はてなキーワード: ロビンマスクとは
「へのツッパリはいらんですよ」とか言動が気持ち悪いと思ったし
たびたび卑屈になることがあってすげーむかつく
一般的な王子のイメージとかけ離れていてこんな気持ち悪い奴が王子様なのが虫唾に走る
そもそもあの仮面がダサくて気持ち悪いしキン肉スグルって名前自体もダサイ
なら他のキャラクターたちはどうかと言われたら
テリーマンとか序盤はをガキに金を要求した上でガキを蹴り飛ばしたクズだし
ラーメンマンはブロッケンマンを真っ二つにする残虐性がやべーし
バッファローマンは俺の小学制時代のクラスメイトの大宮茜とそっくりで
どいつもこいつもクズばかりでキャラクターたちに好感は一切もてなかった
キン肉バスターとか色んな技があるのが魅力的とは言うが
というのも殴り合いが面白ければいいのだが
キン肉マンを含めたキャラクター達には前述の通り好感度が無いので魅力を一切感じない
キャラクターが受け付けないと言うか
キン肉マンとその仲間たちの性格付けが大体全員クズとしか思えず
そのくせ後になって性格改変してイイヤツぶって友情とか言い出されたら
むしろお前らがミートくんみたいにバラバラになれと思うレベルだった
キン肉マンは心身共に成長していくようになっているが
疑り深くて小物臭がむかつくのでかっこいいと思われる技を出しても
こんな奴が活躍してもかっこいいと思えねーとなる。
キン肉マンの性格の根底がちびまる子ちゃんでいう長澤みたいな性格なのでイラッとしてしまう
お前のアイデンティティはどこいったんだよ!!
な。こういうところなんだよ
勿論俺もそれで納得するしそうするしかないし
そういう勢いがあるのも納得はする
だけどよ!!
キン肉マンなんてくそだせー名前じゃなくてマッスルファイターとかそういう名前だったら
ぜってー売れなかったともわかってんだよ
けどよ!!だけどよ!!
マスク外してしんじまえスグル!馬鹿!って思うのもそういうことなんだよ!
以上!
※何か言いたいことあれば言ってくれや!
ロビンマスクじゃ、ないんか〜い
僕ははてな匿名ダイアリーを始めた時、これも三日坊主で辞めてしまうのではないか?とうっすら思っていた。
匿名掲示板にしてもSNSにしても、何らかの文章を書くコミュニティをこれまで長く利用出来なかったからだ。
三日坊主という言葉のまま本当に三日で飽きてしまう、という事は無かったけれど…予感は当たった。
先日ついに増田で書きたい事が無くなってしまい、他人の日記を読む事も無くなった。
書きたい事が無いなら無いでどうでも良い事を書けば良いのに、どうでも良い事を書きたいとさえ思わない。
完全に「はてな匿名ダイアリー」というサービスに飽きてしまったのかもしれない。始めたばかりの頃は毎日のように書きたい事があったというのに。
増田に限らず他のありとあらゆる事をつまらないと感じ始めているので、これは増田ではなく自分自身の問題だという事も薄々分かっている。
まあそれならそれで良い、と思う。飽きた物を無理に楽しむ事は無い。またもう一度、誰に強制されるでも無く自然に自分から日記を書きたくなる日が来るだろう。
関係ない話だけど、僕は現在電子書籍版が単行本41巻まで無料で公開されている名作漫画「キン肉マン」に最近ハマっている。
世代的には「キン肉マンⅡ世」のアニメからキン肉マンの存在を知った小僧だけれど、長年愛され語り継がれる作品はどの世代が読んでも面白い物だと思う。
あんなに面白い漫画が始まったのが40年前の1980年、作者のゆでたまご先生が今年で還暦を迎えたそうなので本当に驚きだ。
最近何も楽しい事が無くて退屈だと感じている人は、気が向いたら是非キン肉マンを読んでほしい。
