はてなキーワード: 教養とは
ほかは、解釈は広いし、そこまで酷くないだろ……
と思って、歌詞を見てみた。
https://www.uta-net.com/song/304161/
この歌、コロンブスは別として、2つ現実の事象を描写している。
それ以外はぼんやりした何とでも取れる話。
で、その2つは、
途方もない時間を割いて
捻り出してきた(ようやく)
拍子抜けに乾杯(完敗)です
ポテトヘッドは(what's rule)
謎めいてく昨今のルール
なのだが、
まあ、あだ名なしルールは、20世紀に子供時代を過ごした者にとっては違和感を持つところは無いではないが、現場の知恵として、有効だと考えてやっているのだろうし、単純に愚かな事と断じるのも浅はかだろう。実際昔からあだ名で加速するいじめはあった。そもそも、いじめ対策はそれだけでないだろう。
これに続けて、『正義ふりかざすいじめっ子 一番厄介な現実』と言うにいたっては、何が言いたいのかわからない。
そして、後者のMr.ポテトヘッドにいたっては、事実誤認である。
おもちゃのシリーズブランドが『Mr. Potato Head』から、『Potato Head』に切り替わるのであって、Mr. Potato Head も Mrs. Potato Head もキャラクターとしては変わっていない。Mr. も Mrs. もいるのに、ブランドが Mr. なのはどうか、というので単に「Mr.」を外すのだ。
https://corporate.hasbro.com/en-us/articles/create_your_potato_head_family_launching_this_fall
つまるところ、この歌の芯は、ワイドナショー史観というか、予断に満ちた『いきすぎた』ポリコレを笑うという程度の視点しかもたないのである。
(ワイドナショーでポテトヘッドの件を揶揄していて、わかってないなーと思った記憶がある)
本気で作ったという歌が、ポリコレを揶揄する視点しか持てないのは、まあなんというかね……。せめてそれ以外の視点もあれば説得力が多少あったろうに、自民党のLGBT法案めぐる情けなさとか、オリンピックのあれこれとかさ。
個人的には嫌い。だってウザイ。自分がコンテンツを楽しんでるときにいちいち邪魔してくるから。TV見るときもCM中はウンコ行ったりしてるよ。あるいはスマホ見てる。
けど広告があるから無料提供できているのは事実なので、その無料提供のおかげで幅広い人がコンテンツを楽しめるようになってる。
YouTubeで教養動画を見たり芸人の動画をみたり。そもそもテレビ自体視聴は無料だから、そこから日々の会話のネタとか時事ニュースとか、いろいろ手に入れられる。無料で。それは広告がないとできない。
けど、広告は邪悪にもなりうる。例えば広告を見ないとコンテンツを楽しめない、つまり経済的に余裕がない人はそうでない人に対してより多く広告に晒されるわけだけど、その広告がそういった人たちを食い物にするようなものだったらどうでしょう。情報商材とかスピリチュアル商品とか。コンテンツを楽しむために、不要なリスクに晒されるんだよね。
そもそもサンデルの主張は尊厳の回復であってどのような立場であれ他人からの承認、敬意を得られる社会を目指すべきということであって、経済的に機会の平等/結果の平等を測ることではないからなあ。
機会の平等は機会があるんだから努力しろよという能力主義的な言説に繋がるし、結果の平等に関しても労せずして結果を得られる層に向けられる目が敬意などではあり得ないことは例えば日本で生活保護者に向けられている目がどのようなものか思い出せば問題があるのは自明だろう。
平たくいうと差がつくのはしゃーないけどお互い敬意を払えるといいよねって主張なんだよ。
ちょっと前に話題になったツイートで現ハーバードの研究員が学生時代に大工のおっさんから話しかけられて三角比の大切さを説かれたみたいな話あったじゃん。
コミュニティカレッジの充実だとかを通してインテリのみならずあらゆる労働者に教養があって互いに敬意を払われ、例えば「あいつはバカだから肉体労働をしている」などと見下されることがない、そういうものを目指してる。
PTSDってご存知?一卵性双生児を調査したところ、いじめを受けた子どもはセロトニンの分泌が抑制されるという結果が出てるんだぞ。いじめは人の心に治しがたい傷を残す凶悪な行為だから決して擁護できないし、それを知らずにいじめられっ子に許しを強制するのは無教養すぎる。事故で後遺症残った奴に「まだ治ってないの?」っていうのと同じだ恥を知れ恥を知れ
画像広告も動画広告もテキスト広告も、クソみたいなのが増えて広告憎しとなっているだろうが、広告が憎いお前らがいくら広告を憎んでも絶対にクソ広告は消えないし増えるだけだ。
意外かもしれないが、俺たちもクソ広告を作りたいわけではない。過去のCMでも称賛されるような映像があったように、作品として見ても価値のある広告を作りたいしそういうものを届けたい。
が、そういうものを見て称賛してくれるような文化人は今広告を見てくれない。
多少リテラシーのある人間は広告ブロッカーを導入するので広告ブロッカーで消されるような広告はそれらが導入出来ないバカ向けに。多少金があればプレミアム会員になって広告スキップを手に入れるので動画広告はそれが出来ない貧乏人向けに作るのが正解になる。まず見てくれない層向けに作るには間違っているし、そういうクリエイター根性を抜きにしても指標やら数字やらが明らかにその方が効果が高いことを教えてくれる。
