのか、そしてそもそも自分が興味あるかが問題。伸びもしないということはあまり乗り気じゃないということ?
異動するちょっと前から転職活動してみたら、これから伸びそう+面白そうな会社が見つかったのでB開発部の経験(ちょっと水増し)で職務経歴書+面接、2次まで通った
たぶんいいことなんだろうけど、自分はそれで大失敗したから…会社の健全性だけは絶対調べた方がいい。自分はエージェントを信頼してたら騙されてた。
その前に、 やりたい事を見つけろ。 漠然とエージェントに登録すれば、夢のような提案が来て・・・とはいわんが・・・レールがあって みたいな事を思っていないか?
エージェントに会うこと自体は、悪いとは言わないし、合ってみるべきだと思うが・・・
自分がどういう将来像を描くのかは、自分しか決められないからなぁ
プライベートの時間が少ないって言うけど、欲しいのか?何したいの?転職しないで、そのやりたいことを叶える方法は?
今に対する危機感で物事を語っている気がするので、そうではなくて、こう言うことをしたいんだけど、その手段として転職はありか?って考え方の方がいいよ。
内緒で同じ業界の企業に応募して、反応が良かったら考えてみたら。
二十代後半エンジニア。
社内では評価されているようで、それなりに責任ある仕事をそれなりに広く任されている。
まあ、会社の規模が小さいからというのもあるけれど、おかげでいろいろな経験を積めている、と思う。
これはすごくよい点だと思っている。
だがしかし、近頃どうにもこの環境から出たいという気持ちが頭をもたげてきている。
この業界の例に漏れず、プライベートの時間がかなり少ない(ウチはマシな方と聞くが、まあ社畜まっしぐら)。
新しいもの、面白いもの(どちらも仕事に関連しないものを服務)に触れる機会は減ってしまうし、同僚のレベルも低いので切磋琢磨も難しい。
さらには、過去のダメなプロダクトに悪い意味で慣れてしまってきている。
このままいくと、感性が失われ、創造する力がこれ以上伸びていかないのではないかと危惧している。視野も狭い人間になってしまいそうだ。
まあ、忙しかろうが収入が十分だったら「稼ぐ手段」と割り切ることもできるだろうが、そうでもない。
楽しかったり使命感を感じていれば、熱中・没頭できるかもしれないが、それもない。
「なぜ忙しいのか、その原因を取り除く努力はできないか」とも考えたが、容易ではなさそうだ。
はっきりいって、組織に体力がない。まともに自分の仕事をふれる人がいないのだ。
自分が時間を多く割いてあれもこれも担わないと、利益が出せるだけのペースで回っていかない。
企画と管理と設計と実装と運用を同時にやれって無茶ぶりだぜ、おい。
だから結局、地道に人を育てていくしかないんだと思う。
これはこれで意味のあることだと思うし、自分が組織を強くしたんだっていうのは大きな成果だとも思う。
そんな気の長いこと言っていたらあっという間にそれなりの年齢になってしまう。
というか、人生自体一回きりじゃねーか、と。
ただ問題なのは、転職、あるいは独立してその先にやりたいことがないということ。
それに、もしかしたらこれは現状から逃げてるだけなんじゃないかということ。
自分は、今の自分とこれからの自分をどう見て、どう考えたらいいんだろう?
そう。
おまえらも思ったコトあるだろ?
これまでの人生のあらゆる局面で思っただろ?
就活がうまくいかなくて、あぁ、マジでもっとちゃんと勉強すりゃ良かったと思った時とか。
理系でもないのにプログラマ枠で入社しちゃってさ、そしたら毎日超残業のブラック会社だった時とか。
社長が「早く○○(←人名)を売れ!」とか言ってるの聞いちゃって、人身売買に震え上がったときとか。
それでも、人間の適応能力ってスゴイもんでさ、なんとかプログラム書けるようになってきたんだけど、
2・3ヶ月前に自分で書いたソースをメンテすることになって、自分が書き上げたソースを見返して、
あぁぁあぁぁ...orz...みたいな時とか。
そのうち部下ができて、そいつのソースレビューして、あ゛ぁぁあぁぁ。みたいな時とか。
そのうちプロマネになって自分が仕切ってるPJがデスマーチに突入してしまったときとか。
そのうち本当に自分の子供だかなんだかしらねーけど、でき婚する羽目になった時とか。
家庭持ったらこんなブラック会社無理と思って、登録した紹介会社のエージェントから、
経歴について『厳しいですね。。。』とか言われてる時とか。
ちょっと調子こいて、35年ローン組んでさ新築マンション買っちゃった跡にさ、
Chikirinに『10年以上のローンはだめです』とか言われた時とかさ。
思っただろ??マジで。切実に!!
あれはさ、ぜーーんぶ、任天堂のせいなわけよ。
あいつらがファミコンにさ『リセットボタン』つーのを作ったせいなのよ。
知ってた??(※本当はオレもダチに教えてもらったんだけどさ)
だって良く考えてもみろよ。スッカスカだぜ??
下手すっと1秒間に6回くらい連打できるもん。
Realforceより軽いもん。マジ。びびるよ。
あいつのせいで俺らは全員、『リセットボタンは簡単に押せる』と思い込まされたわけよ。
だってそうだろ?考えてもみろよ。
スパルタンXやったろ???
掴み男がさ、3人くらい連続で襲ってくるわけよ。
ナイフ投げてくるヤツとか、ちょーつえーわけよ。
まさに生きるか死ぬかの戦いなわけよ。
カラテカやったろ???
いきなりスタートから崖っぷちなわけよ。決死の覚悟なわけ。本当は。
でも、おまえら面白がって敵が攻撃してきてもお辞儀してたりしたよな?
それとか、スタート地点から後ろに下がって海におちたりしたろ???
したよなっ!?
なのにリセットボタン一発おしゃーさ、恋はデジャブみたいな状況な訳よ。
だからオレは思うんだよね。
あのボタンがあったからさ、俺らはカラテカでふざけて崖から落ちたみたいに、
人生おふざけで大丈夫なんじゃない??って勘違いしたんじゃないかなってね。
たぶん。オレの考察によると。(※本当は教えてもらったんだけど)
だって。スッカスカだもん。
連打できるもんアレ。
アレがWindowsの再起動くらい面倒だったら、もっと本気出してたと思うのよ。
きっともっと一流大学に入って、一流商社に入社して、世界を股に駆けてさ、
新規事業バシバシ立ち上げてさ、OLにめちゃモテでさ、そうだついでに起業もしよう。
それでもって15歳年下の女優さんと結婚だな。子供は・・・そうだな5人だな。お国の為にな。
って、おもったけどさ、、、現実にはリセットボタンはないんだよ。そんなの知ってたよ。
知ってたけどさ、『リセットする』っていう概念を、頭の片隅に刷り込まれてた気がするんだな。
あの頃の俺らは。きっと。
あんなに簡単にさ、、
あんなに簡単に人生をなかった事にできてしまうボタンなんて存在してはいけなかったんだよ。
アレが俺ら全員に『リセットする』っていう幻想を抱かせてしまったと思うんだよな。
マジ。恨むよ。任天堂。
まぁ、でも、これからはお国の為に、バシバシ外貨稼いで、バシバシ国内で消費して
もらわんといかんからな。恨み節もココまでにしとくよ。
ファミコンに出会ってから26年くらいたったけどさ、今更いろいろと気づいたよ。