はてなキーワード: ツナギとは
エンタープライズ向けであることも、価格も、MSのMRチームのレイオフの噂もそれを示している。
HoloLens の後継機をMSが完全にあきらめたかどうかは分からない。
しかしながら、従来のHoloLens の方式でレンダリング視野角を広げることが困難であることは明白だ。
技術革新がそれを実現する可能性は無いとは言えないが、おそらく直近で実現することは難しいとMSは判断したのだろう。
だから、コンテンツ供給の継続性に疑問符が付き始めたMetaプラットフォームの延命策という意味と
HoloLens が後継機を出すまでのツナギの意味も込めて、Meta Quest Proが生まれたのだろう。
そういう意味であの製品を見れば、非常に合理的な製品だといえる。
HoloLens が抱えていた視野角の問題はフロントカメラのパススルーで解決した。
ぶっちゃけHoloLens 方式なんて諦めてもいいんじゃないかと思える。
フロントカメラパススルーのごくわずかなラグが致命傷になるような危険作業の用途でもない限りHoloLens 方式は不要だろう。
HoloLens 方式が死んだとしてもMSのMRプラットフォームは死なないだろう。
外注でハード生産リスクを他社に押し付けられたのだから、ビジネスが見込めるMRプラットフォームは今後より一層注力されるだろう。
むしろHoloLens 方式の視野角のせいで拾えなかったビジネスチャンスをどんどん拾える可能性すらある。
そうなればMetaとしても、うだつの上がらないコンシューマ向けVR市場の延命のための資金獲得手段として活用できる。
当時20後半になってもフリーターをしてた俺は、服飾の専門学校を出てニートになった友達と一緒にタイムスリッパーごっこをしていた。
友人が作った全身に緑色のボタンがついてる(ゾゾスーツの白い丸が全部ボタンになってるイメージ)灰色の奇抜なツナギと、片方のレンズにヒビが入った伊達メガネを身につけて、遠くのバス停に目掛けて走り、バスを待ってる人に「すみません、いまいつ頃ですか?」と聞いて去っていく遊びだ。
なるべく変な連中に絡まれないように、昼間の穏やかそうな学生や頭が柔軟そうな二人以上のグループを狙って犯行を行った。ある程度の年配者など融通の利かなくなそうな人にやると揉め事に発展したり通報されたりする恐れがあるからだ。
ターゲットのバス停へ先に片方が普段着で並び、もう片方がタイムスリッパーファッションを施しバス停にかけつける。(友人は恥ずかしがったのでタイムスリッパー役をやることが8:2で俺の方が多かった)バス停でバスを待ってる人に「いまいつ頃か」聞くといろんな答えが帰ってくる。大体は「今の時刻」か「今日の日付」だ。そういう時に「ちがいます!西暦です!」と答えると、今日の西暦が返ってくるので、今日の西暦と教えてもらった日付や時間を復唱し、深刻そうな表情で「このままだと間に合わない!助かりました!ありがとうございます!」と深々とお礼をし、全速力でその場から逃げだす。そうすると、バス停でスタンバイしてる人間が「え、何今の人」「やばい人?」「タイムスリッパーだったんじゃない?」「ただの頭おかしい人だよ」「でも西暦聞いてたよね?」と、タイムスリッパーに絡まれたグループのやりとりを聞けるのだ。
友人は、自分が作った服を着て、タイムスリッパーに間違われるのが凄い嬉しくて楽しかったらしい。久々に心から笑えたと言っていたのを今でも覚えている。
一年ほどそんなくだらない遊びをして、馬鹿みたいに笑って、バカ高卒で頭の悪い俺は三十路前に未経験でプログラマとして就職して、しょっちゅう彼氏が変わる友人はキャバ嬢になっておっぱぶ嬢になってピンサロ嬢になって金パブODを覚えて最後は大量の睡眠薬によるODで死んだ。
就職してから俺の毎日は変わることもなく、ただ仕事と家の往復で人生を摩耗していた。この間、野暮用で平日の昼間に仕事を早退した。野暮用を済ませた先にあったバス停があの頃友人とバカをやってたバス停の一つだった。思わず懐かしさに手を引かれて、誰もいないバス停のベンチに腰を掛けて、車道を走る車をぼんやり眺めながら、友人とやっていたタイムスリッパーごっこをぼんやりと思い出した。段々と当時の記憶が鮮明になってきておもわず思い出し笑いをしてしまった。
あの頃の友人がひび割れたメガネとクソダサい灰色のツナギをきて「すみません、いまいつ頃ですか」と俺に声をかけてきた。そんな午後だった。