広告ブロッカーなんてのはGoogleで『広告 邪魔』とでも検索すればすぐ見つかるような機能なので、その程度の生活の改善努力すら出来ないバカ向けコンテンツとしてすぐ痩せるダイエットだとかバカ安く(見える)買えるマンションだとか、つけてるだけで筋肉が増える変なおもちゃの広告がはびこる。これは誰が悪いとかではなく、売れるもんを売れる相手向けに売っている。
スクロールについてくるバナーうざい!だとかも、せかせかまとめサイトをうろついている暇な奴にミスタップをさせたいがために機能していて、ゆっくりスクロールしながら文章を読むやつがタップしてくれるなんて思っていない。暇なやつがタップするのでCTRがよくなり、たまに来てゆっくり文章を読むような元から対して来てくれもしないやつがたまに不快に思おうが、そっち向けに最適化する必要もない。
テレビCMは流すとテレビの前にいる人間全員の目に入る。大学教授だろうが弁護士だろうが日雇いだろうが専業主婦だろうが全員見るので、多少教養が要るような高尚なものを作っても、無教養な奴のそばにいる教養ある人がいいCMだねと褒めてくれて、その価値を無教養な奴も理解してくれる、結果広告として効果が出る。
が、今どき教養があるやつはまず広告をブロックするし金払って広告消すしそれをかいくぐって出しても『広告っぽい』と認知の外に追いやられてしまって見てすらもらえない。なのでどれが広告でどれがコンテンツかの区別もついてないような奴向けに、ピカピカしておっぱいがあってハゲが治るみたいな文字をぐるぐる回してビョンビョンさせるような広告の方が効果がある。
Twitterで『広告うざいよねー』と言っている奴らは結局それらをブロックする手段も見つけられない連中なので、一生そのウザイ広告の客でしかない。
じゃあCMなんかでいい広告を作ってた奴は全員失業して死んだのかというと、いまどきは企業が自分の宣伝チャンネルを持って自ら情報発信する時代なので、そっちでちゃんと顧客向けのいい『作品』を作る仕事をしている。俺とは無縁の世界だが。
もはや広告というのは金を払って見てもらう枠を買っているようでは企業として二流で、一流は自分のファン向けに正しいチャネルで『見に来てもらう』ものになった。
それらの情報を得る手段を持たない無教養な奴らはこれにたどり着けないので、そいつらにとって広告は『クソうざいもの以外ない』し、逆の連中にとって『広告ってなんかおしゃれなPVとか流す奴が増えたよね』の世界になる。
ニンテンドーもニンテンドーダイレクトとかいって30分くらいゲームのCM流すだけの動画を出してるが、あれを『広告ウザイ』と言っている奴はいない。あそこまで練られたゲーム紹介ショーは稀有だし、そもそもあれを広告だと認知できてる奴も多くない。だが、やってることはまんまテレビCMをつないで30分にしているだけの作品だ。
『全員』向けに広告を作るなら、クソな広告も洒落た広告もどちらも共存している世界でいられたが、もう広告は全員向けに作る時代ではなくなり、客の属性に応じて最適なものを作るのが正しい時代になった。
デジタルデバイドとか世代間格差とかではなく、客のライフスタイルでクソが届くか作品が届くか決まる。クソを見せられて不快な人間の気持ちは作品を見ている奴には理解できない。作品を見ている奴が作品を褒めていても、クソを見ている奴には届いていないので知らないから理解できない。情報格差ならぬ広告格差だ。
なのでお前がクソ広告がうざったくて日々鬱陶しいなと思っているなら、お前はその広告を見るにふさわしい側の人間だと判断されている自覚をするか、そうでない、作品のような広告を届けるにふさわしい人間になるしかない。
フォロワーの多い女オタクってかなりの数が一流大卒一流企業務めでオタ活に割く時間も金もあるタイプが多いよね
大体独身貴族なのでオタ活プラス生活にじゃぶじゃぶ金を遣えるし時間があるから多くのコンテンツに触れられて門戸も広いし、教養や文才もあるので感想も面白い。
そういう人がフォロワー増えるのは自明という感じはある、コスメに投資しまくって新作をバンバン紹介できる人はインフルエンサーになりやすいのと同じ原理。
まあほぼ同じスペックかつコンスタントにオタ活してるのに全然フォロワー増えない私みたいなのもいるから全然必要条件であって十分条件ではないよ、とはいえ資本主義を感じる例ではある
人間に色んなジャンルがあるように、オタクも広すぎて、ほぼDQN低学歴(有料コンテンツを無料で見るのが生き甲斐)、ネット以外の人間関係のない引きこもり、ただの漫画好き、高学歴の文化系、それぞれがオタクを名乗るのでもはや単純に「オタクはこう」とは言えなくなってるのは当然。その中に教養のあるグループがいても何らおかしくないと思うけどな
オタク続けてると『オタク=そこそこ金持ってる,教養がある』は幻想だと気づくようになるけどな
動画サイトで倍速視聴とかいう謎の行為をするや自由の表現戦士を除外しても
嘘ばっか書いてるし、浅いことばっか書いてるし、金ないじゃん
そういう「知ったかぶり」が多いけど、本当に田舎で生まれ育って、教育を受けていない層は、マイク、スピーカー、充電、追跡装置とか、わからないんですよ。「オラそんな難しいことわからね。牛追ってくるだ」なんですよ。
陰謀論にハマるのは、中途半端に高等教育を受けた、まさにあなたの隣の中間層なんですよ。科学っぽいことを受け入れる態度があるからこそ、騙されるんです。「小賢しい」層が陰謀論者の大多数なんです。
放射能もコロナもトランプも、やれベクレルだ半減期だガイガーカウンターだ、mRNAだエアロゾルだ、ディープステートだなんだ、それっぽい用語を記憶して、自分なりに (間違って) 解釈して、しかもそれをITを使って受発信するんですから、教育は十分受けているんです。〇〇大学教授だの、△△という論文誌だの、位置づけを知っているからこそ歪むんです。小賢しいからこそハマってしまう。