「「空」」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 「空」とは

2018-01-24

anond:20180124121811

「船便」とか「鉄道便」とか「飛脚便」とか言うじゃん。もちろん「航空便」も。

交通手段+便」でその交通手段によって人や荷物を運ぶことを意味しているわけだが。

「空」には航空機しかいから「空の便」で定着したんじゃね。

2017-08-21

https://anond.hatelabo.jp/20170820025704

「空」は本当ワイルドカードだよな、わかるw

赤ちゃんに関わる仕事の私が最近名前で思う事は

良太→良大(太いっていうのがイメージいから?)

光→晄

太郎→太朗

とか、ちょっと難しい漢字にして個性を出すパターンが一番多い

あと相変わらず「翔」「悠」「哉」の字も使用率高い

女の子場合、「璃」「莉」「瑠」の使用率が高いんだけど、

男子よりは読みやす名前が多いと思う

昔の携帯サイトとか夢小説の女主人公もこのパターンだったのでちょっと面白い

らりるれろ」のつく名前の厨っぽさが凄いんだよね…

文字漢字じゃなくて三文字漢字にするみたいなパターン結構多い

「彩花」じゃなくて「彩耶花」みたいな

100人に一人くらいやべーネーミングがいる。

オーロラ君は衝撃だった…(漢字から絶対無理

まぁでも、壮年男性でも堅苦しくて難しい名前の人がいるので、

(なんでこれで「欣宣-よしのり-」って読むの?!みたいなのよくありません?)

そういう方向性名前を、読めない読めないって叩くのはお門違いかなって思う

2017-08-20

キラキラネーム読解術

https://anond.hatelabo.jp/20170819083313

塾講師なのでキラキラネーム読解にはかなりの自信がある。

そんな私に言わせれば、羽奏=わかなはまだ標準レベル

なのでみんな読めたほうがいいんじゃないか。

こういう名付けの是非についてはいろいろ議論もあろうかと思うが、今後キラキラネーム勢が社会進出してくることは確実なので、この程度が読めないようでは老害烙印を押されることは必至。

というわけで、以下の原則マスターしてキミもキラキラネームマスターになろう!

大半のキラキラネームは意外に常識的だと心得る

キラキラネームには大きく2つのパターンがある。

①読みは普通だが漢字の当て方が変

漢字の当て方は普通だが読みが変

「羽奏」のばあい、読みの「わかな」は普通なので①というわけ。

①+②の最終形態になるともはやどうしようもないが、①か②のどっちか片方である=読みか漢字の当て方のどっちかは常識的である確率はけっこう高い。

天使=えんじぇるみたいなのばっかだと思っていると思考放棄に陥りがちであるが、「羽奏」は慣れれば余裕。

音のかわいさ・かっこよさ重視

これは大原則として知っておきたい。

「羽奏」を「はねかな」「うそう」などと読んでしまう人はこの点を理解できていないと思う。

読みは音・訓なんでもよい。熟語しか出てこない読みも可

羽=はね・は・う・わ

奏=そう・かな-でる

この時点で「わかな」を出すことができるので、「羽奏」はまだ常識的なのだ

これが無理でも、直翔=なおと 程度は現代人として即答したい。

この原則では処理しきれない場合は、次の手法へ。

読みの一部を使う

音・訓読みの一部だけを取り出すのはもはや常識的な名付け法となっている。

取り出すのは前でも後ろでも可。たとえば、由望=ゆみ、美星=みほ、という要領。

なお、読むのは難しくないが、望海=のぞみ、みたいになくても良い黙字的な一字を足すパターンも頻出。

最近よくいる翔汰のさんずいといい、不要不急のパーツは人間ロマンなのだ

というわけで、中級者であれば「羽奏」も「はな」と読む可能性が視野に入ってくる。

漢字から色々連想する

本当に難しいのはここからです。

キラキラネーム読解の達人になるためには、漢字から連想されるものも読みに含めてよい、という原則マスターせねばならない。

美宙=みそら、那奏=なおと、など。

文字もつ観念連想によって羽ばたかせる詩的センス要求される高度な技術

ワイルドカード

最後に、現在の名付けには何とでも読めるワイルドカード存在するということを知っておこう。

とりわけ「空」「海」「星」など自然物はワイルドカード率高し。

これに当たってしまったらもはや諦めるしかないが、男なら「と・た・き・ま」、女なら「あ・か・や・ら」あたりで読んでおけば、それなりの確率で当たる。

2017-05-19

増田哲学 Ver 0.1.2

この世(宇宙)の始まりは知性とともにあった。即ち「光あれ」(※1)の言の波とともにこの世が生まれとあるように、「光とこの世」の前に存在したのが知性なのだ。この状態混沌というわけではない。知性とは「Cogito ergo sum」※2 が個に生じた状態であり、その思念こそが創造の源となる。

自己を知覚した存在「光」を欲すれば、「光」生まれる。そして「光」の前に存在した「言」(※3)こそが、知性が行動を起こしたときに生まれる「想い」、即ち「思念なのだ。知性の存続は時空間という概念を超えたところにある。つまり「Cogito ergo sum」という瞬間がいずれかの時空間軸で萌芽した時点でそれは「有る」。またそこに「有り続ける」。結果として、知性の存在は「場所物質的なものに一切依存する必要のない」(※4)、言い換えれば、知性は時空間という概念から独立して存在しうる。つまり、これは世に出現するあらゆる現象(色)は本質ではなく(故に「空」であり)、世におけるあらゆる現象から独立して存在する知性(故に「空」)こそが本質(故に「色」)であること--「色即是空空即是色」(※5)を意味する。

知性の繁栄とは、複数の知性が如何に結びつくかを示し、そこには2つの類型しかない。一つは、相互依存による共存共栄による知の拡大である。もう一方は、一個性による他、そして多の支配による侵略の拡大である。一方は永遠なる存続と相互補完により実現する存在であり、他方は、一個性支配下により存続が左右される。

※1 旧約聖書 創世記1:3

※2 デカルト 『方法序説』第4章

Cogito ergo sumは一般的に「我思う故に我あり」と訳されるが英語などでは、「I think Therefore Iam」、直訳すると「I think Therefore Am」となるためより「I」存在のものを強調した表現となっている。

※3 新約聖書 ヨハネによる福音書1:1

※4 デカルト 『方法序説』第4章

※5 般若心経

2016-11-24

http://anond.hatelabo.jp/20161124215351

ああ何かそれは手塚治虫の『ブッダ』で読んだような気がする。

てことはまだそのころは「空」やら「縁起」やらは出てこないのかな?

空と縁起

http://anond.hatelabo.jp/20161124103710

仏教入門の本ってよく手に取るんだけど、「空」と「縁起」の話になったとたん異様に難解になって、そこだけ飛ばししまう(ただ大体その後の記述も両概念を前提にしているので結局全部分からなくなる)。

難しいといえば難しいし、簡単といえば簡単なんです。

龍樹ナーガール・ジュナ)と呼ばれる昔の大乗仏教派に属する偉い人の書いた『中論』ってのを紐解いて行くともしかしたらなんとなく分かったような気にはなれるかも知れません。私も分かったような気になってるだけですけど。

 

先ず空とは何かというと、「何ものでもない」ことを表す言葉上の発明、とでも申しましょうか。

ありとあらゆるもの、以外のもの「空」と呼ぶ、ということみたいです。

なのに、昔の仏教ってば、「一切皆空」とか言うのでわけがからなくなりますよね?全部空じゃ!ってどういうことやねん?って。

でもよくよく考えてみると、「一切皆無」とは言ってないんですよね。

これが良くある誤解の正体みたいなものでして、空は無でも有でもないんです。だって定義として「何ものでもない」つってんだから

 

一切のものは、全て何ものでもない。

 

いったい何が言いたいんでしょう?

空は何ものでもない、のですから、すなわち完全無欠に「存在しないもの」のことです。

ということは、一切のもの存在しない、と言っているに等しいんですが、存在性そのもの最初から否定されているので、有るとか無いということすら言えません。

だが、そういうものとして「空」と呼ぶことは出来る、とこれ以上にない簡潔さで証明してるんです。

まり、一切のものは例え目の前にあるスマホであろうが、いるのかいないのか良く分からん神ですらも「空」と呼んでしまえる。

でも、これ多分かなり抵抗の大きい考え方だと思います。神ならともかく、目の前の今まさに手に持っているスマホに対してはそうなんじゃないでしょうか。

そこで、仏教ではありとあらゆる存在している(と思われる)ものは縁によって生じたものである、という存在性に変わる論理に変えてしまうんです。

これが縁起(性)と呼ばれるものです。

スマホは生じたものであり、滅するものである、みたいに。

そして、あらゆるもの縁起によって生じたものであるが故に、それらの実体否定される、とナーガール・ジュナはその中論で長々と論じているんですよ。

なお、実体とは「それ自身のみで存在性を持つ」様なものとでもお考え下さい。例えば・・・「我」とか「自我」みたいなもんですかね?

ともかくも、ありとあらゆるもの縁起において成り立っているだけのものと言えてしまい、実体性が入り込む隙は微塵も考える必要はない、っていうことを延々と論じておられます

 

これって、実は科学の考え方とそっくり同じなんです。

科学においては如何なる存在も、科学理論上の存在としてしか語られず、理論上に存在しないものを語る事は出来ません。

そして、科学仮説が実証される限りにおいてしか、それらの有無を語る事は出来ません。

 

その根本的な基本論理みたいなものインドでは今から2千年より以上も前に発見していたって事だと思うんですけど、ま、そんな気がするってだけの私なので、後はご自身で色々お調べくださいませ。

http://anond.hatelabo.jp/20161124064919

仏教入門の本ってよく手に取るんだけど、「空」と「縁起」の話になったとたん異様に難解になって、そこだけ飛ばししまう(ただ大体その後の記述も両概念を前提にしているので結局全部分からなくなる)。

仏教はその意味でキツい。誰か分かりやすく書いてくれんかな。

2016-11-13

http://anond.hatelabo.jp/20161113121920

なんかゴータマシッダールタのころはまだ「縁起しかなくて、「空」概念は無かったらしいじゃん。

龍樹かいう僧が作ったとかなんとか。

とここまで書いて、そうなると龍樹の本の解説書を読めばいいのかな。と思って検索したら中村元先生解説書があるらしい。

仏教入門書を何冊かぱらぱら見てたら

最初の方に「縁起」と「空」概念が出てきていきなり意味不明になる。

あれちゃんと理解してる人いんの?つかあん難解な理論理解できなきゃいけないとしたら、ほとんどの人は救われないんじゃないの?

2016-02-24

http://anond.hatelabo.jp/20160224105722

そのイメージはどこで培ったんだ?

しかブッダは妻子は投げ出したけど国に戻ってるし、妻子ともども弟子にしてるし、彼の国は(ブッダが生きている間は)滅びてないし、そもそも特定宗教に傾倒したわけでもない。実際のところ仏教を創始したわけでもない。今の言葉でいえば、哲学者社会運動家心理カウンセラーみたいな存在だったんだよ。輪廻とか解脱といった言葉かい宗教的だけど、2500年前の世の中だから、そもそも多くの語彙が宗教的な響きがある時代だ。後世の人々が尊崇の念のあまりブッダ神格化して、後に宗教になっていったんだけどな。

日本によくいるよな。宗教危険みたいな考え方で、「(俺が考える危険な)宗教」らしきものを目の敵にして、実物を全く学ぼうとしない。学んだら信仰心が目覚めてしまうかも、とか怯えてんのかな。

ブッダ死ぬ前にこう言ってんだよ。死後、俺を頼りにするな(=神格化するな)。俺の教えを参考にして自分自身を頼りにして生きていけ、ってな。そもそも自分宗教団体主催してるという意識もなかったから、晩年は教団を離れて少数の弟子放浪の旅に出てる。実際、ブッダの死後に「ブッダも死んだし俺たちの好きなようにやってこうぜ」って考えた一派が後の北伝仏教、つまり日本仏教祖先にあたる集団だよ。彼らはオリジナルからどんどん離れていった。「菩薩」「般若心経「空」「禅」「隻手の声」といった仏教的な思想の多くは、北伝仏教勝手に主張し始めたものだ。

というわけで、世界三大宗教はいえ、オリジナルの頃からイエスムハンマドとはだいぶ趣が異なる教えだったんだよ。

ついでに言えば、よく誤解されてることだけど、ブッダ欲望否定したわけじゃないからな。欲望をなくしたいという考えをやめたんだ。そもそも、欲望をなくしたい、ということ自体が一つの欲望だろ? じゃあ、ブッダは何を語ったのか。もし気になるなら後は自分で調べな。

2015-10-07

http://anond.hatelabo.jp/20151007191117

そもそも無からまれたわけではない。強いていうなら「空(くう)」から。それは原因となるエネルギーのみが満ちている状態で、ビッグバンを切っ掛けに、結果として時空と物質が生まれた。

ビッグバン以後、初めて時間空間が発生したので、それ以前には、そもそも過去現在未来もない。「始まり」という概念のものがない。

そしていつか、始まりも終わりもない「空」へと還っていく。

2013-09-28

http://www.riabou.net/entry/2013/09/26/224354ブコメが非公開でモニョる

まあ、なんつーか、私怨系。読んでも面白くない。

ものの分かった人間なら、こんな増田読むより

http://stanza-citta.com/bun/category/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E6%88%A6%E8%89%A6%E3%81%AE%E8%BE%BF%E3%81%A3%E3%81%9F%E9%81%93

読んどけってだけの話。

本題

艦これから始まる海軍歴史

http://www.riabou.net/entry/2013/09/26/224354


ってのがあって。まあ当方軍オタなんで、うっかりミスとかは笑って流せても、ドヤ顔史実とまるで違うことを書いてあるとムカツクのは避けられない。若い頃はコメント欄喧嘩売りに行って当然、ぐらいの行動力はあったが、おっさんになったのでブコメで一番気になったことだけ指摘しておいた。

そしたら、

ブクマコメントミスがあるとか指摘してる人たちもいるけど、そゆ人らがちゃんと情報出してくれることもどうせないのだよなー


ってえらく挑戦的なブコメを(自分に向けたものかは分からないが)書いてる人がいた。その後さら

「ページ作者の希望によりブックマークの一覧は非表示に設定されています

になってさらモヤモヤミスの指摘が図星だから消したのかよ、みたいなネガティブ全開思考に。

まあ「分かりやす物語」を優先して書いたらあんなかたちになるかな、とは思わなくもない。思わなくもないけど、史実史実でないかといわれたら困る。

以下蛇足

=====

戦艦歴史適当


日露戦争ドレッドノート

日露戦争はそれまでの常識をいろいろ覆した戦争だった。

全部書くとキリがないので海軍兵備に与えた一番大きな影響だけ書くと、

「遠くから大砲を撃っても戦艦は沈まない、という常識を覆した」

ことになる。それまでの常識では、戦艦の主砲とは取扱が難しく、発射準備も大変で撃てる回数も少なく狙いを付けるのも難しい、と弱点だらけで、海上での決戦で使い物になるとは思われてなかった。

ところが、アドミラルトーゴーに率いられた日本海軍は、常識外れの遠距離の交戦で、大量の大口径砲を効果的に使い、ロシア艦隊を完膚無きまでに叩きのめしてしまった。

この結果、「この常識って実は時代遅れじゃね?」とこっそり疑っていた人たちが一気に表舞台に登場、各国ともその教訓を適用させた新型戦艦の建造に一斉に走る。その競争に勝って新戦艦の第一号の栄誉を担ったのがイギリスの「ドレッドノート」であり、以後その名に倣って新世代の戦艦ド級戦艦、あるいはそれを超えるという意味超ド級戦艦などと呼ばれるようになった。

第一次世界大戦

話を端折って第一次世界大戦が勃発&終了。

実は日露戦争から大戦勃発まで10しかないのだが、この間の戦艦を巡る話を書いてると本の1冊ぐらいの分量はすぐに埋まるので端折るしかない。

大戦の教訓は、実は日露戦争と比べると分かりにくい。10年後に分かりやすい答え合わせのできた日露戦争と異なり、両次大戦の間には20年の時間があり、そこに軍縮条約世界恐慌という、全列強の軍備を歪めた/正したイベントが転がっているせいである。また、参戦国によって教訓の受容の仕方(解釈)も違っていたせいでもある。

といっても分かりにくいと言って逃げているわけにも行かないので、いくつか項目を挙げる。

戦艦時代終焉

後知恵で言えば、ドレッドノートによって始まったはずの「戦艦時代」はこの戦争中に終わった。

大金を投じて整備された戦艦群は、戦争に大して影響を与えなかった。戦艦同士が殴り合う大海戦こそ起きたものの、それで戦争の展開も国家の命運は、ほとんど変わらなかった。仮に何らかの代替手段があれば、この時点で戦艦という兵器が滅んでも不思議ではない位、悪いニュースである

また、戦争中、イギリスを一番脅かしたのは、ドイツ戦艦ではなく潜水艦だった。島国イギリス必要とする、物資を運ぶ船を沈めまくり、危機的な状況に追い込んでいる。

それなのに、戦艦では潜水艦を攻撃できない。

「一番の脅威になった敵に対抗できない、そんなものが主力兵器と言えるのか?」とも論難されるようになったわけである

もちろん、潜水艦以外の普通艦船相手なら、戦艦はなんなく撃沈できたし、潜水艦能力自体もまだまださっぱりだったので、戦艦存在意義自体が否定されたわけではなかった。しかし、この理由は一世代後、二次大戦が終わってから戦艦にとどめを刺すことになる(後述、しないかも)。

航空時代の開幕

「空」という新しい戦場が導入され、攻撃力はともかく、偵察力が爆発的に向上したことで、海軍のあり方が大きく変わることになった。

それまで、敵艦隊を見つけるには、偵察艦を方々に派遣してマストの上から見張るという手段しかなかった。航空技術はそれを変えた。つまり、遙かに高速で遙かに高い場所から偵察できるようになった。

大戦当時、飛行船で空から偵察する、という圧倒的なアドバンテージドイツ海軍は有していた。

イギリスにそんな結構ものはなかった。さりとて、航空機は発達途上であり、飛行船ほどの長距離を飛べる飛行機もなかった。やむなく、海面を滑走路とする航空機水上機を使おう、として、北海気象条件に阻まれる。

海だから波浪という物があり、荒れやす北海気候水上機実用性をがつんと引き下げた。

この偵察能力の差は決定的な物であり、イギリス海軍が規模と伝統で劣るはずのドイツ海軍相手に苦しい戦いを余儀なくされる大きな原因となった。一方が相手がどこにいるかを察知し、他方が何の情報も持たないなら、それは勝負になるはずはない。

誰が考えても、空を支配できない海軍に将来がないことは明白だった。

イギリス水上機に見切りをつけ、普通航空機運用できる艦艇の開発に取り組むことになる。航空母艦誕生である

高速戦艦時代(未遂)

先述の如き変化はあったが、列強海軍は引きつづき、より強力な戦艦を求めていた。理由は色々あるが、

「敵が戦艦で攻めてきたら戦艦でないと対抗できない」

が最大の物で、「相手が持っているから対抗するために必要」というたいていの軍備に適用できる理屈がこの場合にも機能した。

そこで各国は第一次世界大戦の教訓を反映させ、より高速で、より防御力に優れ、より攻撃力の高い戦艦を作ろう、としたところで、その高価さに気付くこととなった。最先端技術の塊になった当時の新型戦艦は、作って運用するだけでもとんでもない金食い虫だった。

無理矢理現代に置き換えると、最先端スーパーコンピューターと巨大な工業プラントを合体させたでっかい超合金の塊を、高速で自在に航行させるようなものから、まあ、安いはずはない。

日本海軍整備計画だった『八八艦隊』など、国家予算に占める割合が3割4割は当たり前というとんでもない代物となった。

日本より遙かに豊かだった米英にしても「これなんか違くね?」と政治家たちが考え始めるようになった。

もちろん、戦争差し迫っているとか、他に代替手段がないとかであれば、無理してでも兵器を作らねばならない。ならないが、当時はそんな世界情勢ではなかった。

結果、軍縮会議が開かれ、各国は軍備に制限をかけることとなった。


条約後の世界と軍備

よくある誤解として、

太平洋戦争が始まるまで、各国の海軍兵備に対する考え方とは大艦巨砲主義で、戦艦がすべてだと思われていた」というのがある。間違いである。。

実際には、第一次世界大戦後の世界では、

戦艦は高価なばかりで戦争の役に立たない」「戦艦廃止も現実的な選択肢」 >

というのは一定以上の有力な考えだった。先述のように、戦争の展開を見るかかぎり、戦艦はあまり役に立ってなかったように見えるし、先述のように「相手が持っているから対抗するために必要」だったら、話し合って削減していけば、いずれは廃止できるという理論も成り立つ。

逆に、英独間で行われた戦艦の建造競争両国間の緊張を高めて一次大戦の一因になったという見方もある。 つまり、話し合いで軍備を制限すれば、軍事費節約できて納税者が喜ぶだけでなく、世界が多少は平和に近づき、さらには軍人が欲しがっている新兵器の開発・配備の余地だって増す、という「三方良し」が期待できた。

一応、「航空機が発達すれば戦艦など楽々撃沈できるようになる」と主張する過激な航空論者(この時点では過激を通り越して電波系と言われても仕方ないレベル)が一部に存在して、「いや、戦艦の防御力を強化すれば航空攻撃にも十分対応できる」とする戦艦主義者(この時点ではこちらが正論)と論争を繰り広げていたりもしたが、本筋ではない。

本筋、つまり実務者たちは、太平洋戦争始まるよりもずっと前に、新兵器、つまり空母」を配備してなければ勝てない、という正解に到達していた。 >
けれども海軍中枢と政府の間で戦艦vs航空機論争が繰り広げられる中で、現場艦隊指揮官達はそんな論争の行方とはまったく別につの結論に達しつつありました。それは「空母がなければ艦隊決戦は勝利できない」という認識です。航空機戦艦を撃沈できようができまいが、海戦で敵空母を撃破してしまえば味方艦隊は一方的な砲戦観測ができ、遠距離砲戦で圧倒的な優位に立てるからです。そして戦艦を撃沈できるかどうかは別として爆撃、雷撃も自由に実施できます。 >

