はてなキーワード: 偽悪とは
"ツイッターとかで女オタが「めちゃシコ」とか「抜ける」とかいうのが、シコるちんこも抜く精液もないのになんか変じゃね?
クリトリスをシコってるのかっつうとそういうわけじゃないみたいだし"
なんて話があるじゃん。
たとえばこれとか(https://togetter.com/li/752791)だけど、まあ炎上したわけ。
俺としては、別に言葉は自由だし止めろと言う気もないが(実際このエントリ書くまで言及したことはない)、でもちょっと違和感あるなとは思っていた。
オモシロ比喩として男性器を扱ってるってだけ、もしくは心のちんこがおっ勃つ衝動を表現したいのはわかるような気がするけど……。
だってさ、男が、主語が大きいならば俺が、三十五年間童貞で熟成され持て余し続けているガチの性欲と取っ組み合いながら打ち込んでいる「シコれる」を、面白比喩として、性欲のバックボーン抜きに軽々と扱いやがって!
そっちにはそっちなりの欲情を現す言い回しだってできるだろうに、それは生々しさなどを理由に使わず自分の性欲を意識することを避けて、男が性欲という鎚で鍛え上げた言葉をほいっと拝借しやがって! みたいな。
いや本当はここまでは全然思ってなくて、俺がシコれるって言葉を発明したわけじゃないのにデカい顔し過ぎであって、単に書いてるうちにヒートアップしてきただけなんだけど、まあ違和感はあった。
そのことを、一昨日から話題になってる、男の娘と話してたら無性に腹立った(anond:20171211134237)のエントリを見て思い出した。
女性が、苦しみ抑圧されながら培ったファッションや文脈や文化を、無邪気に娯楽として使って気晴らしにするな、それはある種の文化盗用だ、と表現するように、
男性が、己の性欲とか衝動性とか偽悪露悪に悩まされながらもキモオタコミュニティで産んできた「シコれる」「抜ける」「ブヒれる」などを、性欲の生々しい気持ち悪さを脱臭した上で、字面の面白さと便利さと娯楽レベルのカジュアルキモさを楽しむために女性が使うのも、ある種の「文化盗用」だと表現すればいいのかもしれんね。
僕もあなたとこうやってやり取りするのがめちゃくちゃ面白いよ。
煽りとか、からかいじゃなく。偽悪的に口調悪く書いてるから本気だと思って貰えないかもしれないんで、一度だけ謝っておくね。口悪くてごめんね。
性的な目で見られたりするそれは一体どうして?
俺はあなたを見たことがないからわからないけど、究極を言えば、それはあなたが女だからでしょ。
月並みな言い方だし、誤解を招きそうだけど、女を完全に捨てなきゃ、女として見られるよ。
オスどもに対して「これはメスじゃない」と認識させないと。
だってこれって、「周囲から女として見られたくない」という話なわけで。
「女(メス)」として認識された時点で、常に周囲から性的な目で見られる可能性が存在してるわけで(どんなブスだろうと、どんなババアだろうと。人の趣味嗜好は多様である)、それが嫌なら、「女(メス)」として認識されないようにするしかない。
で、
https://anond.hatelabo.jp/20170706235308
マジレスすると、「女性はある程度女性らしい恰好しないと、一般論として社会では受け入れられ難く、多くの会社で採用されない」というのは「男性はある程度男性らしい恰好しないと、一般論として社会では受け入れられ難く、多くの会社で採用されない」というのと一緒。
ただ、多くの男性は、今の社会で「男(オス)」として見られることに不利益や不快感を感じていないから、表面化しないだけ。
俺は女性じゃないからわからないけど、男性が女性に対して抱く感情が、女性と比較して異常だというなら、そうかもしれないね。
だってこうやって増田でやりとりしてるだけで、あなたが女性だと知ってあなたの書き込みを読むだけで、あなたを好きになってるもん。
これこそまさに、あなたが「女性」という理由で性的に見られてる事例だね。でも、それが嫌なら、あなたは「女性」であるということを(ネット上でも実社会でも)、周囲に意識させないように生きていくしかないんだよ。
男は男の、女は女の、ゲイはゲイの、レズはレズとしての性的な見方をされる。
それが嫌なら、男でも女でもない、ジェンダーレスな人間として生きていくしかない。当然、今の社会は「男」「女」以外はほぼ認められていない(テレビに出るようになったとはいえ、セクシャルマイノリティに対する世間の目は冷たい)ので、それなりの覚悟が必要。
タバコを吸う人に聞きたい。
「なぜタバコを吸い始めたのか?」
考えてみると、もともと体に害があるというのは周知の事実で依存症にもなる代物を、すきこのんで自ら摂取しに行くのは「かっこつけたいから」という以外の理由が思いつかない。
副次的には「つきあいで」「断り切れなくて」という周りに迫られて、ということもなくはないだろうが、それがそんなに多いとも思えない。
俺はタバコは飲まんが、酒はそれなりに飲む。
既に脳細胞が死滅してきてるのは酒だけのせいではないだろうが、思い返してみると興味本位で飲み始めたような気がする。
(タバコをせずに酒は飲み始めた取捨選択の理由は、より害がないと思っていたから)
別に大したことは思ってないんだけどね、こういうガキのかっこつけたがりがそれなりに多いなら、俺は大麻も医療以外は否定にまわろうかな、と。
結局のところかっこつけたくて偽悪的になるのって、後になるとそうとうダサイしね。
増田「なんでも。教えないことにしてるの」
という会話を今日もやった。たぶん、週に一度以上の頻度でやっていると思う。
新任の頃には「ひいきしてるとか思われたくないからね」と大真面目に答えた結果、却って面倒になったこともあった。そんなわけで今では愛想笑いしつつ問答無用の拒否を返すことにしている。
そんなことをわざわざ意識したのは、↓のはてブ※を見たせいだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.excite.co.jp/News/reviewbook/20141021/E1413849264458.html
記事そのものもピントが外れている部分があるが、はてブのコメントもまた別の方向に外れた物が多い。確かに、『教師は教え子に体罰ではない懲戒(課題を多く出す、放課後残すなど)を与えたり、成績を付けて進路を左右したりする権限がある』ことに無自覚な教員はいる。
だが当たり前の話なのだが、教え子たちはそれ以上に教員の権限に無自覚だ。増田が中高生だった頃を思い返しても「先生は問答無用で僕の成績をつける権限があるのだから、愛想良くしておこう」などと意識したことは無かったし、今増田が書いている駄文を読んでいる読者も同様だろう。
というわけで、当事者の立場からブクマでよく見る意見に返答すると以下のようになる。
閉鎖空間だから悪い ← 言いたいことは理解するが、学校の外には学校以上に生徒を狙う変態がうろうろしている件
教員に権力があるのが悪い ← どう使うか次第です。逆に権力が無かったら、何の力を使っていじめを防止するのですか?
