はてなキーワード: クルマとは
個人的恨みがある人の後をつける
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ターゲットが買い物するために店に入ったとする
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ターゲットが店内を出ようとするとき「万引きだ!」と声色を変えて大声を出す
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繰り返し
同じようにガスライティングを繰り返すことで統合失調症患者と同様の錯乱状態を健常者に人為的に起こさせることが可能になる
風呂を覗くとかスカートの中とかポケモンゲットだぜよりそういう方が面白そう
ただ、透明人間ネタあるあるの、見えないから交通事故で死ぬとか、そういうオチはありがちなので、
クルマの少ない横断歩道のない道路を渡るにしても、他人にタイミングを合わせて行動しないと轢死する可能性が高い
攻殻機動隊の光学迷彩もそういう使い方ができそうだけど、東大のあのレベルではほど遠いんだよなあ
それとは別で教育関連の地域ボランティアもやっているので、いろんな世帯があるのは日々実感している。
教育関連なので単身世帯との付き合いはないけど、教育や人格形成が世帯によって大きく異なるのは痛感してる。
それもここ十年二十年で確実に格差が広がってるよね。
ただ、アメリカやイギリスみたいな「越えられない階級差」みたいなものまでは感じないんだよね。
格差は広がったけど、ステップアップすることを妨げる壁があるようには思えない。
上なんてみたらキリないんだし、努力して少しでも生活レベルあげるというのはできると思うけど。
ある意味うちの親父がそうだったし。
(ただ家庭によって、努力するとか勉強するとかの意味をきちんと伝えられていない家庭もあって、その場合はなかなかうまくいってない)
ということで、自分の境遇を医者と比較するのはあまり生産的なことではないので、もうちょっと身近なところを見てはどうでしょうか。
諦めてるのは共通してるけど、もともと親戚も少なく兄妹従兄弟も全員負け組で独身。まあ引きこもりがいないのが救いだけど、甥っ子なんかも一切いないから最後どうするかだけが気になる。
親連中を墓に入れるまでぐらいは頑張るけど、今の長生き状況を見るとこっちが先にくたばりそうだし、なんとか墓に入れたら、あとは永代供養して墓も家も全部処分して、どうやって最後を迎えるかが心配。家も再建不可とかそういう感じなんでうまく処分できるかが気がかり。うまく改築かなんかして貸せたら一番いいかな?
あとは資産ってほどのものはないけど、狭い住宅とクルマとか、相続人がいないときに処分が難しいものの後見人とか遺書とかそのへんを整備したい。
望むのはこのへんの改善だね。なんか生前のうちに一筆書いてマイナンバーで行政に登録しておけば、孤独死後のあとは行政や業者でパーッと処分できる感じの法律やあらかじめそのへんの費用を一定額で預けておけるような生前遺産処分制度。これはほしい。あとは遺体の扱いなんかも含めて。いまはそういう想定があまりされていないので、やるとしたらかなり複雑だし民間だとこっちが死ぬ前に業者が倒産とか夜逃げとかありそうだから行政でやってほしい。
LiDARがあれば他には何もいらない、とはならないと思うけど
というか、既存の車体にくっつけて自動運転可能にする類の製品とか、車検とかどうするんや、という気はする
というか、そもそも自動運転のクルマはLiDARやカメラ、超音波センサ等々の集合体になるんだろうけど、
その複雑な動作チェックをいちいち毎日個人がやる、個人の責任に被せるのは無理がある気がするわけで、
そうなるとシェアするしかない、寧ろ個人所有を禁止するしかないようにさえなるのかなあ、
と思うわけだけど、
その前に地震よりも早く台湾有事とか来そうだし、米国側が勝ったら勝ったで中国は報復してくるだろうし、
ぐんくつというか戦争避けられなくなってきた感があるわけだけど、
みなさん頑張って生きていってくだちい
勉強というと昔々はガリ勉みたいな蔑称があるように差別の対象だった