ドジで臆病な駄目な人間でありながら、同時に誰よりも熱いヒーローであるキン肉マンの二面性に当時の少年達は夢中になった。きっと今の少年達もそこは変わらない。
ちなみに僕が最初にキン肉マンで好きになった超人は、イギリスを代表するアイドル超人「ロビンマスク」である。
初期のキン肉マンは完全なギャグ漫画でルックスがカッコいいキャラもあまり居なかったのだが、彼の洗練されたカッコ良さは後に登場した超人達と比べても群を抜いているのではないか、と僕は感じる。勿論贔屓目ではあると思うけど。
カッコいいだけでなく、一度友情を結んだキン肉マンを恨み悪の道に走って小悪党のような振る舞いをするようになったり、その後何の脈絡も無くまた正義超人側にしれっと戻ってきたり、奇行が目立つところも堪らない。
キン肉マンがカッコ悪さとカッコ良さが同居するスーパーヒーローであるように、ロビンマスクもカッコ良さとカッコ悪さが同居するスーパーヒーローであり、数多く居る正義超人の中でもそのバランスの良さはこの二人がツートップだと思う。
僕が「キン肉マンで一番好きな超人は誰だ?」と聞かれたら間違いなくこう答えるだろう。「キン肉マンの師匠、プリンス・カメハメだ!」と。
【追記】
書いてる途中で飽きたのか
説明しよう。最近書きたい事が特に無かったので「今書きたい事」を適当に書き始めたら自然とキン肉マンの事になったのである。
さては人気ホッテントリ見てたな? https://wpb.shueisha.co.jp/news/info/2020/09/10/112011/
何か話題になってるらしいけど、僕は特に興味はない。何故なら僕はキン肉マンを無料公開されている41巻までしか読んだ事が無いので、最新話のネタバレ感想なんかには全く縁が無いのである。
ロビンマスクじゃ、ないんか〜い
「好きか!」と聞かれたら間違いなく「好きだ!」と断言出来るけど、「一番好きか!」と聞かれたら「違います!」と言いたくなる。そんな仮面の貴公子、ロビンマスクの事が僕は好きだ。
何故か知らないけど、私の勤め先にはやけに自衛官なお客様が来店する。別に駐屯地が近い訳でもないのだが。
自衛官なお客様が時々迷彩服のままでご来店するのだけれど、普段着の時と違ってすごくスタイルが良かったりする。
あと、夏場は一般人だけど筋肉自慢な服装でご来店するお客様がしばしばいる。レジに精算に来るとき、ちょっと斜に構えてロビンマスクみたいな立ち方をなさる。
自衛官のお客様も一般人で筋肉自慢なお客様も、普段着やスーツだとボディの逆三角ぶりが目立たないばかりかただの中年太りにしか見えない(巨乳が肥満体に見間違われる的な)。
けど私は知っているのである、彼らが実はすごくナイスバディであることを……という、誰向けなのかわからない優越感を秘めて、レジを打つ私だった。
ところで最近思うのだけれど、もしかして、お金払った印として商品にテープを貼ってもらうのは子供がしてもらうことだ、と思っている人が、けっこういるのではないだろうか。
ぎっくり腰の話。
あれから
事務所の人に紹介してもらったのよ。
で結論としては、
ベッドの上で「治ってるー!」ってガッツポーズをしてしまいそうな感じにまで改善したのよ。
当日の痛みが嘘みたいで、
今朝は余裕のよっちゃんよ。
安心して下さい。
なんか嘘みたいよね。
何も特に聞いたりしないのに患部を触っただけで、
ここでしょ?ってなんか骨がズレているところが分かるみたいなの。
で柔道場みたいなところで、
それらのような技を
バシッと腰の背骨のズレを治してもらったわ。
一晩でこうも変わるとなると、
信じるしかないわよね。
人体の不思議!
うふふ。
なんかすっかり腰の痛みも軽減したので、
もちろん痛かろうが痛くなかろうが、
食欲に変わりはないわっ!