権力があるのは仕方ないが、その間で信頼関係が成立するはずがない ← 会社の上司と部下で結婚という話し、結構聞きますけどそれもアウトですか? (大人と子どもだから同等に語れない、というのは考慮すべき意見ですが)
チェック機構が必要 ← 意外と、校長や副校長といった管理職がチェック機構になっています。それは民間企業と同じでしょう。『校長が生徒にセクハラ』はたまに聞きますが、少なくとも『理事長や校長が、手下の教職員とグルになって教え子に性的嫌がらせ』なんてエロゲのような事例は寡聞にして聞いたことがありません。
勘違いするな ← 以下、本論
では冒頭に書いたようなことを聞いてくる女子はどのような意図を持って聞いてきているのか。
『教え子たちが本当に増田に(生徒と教師間における)好意を持っていて愛想良くしていたり、その延長で増田のプライベートなことまで知りたがっている』というのが幻想であるのは当然のことだが、それと同じくらい
『教え子たちは実は”少しでも良い成績をつけてもらう”もしくは”卒業するのに必要な成績を最低限の努力で手に入れる”ことに必死になっていて、勉強にある程度自信がある子どもは正攻法でテストの点を取りに来ていて、自信がない子たちの一部が僕のスケベ心につけこんで平常点を獲得しに来ている』というのもやはり幻想なのだ。
正確に言うなら、『1度や2度、少し会話するだけの相手』ならばそうやって上辺を取り繕って本来より高い評価を得る事も難しくは無い。誰だって面接の時には多かれ少なかれそれを意識する。
だが、35時間(週に1時間授業があるとした年間の授業時間数)も、しかも連続した35時間ではなくて1年間という長いスパンの中から切り出した35時間で、ぼろを出さないことは難しい。それが誰にでも可能なことであるならば、真っ先に役者という職業が必要無くなる。
増田自身、冒頭のようなことを聞いてくる女子が、本当に増田に好意を持って聞いてきている、などという勘違いをしたことはない。
だがその逆、つまり「無邪気なふりをしていて実は”先生が誰をひいきしているのか知りたい”という下心を持っていて聞いてきている」そんな風に考えていた時期は増田にもありました(AA略)。だが、その前提に立ったら説明がつかないことが多すぎるのだ。
つまるところ、冒頭のようなことを聞いてくる生徒というのは日常会話の延長として、大人/男としての意見が欲しくて話しかけているだけにすぎない。つまり、『仕事の同僚や上司とであっても、ある程度プライベートな話もした方が上手く行く』と思っている人種の学生版だ。もちろんその逆の『仕事の相手とは仕事の話しかしたくない。仕事とプライベートは別』な人種の学生版である、あまり教員に積極的に話しかけてこないタイプの生徒もいる。学校は特殊な空間のようで、種を明かせば実は社会と大して異なる空間ということもない。でも「先生ってチ●コでかいの?」は無いわ。それ聞いてどうするんだよ(本当に聞かれた事あります)。というかそれ、女→男のセクハラだよね?
ただ、これも学校の中に限らず、社会でもある話ではあるが……。権限として上に立っている人間が、「誰が可愛いと思う?」に対して馬鹿正直に具体名を答えるのはまずい。
本人にひいき等の意図がなくとも、『○○って実はひいきされてない?』と悪意混じりで話が膨らんでいく可能性は相当に高い。という事情があるから押さえつけて話を切るしかないが、未成熟であるが故にそんな増田の気苦労を理解していない教え子が「なんで?」と無邪気に聞いてくるのを見るとやはり心が痛む。
そのような姿を見ると逆説的に『先生』ということで、悪意を持って生徒に接することはないだろうと信頼されているのだなと実感するのだが、だからといって心の痛みが和らぐわけではない。
身になる議論でとても面白いです。
申し訳ないですが、中段、「それを踏まえて、一点」以下は今回は議論を避けさせてください。今回僕のたてた日記のテーマの範疇を超えてしまい議論のコントロールができなくなる気がするのと、僕が国家のアイデンティティの一部に軍の保有が含まれるか否かは考えた事がなかったので少し考えてみたいということで。