そもそもツイフェミって「私ロボットの女の子!ロングスカートが素敵でしょ!今日はお部屋のお掃除やってみるかなーって思ったんだけど、本のお片付けしてたらついつい読みふけっちゃった!」を燃やしてるんで、セーフな表現とかないです。
オタク的センスで穏当とか穏当じゃないとか露骨なエロだとかほのかなエロだとかエロ全くないとか分けたところで一切通じてないです。
逆バニーはさすがにいかんでしょ、作業用のツナギなら脱いでなきゃOKでしょとかそういう区別はない。農作業用のツナギの胸元ちょっと開けた女の子の絵が燃やされてますからね。胸元開けなくても多分高所作業用のハーネス付けたら顔しか露出してなくてもSMの縛りと勘違いして燃やしにくるぞ。
「ロングスカート女の子ロボットの絵はすなわちツイフェミたる私そのものであり、それが掃除するというのは女性差別を助長する」っつってますからねツイフェミは。
いや待てよと。女性に見える外見に生まれたら一生自分の部屋の掃除もしちゃいかんのか。そういうオタク的センスからくるツッコミは無効です。
まず注意いただきたい。
以上気をつけて欲しい。
そもそも推考をしていないただのゲロなので気分が悪くなったらそっとタブを閉じて欲しい。そこら辺は自衛してくれ。
ヒロアカの2作目の映画をみた雑多な感想: https://anond.hatelabo.jp/20191221053748
正直に言おう、ブルーレイは買わなかった。
どうしても公式との解釈の違いや、ドラゴンボールのような戦闘が多すぎる映画が苦手だった。
だがあえて言おう、3作目である今作もドラゴンボールであったと!
しかし、2作目よりアニメが進んだためか戦闘の幅が広がり、見ていて飽きがこなかった。
そもそもボンズのアニメファンである私には今作が刺さりすぎた。ボンズ愛してる。
戦闘シーンにハガレンを見ていた時の高揚はもちろん、登場人物の痛みも感じるような鬼気迫るものがあった。
(そもそも血みどろになっていたが、これPGついてない?もしかしてRいった?)とまで思ったほど私たちが大好きなボンズだった。
想像を絶するカメラワークでさまざまな画角から描かれる、多種多様なエフェクトの戦闘と、血みどろで、ダークな演出。
これらが、今作の映画 僕のヒーローアカデミア ワールドヒーローズミッションにはあった。
ありました。確かにそこに、ボンズがいました。ありがとうボンズ。
特にフレクト戦のデクやレヴィアタン戦の轟やサーベンターズ戦の爆豪から、我々視聴者は余すことなく吸収できた。
ヒロアカ知らない人にも見て欲しい、今作。どうやってお勧めするべきか悩んでいるところです。ありがとうございます。
原作者である堀越耕平先生がどこかで発言されていた(ような気がする)日本のアメコミを作りたい、が本映画に詰め込まれていた気がする。
潜入ミッションで今作オリジナル衣装のデク、ショート、爆豪が戦闘したのちのOPではDCコミックスのジャスティスリーグアニメーションを感じた。
私は生粋のDCファンであり、DCアニメを見て育ったので、そのシーンが流れた瞬間心の高鳴りが隣の座席の人に聞こえるのでは、うるさいと怒られるのではないだろうかと怒られてしまった。
とにかく、あのOPの演出と一枚絵には人を魅了する”なにか”があった。間違いない。劇場でもう一度見たい。
まずはじめにこれについては語っておかなければならない。ありがとう、吉沢亮。あなたの声質と演技は、神に祝福されて生まれてきた。ロディというキャラに本当の意味で命を吹き込んだ。
偏見だが、俳優がやる声優は大体はずれだと思ってしまう。しかし、今回に至っては全ての演技がハマっていた。
さて、声優の話はそこそこにこのキャラクターの重要性について話したい。
まず、ロディがスラム出身であることが私の中で非常に評価が高かった。その出自に関しては裕福な家庭であった(大きな屋敷で遊んでいた描写から推測)にもかかわらず、ヒューマライズに父親がさらわれた差別によりスラムまで追い込まれて正規の職にありつけず、幼い兄弟には明かせない盗んだ宝石の運び屋などの犯罪で食いつなぐしかない1少年出会ったことが、どれだけ私の心を惹きつけたか。
ヒロアカでスポットライトが当たる人物は基本的に生まれた瞬間から光り輝いており(轟は出自こそあれだが、能力は恵まれている部類に入るため光属性と私は考える)、橋の下の子(スラムなどの被差別部族)には縁がないと思っていた。
