はてなキーワード: ネットとは
・エレベーターが混む
・なんか息苦しい
・地上が遠くて不便
すごくがっかりした
特にビルが大きいほど、脱出するのに時間がかかるということがわかった
縦の移動だけではなく横の移動で数分、下手すりゃ10分かかる
昨日から利用サービスのトップに事業性融資の勧誘がのさばるようになった
しかもうちの規模だと使い道のない少額枠
実用の画面に広告を、それもいちばん手前に持ってくるんじゃない
そもそも個人じゃなく法人で融資が欲しかったら自発的に検索するし探します
都市銀のネットバンキングページは実用用途を阻害するこういう広告アピールが積み上がってどんどん不便になってった(主に三菱)わけだが、その道をお前も辿るのか
https://anond.hatelabo.jp/20240910195015
https://anond.hatelabo.jp/20240911001210
高卒地方在住弱者男性がいなさすぎて増田は糞だなと思ったので書く
俺以外にも弱者男性の誰か書けよ
32歳
地方在住
体重は63
顔は学生時代の卒業文集でクラスのイケメンランキングで二位だった
物覚えはよく要領はいい方だが、うっかりミスとか平気でやらかすので信用ならない
学生時代の友人は30人程度で、ほぼ毎日友達と遊んでおり中学生時代は同学年で最も友達が多かった
女性遍歴は母親への憎悪が強すぎて学生時代に彼女を作るとか考えられなかったが、社会人になってから知人に彼女を作ることを勧められコンパに参加
義務感で渋々行き人生で唯一となったコンパ経験だが、そこで彼女が出来た……が、なんやかんやあって別れる
別れた時は3分ぐらい凹んだが、それ以降思い返す事はなかった
彼女が俺より高身長で細身のモデルみたいな美人(俺視点では)だったが、今では名前も顔も何も思い出せない
不安定な時期も遠い過去になり過去のトラウマを大分払拭し他人に優しく出来るようになってきたので、婚活したいがスペックが低すぎて足踏み中
友人関係ではないが、サークルを設立し代表をやっていたのでLINEの友達登録は仕事外のプライベートだけで120人程度はいる。全盛期は70人程度は在籍していた地元では大きなサークルだった(代表交代して縮小したので過去形)
酒はノンアル、タバコは吸わない、ギャンブルはしない風俗は極稀に行くが会話を拒否してたので、女を物扱いしてるとか嬢に言われた
ゲームは複数の対戦ゲーで上位ランカーの経験ありで学生時代からゲームは強かった
しかし、俺自身はゲームで強いことに価値をあまり見出だせず友達と楽しくゲームをしていた過去を思い出しながら寂しくゲームをやってるだけのおじさんなのだ
なおネット上の友人もゲーム強い奴が多いので、あんまり自慢にならない
派手でケバくても何も気にしない
整形と豊胸はポジティブに捉えてる
よくネットでオタクチー牛弱者男性は自分が純粋だと思い込んでて相手にも清楚を求めるとか言う奴はいるが、俺には全く当てはまらない
なおオタクなので二次元も好き(社会人になってから美少女動物園にハマった)
ちなみに素人童貞
やらせてくれそうな女は若い時なら頑張れば見つけられるかもしれないが、今だとなあ……
俺のような弱者男性もっと書き込めよ!非モテ揃いなのは増田っぽいけど、婚活で簡単に成婚出来そうなボンボンのエリート大卒スペックばっかしがよお……
の根拠のよくわからない長文増田をバズらせてる奴らって、どこまで本気で匿名日記なんかを信じてるの?
