2008-09-28

anond:20080928174820

五蘊皆空ってさ、人間感覚認識自我

ぜんぶ自然現象で能動的なところを一切持ってないってことだよなたぶん。

それは誤読ではないかな。ということで書いてみます。

照見五蘊皆空

「(観自在菩薩が)『五つの蘊(要素)が存在する、さらに、それらの本性は空である』ということを見極めた」

五蘊とは、それぞれ「色・受・想・行・識」と名付けられた5つの要素ことです。それぞれの内訳を簡単に述べます。

さいしょの色というのは。ここでは physical なもの、カラダのことです。(例えば、「"色"欲」っていうのは「"肉"欲」ともいうように。)。そして、受・想・行・識がそれぞれ mental な、ココロのはたらきのことです。それぞれ別々のはたらきを示しているのだけれど、ここでは省きます。そして、あなたにはこのような「五蘊」が存在する、ということを認識して、そして、「それらはすべて」(=「皆」)、「常に変化し、実態とか本質といえるものはない」(=「空」)と、述べられています。

で、それを承けて。カラダ自体はあなたの所有物ではあるけどあなたそのものではないし、感情とか感覚といったココロもあなたの所有物ではあるけどあなたそのものではない。でも、おかしくないか、カラダとココロがあってそれがあなたのはずなのに、でもあなたそのものってどこにもないよね? でもカラダもココロもあってそれはあなただと。なんだか矛盾するようだけど、そういうことが書いてあるということです。

釈迦さまのいたインドでは、それまではバラモンが「永遠に変わることのない普遍的な自我世界本質っていうのがあるはずだ」と考えていたのだけれど、そうではないのではないか、なぜならば……ということをこのような理屈で示した、といえばいいのかな。

たとえば鴨長明が「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず」と『方丈記』で述べているように、カラダとかココロとかから超越した永遠に変わることのない普遍的な自分の本質、ほんとうの自分なんてものはない。といえば若干理解しやすいのかもしれません。

……というのが一応の説明。さんざん書いておいてナンですがあまり信用しないでくださいね。できればしっかりした解説書にあたってほしい。

そして、ここまでで述べてきたこれを踏まえて。この部分を読んで「自我って能動的なものなの?」という問いが出てくるのは少し疑問です。ちょっと違うレイヤーの問題なのではないかな、と思います。書かれていないことを疑問に思ってもテキストからは読むことができない。

……と、こんなところでどうでしょうか。

記事への反応 -
  • 最近、般若心経の解説書読み始めたんだがさっぱりわからん。 五蘊皆空ってさ、人間の感覚、認識、自我は ぜんぶ自然現象で能動的なところを一切持ってないってことだよなたぶん。 い...

    • 五蘊皆空ってさ、人間の感覚、認識、自我は ぜんぶ自然現象で能動的なところを一切持ってないってことだよなたぶん。 それは誤読ではないかな。ということで書いてみます。 照...

    • 自分も詳しいわけじゃないけど、能動的かどうかじゃなくて他と独立して存在するかどうかなんじゃないの?感覚、認識、自我も他との相互作用であって、それ自体のみで存在してるわけ...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん