はてなキーワード: 従順とは
ほぼタイトルがすべてなのだが、10年ちょっと前の日記を見つけたので書きたくなった。
年度初めに移動してきた教師の一人だった。
最初の授業は滞りなく進んだと思う(最初からヤバければ違う印象だっただろう)。
次の日、数学の時間初めに怒鳴られることには、「昨日の授業から誰も質問に来なかった。前の学校では放課後や朝方に生徒が並んでいた」のだそうだ。
母校は当時さほど質問が活発なところではなかった。特に放課後に関しては部活が強制な学校なこともあり、宿題なり自主学習は家に帰ってから、という認識だった。
朝といえば、4月初めは下手をすると雪寄せを終えてから登校する生徒もいた(*1)。
現在どうかはわからないが、バリバリ進学のため勉強する、という空気もない(*2)。
自分の周りだけがそうだったのかは知らないが、そんなわけで誰も質問に行かなかったのだろう(まあ年度始めの授業一発目でそれほどつまずく箇所があっても困る)。
クラスメイトは途方に暮れ、どうやって職員室から彼を連れ戻すかの相談後、説得を重ねどうにか第2回目の授業始めさせた。質問に行く生徒はいなかったが、授業の放棄までされると困るのである。
問題集の中で一つ質問に行く問題を決めて、朝の短い時間で解説を済ませてもらえるように最後の最後で躓いたような計算履歴を装うのだ。
これならいいんじゃないか、と思った問題を皆で解いてたら「解けちゃった…」となり何度か”間違え直し”をしたのを覚えている。今思えば無用な労力だった。
クラス担任や学年主任にも相談はしたはずで、しかしそれほど効果はなかった気がする。
数学教師は苛立つとまず3色ボールペンやチョークを黒板にぶつけ始め、やがて教室を出ていく。質問に行かないかもしれないが、義務教育の内容は全うしたい生徒が追いかける。嫌いな教科ではないはずなのに憂鬱な時間だった。
PTAの力が弱いせいで県内の問題教師の掃き溜めになっているのだ、という噂もある中学校だった。従順でない男子を糾弾するために女子に意見させるが、男子と距離が近い女子生徒は発言の順番を飛ばすような学年主任もいた(この件に関しては後に親に謝罪があったらしい)(当人への謝罪はなかったようだ)。
どうにか1年を耐えきり自分は卒業したが、あの数学教師は今も母校にいるのだろうか。
*1. 年初というと春の印象だが、雪国のど田舎だったためまだ冬の開けきらない頃だった。5月の運動会のため、陽の当たらない校舎裏の雪を溶かしに行った記憶がある
*2. 5科目の実力テストで大体何点ならこの高校、とほぼ受験期前に(教師の間で?)決まっていた。自分は偏差値という概念が実用されているのを高校で知った。それまでドラマやコミックでふんわり出てくる単語程度の認識だった。高校がほぼ決まっている、というのは楽でもあるが、進学させたい教師VS(家業のためもあり)農業科/商業科に行って早くから働き始めたい生徒、のような言い合いも起こる。自分は商業科に行きたかったがレスバに負けて田舎によくあるエセ進学校に行った。結局空気が合わず高卒認定→商業系大学のルートを辿ったのでもっと粘ればよかったなと思っている。
反表現の自由戦士が想定している表現の自由戦士というのは、(1)エロ表現については制約を否定し、(2)著作権者のお気持ちは尊重する、というものである。
本来およそエロ表現はわいせつ物頒布等の罪(刑法175条)に抵触する違法なものであるから(これ自体は正しい。)、仮想「表現の自由戦士」は、(1)刑法をも無視する無政府主義的な主張であるが、それにも関わらず、刑法より遥かに弱い(2)著作権者のお気持ちには従順なので、矛盾しているように見えるのだ。
たしかにエロ表現愛好家は、刑法によって引かれた制約の線引きは、これを無視して行動している。
しかし実際には、エロ表現愛好家のほとんどは(1)エロ表現について一定の制約を受け入れている。すなわち、現実のエロ表現愛好家の多くは、国内流通においてはモザイクや消しを受容し、公道上でいわゆる18禁の表現物を陳列することは是としていない。
わいせつ物頒布等の罪の解釈からは、モザイクや消しがあろうと18歳未満に販売しなかろうと、いわゆる18禁の表現物は性欲を刺激する猥褻物に他ならない。モザイクやゾーニングといった自主規制は、本来的には法律によらない制約である。
けれども現実には、警察が摘発するか否かを恣意的に決めている(行政府による実質的な立法であり、法治主義からは許されざる行為である。)。
違法ではあるが現実には責任を問われない範囲で楽しむが故に、その範囲を踏み越えることに対しては人一倍敏感である。
したがって、現実に法的責任を追及されかねない制約に対しては極めて従順である。
この、違法ではあるが現実には責任を問われない範囲というのは、二次創作の楽しみ方とも共通している。
刑法においては警察のお気持ちが法的責任の現実化に直結するのと同じく、二次創作においては著作権者のお気持ちが法的責任の現実化に直結する。
結局のところ、エロ表現愛好家は、それが刑法であれ著作権者であれ、法律によらない制約に対して従順なのであるが、それは法律による制約を超えて自由を享受するための知恵であり、そこに矛盾はない。
あんたは〇〇〇(伏字)だったから力が強い。俺はガリガリだし殴り合いにでもなったら絶対に勝てない。そっちにいた頃はお金も出してもらっていたから「誰が食わせてやってる」とでも言われたら何も言い返せなかった。
俺はあんたが嫌いだ。外面だけは良くて家では家族を見下してる。お母さんや俺たち子供を従順な奴隷とでも思っていたんだろう。だから奴隷が反抗したらキレるんだ。自分の思い通りにならなかったり言うことを聞かないと怒りで我を忘れて怒鳴る。自分のほうが偉くて、強くて、それで従わせようとする。
あんたは少なくとも馬鹿ではなかったから絶対に手は出さなかったな。あんたにコントロールされてる気分になってムカついたよ。こいつ分かっててこんなことやってんだなってさ。
あんたの母親は酷えやつだった。その影響をあんたも受けてしまったんだろう。だとしても俺はあんたを許さない。あんたがそんなクソみたいな性格になっちまったのはテメーの責任だ。現に俺や兄貴は自分で言うのも何だが優しい人間だと思う。「俺だって苦労してるんだ」とか言ってたけど苦労したら人にあたってもいいのか?人をいじめてもいいのか?
あんたに望むことはただ一つ、謝罪だ。俺含む家族全員に謝罪しろ。今まで酷いことを言ってごめんなさい、もうしませんってな。心を入れ替えてこれからは優しい人間になりますってな。それで全部チャラだ。
教育現場でもかなり秘密にされていることだが、文系の試験のうち主観式(文で書く奴)は、出題者の期待を読み取るのがすべてと思ってよい。ぶっちゃけて言うと、先生が読んで気持ち良いかどうか。私は体制に従順でなく、上の期待に沿うのが嫌なので、主観式はすべて不得手。点数が取れた試験は、答えが一つに定まる理系科目か、文系でも語句だけを記せば良い客観式だった。文章で書く奴はたいていだめ。上を怒らせるような独特なことを書いてしまうためである。あるいは上の期待を外してしまう。だから加点がされない。小論文試験はうまくいったことがない。このブログを読めば分かるように、独特すぎるから、不愉快極まりないのだろう。だがこちらとしては、今でも小論文試験は思想チェック試験だから憲法違反だと思っている。東大前期のときは、節を屈して、何ヶ月か、完全に上が期待するような頭にした。あれは相当苦痛だった。出題趣旨をつかみ、気持ちのよいキーワードを思い出すように努める。文系の試験は、何を書こうが、体制に都合の良いことを書かなければ点が出ない。あんなものが試験として通っているのは誰が見てもおかしい。
http://web.archive.org/web/20070328081129/http://d.hatena.ne.jp/leibniz0/
うっせぇわ、という歌を聴いて、思ったことを書く。
最初に、9000万回も再生されるような動画を作れてすごいなーという思いを、私が作者に持っているということを明記しておく。これから書くことは、「うっせぇわ」で描かれている内容についてであって、作者に対してではないことを明らかにしておきたい。
まずこの曲を聴いて感じたことは、反抗期の歌だなーということだ。
「うっせぇ」と思うような規範を内面化させられた不本意な気持ちを、規範を自分に強制していると思っている大人に対して、「一切合切凡庸」「くせぇ口」と、けっこう理不尽に罵倒することで発散しようとしているように、私は感じた。
なんと的外れな怒りだろう。
優等生であることや、模範人間であることなんて、今すぐやめてしまえ。
「うっせぇ」と思う規範なんか、一つも守らなければいい。
でもそれは、しない。あるいはできない。発想すら、していないように見える。
なぜなら、馬鹿にしている大人が作っている世界に、圧倒的に庇護され、利益を得ているから。養ってくれ、頼らせてくれる相手に一方的な怒りを抱いて反発すること、これぞ反抗期だ。