しかし今作では、ロディが「ヒーローは俺らの住んでるところまでは来ない。金にならないからな」と発言した(うろ覚え)。これは私の解釈と一致し、胸が締め付けられた。ヒーローは金にしか興味ないのかと思っていた、とも言っていた。もう私の胸は張り裂けそうだった。
幼い兄弟二人とともに少年である自分がどうやって食いつなぐのか、相当に頭を悩ませたに違いない。
このロディの存在こそが私がボンズファンたる由縁一つだと確信し、あの洞窟でロディの個性を打ち明けるシーンで”推し”確定となった瞬間だった。
余談だが、デクが胸に矢を射られたあと、しばらくして国境越え間近のシーンを見たらツナギの胸部分がパッチワークで別の布が縫い付けてあった。この瞬間「あ、これロディが縫ったな」と思ったのは私だけではないだろう。
そもそもロディの服がぼろぼろで下手くそなパッチワークだらけな服であったことは登場した瞬間誰もが気づいたであろう。その後デクの服がパッチワークされていたら、間違いなくロディがやったな!と、皆が思うわけだ。旅のシーンで心打ち解けるシーンも、音楽がなりながらであるがしっかり描写され、観客は「一夏の思い出か・・」と思ったりするわけだ。こんなキャラ、だれが嫌いになるのだ?
(そもそもインターン開始が冬であったが、時系列ではインターン後期とのことで・・とはいえ真冬に開催されたインターンからオセオンに渡ったとしても北半球だから冬のはずなのだが・・?と思ったのは私だけではないはず。まあ夏の映画だから夏にしたい製作陣の気持ちは大いにわかる。私も大人だ)
全然関係ないが、事前情報ゼロで劇場に足を運ぶのが趣味の私にはピノが林原めぐみだった時の嬉しさと言ったら・・。一緒に観に行った人と見合あったほどだった。
「今回もドラゴンボールか・・、どうせ気持ちとかそういうもので乗り越えるんだろう?」と思ったあなた。ある意味正解です。でも、戦闘アニメーションはそれを超えてきました。ボンズ様、本当にありがとうございました。
あなたが作ったアニメーションで、本当に飽きないし、どうしてその強さだったのかなどがきちんと説明され、負けそうな戦いでもボロボロになりながら最後には勝ったヒーローたちが、きちんとそこにデクや爆豪、轟たちが生きていました 。
すべての戦闘ごとに、どうやったら勝てるか、どうやったら被害を最小限にするか、どうやったら相手をkoろせるか。全ての思考がそこにあったようの思います。
そして、きちんと映画として成立するように、全ての戦争で新しい画角や技や、見せ場があって視聴者が飽きない工夫がありました。
ありがとう。ドラゴンボール風であってもこんな感じであるなら本当に、本当に、何度でも劇場に足を運びます。ありがとう、ブルーレイも買うね。
とはいえ、フレクト戦ラストのデクのユナイテッド ステイツ オブ スマッシュの演出については吹き出さずに入られないほどの演出があり、ゲームを見ているかのような最強の技であることが思いっきり表現されており、デクの腕が心配になったが、ラストを見て無事でよかったよ。
OPのジャスティスリーグみについてはもう語ったが、デクの黒鞭で警察から逃げるシーンについてもスパイダーマンのファー・フロム・フォームみについても感じただろう。他にも脚本を進めるためのイベントと戦闘とギャグとの"比率"についてもアメコミリスペクトを感じざるを得ない。ブルーレイがでたら正確に比率を出したいが、これも先頭に重きを置きつつ、話の店舗はアメコミのものであり、アメコミ育ちの私には大変見易かった。
2作目から比べると戦闘シーンは遥かに上がった。戦闘のテンポもアメコミだったのか本当によかった。強いていうのならラストのフレクトの"反射"の限界を超えてプルスウルトラを叫ぶシーンは予想がついていただろうが、そこが少しくどい感じはあった。でもそれも含めて少年ジャンプみを感じ、心地よく受け取ったのが今作だった。
心の中で一緒に「プルス、ウルトラ!!」と叫んだのは、私だけではないはずだ。
一つ、気がかりなのが「ヒロアカ、学徒動員しすぎじゃないか?」である。ヒーロ業界限界が過ぎない?私、不安だよ・・。
学徒動員って戦時中であってもかなり逼迫した状況であり、ましてやそれを海外派遣するなど、言語道断・・!と思うのである。どうして今回も海外までいかせたのかはちょっと想像に難しいが、そもそも冬から夏になっているのも謎である。
すまない、話がずれたが、各地に学生を派遣したはいいが、最前線で戦い過ぎなのだ。30巻あたりで死柄木弔と遣り合うあたりであっても学生は後方部隊だったはずだ。大丈夫か、世界!映画の舞台はもっと逼迫しているのか!世界!頑張ってくれ!!
シンガポールのマーライオンヒーローやエジプトの壁画っぽいヒーロー、映画1作目で登場したヒーロー再登場は最高だったせ!ありがとう。
それはそれで、各地の同級生ヒーローたちがピンチの際に、お茶子「デクくん・・!」や霧島の「爆豪・・!」はクるものがあったぜ。同級生は体が離れても、心は一緒なんだな・・。ありがとう公式。ありがとうボンズ。
俺は1990年代生まれなんスけど、総理といえばつねに批判を受けつづけてる無能な存在というイメージがある
子供心におもしろいオッちゃん・音楽家みたいな髪型をしている、とは思っていたが、政策についてのイメージはかなりボンヤリしている そりゃそうか
でもなんとなく「小泉劇場」で誤魔化してるが無能、みたいな雰囲気のことは常に聞いてた印象
次誰だっけ?アベちゃんか!
弱々しいオッサン・重責に耐えられずに辞めたというイメージが強く、そんなんなので政府全体もわりと叩かれていた印象
麻生ちゃんはカネばらまきがムチャクチャ叩かれてて、漢字の読み間違いもすげえあげつらわれてたな
政権交代するくらいなんだからかなりボコボコだったんだろうと思う
鳩山ちゃんはネットですげー叩かれてた印象 あのころはネット世論が全体的に自民党よりだったってのもあるが、宇宙人だのルーピーだの(どういう意味?)散々な言われようだった
菅さんといえば青いツナギ姿を思い出す 地震への対処が後手後手でウンコだった、みたいなことをかなり多くの人が言ってた気がする
具体的なダメエピソードがあんま思い出せないってことはこの人はマシだったのか?
阿部ちゃん、面構えはなんとなく頼もしくなったなと思ってたんだけど特にコロナ以降の叩かれ具合がハンパじゃなかった
とにかく、カリスマあって政策もええ感じって人がいねえんだよな
日本人が1億人とかいる以上そりゃあ利害の対立もあり、みんなから有能と讃えられるなんてことはないんだろうけど、にしたって皆すげー叩かれてた印象がある
なんなんだこの国?
いい人はおらんのか?
