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私たちはいつから肉食になったのか?日本人の肉食の歴史を徹底解説!
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疲れている時、あるいは気合を入れて勝負に臨みたい時、もちろんなんでもない時にでも「お肉食べたい!!」と思うことはありませんか? 焼き肉、から揚げ、ハンバーガー、さまざまなお肉をわたしたちはすぐに食べることができます。しかし、こうしてお肉をなんのためらいもなく食べられるようになるまでに、わたしたちのご先祖さまたちは葛藤を繰り返してきたのです。
日本人の肉食について『肉食の社会史』(山川出版社)の内容と、著者である上智大学教授・中澤克昭先生のお話をもとに追ってみました。
うつりかわる肉食への考え方
日本史の教科書などで「文明開化」の言葉とともに「牛鍋」を食べる人の絵を教科書などで見て、なんとなく近代(明治時代)以降に肉食が始まったと思っている人は圧倒的に多いのではないでしょうか。けれども中澤先生によれば、肉や魚を食べることは、伝統的な食文化だったそうです。ただ、平安時代からは「食べないことが高貴な身分のふるまい」「食べるのはいやしい」と思われるようになったとか。また、家畜は労働力を提供してくれる大切な存在であり、食べる対象としては見ていなかったようです。
3世紀ごろの日本(ヤマト)には、誰かが亡くなった際、喪主は肉食をがまんする習慣があると『魏志倭人伝』に書かれているそうです。これは「物忌み」のひとつとして肉食を慎む「禁欲」だったと考えられています。つまりこの時点では日常における肉食は「禁忌」ではなかったのです。その後、6世紀に仏教とともに「殺生」を「罪業」とする考え方が伝来します。喪に服したり何かを祈願したりする時に肉食をガマンする習慣と仏教の殺生罪業観、このふたつが融合して、のちの肉食忌避(タブー)につながっていくのです。
しかし、肉食忌避が強まるのは中世からで、古代には天皇も肉を食べていました。天皇は各地でとれたものを食すことで統治していることを示していたからで、イノシシやシカも食べられていたことが、さまざまな記録や古代の遺跡から出土した木簡からわかっています。中澤先生によれば、「大地を象徴する生き物を狩ることで土地の所有権を確認する儀礼でもあった」と考えられているそうです。
古代には禁欲の対象だったお肉も、平安時代になると禁忌つまり忌避されるものへとかわっていきました。たとえばイノシシは何世代も飼育されるとことで「豚」という家畜になりますが、奈良時代にはヤマトでも豚が飼育されていたそうです。ところが平安時代になると、食用に育てられている動物が確認できなくなります。野生のイノシシを食べることは続くので、家畜は食べないほうがよいというメンタリティを持っていたことはまちがいなさそうです。
「天神さま(菅原道真)の牛のように、神話や伝承の世界にも動物は出てきますが、家畜を食べるという物語はまずありません。タブーだったのです。死んだ家畜、いわゆる斃牛馬(へいぎゅうば)はいわば産業廃棄物で、専門の人々によって処理されましたが、その仕事にあたっていた人は捨てずに食べていたと思われます」(中澤先生)。ただ、そのことは公の記録には残っていません。馬刺しも牛の内臓(ホルモン)も食べられていたはずですが、身分の高い人には忌避されていたのです。おおっぴらに食べられるようになったのは、近代以降ではないでしょうか。
新鮮な馬肉
では、鶏肉に関してはどうだったのでしょうか。「鶏も『時を知らせる、占いをする』という性質が強いので、おおっぴらには食べられていなかったと思います。卵は食べたはずですが、それもあまり記録にのこっていません」(中澤先生)。闘鶏に使われた軍鶏などは「筋肉質で硬くて、現在の鶏ほど美味しくなかったでしょうね」と先生はいいます。「牛も体脂肪が少なく、現在の『霜降り』のような食感とはほど遠かったのでは」とのこと。