十年とか二十年、毎日毎日はてななんかに常駐してブクマしてブクマしてなんか得るものがあったのだろうか。
俺も二十年前はまだナイーブに「ネットの俺スゲー」を信じてたけど、さすにお前らの「飽きなさ」は想定外。
良い年だろお互いに。
場の雰囲気に呑まれやすく、本気でインナーサークルの褒められものになりたくなってしまう“過剰適応型”人間というのはザラにいるもので
について書こうと思ったけどこれ俺にも当てはまっててブーメランだったわ
でも書いちゃう
「格ゲー10年続けてきた俺から言わせたら、続けたものに意味を持たせられなかったり努力できない時点でつまらん人間なのよ」
そしてネットで偉そうに語ってるお前みたいになったらマジで終わりだからやm
あごめん飽きてきたもういいや
SNSとか繋がらないように設定するべきなんだろうなあ
数年来の歌舞伎ファンだけれど、ネットに放流される歌舞伎の感想を見ていると、グロっ!と思うときがある。
いちばんそれを思うのは、歌舞伎の家に生まれた子ども(特に未成年)に対しての、「お父さん(orお爺さんその他親戚)に似てきたね!」っていう感想。そういう感想には、ふと見ていて自分で思い至ることもあるけれど、一方で、自ら振り返ってみると、又は他の人の感想として見ると、うわっ!グロっ!と思ってしまう。
思っているだけだとモヤモヤするから、何がグロいかを言語化してみると、それは、本人が決めるべきこと(将来の職業選択、そこで役者を選択するとしてその芸風・方針)について、生まれや血族といった本人の意思ではどうしようもできない事実を評価の基準として、第三者にすぎないいちファンが勝手に判断して評価しているから、だと思う。
もっと踏み込んで言うと、無限の職業選択の自由が拓けているはずの子どもに対して、第三者がその子どもの将来を(職業だけではなく芸風まで)決めつけてしまっているという点について、無意識であるにしろ、ものすごく高慢に見える。
この所感は、古典演目を、比較的若い役者が、過去の大役者が確立したような型に倣ってやるような場合に、当該大役者の親族(又は、その中でも風貌が似ている者)にやらせないとおかしい、みたいなコメントが出てくる場合にも同じことを思ってしまう。結局それは、今の演者ではなく、過去の演者を求めているに過ぎないし、(こういう鑑賞態度は歌舞伎だとあるあるではあるけれど、)個人的には、そのような鑑賞態度である限り、今の演者を(自ら理想化した過去の演者と比較して)批判的な目でしか見ることができないから、観劇が辛いものにしかならず、実りのある観劇体験にならないんじゃないかと思う。
(逆に、役者に対する「〇〇屋に生まれたんだから(or所属しているんだから)、△△さんから指導を受けて××(演目)をやらないとおかしい」みたいなファンの意見も同じ。言ってるファンは、親祖父母から指導を受けて同じ仕事やってるんだろうか……。)
いや、そもそも上記のようなことを言ったら、御曹司のかわいい初舞台で、ベテランのお弟子さんがセリフもなく後ろに座っているという構図自体、あたりまえだけど普通にグロい。
もっとも、もうこういう家による階級制度は、あと20年(いや、10年?)経ったら、消えて無くなってるんじゃないかなあと思う。そして、そういう兆候がちらちらと現実にも顕れていることは、今の歌舞伎ファンならば分かると思う。
つまりは、これからの中心的なファン層は、歌舞伎への入り口が、刀剣乱舞歌舞伎その他の2.5次元歌舞伎、又は、大河ドラマその他の映像作品である人が多いと思われる。そういう人たち(そうでなくても、これからファンになる若者層)に、「お家」とか「名跡」とかに重きを置いて、扱いに差を設けることを正当化するような価値観は、もう通じないんじゃないかなあ、ということだ。ただでさえ、「親ガチャ」が流行語を超えて浸透しているような世代だし。
(個人的に、初報が発表されたとき、刀剣乱舞歌舞伎は今できる最高のコラボ歌舞伎だと思った。和の世界観と親和的で、既存のファンの方の数が多くて、しかも観劇に抵抗がなく、むしろ積極的であるというのがすごい。これから若い歌舞伎ファンの殆どが刀剣乱舞が入口、ということは、普通に起きるんじゃないかなあって思う。いや、もう起きている?)