ドラマで技能実習生や留学生の就労をテーマにした話をやっていて、昔に感じていた疑問や違和感がまた膨れ上がっていった。
5年前、地元で技能実習生が買い物をしているところを見たことがある。
クタクタになったツナギを着た東南アジア系の人達が10人くらい、黄色の腕章を付けて偉そうな人に連れられてスーパーを歩いていた。
他の人の迷惑にならないようにとかで、ちゃんと整列して歩いていたと記憶している。その様子がまるで軍隊の行進のようだったと強く印象付けられた。
どう見ても自由に買い物はできそうになかったし、他の買い物客はみんなして、異様なものを観察するようにチラチラ見ていた。
何で同じ人間なのにこんな思いさせなきゃいけないんだろう。あの時から日本に住む外国人に対する考え方が変わった。
でも、世間は自分が思ってるような感覚を持って無かった。コンビニや居酒屋では、外国人バイトを日本人が怒鳴りつけたり、その人の話す独特なイントネーションをからかったりする。
誰のおかげで日本がギリギリやっていけてるのかも知らずに。その人たちが私たちの知らない言語で、どんなことを考えているかも知らずに。
時々そんなことを日本人の同僚に話してみたりもしたけど、そんなことより自分の飯を食うので精いっぱいだろって言われた。その時の仕事机には山積みの紙の束があった。
あれから今になってようやくドラマでこんな国おかしいよねって話をしてくれた。けど、私がたまたま5年前にあの行進に出会っただけで、歴史はもっと根深かった。
さっき「技能実習制度 歴史」で検索したら、外国人技能実習制度 30 年の歴史と今後の課題というタイトルのPDFを見つけた。その見出しを見ただけでもう吐き気がした。
30年も前から、日本人は海外の人を労働力だと思っていたのか。いや、恐らくはもっと昔から、戦争が起きた頃や、そうなるずっと前からそういうことが起きていたのだろう。
PDFの内容はここでは伏せる。見たい人だけが見ればいいと思う。ただ、「今後の課題」というタイトルがつけられている以上、この制度が消えることはないという胸糞悪い内容でしかないことだけは説明しておく。
日本ほど、知れば知るほど嫌いになっていける国は無いと思う。
そもそも、ドラマというお茶の間のエンタメになってしまえる自国の闇ってどういうことなんだろう。
テレビに多数出演したりするほど人気ではないが、名前を聞けばそれなりの人が知っているであろう中堅どころのテレビタレントである。
あなたが銭湯などで不特定多数のチンコを見たことがあるならば、遭遇したことがない人はいないであろうシャウエッセンのような一般的な包茎。
私が生涯見た中で一番大きかったチンコは、旅行先の沖縄のホテルで見た男のチンコだった。
彼の大きさは凄まじかった。
花の蕾のように存在感のある大きさをした亀頭、アナコンダのように太く長い茎。
彼が浴槽から上がり脱衣所に向かう時、私は彼についていった。
彼はツナギを着ていた。仕事帰りにこのホテルの風呂を利用したのだろうか。
ツナギに書いてあった社名をネット検索してもタウンページくらいしかヒットしない。
おそらく、ホームページをもたない地元の工場に勤めているのだろう。
みなさんはどのようなチンコを見てきただろうか?
ソーセージの形にしても、ポークビッツからジョンソンヴィルまで大きさは様々だ。
いわゆる「イチヂク」とか「スッポン」と言われる、先端の皮余りが激しいチンコ。
ナニが彼のチンコを大きくさせたのか?
私は少なくとも家庭環境はそれほど大きさを左右しないと考える。
私が見た芸能人は結構裕福な家庭で育ったそうだがチンコは普通だった。
アフリカのワイルドチンコはキリンの首のように立派なイメージがある。
しかし、ロシアのミリタリーチンポもなかなか侮れない大きさだった。(動画で見た)
日本人などアジア圏のチンコは小さく、ヨーロッパ圏は大きいという統計結果はある。
泌尿器科の医師の研究をもとにした統計もあるのだが、しかしそれらはどうやってチンコの長さを測ったのだ?
それとも患者本人に測定してもらい、結果は自己申告させたのか?
じゃあ医師が測っている途中に患者が甘勃起くらいはしなかったのか?
自己申告なら患者が虚偽申告している可能性もあるのではないか?
プライバシーの問題だから、と言及を避けているが統計はデータが正確かつ膨大なものでなければ意味をなさないのではないか?
チンコに関する情報はネットに散見されるが、私はこれらの情報を鵜呑みにできないのだ。
なんでこんなことが気になるのかというと、私は大きいチンコを見たいのだ。
世界最大のチンコはネットで見れる、しかしそういうものではない。
あれはおそらく、先端肥大症などのホルモンの異常によるものである。
仲間内で銭湯に行った時、「お前ってチンコでかいよなw」と言われるチンコが見たいのである。
近年情報社会となり、私たちがどのような人でどのように生活しているかはデータ化されている。
そこにチンコの情報を加えればあら不思議、チンコの大きさと人の生活の相関関係が見えるのだ。
私が見てきたチンコの経験上、チンコの大きさは正規分布の形に近いと考える。
では、平均±2SDの人々はどのような人でどのような生活をしているのか?