なお、近代以前に肉を地方から京都や江戸へ運ぶとき、塩漬けにするか干し肉にする場合が多かったそうですが、キジの新巻や干し肉も存在していたとか。案外さまざまな加工肉があったそうです。……鮭では見たことがありますが、鳥が新巻にされるなんて想像もつきませんでした。また、少し前にグルメ界を席巻していた熟成肉もあったそうです。遠くから生で運ばれた場合、その可能性が高いとか。よく食べられていたのはシカやイノシシでしたが、貴族社会の宴会ではメインディッシュとして鳥のキジが好まれたそうです。焼くだけでなく、刺身でも食べられたそうですが、味付けは摂関家であれば、ひしお(現在の味噌・醤油の原点と考えられている調味料)や酢などが使われたと考えられています。
肉食を考えるうえで必ず登場するのが「鷹狩り」です。鷹狩りは、神々へのお供え物の調達手段としても大切で、仏教の殺生禁断の思想が広まってからも続けられました。古代には貴族の間で行われて、鷹狩りのための狩場もつくられ、鷹狩りに用いる鷹の繁殖のために狩猟や入山を禁じた巣山や巣鷹山と呼ばれる山もありました。その後、貴族から武家に権力が移ると、キジだけでなく白鳥や雁もよく狩られるようになり、小型の鶴が狩られたこともあったようです。武家の食事のマナーでは、鷹狩りの獲物は箸ではなく指で食べることになっていました。食材としての価値が高く、食べ方にも特別な作法があったようです。
江戸時代になると、徳川家康が好んだ鷹狩りを、代々の将軍が受け継ぎ行っていました。江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉が発した「生類憐みの令」のころまでは史料上確認できますが、その後しばらく姿を消してしまいます。復活するのは8代将軍・徳川吉宗のころ。吉宗は徳川家康を尊敬していたので、家康が好んでいた鷹狩りを復活させたようです。その後、大政奉還が行われ明治新政府が発足した後は、鷹狩りは大名の特権ではなくなりました。明治天皇も御料場で鷹狩りを行ったようです。在位中の天皇が狩猟に出かけたのは、白河天皇が1073年に嵯峨野で鷹狩りをして以来のことでした。天皇は800年ものあいだ狩猟をしていなかったわけですが、この800年はそのまま武士の時代と重なっているのが興味深いところです。
明治天皇は1872年に牛肉を食べましたが、近代以降もしばらくは肉食に対する忌避感がありました。しかし、食の欧米化や大規模な多頭養豚経営、乳用種雄の肥育牛の食用への転用などにより、1955(昭和30)年ごろからは急速に肉食が一般化していきます。結果、戦後生まれの世代からは肉食があたりまえの世の中になって現代に至ります。食肉生産が進み、ブロイラーが出てきたからこそ「帰りに焼き鳥でちょっと一杯」ができるようになりました。そんな生活も高度成長期にようやく成立したもので、まだ現在のような「お肉を食べたい」「お肉を食べよう」の歴史は50年ほどしかないのです。
一方で2030年ごろには、世界の人口の増加が食肉生産を追い越してタンパク質が足りなくなる「プロテイン危機」が起こるという研究があり、昆虫食の研究などが進んでいます。今のようにお肉を食べられる時代は、日本史のなかの、ほんのわずかな期間で終わるのかもしれません。
「動物を殺す」肉食に対してはさまざまな意見もありますが、人間の食欲がそれを抑え込んでいるのが今の時代です。お肉はいつでも好きなだけ手に入りますし、食べることもできます。「中世には動物を殺すことやそれを食べることがタブーとされていましたが、実際に食べる人は少なくありませんでした。うしろめたさと食欲との葛藤があって、そこからさまざまな言説が生まれました。現在も肉をめぐってさまざまな問題があります。もう少し葛藤があっても良いのかもしれません」と中澤先生は言います。「お肉が食べたい」という気持ちを自由に満たせる今だからこそ、食文化についてちょっとだけ考えてみませんか。
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これ言い換えると地下アイドルとアイドルへの扱いの違いとか、売れてるVと売れてないVへの扱いの違いとかもろに出るあれです。要するに売れてない方は客からも使い捨てコンテンツ扱いされたり、労力に関わらずまるでゴミのように扱われる。ところがくだらない、程度の低い発言やレベルの低い技術や唄を披露しても、すでにバックボーンがある人たちはその一言一句をさすが神などという修飾がなされてゆく。
翻ってジンギスカンは当たり前でしょ、という想像力のなさは頻繁に散見されることになるし、娘化すると娘だけついばんで馬に興味なし、という現象も普通に起こりうる(ウマ娘と競馬にかなりの距離があるのもその要因)。言ってしまえば馬という平均値をとって馬は一緒でしょ、という分母では一切語られない。あの馬とこの馬は別だし、娘と馬は違うし、地下アイドルとTVに映るアイドルは違う。カーストとバラモン程度に違うと考えるのが「大衆」ってやつです。
大衆って売れてるか否か、流行ってるか否かが全てなので、その中の価値や実力なんてものはどうでもいいんです。騒げればいいんだから。
競馬ファンは、ウマという動物をそれぞれの名前で呼び、その容姿・性格・能力などの個性を愛で、感情移入し、それぞれの毎回の競走や生涯の物語を熱く語る。その一方で、同じウマという動物が調教試験や能力試験で合格できなかったり、競走成績が奮わなかったりしたときにはセリにかけられて食用に屠畜される、という運命もリアリストっぽく擁護する(何なら「それが彼らにとって一番の幸せだ」ぐらいなことまで言っちゃったりする)。「華やかなステージに登壇できたウマ」は賞揚して「できなかったウマ」については関知しない、その割り切りっぷりというか、情熱と冷静の温度差に、おれは戸惑ってしまったりする。
これがブタやウシとかの食用経済動物なら、おれたちみたいな一般人はなるべく感情移入しないで済むような仕組みができあがってるわけじゃん。ふつうは顔も名前も知らないし、飼育現場との生活上の接点はないし、屠畜という一番血なまぐさいところは徹底的に隠蔽されてるし、食肉として流通・陳列される段階では「生きた動物の痕跡」は徹底的に消されてる。とにかく「動物を殺して食う」ということへの罪の意識なり、後ろめたさなり、「かわいそう」という感情なりを初手から持たなくていいような仕組みになってるじゃん。
でも競馬ファンにとってウマという動物はそうじゃないでしょ。オートレースの競走車やボートレースのエンジンやペラとはわけが違うわけでしょ。人と同じように知能があり、感情があり、性格があり、人馬一体のアスリートであり、そこにみんなは思い入れを持つんでしょ。JRAだって何だってそれぞれのウマにフォーカスして物語を紡ぎ、感情移入させまくるわけでしょ。だからこそウマを擬人化した「ウマ娘」という企画が成立して人気を博したりもするんでしょ。でもその背後で、競走馬としての能力を満たさなかったことで屠畜されるウマたちがたくさんいるし、むしろそういう運命にあるウマたちの存在によって競馬業界が成立してるという陰惨な現実(とおれには思える)は、競馬ファンの頭のなかでどう処理されてんのかな〜とおれは思うわけよ。だって走るのが遅いウマには知能や感情がない、ってわけじゃないじゃん。それは競馬ファン自身が一番よく知ってることでしょ。
たとえばこれがイルカの話だったとして、おれは「イルカは賢くて愛らしいから食べるなんてかわいそう」という人の気持ちはわかるし、「イルカは昔から食用にされてきた伝統的な水産資源だ」という人の気持ちもわかる。でも「イルカは賢くて愛らしい、人と同じような感情があり、人と心を通わせられる、自分もこれまで何度感動させられたことか」って言いながらイルカを食うやつがいたら、それはちょっとサイコパスじみてるじゃん。愛でられるに値しないイルカが食堂で「イルカ定食」として出される水族館で「イルカはやっぱり賢くてかわいいよね」ってうっとりしてるやつがいたら怖いじゃん。と思ったけど、牧場で羊を見た後にジンギスカン食えるとこって結構あるな。んで女の子がワンワン泣いてたりするな。そっかそっか。
以上この話おしまい。