あとホッツコーヒー。
じっくり鶏を煮出して作るやつ。
これはこれではやりスープか鍋で頂くべきよね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
息も絶え絶えにリングの上に転がりながら、ウォーズマンはロビンマスクにこう尋ねた。
「だれかオレの顔を見て笑ってやしないか?」
ロビンマスクは彼を見つめ、力強く声をかける。
「だれも笑ってやしないよ」
心から安堵すると同時にウォーズマンの全身から力が抜けていく。
それを抱きとめながらロビンマスクは涙をこぼす。
こんな感動的な場面から始めたい。
これは漫画「キン肉マン」に登場する一人の超人、ウォーズマンについての一つの考察である。
ウォーズマンはロビンマスクの弟子として、漫画「キン肉マン」の第8巻、
人間とロボットの間に生まれ、そのどちらにも属さない「ロボ超人」である彼は登場時、
針状の爪を発射する武器、ベアークローを使って対戦相手を惨殺、
練習のためにグラウンドを走る死刑囚149人のうち148人を殺害、
キン肉マンの仲間であるラーメンマンの側頭部を抉って脳漿に穴を開け、
植物状態にするなど、攻撃の残酷さでいえば作中随一ともいえるだろう。
しかし、そのような残虐さに反して、転んだ子供に手を差し伸べて助けようとしたり、
前述した149人の死刑囚の中でも老人だけは見逃したりといった優しさが
性根は優しい彼を残虐な戦いに駆り立てたのは一体何だったのだろうか。
ロビンマスクは作中、「超人オリンピック」のリング上でキン肉マンへの攻撃の手を止めたウォーズマンに
「また くうものもくえず きるものもろくにない すさんだ生活にもどりたいのか」と尋ね、
ここから想像されるのは、彼が故郷のソ連で置かれていた厳しい状況である。
この後、キン肉マンとの闘いを通して彼は残虐さを捨てたクリーンな戦い方の大切さに気付く。
そして、対戦相手のマスクを剥いだ方が勝ちというルールの中で、
ウォーズマンは自身が単なる超人でもロボットでもない「ロボ超人」であることを嘆き、
どこにいっても爪弾きにされ、いじめられ続けた日々を回想して「地獄の生活」だったと称した。
いつしか自分は超人やロボットを「血まつりにあげることがいきがいとなった」のだと彼は語る。
やがて雷鳴に照らされた彼の素顔は、人間でも均整のとれたロボットでもない、
それを見つめるキン肉マンとその婚約者ビビンバの顔も稲光の中で無言にこわばっている。
彼の素顔から受けた、誰も何も発せないような衝撃、
それが登場人物の表情のみを並べることで読者に鋭く突き付けられるのだ。
ウォーズマンの「素顔」は非常にドラマチックなやり方で我々に提示される。
醜い、恐ろしい、そう思ったとしても彼を気遣えば口に出すことができない、
いわば配慮のリアリティとでも呼ぶべきものがこの場面には備わっており、読者ですら、
ウォーズマンの顔からどのような印象を受けたかをあえて言葉にしないように努めてしまうのである。
彼の生い立ちや素顔についての問題はここで一度大胆に明かされたのち、しばらくはその影を潜めている。
残虐を捨て、キン肉マンら「アイドル超人」の一員となったウォーズマンは、
「黄金のマスク」編においては作品舞台として(「黄金のマスク」を巡る戦いはウォーズマンの体内で行われる)活躍し、
仲間を支えながら友情を深めていく。
そして、もはや誰もが彼にまつわる悲劇を忘れ去った頃、冒頭の事件が起きるのである。
彼は師であるロビンマスクとタッグを組み、共闘することとなった。
この時の対戦相手はネプチューンマンとキング・ザ・武道の二人が結成した「ヘル・ミッショナルズ」であり、
ロビンマスクは仮面をつけたネプチューンマンの正体がかつての好敵手、
やがてそれは証明されるが、ネプチューンマンは正体を知られたことを理由にロビンマスクを殺そうとする。
ウォーズマンは師を助けるためにリングに上がるも技を決め損ね、ネプチューンマンに仮面を外されてしまう。
彼の素顔を見た観客は衝撃を顔に浮かべ、ウォーズマンはなんとか仮面を奪い取って、再び顔に装着する。