興味が尽きない。
もしよければ、コメントで書き込んでみてはくれないだろうか。
私は12.2cmです。
「どちら様でしょうか?」
「あの、知り合いでは無いんですけど、Aさんのファンで…」
Aのことは知っている。友人、いや親友とも言っていい間柄だ。
随分前に彼が声優を目指すために上京した後も頻繁に連絡を取っているし
週イチで一緒にゲームしたり、都合が付けば向こうで会ったりしている。
台風が過ぎ去り雨も止んだので、家の周りを掃除を始めた時だった。
声を掛けようと思ったが、ツナギ姿で作業するオッサンが声を掛けたら
怖がられるかな…と思い無視していたのだが、5分経ってもそこを動かないので
流石にと思い、声を掛けてみることにした。
ここで最初の会話に戻る。
「チャイムが鳴ったので玄関に向かったら、ファンがドアの向こうに立っていた」
といったエピソードを思い出した。
当時は流石に嘘では?と思っていたが、あれは嘘では無かったのかもしれない。
自分でもまだ上手く考えがまとまっていないのだが、
彼女たちの行動は親切や優しさ、心配の範疇に収まっているだろうか。
実家を教えず、何とか説得して帰した自分は間違っていただろうか。
少なくともこの話を聞いた彼は怯えていたので、間違ってはいないと思いたい。
これは何も彼だけに限った話ではなく、ファンを抱えることになる人全員に
起こり得ることだと思うので、気をつけて欲しい。
小さい頃遊んでいた場所の話はしない方が良いと思う。
俺の仕事は給料がめちゃくちゃいいわけではないし田舎の中小企業だ
そしてそんなに忙しい仕事ではない
勤務中に遊んでてもやることさえやってりゃ多少は目をつぶってくれるのでそれなりに居心地がいいのが気に入ってて働いている
昼間っからついったーにいる俺をあるフォロワーが馬鹿にしてきた
彼は優秀だったんだろう
俺でも名前聞いたことある会社に内定をもらったそうだ。聞いたわけではないが、わざわざDMで
「立派でしょう、僕は増田さんみたいに怠けた社会人になりません」
よかったね、って返信したら
「平日の昼間に返信するなんて社会人失格ですねw」って草生やされた
それを読んだタイミングでちょうど来客があったのでそれ以上は返事しなかった
そんなことがあって一年経った
仕事抱えすぎてミスして上司から叱責されてプライドが傷ついたんだと
離職した報告ツイートのスレッド(クソ長文)全部にいいねを押しといた
今はいくらでも仕事あるしまだ若いしなんとかなるよ、という応援の気持ちも含んでたけどちゃんと伝わったかな
「増田さんの職場紹介してください、昼間も暇そうだし誰でもできる仕事なんでしょう」「次の仕事までのツナギで働いてもいいですよ」
こいつとは仕事がしたくないなと心底思ったので返事は返さなかった
俺は社会人失格なのでね
華金だし酒飲んで帰るわ
「ハンバーグの中に髪の毛がびっしり入っていた」っていう話があるじゃん?
あれって複合材料として応用できないだろうか。
一般に人間の髪の毛は延性に優れており、特に縦方向への衝撃に対して非常に強い耐久性が見られる。
その強さとしては、髪の毛10本の束の限界張力が、およそ1.5kgであることからも分かるであろう。
反面、横方向からの切断などにおいては脆性が見られることから結わえるなどの工夫が必要であった。
しかし「ハンバーグの中に入れる」ことで双方の性質を活かしたまま材料として用いることが出来るのだ。
ハンバーグのタネは非常に脆く、ツナギとなる卵などを用いて補強することが必須である。
そこであらかじめ内部に毛髪を導入することで、この工程を省略しつつより頑強なタネを作ることが出来るのだ。
加えて、髪の毛入りハンバーグはハンバーグ面に対して平行、すなわち横方向に埋め込まれている。
そのため食事の際にナイフの衝撃が垂直に入り、持ち前の脆性によって無理なく食事も可能となるというわけだ。
人髪の耐久温度は154℃であり、それ以上の温度となると分解あるいは強度低下が見られる。
そのため加熱が必要なハンバーグのタネとの相性が悪いのではないかという懸念が挙げられるであろう。
確かにハンバーグを作るのに必要な温度は180~230℃とされる。しかしそれは表面温度に限った話である。
