はてなキーワード: チンピラとは
現代の社会・法体系においてサイコパスを効率的に排除することはできない。
ついカッとなった。殺すつもりはなかった。今は反省している。でも傷害致死で5年以上は食らうだろう。
うっかり警察の誘導に乗って、死んでもかまわなかった、とか口にしたら殺人で10年以上だ。
多少殴る蹴るをしていても、立派に育ってほしかった、愛の鞭だった、といえば警察的には無罪。
取り調べは形だけで、不起訴になるか、検事が頑張って起訴しても暴行傷害の執行猶予だろう。
つり合いが取れていない。
ただし、社会にチンピラが相当程度いれば生態系として調和がとれていた。
サイコパスは、一定確率で無神経にチンピラに絡んで激昂させ刺される。
サイコパスは、前科者のような脛に傷がある人間をいじめる衝動に勝てないのでやはり刺される。
チンピラは、死刑にならずとも、もう刑務所からはほとんど出てこない。
そういう男も女にもいる無敵のDQNっていうのは人生における致命傷を受けても、致命傷と脳が認識できないくらい馬鹿で無敵というより、ゾンビみたいなもんだから怖くとも何ともないぞ本来なら
なんやかんやでMARCHや早慶出てて理系のエンジニアで30や20代で500万も600万も稼げてる人が多い層である増田にとっては、かすり傷でも仕事に差し支えるからってのはあると思うけど
無敵のDQNや無敵のバカはDQN行為で社会的に人生終了しようが首から下が動かなくなっても生きてるから勝利みたいな「勝利目標の閾値」が異様に低いだけだ
関わらないのが一番だけど、関わると思えばよくよく観察すれば、増田レベルのスペックにとってみればなんら怖くもないミジンコのような存在ということに気が付くだろう
まあ言いたいことはこれ。
基本的に伝記やドキュメンタリーって、監督側の意図が入りにくいんだよね。
メッセージ性を込めようとしても、どうしてもそいつ人生特有のノイズが入る。
こないだのフレディ・マーキュリーのやつもそう。
LGBTの勝利と歌を掛けてるのは理解できても、フレディの人生自体がLGBTで大きく勝利したわけではない。
LGBTから転じてみんな人生の勝利者だ、と言いたいのだろう。
しかしピントがぼやけてるし一般化できる事項ではないので伝わらない。
何より歌手として大成したのは彼らの才能と時代と努力であって、LGBTと何ら関係がない。
※ネタバレを含むのでまだ観てない方はご注意ください。
もう多分に語り尽くされていると思いますが、
私は世間的にはもういい歳したおっさんであり、登場人物では須賀さんの方が年齢が近く、
10代の若者のボーイミーツガールを観てはたして楽しめるのだろうかと思っていたが、何のことはない、とても楽しめました。
いい加減、仕事に支障をきたすので、ここでまとめて区切りにします
序盤でまさかの野沢雅子さん演じる占い師が現れ、晴れ女と雨女について語るシーンがあり、
悟空をチョイ役に使うわけがないって事で耳の穴かっぽじってラノベ設定を聞いてましたが、
雨女は龍神系、晴れ女は稲荷系ってことで、順当に行くと陽菜さんは晴れ女=稲荷系なのかと思いきやどうにも特徴に合わない。
というのも拳銃ぶっ放したサイコ野郎の帆高くんに救いの手差し伸べ、二人きりで廃墟に逃げ込むほどの胆力があり、
相手が年上と知りつつ、自分の方が年上だと偽る豪胆な見栄っ張り具合を備えており、
またよく見ると陽菜さんの家には2.5リットル級の麦茶?ピッチャーを始め、背景に無数のティーポットが描かれており、
料理も大雑把に目分量で作っていて特徴的に完全に龍神系なんですよね。
作中では帆高くんがひたすら晴れ女とのたまうので、一見晴れ女に見えるもののこれは意図的なミスリード。
晴れが一時的なのは雨女なので雨雲を操作することはできても消すことはできないんでしょうね。
帆高くんは神津島からキャッチャー・イン・ザ・ライという小道具とセットでフェリーで東京に来るわけですが、
なんで東京に来るのか、途中まではっきりとした理由は明示されません。
しかし物語の後半で分かる事ですが、親父に殴られたのか何なのか、心象風景で彼がここじゃないどこかを求めており、
島で光を見つけ、その光の中に入りたいがため、それを追って東京まで来たと言う理由が明かされます。
この光というのは作中で陽菜さんが導かれた光と同じで、恐らくは龍神の導きによるもの。
つまり彼は龍神に導かれてやって来たわけです。では何のために?