一方、上記で、階級制度が無くなるという兆候が顕れている、とは言ったけれど、現状は、それは、名家の御曹司が座頭を務める舞台で、実力のある弟子を大役に抜擢することがある、という形にしかなっていないとは思う。つまり「使う側」(座頭)と「使われる側」(大役に抜擢される弟子)がある、という権力構造には変わりはなく、単に「使う側」のお慈悲が発揮される回数が増えただけ、という状況にしかないようには思う。すなわち、従来の力関係にはそこまで変わりはないんじゃないかっていうことだ。
(あと個人的には、そういう「抜擢」をした役者/「抜擢」をされた役者のことを、美しいストーリーとしてSNS等で賞賛する行為は、度が過ぎると、上記の権力構造の再確認になりかねないし、弟子の苦しい立場ごと消費しているような感じがして、あまり乗り切れないところがある。歌舞伎御曹司の感動ドキュメンタリーと消費の仕方が同じというか。但し、そういう風潮が抜擢を後押ししていることは否めないし、全部を否定はできない。結局、観劇というのは突き詰めると観客による役者の消費ではあるし、役者のバックグラウンドごと観客に消費させるのは、歌舞伎が今まで取ってきた手でもある。)
(さらに言うと、一部SNSによる一部の役者・家への軽率なDISも好きではない。ちゃんと芸単体を見て評価できる人が評価しているならともかく、SNS(というか、その人が構築しているタイムラインに流れてくる限られた情報)の、この人なら批判対象としてもいいんだ、という雰囲気に流されて、大した芸の批評もせず批判をしてるんじゃないかって気もするし、自分が「見巧者」であることのアピールとして軽率に使われてるだけな気がする。)
じゃあどうするんだという話だけれど、近い将来、御曹司と弟子をキッパリ区別して取り扱うような現行制度について、どこかのタイミングでアナウンスがあって形式的な解消がなされる、という事象が起きてもおかしくないんじゃないかなあとは思っている。あくまで、上場企業である松竹が、今の門閥制度は上場企業に相応しくない、とか言って形式的にやることかなとは思うけれど。具体的には、まずはポスターに名前を載せる基準とか、筋書きの後ろの方の写真の大きさとか、動静表のあの色分けとか、あそこら辺の形式的な取り扱いから(一律、名代試験→幹部昇進で区別するとか。)。
もっとも、役付きも、それに伴って柔軟になっていくってこともあるかもしれない。ただし、私は幕内の事情は全く知らないし、上記権力構造は変わらないのかもしれないし、この考え方も全くの的外れかもしれないけれど。そもそも、歌舞伎名家の権力(私から見えるのは、歌舞伎座古典の大役の配役くらいだが)がどこに裏打ちされているのかもよく分からないし(メンツを見てると、必ずしも集客じゃない気がする。そうすると、本当に“名家”であることの一点のみで権力たりうるということなのかもしれないけれど、平成生まれの自分にはピンと来ない。)。
最近の御曹司はみんな上手いなあと思う。やっぱり、現代になって、色々な選択肢が拓けている中で、今の若手世代の御曹司の皆は、自ら歌舞伎役者になることを選んだんだと思うし、やはりその覚悟に見合うだけの実力がある。これから歌舞伎がどうなっていくか全くわからない中で、歌舞伎を将来の道として選択してくれたことは、歌舞伎ファンとしてとてもありがたい。そんな御曹司たちとそうじゃない人達とで切磋琢磨していくのが健全なんじゃないかなあと思う。
そして、冒頭に戻ると、「お父さん(orお爺さんその他親戚)に似てきたね!」といった一連のグロい感想も、今の価値観にそぐわないものとして自然と淘汰されていくんじゃないかなあ。そして、価値が大き過ぎて空席になっていたはずの大名跡の価値は、空席のまま忘れ去られることになり、古典演目が歌舞伎座でかかるとネット上でもかろうじて見受けられる、あの動作は過去に誰々が始めたものだ、みたいなコメント兼マウントと、それを把握しなければならないという価値観も、良くも悪くも間もなく消えていくんだろう。
――最近は研修所への入会やお弟子さんの入門自体微々たる数しかないから、まずそこから増やさないと、歌舞伎文化の継続自体がかなりマズい? それはそう。
うちの奥さんもブラトップ使ってて、自分も洗濯したりするのだけど
下記のような文、意図をリアルで言えないからこそ、ネットに書き込んでだけど。
【障害児は出生前診断で判明したら、堕胎するかどうか夫婦で判断したらいい】
以下の文で言うと「オロすべき」までは、思ってない。「堕ろす選択肢があってもいい」と思っている。ただし、実際のところは、増田の上がってくるエントリ見てたら、「給料低い」、「社会福祉、サポート少ない」とかいうことしか書いてないから、障害児は堕胎した方が良い状況がほとんどなんだろう。