タネ中心部の温度としては65~80℃であることから、この熱的問題は素材の耐久性に関与しないことが明らかとなっている。
むしろ、毛髪の「降伏応力(毛髪を引っ張って離したときに、元の状態の長さまで戻ることができる最大の力)」は湿潤時に低下することが知られている。
そのため、十分な加温により乾燥状態を維持することが出来れば、常に毛髪の耐久性を損なうことなくハンバーグの耐久性を上昇させることになる。
その点でも、毛髪の有する問題点をハンバーグによって解消できる。
このような相補的な性質から、髪の毛入りハンバーグは非常に理想的な複合材料であるといえる。
食欲が湧かない。
以上より、髪の毛入りハンバーグは理想的な強度を有することが判明した。
4日目
慣れてしまえばどうって事ない
目を覚ましてカーテンを開けると、結露のモヤの向こうに広島の晴天が広がっていた。
窓の外には気持ちの良い冷気があるのだろう。
東京から南に移動したとはいえ、同じ日本なので11月の気候にそれほど大きな違いはない。
今日がこの旅では広島で最後の朝、昼には新幹線で博多に向かう。
初日に否定的なレビューをしてしまったホテルだが、古い設備もバストイレ別の狭い部屋も慣れてしまえばどうということはなく、フロントは丁寧だし、サウナも使えるし、立地も便利だしで、これで1泊あたり3,500円ならコスト分の満足は超えていると思う。
実際、2泊通してフロントには出張族と思しきスーツ姿やツナギを着た現場仕事の兄ちゃんが引っ切り無しに訪れており、底堅い需要の存在を感じさせた。
洗い場の排水も改善された大浴場で朝風呂を浴びてホテルをチェックアウト、清涼な空気を吸いながら、遠回りして広島駅へ向かう。
と、スマホで地図を確認していると、広島城が案外近い事を発見した。
平和記念公園と宮島で観光の時間を使い切ったと思ったが、この距離なら新幹線の出発前に回れそうだ。
江戸時代以前の城は火災や戦争などで城そのものは失われてしまっていることが多いのだが、広島城は戦後、天守閣が復元されており、中は歴史博物館になっていた。
海運の要衝として発展した広島の歴史、築城した大名、城内や城下の暮らしなどの展示を見た後、登っていくと、ショウケースの中に幾振もの日本刀がその刃に輝きを湛えて横たわっていた。
チェックアウトの前にニュースサイトをチェックして目に留まった件がある。
全米ライフル協会が医師の発言を揶揄するツィートをした事に、医師たちが猛反発し、抗議のツィートが全米で広がっているというニュースだった。
全米ライフル協会のツィートには「なんでこんな無神経なことが言えるのだろう」と、瞬間 疑問に思った。
アメリカの選挙に影響を与える資金力が良く話題になる全米ライフル協会だが、それを支えるのは「銃を持つ事を肯定する思想と無数の感情」だろう。
アメリカは「政治が暴走した時に民兵が蜂起して正しいアメリカを取り戻す」という思想の元、市民の銃の携行が権利として認められているという。
でも、そういった政治思想より「銃を取り上げるな」という感情が個々人の心になければ、銃の携行はここまで生きた頑強な権利として存在し得ないと思う。
銃社会でない日本にあって、その想像は難しいと思ったが、日本刀を説明する時「侍の魂であり、日本の誇るべき美の結晶」という様な言われ方をするのを考えれば、わかる気がした。
アメリカで銃が民政の象徴として説明される様に、日本刀も忠義や克己の象徴として思想的な説明が試みられる。
しかし、銃も刀もその道具としての核心的機能は「暴力の行使」だ。
「自分を脅かすものや気に入らないものを暴力で排除できる」という自信が携行を望む個人の心の核心にあるのだろう。
侍の帯刀も銃のオープンキャリーも「それを取り上げられたくない」という感情の根は共通である様に思う。
ただ、それを本当に人に向けるとはどういうことなのだろう。
日本刀の分類上、刃渡り60cm以上は太刀や刀に属するという。
展示のそれを見てもはっきり言ってリアリティがなかったが、すぐ側のショウケースの中にある脇差や小刀は普段料理に使っている包丁と大した違いはない。
「これを人に向ける?刺すのか、これで?本気か?」
膝がすくみ上る気がした。
俺には無理だ。
だけどすぐに次の言葉が心に浮かんだ。
「きっと、慣れてしまえばどうということはない」