要は、勉強ができない人たちの理屈からすれば、おまえは勉強ができるように一人だけ努力してズルいぞ、という妬み、ルサンチマンである
勉強はともかく、受験勉強にかぎって言うなら、これは「単なる」突破すべきハードルとも考えられる
つまり、資格を取得する試験のための勉強と同じであって、勉強ができない人たちに分かりやすく例えるなら、
自動車運転免許の取得のための実技や筆記のための勉強と同じである
ヤンキーやDQNは名前通りクルマやバイクが好きなので運転免許取得に例えるのが適切だろう
運転免許取得にしろ、100mを10秒で走るにはにしろ、ここでアプローチは大きく2つに分かれるように思う
そして、ほとんどの人が努力と要領の良さどちらかではなく、その人なりの混合比を持っていると考えられるわけだが、どちらかに偏ってはいるかもしれない
努力というのはひたすら練習の繰り返しであり、根性であったり、好きこそもののだったり、それを支えるモチベーション維持の工夫なども含んでいる
実際はある所まで比例したり、途中で伸び悩んだり、落ちてったり、そこからまた比例するなりの繰り返しである
努力アプローチのいいところは手ごたえを感じるというところだろうか
そして、要領の良さは、その努力の方向を決めるときにも発揮されるものでもあるわけだが、
運転免許のような資格取得にしろ、受験勉強にしろ、例えば過去問から傾向と対策を分析し、ギャンブル的にヤマをはったりもする方向性である
当然、ヤマが外れた場合は無残な結果になるわけだが、そこもギャンブルと同じである
外したらそれを挽回して余りあるものに再度賭けるとか、数撃ちゃ当たるの精神が大事である
だから、努力の人は絶対にこの大学に入りたいとか、せめて理系に入りたいとか、そういう考えがありがちであるが、
要領の良い人はそうではなく、別に大学はどこでもいいけど、この偏差値レベルは越えていたいとか、この要素さえ満たせば就職に有利だから、
しかし、上述したように、実際は努力と要領の混合比が異なるだけで、誰もがどちらの要素も持っているのである
志望校を選ぶときもキャリアにしろ、夢みたいなものと打算が入り混じったことを考えているはずであるし、それが普通である
夢しかない人も危ういし、逆に打算しかない人というのも危ういというか、人としても面白味にかけるし、本人も人生がつまらないと思い始めると思う
生まれてずっと打算を繰り返してきた人が、どこかで一世一代の博打に出ることが必要になるのも人生である
何が言いたかったか脱線してしまったが、受験勉強ができる、という結果から逆算するなら、
その人は努力ができる人なのか、もしくは要領がいい人、ということだと思う
アスリートであるなら、水泳バカみたいな天才が野球やテニスができるとはかぎらない
水泳だけは努力で優れることができたが、集団競技はまるで駄目かもしれない
しかし、要領がいい人は、
要領がいい人は何をやってもそれなりの点数を叩き出すのである
要は、その対象にこだわりがあるわけでもなく、しかしながら、その対象からそれなりの点数を楽に叩き出すにはどうするか、
そういったソーシャルハックのようなことが好きな人なわけである
だから、受験勉強ができる=ガリ勉=仕事ができない人、みたいなヤンキーやDQNの発想は間違っていて、
要領が良ければ、寧ろヤンキーやDQNでも東大に入れるし、大学を卒業した後も社会で何をやってもそれなりの点数を叩き出すのである
エヴァで言うなら、庵野氏は世渡りが上手い、貞元氏は世渡りが下手、みたいな話をどこかで読んだが、
どんな業種であれ、場所であれ、そういうことは往々にしてあるのである
天才的にメカや爆発のようなエフェクトが描けても、宮崎駿氏に言われるまでもなく、
俺って人物が描けるってわけでもないなあ、みたいに思ったかはどうかは本人ではないので分からないが、
あっさりと演出へ転向し、そこから絵コンテや監督に方向転換するのは、絵を極めたい、みたいな職人的発想とはまた異なるものである
他人をうまく動かす、というのも誰でもできるものでもない、適性みたいなものがあるように思う
そして、自分はどちらかといえば努力の人であり、要領は極めて悪く、よって努力の方向をよく間違えるのである