冒頭、フェリーのシーンで彼は降り出した雨に喜び、フェリーの甲板でなぜかはしゃぎまわるわけですが(このあたりの考察は足りてません)、
その時突然の大雨が降り、あやうくフェリーから落ちそうになるわけです。
正確には落ちそうになったところを須賀さんに助けられるわけですが、
実は帆高くんはこの時海に投げ出されて死ぬ運命だったんじゃないでしょうか?
彼が人柱にならないので当然雨は止まず、以後、治安のよくない地域を徘徊させたり、拳銃を持たせたり、
チンピラと格闘させたり、警察と取っ組み合いさせたり、老朽化した階段を踏み抜かせたりしてもまだ死なない。
だから龍神の巫子?である陽菜さんを撒き餌に無理やり彼岸に誘ってみたものの、結局人柱とならなかった・・・
と言う風にとらえられないかって気がするんですがどうですかね?割と良い線いってませんか???
これでなぜ帆高くんが彼岸に行けたのかという理由にはなる気がします。
しかしなぜ彼が人柱に選ばれたのかは天の気まぐれ以外に理由が見つかってません。
野田洋次郎さんが歌うわけです。「諦めた者と賢い者だけが勝者の時代」と。
劇中で須賀さんが言うわけです。「もう大人になれよ」と。
ちょっと話は逸れますが少し前に功利主義というものが取り沙汰されました。
よくあるのがトロッコ問題です。多数を助けるために少数を犠牲にするか否かとか言うやつですね。人それぞれ答えが違うやつです。
狂人が考えたんですよ。しかしその狂人を生んだ世界はさらに狂っている。
狂った中で誰もが生きているから狂ってることに気がつかない。
大小違えど狂人なんですよみんな。狂人達がお前の方が狂ってる、いや狂ってるのはお前の方だって言ってんです。
滑稽ですよね。でもみんな本気なんです。
本当は、本当は誰一人として賢いやつなんていないんですよ。
全員が全員狂ってて誰がどうやって賢さなんてものを測れるんですか?
天気の子の登場人物もはっきり言ってまともな奴は一人もいない。
全員が全員みんなどっか狂ってんです。でもそれが何か。
大人になれって言った須賀さんは帆高に触るなって言ってタックルかますんですよ。最高ですよね。
帆高くんも全部わかってて陽菜さんに晴れ女をやらせ、晴れ女なんかやらせてごめんって言ってんですよ。
陽菜さんも諸々わかった上で晴れ女をやって、人の役に立てて嬉しい、ありがとうって言ってんです。
凪くんも女装して登場して今さら全部お前のせいじゃねえかっていって泣くんですよ。
夏美さんも凪くんの彼女ズも(ところで、花澤綾音...新海監督、本当にありがとうございます...!)
みんな分かった上で狂ってる。だがそれがなんだと言うのか。
「青空よりも俺は陽菜がいい! 天気なんて狂ったままでいいんだ!!」
みんな狂っているのであれば、結局それが普通なんですよ。
もし、帆高くんが島から出なかったら、フェリーの甲板ではしゃがなかったら、
須賀さんにビールを奢らなかったら、ネカフェ難民にならなかったら、拳銃をすぐ警察に届けていたら、
陽菜さんを見て見ぬ振りしていたら、陽菜さんの窮状を知って児童相談所に相談していたら、、、
そうやって賢い選択をしたのであれば狂った世界はまともになったのかもしれません。
「今の子はかわいそう。昔は春も夏も素敵な季節だったのに。」
はたしてそうかな?
その後の坂道のシーンで雲の隙間から差す光に帆高くんは感動していましたよ。
それをかわいそうとは私は思いません。
そうそう、
一時期見続けたんだけど、
ふとあんまり面白くないから見なくなったのを機に途絶えてしまったんだけど、
今のやつは観てるわよ。
あの独特な朝ドラの息苦しさがなく、
録画録って観るぶんは毎日楽しみなんだな。
二階堂ふみさんも好演だし、
見ていて楽しいわ。
裕一さんが銀行に勤めていた頃の手練れのコント集団と言っても過言言い過ぎではない、
そこ好きだったし。
今のところ曲書いてレコードが売れてないってだけの苦労で
見るに明らかな明確な敵がいなくて、
周りみんな仲間って感じなので見ていても変なハラハラが無いのよね。
だからちょっと埼玉の映画も観てみたいな!って思った次第なのよ。
いきなり予習無しで見るのもまたいいもんだわねって。
今から残念だけど、
だって窪田正孝くんだってどう見ても街のチンピラにしか見えない映画にしか出てなかったから
初めは、えーって思いながら見てたんだけど
感情移入していくと、
マジで。
うふふ。
やっと巡り会えたわ!
久しぶりに食べるトメイトは美味しいわね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
なんでこんなのにそんな怒ってんのチンピラさん?