それ以外の部分についてはご指摘の通りで、僕も「条件付きですが」戦争がない状態の方が望ましいと考えています。また、それを達成するための方法論として非武装主義は間違っていると考えています。いわゆる「サヨク」ではなく「まっとうな」革新/左翼/理想主義論者陣営が「理想論」として非武装を最終理念として掲げているというのは理解しています。しかし、その「理想論」のあり方も疑問に思っています。
なかなか議論を進められず申し訳ないのですが、これについては別に論を立てたいと思っているので短く返答します。
理由のひとつはは前エントリーにも書いた「かもしれない運転」であるべきだという事です。
僕は政治や経済といった、複雑さにおいて純粋科学の範疇を超えており、実験を行う事の出来ない分野においては保守的であるべきであると考えています。
なぜなら、「複雑すぎて人間には前提となるものの把握が困難過ぎ、いくら理論が正確そうにみえたとしても前提の把握が間違っており、結論が間違っていた」ということがあり得るからです。さらに実験でその理論が正確かどうかを確かめる事ができません。また、その理論を実行して失敗した場合に被害が非常に大きくなる場合があります(例としてはカンボジアなどどうでしょうか)。
ですので、「理論的に正しそうだから上手くいくだろう」運営ではなく、「歴史的にずっと残っているから必要なのかもしれない」運営、つまり保守的な運営をするべきだと考えます。
今回の事例に当てはめると、「非武装にしたら戦争がなくなるはずだから非武装にしよう」ではなく、「それぞれが武装しつつそれなりの小競り合いをしつつも世界は依然として続いているからそういった世界の方が持続性があるのかもしれない」ということです。
RPGの話をする。
RPGっていっても、テーブルトークRPGやMMOとかじゃなく、ドラクエやFFみたいな俺が青春を費やしたやつだ。
ストーリーってもう出尽くした気がするんだよね。
かつては、ストーリーに出尽くしなんかないと思ってた。
もちろん、定番のネタというのはあるけれども。
でもさ、思えばRPGにおけるストーリーの制約はけっこう厳しい物がある。
町の平和を守るとか、そういう小さな目的から、世界を救うといった大きな目的まで、その流れに沿って話を進めないとならない。
ハードと媒体の進化によって、グラフィックや容量に制限はなくなった。
いくつもの国があり、それぞれの国にはいくつもの町があり、それぞれの町には何百人、何千人、時に100万人以上の人間が住む大都市まで登場する。
そんな世界では、一人の魔王を勇者が倒せば諸問題が全部解決する、なんてことはありえない。
現実と同じくらい複雑な世界では、その世界の諸問題も現実世界の諸問題同様に複雑で、誰か一人をやっつければ解決するほど単純なものではない。
独裁者、魔王、そういった一個人をラスボスにすることが出来ないとなれば、ラスボスは超存在とか概念となる。
スーファミ時代から、いやファミコン時代の後期からそういう傾向はあったけどさ。
でも、そういうのってしっくりこないんだよね。
昔話、神話で刷り込まれた勇者が魔王を倒すっていう基本のストーリーははやっぱり強力。
そういう単純な話、敵をやっつけて一件落着というラストに落とし込めるような、箱庭的な小さな世界観のゲームのほうが結局面白い。
「世の中には善と悪だけじゃなくて、偽善やら偽悪やら、善のつもりで悪をしてたり、その逆だったり、頭じゃわかっても憎しみは消せなかったり、いろいろあるんだ」
などと説教されても
「うるせーバカ」
となっちゃうだろ?
最近になって、糸井重里がMOTHER3の開発が頓挫した理由を「大作主義に陥ったため」と説明した理由が理解できてきた。
フラッグシップハードのRPGは大作である宿命が義務付けられている。
グラフィックは美麗でないといけないし、美麗なグラフィックは古典的で単純なターン制では許されない。
誰得な複雑でわかりにくく珍しさだけで楽しくもないシステムを抱き合わせさせられる。
世界は壮大でないといけない。
敵の目的も壮大でないといけない。
ちっぽけな主人公の存在が世界の大きさに押しつぶされてしまうのだ。
(じゃあ主人公をちっぽけじゃなく、特別な存在にすればいいのか?そんな特別な存在に感情移入できるのか?)