まり戦艦の最大の存在理由、 「敵が戦艦で攻めてきたら戦艦でないと対抗できない」に、新しいルール、 「敵が空母を連れた戦艦で攻めてきたら、こちらに空母がいないと、戦艦でも対抗できない」が追加されたのである

航空過激派の主張に反し、当時、航空機で本当に新型戦艦を撃沈できるかは、まったくの未知数で正解は不明だった。 だが、防御力に劣る、つまり戦艦よりも弱い船なら撃沈できる、あるいは撃沈できるようになる事は、ほぼ確定していた。 一方に空母がいて、もう一方に空母がなければ(あるいは撃破されてしまえば)、偵察力で致命的な差が出た上で、戦艦以外の船が撃沈され放題の逆ボーナスステージに強制突入することになる。

>
こうして「空母は敵空母発見次第、敵戦艦ではなく敵空母に対して攻撃隊を指向する」という海戦ドクトリン確立され、マニュアル化されます1930年代日本海軍が強く意識していた「アメリカ海軍制空権下での艦隊決戦という概念」とはこうした考え方です。海戦空母が無ければ勝てないことは空母を含む艦隊の演習を繰り返すだけで確信される極めて明快で誰もが理解できる事実でした。海軍中枢と政府との間で交された「戦艦vs航空機」などといった派手な議論は現場艦隊にとってはどうでも良かったのです。 >

言い替えるとこの時点で来るべき海戦の想定展開とは、

航空機で敵艦隊を探し、先に発見する。発見したら、空母から攻撃隊を出して相手の空母を最優先で叩く。空母が撃破された側はとんでもなく不利になる」

というものになった。 何のことはない、史実太平洋戦争の諸海戦のものである
まり、 >
戦争で使われた艦の多くは、 大戦が始まる前にすでに建造されました。太平洋戦争をまだ知らない設計者や軍人が、「次の戦争はこうなるだろう」という予想のもとで作った艦です。しかし彼らの予想は全て覆され、艦艇たちは思いもよらない戦いに挑むことになりました。 >

というのはドラマチックで面白い表現かもしれないが、正確ではない。

2012-04-10

http://anond.hatelabo.jp/20120410115015

無意味に押すアホも、押されないと空けないクズも、押されたぐらいで足はめて電車止める間抜けも、

全員しんでほしいと思ってしまう。

背中向けてたってどこに隙間があるかぐらいわかろうよ。

わかるでしょ。



だいたい「電車に乗り慣れない」っていうのが既に甘え。

それを言い訳迷惑かけるぐらいなら訓練してから駅に来い。

こっちは小学生の頃から満員電車に乗ってるが

もはやどんなシチュエーションも心を「空」にしたまま完璧対応できる。


あと、首都圏電車を一回止めたらお前の一生分の生産性以上の損失を社会に振りまいてることを自覚しろ。

2010-11-02

1999年10月の100円中古シングルCDチャートから導かれたEAST END理論

1999年10月18日放送の伊集院光ラジオ番組で“COUNTDOWN CD inワゴン”という企画をやっていた。

伊集院番組スタッフ東京近郊の中古CDショップ40店を走り回って調べた「100円以下の値札がついている中古CD」の在庫チャートは以下の通りだった。※( )内は発売日と売上

 第1位「たのしくたのしくやさしくね」華原朋美(97年9月18日 41.7万枚)

 第2位「空」大黒摩季(97年5月28日 21.4万枚)

 第3位「愛を語るより口づけをかわそう」WANDS(93年4月17日 112.1万枚)

 第4位「Bye-Bye」ブラックビスケッツ(99年5月26日 42.9万枚)

 第5位「宝物」岡本真夜 (99年2月10日 8.7万枚)

 第6位「MAICCA〜まいっか」EAST END×YURI(95年2月13日 113.3万枚)

 第7位「こんなにそばに居るのに」ZARD(94年8月6日 78.8万枚)

 第8位「宇宙La Ta Ta太陽とシスコムーン(99年7月28日 7.4万枚)

 第9位「masquerade」TRF(95年2月1日 138.9万枚)

 第10位「おさえきれないこの気持ち」T-BOLAN(93年2月10日 82.6万枚)

 第11位「ツキ」猿岩石(97年3月19日 41.4万枚)

 第12位「sweet heartglobe(98年9月30日 39.3万枚)

 第13位「Perfume of loveglobe(98年10月8日 46.9万枚)

 第14位「パフィー de ルンバPUFFY(98年12月12日 11.8万枚)

 第15位「ホイッスル森口博子(93年6月9日11.6万枚)

 第16位「Sa Yo Na Raglobe(98年9月23日 46.8万枚)

※それぞれの枚数は発表されなかったが、8位の「宇宙La Ta Ta」は埼玉ショップ1店舗だけに38枚あってランクインしたことが報告されていた。

この調査から導き出した伊集院EAST END理論

 ・EAST END×YURIシングルCDの売上は「DA.YO.NE」(94年8月21日発売)が102万枚、「MAICCA」が113万枚、「いい感じやな感じ」(95年4月21日発売)が43万枚。

 ・「DA.YO.NE」と「MAICCA」は同じくらいの枚数が流通しているが、100円ワゴンに流れてきているのは圧倒的に「MAICCA」。「いい感じやな感じ」は「DA.YO.NE」の半分以下の売上ながら100円ワゴンには「DA.YO.NE」よりも多くある。

なぜこのような現象が起こるのか?