優等生であること、模範人間であることは、自ら選んだことだ。選ばされたと思っているなら、それは間違っている。そこから外れることを恐れ、適合することで安全を、利益を得ようとしている利己的な行為だ。別にそれ自体は、戦略であり、何ら批判されるようなことじゃない。
その世界が不満なら、変えるか、去ればいい。変えるというのは、不満のある大統領を暗殺するのではなく、自らが議員になって政治勢力を作ることだ。夫に不満なら妻は離婚すればいいし、会社に不満なら転職すればいい。それが出来ないとき、まともな大人は、自分の力不足を認識し、力を増やす努力をしたり、自分に出来る範囲のことがないかを考える。
あるいは、契約を取るためには、飲み会で「酒が空いたグラスにすぐに注」いだり、「串外」したりすることくらい、なんとも思わない大人もたくさんいる。そういう大人は、自分の会社なのか、養うべき家族なのか、人によって違うだろうが、守らなければならない具体的なものがあったりする。守るべきものが何にもない若者には、自分がそれを気に入らないという感性が一番大切になって、不満が出る。
不満を持つなとか、従順たれとは全く思わないし、不満を表明することで、物事が変わることもあるので、黙っているよりはマシだとは思うけど、この怒りは建設的ではない。自分の怒りの的外れさに気づけば、そこまで鬱屈させることもないし、むしろ自分の人生を動かす原動力たり得る。
あと自分にろくでもない規範を押し付けているのは、周囲にいる無理解な大人だと思っていそうだけど、それは違う。周囲の大人は、そういうろくでもなく見えている世界を拒否することのできない、ある意味、弱き民だ。そうやって適応することで、生き延びて来ているので、同じようにしないと生きていけないよ、と思っているだけだったりする。
「頭の出来が違う」のであれば、見下している相手に模範人間をやっているなんて、単なる時間の無駄なので、さっさと望ましいと思う世界を創りましょう。本当の敵に出会うのも、きっとそれからだ。
※第一に性格が悪い自覚はあります。それを理解して読んでください。
私の性格が滅茶苦茶性格が悪い自覚はあるんだけど、自分と同担が好きでふくよかで見た目が自分より不細工で歳も2周りは上っぽくて金の使い方がそれ以外に使ってない(服とかなんかよれよれだし洗ってなさそうで不潔な感じの)タイプの稼ぎの限りなく少なそうな感じの人とアニカフェで遭遇して、しかもTwitterで同担の夢女子って書いてて同担拒否の気持ちなかったのに同担拒否りそうになってる。
しかもアニカフェに同担の女(しかも夢女子)が複数人いたし、そのうち全員同じような見た目で「お前ら!!!!!!!」ってなってしまった。
担当のために可愛くなって全力でっていうタイプなら別に差し支えないし、そういう子は可愛いと思う。他担で努力してる人見るんだけど、同担の女がみんなふくよかで見た目を気にしないで不潔な感じで「お前マジでもっとやることあるだろおおおおおおお」って最後の方は叫びそうになる。
って思うのも、同担のそういう金遣いの荒い女たちによって、交換とか決まらないし(もちろんそれは私の力不足のせいであり、彼女らに責任をなすりつけるのは愚かなのであるが)、そしてリアルで見かけるとボロボロの痛バッグ構えてる3Lのジャージでアニカフェにいる感じの服装の女の人ってかんじで「ああああああああ」ってなってて、自分の性格の悪さは重々承知しながらも、「おい!!!!そこのお前!!!!!俺と同じ男が!!!!好きならば!!!!!!しかも彼女だとネットで大々的に呟くなら!!!!!!せめて!!!!!見た目(というより清潔感)を!!!!!綺麗に!!!!!しろ!!!!!」と呟きそうになる。
運営的には自分の服さえ買わないような従順な女オタクで素敵だと思いますし、不潔な格好でも運営に金を落としてる、この人のお金で運営が回ってると「金」なのだと思うと解決するし、そうしていくようにならしてる最中だが、でも同じ人が好きなオタクとしては申し訳ないが同じようなものだと思われたくない。
清潔感さえ保たれていればいいんですよ。ただ、同担の女でグッズで殴りかかるタイプみたいな女オタクが自己愛だけをぶつけてるだけに過ぎないやり方で「世界一幸せにしてね♡」みたいな呟きをしてるのに、中身が典型的なオタクだからあーーーどっこいしょみたいなきもちなんですよ、こちとら。
なんかその人のお金の使い方に対して文句を言うことって凄くアレだと思うし、自分自身のことを顧みろと思うからこそ、ネットの落書きとしてここに書いてる。