ずいぶんと後に、ゲームボーイアドバンスでMOTHER3が発売された。
物語の全てが小さな島のなかで進行した。
人類が生き残っているのはその小さな島だけだった。
それでも、大作を目指してしまった痕跡と言うか、いろんなものを詰め込み過ぎた痕跡が見え隠れして、MOTHER2ほどの面白さがなかった。
「他の犬は知らないかもしれないけど、君達が世界を救ったこと僕は知ってるよ」
と言ってもらえるような冒険がしたいんだよ。
「大人になる」で盛り上がってるけど、もっと偽悪的な書き方だと「空気を読む」とかかな。
思考停止の言葉ではなくて、「相手の立場を尊重する」とか「本音と建て前を理解する」とかだね。
なんで聞くかというと、熱意を見たいとか何考えてるか知りたいとかってのが一番だけど、
やっぱり「面接受けに来るんだからちゃんと調べてきてるよなあ」って事が一番。
アイロンかけたYシャツ着て、寝癖つけてないよね、とかそういうレベル。
社長の名前とか今日の株価とか聞くわけじゃなくて(昔は聞いたりしてた時代もある)、
何で受けたの?だから。
そこで詰まる学生さんは、何も考えてないか数受けてるだけだろうなっていう。
http://anond.hatelabo.jp/20101021011535
に返答は書いたけど、参考にはならないと思うなあ。一番最初のリストみてよ。
(もちろんああいう「クソみたいな質問するな」という愚痴もわからんではない。
でも会社で一番嫌われるのは「何が駄目か言うだけ」、次に嫌われるのは「こうなってれば良いのにと理想を言うだけ」。
だから居酒屋で愚痴ったり、はてなで発散するのは間違ってない。真に受けて外でしゃべってはいかん)
ごく理想論を言えば、
何がしたいってわけでもなくて、
何で儲かってるか理解も出来ない会社は、受けるべきじゃないと思うよ。
彼女は、お世辞にも売れっ子とは言えないデビュー数年目、20代の漫画家だ。売れていない理由は、基本的に絵がマズいから、とにかく遅筆だからだと思うんだが(実際、ネット評価はそれなりに高い)、ド素人である俺から見ても、彼女の頭はおかしい(いい意味で)。
さて、ここからが懺悔の内容なのだが、彼女のストレス発散の方法は、増田に書き込むことだったようだ。それ自身は何ら悪いことではないと思うのだが、よくよく話を聞いてみると、どうも年齢・性別・職業を偽り、さも当事者の独白のような書き込みをしたというのだ。別にそれも珍しいことじゃないんじゃない、と返すと「私の書いた創作を本当のこととして受け止めて真剣にトラバをしてくれたり、ブコメをしてくれる人が増えて申し訳ない」と言うのである。
増田の履歴を見せてもらったら、正直ぶったまげた。30エントリぐらいだったと思うが、ほとんどがはてブ100オーバー。300、400、500なんていうのも散見される。彼女らしいエントリといえば腐女子論ジャンプ論ぐらい。その他のエントリは見事にサラリーマンであり、主婦であり、教師であったりした。かなり話題になって論争を引き起こしたエントリもある。相当ゆるい村民である俺ですらもブクマしたエントリがボコボコ出てきて目の前の画面を信じることが出来なかった。俺の彼女はとんだ震源地だったというわけだ。
彼女は漫画を描くように架空の人物を想定し、その悩み、喜び、経験、持論を文章にするのだと言う。好戦的なタイトルをつけ偽悪的に振る舞い最後にホロリとさせる。正直に言うと、決して誉められたストレス発散法ではないと思うが、俺は彼女の表現者としての業を見せつけられ戦慄した。
彼女は画力の低さ、遅筆ゆえに、自ら発想したアイデアを漫画というメディアでは表現しきれない。頭の中に生まれてしまった誰かの人生を、感情を、常に内にかかえて爆発しそうになっているのだ。その苦しさを増田という場で吐き出している。この文章を信じるも信じないも、彼女を叩くもスルーするも読む人次第だと思うが、少なくとも俺には彼女を諌める言葉は出てこなかった。