 ・「DA.YO.NE」を購入した人の半分は本当に曲がいいと思って買った人で、残りは流行っているからなんとなく買った人。

 ・「MAICCA」を購入した人はEAST END×YURIってなんかよくない?と買ったミーハー層が多い。

 ・「いい感じやな感じ」を購入した人については、「DA.YO.NE」を純粋に曲のよさで買った人や新し物好きはもう次のものに向かっているので(この時の例はH Jungle with t)ごくわずかのよっぽどEAST END×YURI好きな人か、乗り遅れてブームをつかんでしまう「つかまされ組」

 ・「DA.YO.NE」を買った人の50%、「MAICCA」の80%、「いい感じやな感じ」のほぼ100%が中古に入ったという理論がある程度成り立つ。

 ・更に調べていくと「いい感じやな感じ」の次のシングル「何それ」(95年7月21日発売)は売上8万枚、「ね」(95年12月1日発売)が5万枚、ラストシングル「日曜の朝の早起き」(96年5月22日発売)は4000枚の売上であり、これらは中古ショップではお目にかかることはなかった。

このように、名前が出てくるきっかけとなった大ヒット曲よりは、その後のやや売れの曲が100円ワゴンCDになりやすい。

2010-03-31

家庭が終了した

 さっき息子が進学先に向かうために出て行った。

 行ってしまったら涙が止まらない。

 一昨年、夫が亡くなった。

 一昨年、娘が引っ越していった。

 本当に「空」になってしまった「巣」に残ってしまい、呆然としている。

 何か始めたいのだが、両親の介護があり、時間が取れない。

 父は認知症で、自分が言いたいことを延々と一方的に話すだけだ。元の人格は消えてしまった。

 母は重篤な病気になって入院している。

 独りだ。

20100331追記。

トラバありがとう。ちょっと元気でたよ。

2010-02-17

http://anond.hatelabo.jp/20100216032940

哲学の問題を数学に置き換えるとスッキリわかることがある

自分の場合は仏教「空」がわからなくて、何年も悩んだけど

数学ゼロと同じと気付いたら、すんなりと理解できた

原語だとSunyataで同じなんだよね

誰か先に教えてくれよと思ったが、自分で見つけ出してこそ

意味があるのかもしれんとも思った。

2008-12-13

宗教に興味がない人でも分かる仏教入門

最初に言っておくが、私はなんら仏教関係ないし信者でもない。ましてやキリスト教イスラム教新興宗教にも全く興味が無い。ただ仏教哲学には納得する部分が多いし人生の参考になるので簡単にまとめたいと思う。だから全く興味がない人や食わず嫌いの人に触りだけでもかじって欲しいと思い書きます。

そもそも現代の人は私を含めて宗教と聞くと胡散臭い洗脳など怪しいイメージが強いから拒否反応が自動的に働くと思います。しかし、そういうイメージがついたのは仏教キリスト教適当に模写し都合の良いように作りあげた新興宗教カルト教団のことを言います。例えばオウム真理教なんか日本代表である!つまり、仏教は胡散臭くも無く怪しくも無いブッタが一生をかけて考え抜いた精神世界の教えです。

ちなみに私は仏教本に関して、自己啓発本の一種としか考えていません。つまり仏教本を読めばモチベーションが向上する。ただそれだけです。しかし、知っているのと知らないとではこれからの人生生き方価値観は大違いだと思います。後、仏教と聞いて、お経なり墓参りや、お坊さんやお葬式など思い浮かぶと思うが、面白くないので触れません。私が興味あるのはブッタという哲学者が考えた知識です。

できるだけ専門用語は使わずまとめていきたいと思います。まず仏教といえば仏(ほとけ)様がイメージできますが、決して仏像の仏ではありません。では仏とは何かというと、悟った者のことを示します。

仏=ブッダ

ブッダとは「ブッダ」という名前ではなく悟った人のことを言います。それで「悟る」とはサンスクリット語でブッドゥッといい、その過去分詞がブッダ、つまり悟った人なのですね。とりあえず、ふんふんと頷いといて下さいwでは仏教を始めた人は誰か?ブッダと呼ばれるものは誰か?

ゴータマ・シッダールタ」  この人がブッダであります。ちなみに仏教インドから広まったものです。これで分かるように仏は神みたいな絶対的存在ではなく、ただの人間であり、ゴータマ・シッダールタという悟りを極めた哲学者であります。この人の生きた時期は具体的には分かっていません。なぜならその当時のインド人に「いつ」の概念がなかったからなのです。だいたい紀元前5世紀くらいの人と言われていて、生まれた場所はルンビニーという所。裕福な生活をしていて結婚して男児もいて普通の生活をしていました。しかし、29歳のときに家族を捨てて城から離れ修行者として旅立つことに。つまり出家ですね。それから苦行を続け、やがてナイランジャナーの河のほとりで瞑想を開始します。そして、35歳で悟ったと言います。それからたくさんの弟子をかかえて享年80歳という長命で姿を消すことになります。それで亡くなってから、当時の弟子たちがブッダの教えで会議を行い文章として作ったのが「経典」であります。

