はてなキーワード: 中高生とは
たとえば、夜中にひとりラジオ番組を聴いていた時なんかの、あたかも「番組と自分」だけのクローズドな世界のような幸せな時間。どんなに感動しても、翌朝きのうの新聞のラジオ欄で時刻を頼りに番組名を調べることくらいしかできない、何ならパーソナリティがどんな人かも分からない。けれど、そうした断片的な情報しかないことに独特のミステリアスさがあったように思う。
たとえば、発売日にワクワクしながら買った漫画雑誌を毎日隅々まで読み返しては恍惚に浸るような時間。事前知識ゼロのまっさらな状態で読み込み、特に誰とも感想を共有することなく、ただひたすらに自分だけの中で好きな作品をゆっくりと「消化」していたような感覚。
多分に10代補正が効いていただろうことは想像できるけど、ネットやSNSが当たり前の今の10代も、かつて自分が感じたようなワクワク感をまた違った形で体験してるんだろうか。してるんだろうな、きっと。どんな感じなのだろう。
https://anond.hatelabo.jp/20230128133630
これを書いた増田だ。同意してくれる人もいるが、殺到する差別心の波に絶望的な気分になるな。いろいろ理由をつけているが、「血のつながらない親子関係なんてそもそも不健全だ」と考えてる差別主義者や、「シンママに正しい判断力はないから恋愛なんてさせちゃいけない、一生独りで生きさせろ」と考えてる慈悲的差別主義者がうじゃうじゃ。俺の結婚式に来てくれた人たちも、結構な割合でそう考えてたんだろうかね。
さて心は折れそうだが、補足説明だ。差別主義者のお前らが、こっちを論破した気分になってる一番のポイントは
みたいだな。
なぜこれが理解できないのかわからないが、相手の連れ子の性別と年齢を気にするのは当たり前だ。検索機能がなくたってその情報は判断基準の一つになる。全く開示されていないとしたら、それはミスマッチの確率を上げる要因になるだけだ。
お前らが想像するような、「女児を狙うため」じゃないよ。婚活中の普通の男はむしろ「女児を避けたい」がゆえにその情報が必要なんだ。
シンママとの結婚で、男児より女児の方がハードルが高いのはまともなやつなら簡単に理解できる。同性の方が仲良くなりやすいという点ももちろんあるが、それだけじゃない。女児のいるシンママと結婚したら、お前らのような差別主義者から向けられる目がどうなるのかが簡単に想像がつくからだ。だから「男児ならOK」「女児でもOK」というスタンスは、子連れOKの男の中でも分かれる。
年齢を事前に知りたいのも当たり前だ。下種なお前らが想像するような「低年齢が性的に好きだから」じゃない。幼児の継父になるのと、小学生の継父になるのと、中高生の継父になるのは、それぞれ全く課題の性質が違うからだ。
継子と親子の絆を結びたいなら、年齢が低ければ低いほどたやすい。あまりいないが、もし継子が乳児だったら、実親との違いなんてないに等しい。「出産時にちょうど海外出張でいなかった父親」みたいなものだ。
逆に継子が中高生なら、そもそも「親とは思ってもらえないまま終わる」覚悟が必要になる。逆に育児負担は既に少ないし終わりも近いから、その後の夫婦2人だけの恋人のような生活をリアルにイメージできる。
物心つく前か後か、小学生なら何年生かで、タスクの難度や性質は全て変わってくる。自分がどの年齢の子どもなら対応できるかは人によって異なるが、少なくとも連れ子の年齢を知らないまま交際を始めるほうが、俺からすれば不真面目なスタンスに見える。
この程度の理屈も想像がつかないお前らに、「子供のためを思っている」なんて顔をされるのは非常に不快だ。そもそも児童虐待は実親と子供の間でも大量に起きているだろう。お前らは子連れ再婚家庭を差別したいだけであって、本当に子供を救いたいんじゃないことは明白だよ。
250ccの、よくいえばレトロ、悪くいえば古くさいデザイン。
不安定なエンジン、驚異的な冷間始動の弱さ、錆びやすく、遅い。
バイクでいう『遅い』にもいろいろと意味があるが、およそ全ての意味で『遅い』ので、好きに遅さをイメージしてもらえると間違ってはいないと思う。
※
バイクには確か2006年を境にガソリン濃度を電子制御(FI)する機構が取り付けられているのだけれど、私の機体は2003年式なので勿論キャブである。
FIとキャブの違いはとても大きくて、始動時に面倒が二手間ほどかかると思ってもらえば間違いない。
エンジンを掛けて、実際に走り出すまで五分とか十分を要するのだ。エンジンを掛けて、調子をうかがうのであるが、エストレヤが行けるという前に走り出そうとギアを入れるとエンジンは止まる。
自然、エストレヤの機嫌をエンジン音から推定するようになるが、わがままなお姫様をあやすように根気強くやらねばならない。
そうして走り出しても、五キロとか十キロを走るまでは一時停止するとエンジンもしっかりと停止する安全設計。
止まれば、たとえそこがトラックのガンガン行き来する細道であろうがバイクを降りてチョークを引いて再始動などが必要になるので停止するときはエンジンが止まらないことを祈りながらブレーキを掛ける。
つまり動き出し序盤は可能な限り、信号にも一時停止にも引っかからないルートを選ばねばならない。
そうして走り出しても、エストレヤは冷風にとても弱い。
真冬に冷たい風が吹けばエストレヤは勝手にエンジンを緩めて冬眠準備を始めるのだ。
割と暖かいトンネルから出た瞬間の横風が最もエストレヤによくない。
時速60キロで走っていたのに勝手に20キロまで急減速をかけてくれる。
これはエンジンを掛けて10キロ走っていようと100キロ走っていようと関係ないのだ。
しかも、金属を多用した車体はとにかく磨かなければすぐに錆びるのだ。
※
しかし、これらは逆に乗っている間はずっとエストレヤの機嫌を考え続けることになる。
もっと慣れると、降りたあともエストレヤのことを考えることになる。
おそらく、もっとちゃんとしたバイクに乗り換えることはこの先もあるだろう。エストレヤより速くて快適なバイクが世の中にはいくらでもある。
今はブームが過ぎたというか定番化したけど、6,7年前頃にドクターマーチンがかなり流行った。アフィブログばっかみてるキモオタ中高生だったから「量産型www」とか小馬鹿にしつつ、実はかっこいいなとも思ったりもしていた。が、高校生の小遣いじゃ靴よりゲームの方が魅力的だったので買おうとは思わなかった。服装に無頓着な癖にパチモンを買うのはダサいといっちょ前に思っていたので、そういったものにも手を出さなかった。
大学に上がって少し使える金が増えて、憧れのドクターマーチンを買ってみた。足を絆創膏だらけにしながら履き慣らして、悦に入っていた。初めてのブーツはスニーカーより遥かに履き心地が悪く、エアソールの恩恵もよく分からなかったが、どこへ行くにも何となく気分が上がった。この頃から都心まで出てアテもなく長距離フラフラ歩き回るのが好きになった。
そんな感じで愛着がある靴だけど、いかんせん履くのが面倒で最近めっきりご無沙汰になっている。他にも沢山魅力的な靴を揃えて足が足りない状態だし。靴は履かれてこそ、なのでメルカリに流そうかずっと迷っているが、絆創膏から滲み出た血の染みた思い出の靴なのでなんとなく惜しい。
余談だけど、オタクが服装に興味を持つとファオタ化してマジで金がいくらあっても足りなくなる。自分は服も一応好きだけど、原点が靴でそれ偏重なので、ファッションというか身にまとう愛玩品の側面が強い気がするけど。
女優のレベルは高いし無○正なんかいくらでも溢れてるし、AVに関してかなりワガママになってきた。
で、女体でさえあれば何でも良かった中高生の頃と違って、細かい部分に意識が行くようになった。
野良AVってモノ次第で出演者のナリはかなり良いんだけど、見慣れてくると何故かいまいちグッと来ない。何かが足りない。
メーカーもののと見比べてみると、それは映像のテクニックの差なんだと思った。
画角に収めるべきものを収める、竿が邪魔にならない、焦点を明確にするカメラワーク、適切な光量、単調すぎず、といって落ち着きを損なわない構成とか、基本的な映像の決まりって大事なんだなって思った。いくら女優が大根だからって、そういうのを疎かにして良い訳ではないんだなって。
撮り手のこだわりなんて、あんまり攻めた真似が出来ないメーカーなりの小手先の演出、セールストークに過ぎないと思ってたけど、やっぱり差は出るんだな。いくらエッチなメスでも適当に撮ってるだけじゃすぐ見飽きちゃう。最近はあまりに撮影がいい加減だと苛立ちすら覚える。
昔は母と一緒にクイズ番組とか見てて、この人は博識だなあ……それに比べて父は……と思ってた。
中高生くらいになったら父が結構エリートである事を知って、逆に母はあんまり……な事を理解した。父はストイックではあるけどそれを家族にも求めがちな鬱陶しい人だなと思うようになった。母は思い込みが激しい人間である事を理解し、もうコイツの言う事あんまり真に受けるのやめよ……と思った。
大学生以降は父も割といい加減な事を言っている事に気付いた。彼の人生を羨ましいとは思わないけど、まあ社会的にはこれからの自分のそれより遥かに立派なんだろうなと思った。両親とも一個人としてはあまり気に食わない人間だけれど、親としてはまともな部類である事に気付いた。