彼が仮面を外され、再び装着するまでの間に挟まる以下のセリフは注目すべきだろう。
ネプチューンマン「(注:ウォーズマンに対し)醜い顔を隠すために覆面超人の道を選んだのであろう」
ロビンマスク「これ(注:仮面)をウォーズマンからとりあげることはあまりに残酷だ!!」
ネプチューンマンがウォーズマンの素顔を「醜い」と指摘したとき、ロビンマスクは特にそれを否定しない。
それどころか、仮面をつけずに戦い続けることはウォーズマンにとって残酷だと断定的に語る。
これはなぜか。ロビンマスクもやはりウォーズマンを醜いと感じ、
それでいて庇うこともせず受け入れているのだろうか。
当然そうではない。再び仮面をはぎ取られたウォーズマンはロビンマスクに、
そして、「だれも笑ってやしない」という言葉に安堵しながら命を落とすのである。
この場面において我々が再確認しなければならないのは、
そしてそれを“笑われる”ことをいかに忌避しているかということだ。
過去に過ごしてきた「くうものもくえず きるものもろくにない すさんだ生活」について指摘し、
ウォーズマンは当時の暮らしぶりを取り巻く貧困と生活の困窮とを思い返し、それを恐れているかのように見える。
しかし、この時ウォーズマンが真に恐怖していたのは単なる生活苦ではなく、当時の自分が置かれていた立場、
すなわち、周囲からいじめられ、疎まれ続ける「地獄の生活」の中で精神的なダメージを与えられることだったのだ。
ロボ超人であることが理由で受けた誹りや嘲りは彼の心に未だ深く陰を落としていた。
アイドル超人として仲間たちと友情を深めようと、戦いを乗り越えようと、
その陰を完全には取り除けていなかったことが、この場面では悲しみと共に明らかになる。
彼の陰を知るロビンマスクがウォーズマンから仮面を取り上げることを「残酷」だと指摘したのは、
仮面をつけずに生きていくことがウォーズマンにとって、自分がロボ超人であることを
突きつけられながら暮らすことと同義であると考えていたためではないだろうか。
彼はここで一度命を落とし、超人墓場で長く労働をすることになる。
それから少しの時が流れ、「キン肉マン」24巻に始まる「王位争奪編」において
脱出に必要な「生命の玉」と呼ばれる宝珠をキン肉マンに分け与えた後、
超人専門の医師であるドクター・ボンベに人工心臓をもらうことで生き返り、
この時の手術のミスのせいで彼は一度ほぼ戦闘能力を失ってしまうが、
再び登場時のような残虐な戦い方へ、そこからクリーンな戦い方へ、と復活を遂げる。
この「王位争奪編」は、キン肉マンがキン肉星の王として戴冠する場面で幕を下ろした。
平和になった世界の中、ウォーズマンはアイドル超人の一人として、
「メディカル・サスペンション」と呼ばれる特別な治療を受けることになり、長らくの療養生活を送る。
そして順調に体力を回復した彼は、「完璧超人始祖編」で再びリングに立ち、
宇宙から襲来した「完璧超人」たちを迎え撃つことになるのである。
しかし、ここで再び悲劇が起こる。ウォーズマンとその対戦相手、
対戦相手であった”完璧超人”ネメシスはロビンマスクを破った後、
塔状に組まれたリングからその体を突き落とし、砂丘に埋めてしまう。
「墓穴を掘る手間を省いてやったのだ」と語るネメシスの言葉を聞き、
慟哭しながら懸命に砂を掘り起こすキン肉マンの姿は非常に印象的なものである。
この場面において、ロビンマスクを失った悲しみをこれまでの感謝に代え、
続く戦いに向けて決意を固めていくキン肉マンと、
戦闘が始まろうとする中にあって敵に背を向け、
もはや姿の見えない師を思って涙をこぼすウォーズマンの姿は対置され、
対して師匠と弟子の関係にあったウォーズマンとロビンマスクとの関係の違いを示している。
その違いは続くポーラマンとの戦いからも読み取ることができる。
ウォーズマンはこの戦いの中でロビンマスクを失った悲しみから暴走し、自身の戦法を見失ってしまう。
テリーマンは彼を見て、普段の「計算され尽くしたクレバーな戦いぶり」とは逆の、
「ガムシャラに向かっていくだけの戦闘本能の塊」のようだと口にするが、それも当然のことである。
キン肉マンにとって、ロビンマスクはあくまで自分と共に成長していく超人の一人であり、
彼を失ったとしても彼はそれをバネに立ち上がって自分なりの戦いを続けることができる。
しかし、ウォーズマンにとってのロビンマスクは戦い方の土台や軸作りに大きく貢献した人物なのだ。
結果として彼はここで師と共に育ててきた「計算」や「クレバーさ」を失い、
ポーラマンに追い詰められ、ウォーズマンは「オレの命などどうでもいい」、
「刺し違えてでもこの戦いに勝利しなければ…ロビンに合わせる顔がない」とまで言う。
ひたすらプログラムとして戦い続けるだけの「ファイティング・コンピューター」だと笑った。
実体のない、いわば幻影のような彼はウォーズマンにこう語りかける。
「お前はいつも自分のことをロボ超人だと気にしているようだが」
「私はおまえをロボだと思ったことは一度もない」
回想の中で、ロビンマスクはウォーズマンに攻撃の仕方を教えている。
もう少しで目標を達成するという時になってぴたりと攻撃の手を止めてしまう。
ロビンマスクは彼を叱りつけるが、よく見るとウォーズマンが攻撃しようとしていた木の陰には子鹿がいる。
ウォーズマンの意図に気付き嘆息するロビンマスクの前で、子鹿は森の奥へと駆けて行く…
「おまえは血肉の通ったわが弟子だ」
「そのことに誇りを持てる超人になってほしい」
「オレハキカイナンカジャナイ」
彼の言葉はこの場面で、機械と人間が何を基準として分けられるのか、
そのような大きなテーマをも巻き込みながら読者の方を向く。
普段のような冷静な戦いぶりを発揮するが、
その背後にある考えを、彼はこのように説明した。
「今までオレはロビンの恩に報いようとするあまり自分の命を捨てるつもりで戦っていた」
「生きるために…ロビンがオレに託してくれた大事な魂を守るために闘う!」
戦いの中にあって「生きる」ために奮闘することはできるか、
「生かす」ことを考えていた時点でウォーズマンは
彼自身が「機械でない」との自覚をもつにはまだ足りないものがあった。
それが、ロビンマスクがウォーズマンに伝えた、「誇り」である。
体は機械であっても心までは機械でないと宣言できるようになった。
「オレハキカイナンカジャナイ」、
そう宣言する彼の言葉があえて機械的にカタカナで表記されているのは、
「あくまでも彼の体は機械でできているが、“それでも”」、という
“それでも”の先、逆説のその先を読者に想像させるためではなかったか。
ここで物語は、生まれ持った肉体の性質を変えることはできないけれど、
心は変えることができるのだと我々に伝えるが、
「ロビンはオレのなかで永久に生き続ける このオレが死なない限り
幼少のころ、自身を「地獄の生活」に追い込んだロボットの体に対する複雑な思い
――憎しみ、悲しみ、怒り――、
それをロビンマスクが与えた誇りによって乗り越え、肯定することに、
最終決戦としておかれたネメシス戦の直前、
すぐにその発言を打ち消し、「生身である半分」では理解できると語る。
ロボ超人である自分を理解するとともにしっかりと受け入れている。
ポーラマン戦で彼は、「超人オリンピック編」を彷彿とさせる雷雨の中、
「醜いツラだ」、「みんなおまえのツラをみて笑っているぜ」と嘲笑されるが、
彼はその言葉を「それがどうした」と打ち消し、師のために戦いを続ける。
自分の顔を見られること、
そして笑われることを臨終の間際にすら恐れていたあの彼はもはや存在しない。
敵を「生かし」、自分を「生かす」ことに注力する。
「キン肉マン」という物語においては、「人は変わる」ということが繰り返し語られる。
そしてそれを超越する新たな勢力へと超人たちはその立場を次々と転じ、
その度に誰かが喜んだり悲しんだりする。
しかし、生まれ持った体だけはどうしても変えることができない。
そんな葛藤や劣等感、「変わる」ということに向けた諦観交じりの強い欲求を
ウォーズマンは常に抱えているが、
そのような「変わらない」ロボットの体が他方、
静かに受け入れるだけの強さを持っている。