まず仏教キーワードは「縁起」”えんぎ”。  是非この言葉だけは覚えて欲しいと思います。

縁起」とは人や事柄などが関係しあってお互いを支えていることを言います。例えば、ここに40歳男性がいるとします。彼は妻にとっては夫であり、子から見れば父、彼の親からすれば子である。会社にいけば彼は課長であり、オーナーから見れば従業員である。つまり、自分存在とは情報によって作り出されたものであり、あなた自身多くの人々の関係、周囲にあるあらゆる物との関係において、今のあなた自身でいることができる。だから、最初からあなた自身が存在しているのではなく名前という情報があり、住所という情報があり、職業などがあってこそ自分がなりたつ。つまり、他人が自分存在を示してくれる。逆にいうとあなた自身も周りを支えていることになる。こういう関係性を仏教では「縁」と呼びます。

もうひとつ知ってほしいのは<「空」”くう”です。

「空」とはそこに見えてるものは実体がないと考えます。ちょっとややこしいが、普通は実体があるからこそ人やものが存在していると考える。しかし、仏教では現象にすぎないと考えます。簡単にいえば全て幻と考え、起きることや物、人生、人すら実体のない幻と解釈してしまう。バカらしいと思うかもしれないが、ちょっと待ってほしい。例えばテレビ画面やパソコンの画面、映画スクリーンを近くでよーく見てみると、小さい四角や丸の集合体であることは知ってますよね、知らない人はテレビ画面におデコをつけて見てほしい。すると小さいドットが繋がっている状態でひとつひとつがいろんな色に点滅しているただの光の集合体というのが分かります。つまり実体のない幻といえる。物や人も素粒子レベルで考えると、点滅しているにすぎない、だからあなたも私も幻と考えることができるということなのです。ちょっと分かりずらいが、「空」とはすべてが現象と考えると分かりやすいと思います。

もうひとつ例えを出します。皆様は普段から牛肉を食べますよね。これって食べた後にどうなるか知っていますか?そもそも、食べるものとは”アミノ酸”だとか””コラーゲン”みたいに色々な分子が集合してできているのが食物で、それを体内に入れた時に分子に分裂して体中に分子が散ればめられてたんぱく質に変わり栄養として吸収され破壊されて行くのですが、ここで問題なのが牛肉は牛であり、人間と同等の生物ということです。具体的に言いますと、牛肉は分子の集合体ですよね、ということは、牛も集合体ということになり、故に、人間も分子や原子の集合体ということになるのです。、だから、人間も実体がなく現象であり「空」であるというのが仏教という哲学なのです。

ちょっと分からなくなってきたと思いますが、この2つセットが仏教の基本なので、先入観を少し置いといてこういう考え方もあると思ってくれれば結構です。補足ですが、瞑想と言う言葉を聞いたことありますよね、洞窟の中とか誰もいない森の中で永遠瞑想という修行をする人たちのことですが。なぜ、できるかというと全てが幻と思っているからです。どこにいようとも何をしようといいというわけです。これが究極の空です。

ちょっと話がそれますが、巷では占い師の方が「あなたの前世武士」だとか、死ねば生まれ変わるだの言われることがありますが、仏教では輪廻転生はないと考えているし来世も前世存在しない、自我も空だと考えています。つまり、体がなくなっても魂は来世に蘇り繰り返すという概念はありえない(正式には分からない)しかし、一部では霊がいるとか神がいるとか、輪廻するとかいうのが信じられています。まあ信じる分だけならいいのですが、それに付け加えて出てくる概念が、この世で苦しめば苦しむほど来世でランクステージ)が上がるという考え方です。インドカースト制度がこれ、ランクステージ)の低い身分の人はこの世で自分を苦しめ相手も苦しめることを現実にします。つまり問題なのは現世で苦しめば来世でランクが上がるという概念が怖いのです。

例えば、電車の中で騒いでいる若者がいたとする、こいつは人に迷惑をかけていてこのままでは来世でランクステージ)が下がるのでかわいそうと思い、早い段階で苦しめて殺しちゃえという考え方になり、ナイフで刺してぐりぐり苦しめて殺してしまう。この考え方がオウム真理教の「ポアの思想」。

もうひとつ例えれば、映画館で隣の男性がポップコーンをボリボリ食べていて人に迷惑をかけているとする。すると、前にも言ったがそういう人は現世で苦しめて殺してあげる、そして「来世でランクステージ)を上げて楽しく暮らしてね。」って感じで平気で人をナイフでぐりぐりして殺してしまう。刺されている人が「痛いよ!」って言っても刺してる側は全てが「空」だと思っているから、「この世には実体がない幻なんだから痛くないでしょ、何言ってるの」ってなる。これがオウムの「ポアの思想」で宗教を悪いことに利用したスピリチュアルな考え方です。

怖い考え方のキーワードは3つ

  1、ランクがある(麻原は最高ランクみたいに)

  2、輪廻転生がある(来世や前世存在する)

  3、現世で苦しめば来世でランクが上がる概念

現在テレビで人気の○木数子はかわいいもので彼女はただのオカルト。怖いのはスピリチュアルの○原氏。輪廻ランクがありきと考え、しかも視聴率が良い番組で堂々とわけの分からないことを言っているので、このままいくとオウムみたいになりかねないと私は危惧します。

話を戻しますが、人間には煩悩がたくさんあります。代表的なのでは睡眠欲、食欲、性欲、物欲、などなど、これらの煩悩をなくしてしまうのが悟り、つまり全てが空と考える概念を「空観」”くうがん”といいます。その逆が「仮観」”けがん”。仮観は煩悩むき出しでお金も稼ぐだけ稼ぐし、あれも欲しいこれも欲しい、その為には戦争もする考え方。みんなが仮観の考えでは世界は滅びます。逆に「空観」もみんなが考えるとやる気もないし何もしない、食欲もないし睡眠欲もないからこれも世界が滅びます。

じゃあどうするの?

そこで仏教ではその間の「中観」”ちゅうがん”という概念存在します。では「中観」とは何か。まず全員が「仮観」の考えかたをすると欲望を限度なく追求するから結局戦争になり人類が滅びます。次に全員が「空観」の考え方だと全てが幻と思っているからボケーっとして誰にも迷惑かけないけど何も進歩しないからこれも滅亡する。しかも「空観」にカルマ思想が入ると他人に迷惑をかける最悪のことになります。

それではダメなので昔に「中観」という概念を考えたナーガールジュナという人がいます。「空観」と「仮観」の間の「中観」。さっきの例で言うと、ポップコーンを食べている人はボリボリと人に迷惑をかけているが、その男性彼女映画を見にきていて彼女と楽しむことや、彼女を楽しませるなどやること、役割ががあると考えます、つまりその男性は機能をもっていて、デートいう役割を果たしている。すると矛盾が発生して殺してはダメになる訳です。

ちょっと話が脱線しますが、ブッダ弟子ブッダに対して「神はいますか?」「生まれ変わりはありますか?」という質問をした。その時にブッダが「毒矢の例え」で答えたという。「毒矢の例え」とは一人のひとがどこからか飛んできた毒のついた矢が胸に突き刺ささって苦しんでいて、その時にどこから矢が打たれたのか、この毒の成分は何なのか、何メートル先からか、ベクトル計算するとなど考える前に矢を抜けよってこと。つまり、ブッタは「霊」とか「神」とか「自我」とか考える暇があるんだったら他にやることあるだろ、だから「神」がいるとかいないとかどっちでもいいじゃんっていうのが結論。これが「空観」に機能(やる事)(役割)をもたせた考え、つまり「中観」。

私も「どっちでもいいじゃん」ってのが結論で、答えがでないものを考えるより他にやりたい事や、大切なことを楽しむ、そして人生有意義なものにできればと思いました。ただ仏教などの哲学全体を把握しての「どっちでもいいじゃん」と何もせずめんどくさいから開き直って、さも分かっているかのように「どっちでもいいじゃん」とでは雲泥の差があるので勘違いしないで欲しい。是非、皆様も仏教と聞いただけで邪険にするのではなく、知っていると悪徳新興宗教スピリチュアルなんかで高額なお布施などを払うことも予防できると思います。是非これをきっかけに仏教本でモチベーションを上げてみるのもいいのではないでしょうか。

言葉は「どっちでもいいじゃん」です。

2008-09-28

anond:20080928174820

五蘊皆空ってさ、人間感覚認識自我

ぜんぶ自然現象で能動的なところを一切持ってないってことだよなたぶん。

それは誤読ではないかな。ということで書いてみます。

照見五蘊皆空

「(観自在菩薩が)『五つの蘊(要素)が存在する、さらに、それらの本性は空である』ということを見極めた」

五蘊とは、それぞれ「色・受・想・行・識」と名付けられた5つの要素ことです。それぞれの内訳を簡単に述べます。

さいしょの色というのは。ここでは physical なもの、カラダのことです。(例えば、「"色"欲」っていうのは「"肉"欲」ともいうように。)。そして、受・想・行・識がそれぞれ mental な、ココロのはたらきのことです。それぞれ別々のはたらきを示しているのだけれど、ここでは省きます。そして、あなたにはこのような「五蘊」が存在する、ということを認識して、そして、「それらはすべて」(=「皆」)、「常に変化し、実態とか本質といえるものはない」(=「空」)と、述べられています。

で、それを承けて。カラダ自体はあなたの所有物ではあるけどあなたそのものではないし、感情とか感覚といったココロもあなたの所有物ではあるけどあなたそのものではない。でも、おかしくないか、カラダとココロがあってそれがあなたのはずなのに、でもあなたそのものってどこにもないよね? でもカラダもココロもあってそれはあなただと。なんだか矛盾するようだけど、そういうことが書いてあるということです。

釈迦さまのいたインドでは、それまではバラモンが「永遠に変わることのない普遍的な自我世界本質っていうのがあるはずだ」と考えていたのだけれど、そうではないのではないか、なぜならば……ということをこのような理屈で示した、といえばいいのかな。

たとえば鴨長明が「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず」と『方丈記』で述べているように、カラダとかココロとかから超越した永遠に変わることのない普遍的な自分の本質、ほんとうの自分なんてものはない。といえば若干理解しやすいのかもしれません。

……というのが一応の説明。さんざん書いておいてナンですがあまり信用しないでくださいね。できればしっかりした解説書にあたってほしい。

そして、ここまでで述べてきたこれを踏まえて。この部分を読んで「自我って能動的なものなの?」という問いが出てくるのは少し疑問です。ちょっと違うレイヤーの問題なのではないかな、と思います。書かれていないことを疑問に思ってもテキストからは読むことができない。

……と、こんなところでどうでしょうか。

2007-11-27

http://anond.hatelabo.jp/20071127142136

「希」の訓読みは「こいねがーう」です。音読みは「キ」です。

名乗りで「のぞみ」と読ませますが、ただの「の」とは読みません(いわゆる豚切り)。

「空」はどう読もうが「あ」という読み方にはなりません。

初見で読めない名前が普通と思うなら、ちょっと毒されすぎだと思います。

毎回名前を正しく読んでもらえない子供がどうなるか想像してみてください。

2007-09-08

両方あるよ。

http://anond.hatelabo.jp/20070908084536

どっちがどうって定義があるわけじゃないけど

辞書には両方載っている

現在の「から揚げ」は別に「唐」の料理でもなんでもない

でも「空」かというとそうでもないし

どっちでも好きな方を使うのがいい

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん