はてなキーワード: エスプリとは
俺のぼっち歴は相当なもので、プライベートで遊ぶ関係を友達と勘定するならばたぶん中学一年生ぐらいの頃に映画を見に行ったのが最後だ。(クラスで映画を観に行く話をしてるところに俺が空気を読まずに“自分も行っていいか”と訊ねたことでついていく運びになった。今にして思えば、彼らにとっていい迷惑だった)
大学生の頃同じゼミのやつからマクドナルドに呼び出されたことはあるが、どうだろう……友達だろうか…友達ではないな。
なんなら映画を観に行ったときも、俺は観てすぐ帰ったので(楽しくなかったのではなく、普通に映画を観て満足したらすぐ帰りたくなった)そのあとなんやかんやでそのことを突っつかれ、俺はやるせない気持ちになった。「帰るわ!」と言って、特に引き止められずに「ああそう?じゃあまた」と言われたのだからそりゃ帰るよ。
俺は高校も大学も友達と呼べる人間が一人も出来ないまま過ごし、わけのわからぬまま人生の一番自由な時期を、イヤホンが耳に刺さったまま一人で過ごした。
サークルは一時期落語研究会に属していたが、裏方だけやろうと思っていたのに字が汚すぎて題目の名前を書いた紙すら満足に書けず、あがり症のおかげで「時そば」を、客ではなく先輩の前で練習することすら出来ない始末。(なぜか、“枕”という、噺の前にやる些細な無駄話だけは少しだけ達者に話すことができた。20分ほど)どうしたものかと悩んでいたが、ちょうどそのとき部内の人間関係でトラブルが生じ、同級生が一人、先輩が二人やめたところで俺も便乗して辞めた。
暇なときはイヤホンで外界の情報を遮断してなんかしらの曲を聞きながらキャンパス内を徘徊し、たまに構内を出て無意味に一時間ほど歩き通してみたりした。
これで偏差値の高い大学に通っていたとかなら人と違う視点を持ったがゆえの孤立とか格好がつくのだろうが、普通に偏差値の低い大学に通っていたので、俺はぼっちで、しかもバカなだけだった。
どれぐらい偏差値が低い大学かというと、ここを出た某作家が著者略歴にうちの大学ではなく、所属していた他大学のサークルの名前を書いてしまうぐらい偏差値が低い。
とは言え、何も本当に音楽聞きながら歩くだけの学生生活だったわけではない。たまにラーメン屋巡りとかしてたし、ちょいと小銭があるときは雀荘に立ち寄ったり、また、本当に本当~~~に暇なときは、ネットに小説をチョロッッッッッとだけ書いたりしていた。半年に、ほんの六、七行ずつみたいなペースで。
そうしてある日、気付いたことがある。
俺は意外と、少なくとも感想文みたいなレポートを提出して怒られていた同級生よりかは、文というヤツが書けるのでは?と。
それまでは星新一とズッコケ三人組ぐらいしか読んだことが無く、他にはエブリスタでクソみたいな異世界転生系小説を読んであざ笑うというカス以下の習慣しかなかったのだが、それが思いのほか文章力の向上に繋がっていたのだろうか。「こういう文章を書かない」という手本は意外と役に立った。気がする。
エブリスタで小さい賞を取ってアマギフを三千円ぶんぐらいもらったりして調子づいた俺はもうちょっと色々書いてみようと思い、半年に一度ペースで書いていた小説で人と人がどうのこうのするパートに差し掛かり、そこを頑張って、ウィットとエスプリの利いた小気味良い会話文を作ろうとした。
出来なかった。
どうやっても平面的な、話している人間の人格が反映されない、ただの「文」にしかならなかった。読んでいて不気味だった。作品に思い入れのない声優が「あのキャラやってみて」と頼まれ、とりあえず声だけ出してみた。みたいな。あるいは同じ作品で共演する声優同士に、台本なしでそのキャラを即興で演じてみてくれ。と頼んだ時の会話のような…
とにかく形容しがたい、薄っぺらさが隠せない会話になってしまう。
要するに、三人称視点の文はてんでダメだった。『楽しそうな会話』が書けない。
反対に、一人称視点だとけっこう書けた。なのでレポートや論文はヒョイヒョイ書けた。あれは一人称視点で書く文章だからだ。だが小説は別だ。いくら一人称でも話の途中で主人公が人と会話をしなくてはならないときがある。これが本当にできない。
相手がどういう感情で主人公に話しかけているかを考え、主人公の受け答えでどう気持ちが動いて、気持ちに応じてどう対応が変わるかを考えてセリフを作る。すると、何を考えているかわかっている俺から見ればそれに気付かず喋っている主人公が妙にマヌケに思えてきて、そうなるとそのマヌケの一人称視点で綴られている他の文もマヌケな文に見えてくる。そしてどっと気が萎える。
なんのことはない。俺が普段人の感情の機微について推し量るような機会とほとんど出くわさず、機会があっても推し量る能力がないマヌケであり、そのマヌケぶりが主人公に伝染していただけのことだった。
好機を逃さず利用することを中国の故事で『奇貨居くべし』と言うらしいが、機会を利用する能力を養う方法まで故事は面倒を見てくれないらしい。(きかい。と打とうとして“きかお”とタイポしたら予測変換に出てきたので、意味を調べた後使いたくなった)
…とはいえ書かないと続きに進めないので、そこら辺のコミュニケーションパートはなあなあに、サッと流して次に進むのだった。
いろいろな作家の言では、脳内でキャラクター像をしっかり組めばストーリーと舞台の範疇で、頭の中で勝手に動いてくれるそうだが、俺の脳内に居るキャラクター達は揃いも揃ってマネキンばかりだ。俺の思い通りのポーズはとるが、決して動き出さない。
仕方なくマネキンのポーズを手作業でちょっとずつズラして、それを繰り返したものを描写して連続した動きを表現しようと試みるも、そうして出来上がったものは生きた人間の動きとは言い難い、不自然なものに仕上がる。どれだけ細かく刻んだストップモーションアニメも、自立して動く現実の映像のように滑らかにはなってくれないのと同じだ。どうしてもギクシャクする。
最初に言っておきますが、愚痴というよりは毒吐きです。読む人によっては傷付いたり不快になったりすると思います。
ダメージを受ける恐れのある人は、読むのをお控えください。ダメだと思った時点でそっ閉じしてください。責任は取れませんので、マジ自衛してください。
また、面白くもないと思います。日頃のモヤモヤを書き散らしただけです。エスプリも効いてません。読むだけ時間の無駄です。
本当に責任取りませんよ?いいですか?
「二次創作は全て妄想。だから全て解釈違いで、全てのセリフが『○○はこんなこと言わない』だから」。
と、自分に言い聞かせてまいりましたが、最近、限界を感じております。
これ、建前じゃね?やっぱり、キャラ像を尊重して描く人と、自分の萌えのために歪めても平気な人がいねぇ?
いや、もちろん公式ではデキてないキャラ同士をくっつけて好きだなんだと言わせるワケだから、歪んでるのはお互い様なのかもしれんけども、それは分かってるけども、私の言いたいのはそういう事じゃない。
四角いトマトみたいに、自分の萌えの枠にキャラを押し込めて、「確かに赤いしヘタは付いてるけど…」みたいな、これトマト?????ってなるぐらい形の変わったキャラが量産されてない?
特に受け。元のキャラがどんな性格だろうと関係ない。テンプレートのようにすぐ照れて赤面し、可愛らしく恥じらって攻めを拒み、でも嫌よ嫌よも好きのうちっていう、どの界隈に行っても同じ、正に型に嵌めたように改変されてしまう。
ついでに言うと容姿も関係なく、原作では特に整った容姿とされていなくても、何故か二次創作では美女扱いで、やたらと同性にモッテモテにされる事も少なくない。渡る世間はホモばかりか。
私は『原作のAとB』が好きで、AとBだからこそのストーリーが読みたいんだけど、みんなはAとBのハリボテだけ流用した少女漫画が読みたいのか?と思ってしまう。
今私の居る界隈の受けは、プライドが高く好戦的で、粗暴で口も汚く、喧嘩っ早くて手やら足やらすぐに出る。非常に男らしい、原作においてはチンピラ扱いのようなキャラである。
そんな受けですら、攻めに迫られると、たちまち頬を染めて俯いて顔を逸らし、「いや♡だめ♡恥ずかしい…♡」的なセリフをのたまい、弱々しく腕を突っ張って抵抗(のフリを)し、そうこうしてる内に攻めの手管にメロメロ腰砕けになって流される…みたいな二次創作を、腐るほど見かける。
むしろそちらが主流と言っても過言ではないほどである。しかもそれがそれなりに評価もされる。作家同士のおべっかならまだ分かるが、支部のコメント欄でも「○○さんのB、めちゃくちゃ可愛いです〜♡」といった反応をよく見かける。
そりゃあ、原作にはBがAに性的に迫られるシーンなど出て来ないのだから、Bの反応は完全に妄想となる。それは分かる。分かっているのだが。
上記の、少女漫画のヒロインのような受け(いや、今どき少女漫画でも、こんな乙女全開のヒロインなんて少ないんじゃないか?知らんけど)の二次創作を読んでも、感想は「誰コレ?」しか出て来ないし、「あなたは原作のBを好きになったのではないのですか…?本当にBはこんな反応すると思って描いてますか…?こんなB見たいですか…?あなたの中のBはこんなキャラなんですか…?私と同じ原作読んでますか…?」と小一時間問い詰めたくなる。
それから攻めも。何で二次創作の攻めはあんなに猿みたいに受けの尻の事しか考えてないんだろう…。とにかく所構わずヤりたがる。年中発情期。そりゃエロ需要が高いのは分かるけども、抱きたい=愛情みたいなアピールをしてくる攻めがあまりに多くて、可哀想にすらなってくる。
端的に例えて言うなら、ド○え○んのノビジャイにハマッて支部を漁ってみたら、読む作品読む作品、肉食系俺様なノビと泣き虫乙女なジャイ(しかも何でか姉○崎寧○みたいな口調で喋る)ばかりで、しかもそれが持てはやされているぐらいの違和感である。
私にとって二次創作は、前提として原作萌えありきで、AとBへの萌えありきで、ゆえにAはAらしく、BはBらしくある事は非常に重要な事である。この「らしく」があくまで私の脳内像である事は理解しているが、それにしても同じ作品を読んで同じキャラに萌えたのだから、私以外の腐作家腐読者の脳内でも、根本的には大きくズレてはいない筈だと思っている。思っていた。
しかしあまりにも、あまりにもAとBの容姿と設定だけを拝借した少女漫画が主流過ぎて、分からなくなった。
もちろん、中にはAらしいA・BらしいBを追求して描いておられる(と私は感じる)作家さんも少なくはない。
しかし更に分からないのは、その原作に則ったABを描いておられる作家さんが、ハリボテABを描く作家さんとも交流し、作品を褒め合っている点である。
単に雑食でそれはそれとして楽しんでおられるのか、人それぞれだと割り切っておられるのか、描く時の好みと読む時の好みは別の話なのか、心にもないお世辞を平気で言えるコミュ力のある人なのかは分からないが。
私は内心で「誰コレ?」と思いながら「可愛いですー!」なんて言いたくない。「Bはこんな反応しない」と思いながら「キュンキュンしました♡」なんて言いたくない。言えなくはないが言いたくない。お陰様でどんどん孤立しているが、言わない。
だって嘘なのだ。心にもない事なのだ。言う方もだが、言われる方もそれでいいのか?嬉しいか?と思ってしまう。
表面上はそれで交流が広がるかもしれないが、内心では「私にはサッパリ良いと感じない作品を描く人」と思いながら交流を広げて何になるというのだ。いや交流にメリットはあるのかもしれないが、果てしなく疲れるその社交辞令に見合うだけの何かがあるのだろうか。
何より、心にもない賛辞で相手を持ち上げるのは、相手に対しても失礼であると私は思う。どうでもいい相手とのどうでもいい場面では幾らでも言えるが(そういう場面では相手もお世辞として受け取るから)、相手を尊重するからこそ、私は100%のお世辞は言わない。
自分が言われる側に立ってもそう思うのでそうしている。本当に好きで評価して言ってくれているのか、社交辞令としてお世辞で褒めているのかは、聞いていても何となく分かる。分かってしまう。
いい子いい子はどうでもいい子、というヤツだ。
お高く留まっているという非難は甘んじて受ける。お世辞を言うのが嫌なら、素直に相手を尊敬し、本心から褒めればいいのだ。正直、私もそう出来るならそうしたいという気持ちはある。
でも嫌なのだ。出来ないのだ。好きでないものを好ましく感じろと言われても難しいのだ。
私が好きになったAとBからかけ離れているように感じる作品を、それを描く人を、褒める事は出来ない。作品は別として本人を好きになる事は出来るかもしれんが、二次界隈の交流は、作品を褒める事が大前提なので。
分からないのは、「何故ハリボテ(に私には見える)作品が主流なのか?」という点。
みんな原作を好きになって原作のキャラを好きになって、だからこそ二次創作を始めた筈なのに、いつの間にか二次創作でのキャラ像をこそ好み、持てはやし、蔓延させている点。
中には、原作と二次創作は完全に別物と考えて、キャラ崩壊は自覚した上で「これが私の作風」とお考えの方もいらっしゃるでしょう。それはそれで分からなくもない。
消化出来ないのは、何の疑問も持たず、『二次創作で捏造されたAとB像』に迎合してる方々です。
姿だけ借りた別キャラの話が読みたかったんですか?それ、そのキャラである必要ってありますか?
それとも皆さん、全て見えてて分かった上で楽しんでらっしゃるのかしら。
だとしたら、原作のキャラ設定とバックボーンと人気を拝借するだけして、自分の萌えに沿うように改変して、キャラ崩壊してでも都合良く動かした作品が描きたいのだとしたら。
それはもうファンアートではないのではないかしら…?原作へのリスペクトが希薄すぎやしないかしら…?
キャラ崩壊が凄まじいと、どんなに完成度が高くても、いやむしろレベルが高ければ高いほど、オリジナルでやれば?って思っちゃうです、個人的には。
だからといってハリボテ(に私には見える)作品や作者を攻撃しようというつもりはないのです。これでも一応。
結局のところ、作風もスタンスも「人それぞれ」って話に落ち着きますし、好きなものを好きなように描くのが二次創作なのだから、それを邪魔するつもりはないです。私には良さが分からないけど評価されてるワケだから、需要があるんでしょうし。
ただ、何度も言うように自分がマイノリティ側であると感じるので、言えないんですよ、誰にも。吐き出したかった。
交流が広がらないのは仕方ないので別に構わないんですけど、同じ原作を読んで同じABに沼ってAB界隈に居るハズなのに、何で原作のイメージに近いABがマイノリティなのか。ホント意味分かんない…。
一方で、マイノリティながら、同じ苦悩を抱える方も絶対にいらっしゃる筈だという思いもあります。
よくわかるといいたいけど、俺はチンコもマンコもなめられる立場だから、「お前、きっちり理解してるのか」って言えると怪しいわけよ。
でも、あの元増田に、「オレンジイズニューブラックでちんちんボロンが無修正でうつって興奮した」とか、
「GLOWで男娼のちんこがブラブラしててテンション上がった」とか言ったところで理解されるとは思えないんだよな。
あと、中央線で両乳首を責めながら、さすってもらったって痴漢の話を嘘だと思いながら耽ってしまうとか絶対理解できないと思う。
そこに腹立つというのはすごくわかる。
ただ、変に諭すように言うのもあれだが、俺も実は経験があってさ、
ジェンダーが不安定な奴っていうのは、対外、自分の身体に理解があるって示したがるのよ。
高校生くらいの頃かな?中学生の時に男を好きになって、それが、ああそうなんだって、実感を持ち始めたとき、
俺はすごく痛々しい奴だった。
世間でいう一般的なイメージのゲイになろうとしたんだよ。実際には両刀のくせに。
悲惨なセックスをしようと、適当な男を見つけてはセックスした。
いや、もう不細工ばかりだったよ。俺自身が不細工だったからさ。
ハッキリ言って、今考えると惨めだった。
でも違かったんだな。そもそも、俺は男とのセックスも女とのセックスも考えるって時点で、バイだったわけだ。
そういうのがわかったのは本当にここ最近のことだ。
12年間かかった。自分のセックスを、ジェンダーを見つめるのに。
14の時に男が好きになって
18の時に50のチンコ吸って
そうやって、26になってやっと自分の性っていうのがわかるようになった。
だから、ああいう、「ロリコンだけどロリコン映画教えて」ってエスプリも理解できな元増田の無邪気さっていうのも理解できるんだよな。
なんというか、俺は特別になったぞっていう気分ていうか。
もちろん、今、俺の目の前にいたら殴って説教してって思うけど、実際は拳を収めてゆっくり話してやるんだと思うんだよ。
これまでの気持ちを、自分すら理解できない性の在り方ってやつを。
なんでこんなこと書いてるんだろうな。
若しくは、ただ同性愛の人権が腐女子の消費に負けるってのが嫌なだけかな?
わからないんだけど。
ただただ、心にひびが入ってるのはわかるんだよ。
あのツリーのどの文章を読むたびに全身が砕けそうな気持になるから。
俺はさ、つらいんだよ。
やっぱり、楽だからって向き合わないのは無しだよな。
そうだな。
一流国ってのはこれの事だから。
お友達は似たようなことに遭遇したら即その場を離れて下さい。話しかけられたら英語わからないフリして逃げる。バスは下りて!!!相手は子持ちでも薬物中毒や犯罪経験者の場合あります。彼らは何も怖くないから本当に手が出ます。死ぬ寸前まで殴られたり刺されます。女性でも手加減しません。逃げて!!!— めいろま (@May_Roma) 2020年2月20日
滞仏日記「パリの日本食屋に差別的落書き?を分析」 https://t.co/ubHMKkqVmH
辻仁成は「攻撃対象は中華系で、日本人ではない」と繰り返し、中国人差別を当然視しているのが恐ろしい。アジア人は”狩られる”とも書いてるのに。
まあ”桜よりコロナ”という結びでこの人がどういう思想かは推し量れるけど。 pic.twitter.com/sfcoGEXhBr— LLAMA! (@bharibharibhari) 2020年2月20日
展開がかわいい
キャラを魅力的に描けている
(ここにカプ違いみたいのは入るけどあえて見ない)
程度だと思ってるんだけど、解釈違いという謎の概念が持ち出されてきてから「同カプでも二次創作エピソードやキャラの方向性の違いによりケンカ(低レベルな)が発生してる様子が散見されるというか、俺自身にそのような欲望が芽生え始めていて本当によろしくない。なんだ解釈違いって。自分の好きなキャラが「そうであったらいいな」みたいな素朴な創作行為でしかないじゃないか。それがどろどろのぐっちょぐちょなエロ行為で、なおかつ金銭が目的だとしても、まあ描く・書くというハードルの高さを突っ切ってるのだから解釈違いなんて大した意味はないんだよな。俺の黒い感情を、もっとエスプリの効いたソフィスティケイティドされた悪趣味程度に置き換えたい。京都人のイケズ程度の穏当さに。解釈違いなんてだらしのないよだれを垂らした獣のような有り様になりたくはないのである。解釈違い、いいじゃないの、俺の解釈と君の解釈、果たしてどちらが解釈として優れているのかな? 解釈バトルは自意識のバチバチしたぶつかりあい、ステゴロオタクがやる何の価値もない下卑た萌ゲロを吐き出すだけの行為だぜ。そのお綺麗で透明な唾液でこちらの解釈を自分色に染められるっていうのか? やってみるならやってみろ。磨きたてみてえな掘り出し直後のクリスタルを完膚無きまでずたずたにくっさくしてやるから。解釈を見せろ。お前の解釈だ。純然たる解釈。他人が作り出した命を削って作り上げた物語の
前置きとして、この話に出てくる男性には個人的に嫌悪があるため口汚い物言いになってしまうことをお断りしておく。
その際弱者男性全体への批判のような物言いになることがあると思うが、主語のすり替えであることは筆者も重々承知している。
前もって謝っておくね、ごめんなさい。
できるだけ公正な視点で書く努力はするものの個人的な体験であるためどうしてもそういう部分は出てくるだろうから余りこの手のネタが好きじゃない人は閉じてほしい。
インターネットで良く目にする弱者男性と付き合ったことがある。
アラフォーで、年収は200万円前後で、実家暮らしで、スーツの上からでも分かるほど腹がぽっこりしていて、顔は骨格もパーツも皮膚も良くない。
何故そんなのと付き合ったのかというと、告白された時にお断りを理解してもらえなかったからだ。
「俺たち付き合う?」と聞かれた時にはっきりと「付き合わない」とお断り申し上げた。申しあげたのだ。
けれどこの男性(以降Aとする)は粘り強かった。
間髪いれずに「どうして?」と聞いてきたのだ。私も間髪いれずに「付き合いたくないから」と説明した。
そうすると今度は光の速さで「なんで?」と聞いてきた。なんでもクソもない。私も光の速さでなにかしらの説明をした。勿論お断りの方向で。
これを何回も繰り返し、あっこれは頭のヤバいやつだナ。と思った私は渋々了承した。してしまったのだ。
Twitterに生息しているAという男は私が食事をしたことを写真付きであげるとそれをRTして、その後にその店のURLを晒し、最後に「8000円のランチ。増田嬢の優雅な昼下がり」などと呟いて、それをエスプリ満載なコミュニケーションの一つだと勘違いしているような人間だからである。
それならば付き合わなければいいのに、前述の通り断っても理解しないヤバさと弱者男性への哀れみがそうさせてしまった。死ね。
無事私の了承を取り付けたAは嬉しそうに「じゃあ、よろしくのチュウ」と言って顔を近付けてきた。
女性への接触に慣れていない人間特有の「触るぞ触るぞ触るぞ」の興奮が隠しきれない鼻息の荒さで。こええよ。
早速後悔が押し寄せてきたけれど女に二言はないのだから、私は「じゃあ、よろしくのチュウ」とやらを受けた。死にたい。
機嫌の良くなったAは「オフ会であった○○ちゃんの方が君より顔はいいけど性格が嫌い。人に色々質問してくるから。男子校ですか?って聞くとか失礼だよね」や「君を紹介したら結婚詐欺だって疑われるだろうな」と嬉しそうに話していた。
○○ちゃんというのは私が大好きな女の子で、それを初っ端くさすのはどうかと思ったが、彼は哀れな男なのだと思って我慢した。後者の発言も大概である。
次にAがやり始めたのは、私の家で私の大切なものを触ることだった。
より個人に近しいもの、例えばぬいぐるみなんかをベタベタと触って「よろしく」と話しかけるのだ。なんとも言えないマーキングのような気配を感じて私は止めた。
それ以降、毎週末、それから祝日の度にAは来るようになった。曰く「どうせ俺は短い間に振られるからそれまで思い出を作りたい」からとのこと。
余談だが私はその時病気のため長期療養中でできるだけゆっくりしたかった。
これによって我が家の食費は三倍に、光熱費は二倍に膨れ上がった。
一度すき焼き鍋が食べたいと言ったAにすき焼き鍋をはじめとして五品くらいの料理を出したところそれぞれ二人分作っていたのに全て食べられたことがある。
余りのことに唖然としたが本人は「お皿分けてないからわからなかったよ。コンビニでなにか買ってきてあげようか?」と何故か気の利く彼氏のような口ぶりで可愛くすねてみせる。繰り返すが、Aはお顔の見苦しいアラフォーのおっさんである。
末っ子長男という立場の実家でなら和やかなエピソードにもなろうが、二十代半ばの私ではアラフォーの末っ子長男を甘やかすことはできない。舌を噛み切りたい。
このように自分が食べるものには無頓着で、常備菜も断りなく勝手に持ち出して食べてしまうAだったが、金銭感覚とやらには人一倍敏感だった。
ある日突然「君の家の冷凍庫にはステーキ肉があるでしょ?あんなのうちの実家にはないよ。贅沢なんだって分かってる?」と責められた。
私はAが我が家の冷凍庫をあけたことなんて知らない。なによりなぜ私が家賃を払っている家で私の払っている電気代で私の食費の範囲内で存在しているステーキ肉を贅沢と言われなければならないのか困惑した。
なんでだろう。ただの業務用スーパーの肉なのに。海外産なのに。
こういうことはままあった。
私の家の別室にいつの間に入ったのか、私の服が殆どUNIQLOであることに対して言及する。同じ口で、私の服装はハイブランドっぽいから他人に威圧感を与えるとあてこすられる。
自分で家探しして、UNIQLOであることを把握しているのに。
肌の手入れをしている時、家の掃除をしている時(余談だがAは私が洗濯物を干している方向に向かって寝そべった姿勢で放屁したことが何度かある)とにかくことあるごとに
・それは文化資本の高い裕福な家庭で育ったから身についたことだ
・そういうのは人に威圧感を与える
という趣旨であてこすってきた。一見褒め言葉とも思えるが、その時のAの表情は「世間知らずの小娘に、弱者として様々な荒波に揉まれてきた俺がものの道理を教えてやる」という優越感に歪んでいた。
これが、毎週末起こればどうなるか。
病気療養中でただでさえ体力が落ちていた私はメニエール病になった。病気のお代わりである。
実家で未だ末っ子長男の立場にいるアラフォーが呼んでもいないのに毎週末入り浸り、どんどん荷物を運び入れてくる、ついでにジンギスカンのタレ(私の住んでいる土地は北海道ではない)や生姜湯のタレやカフェオレのタレや実家にあった食べかけのスプレッドなどをお土産としてドヤ顔で押し付けてくる。
金銭感覚の狂っているところと金を持っているような見た目だけがたまに傷で、そこは俺が矯正してやらないとな。
俺が結婚してやるから、婿に入れて跡継ぎのパパにさせてね。お家のことは任せてくれていいよ。
無理だった。哀れに思って物乞いに施しを与えるつもりで付き合っていたけれど、風俗嬢とキャバクラ嬢と家政婦とママと財布のハイブリッドにはなれない。
金銭感覚が狂ってるのはあんただ。他人の家で好き勝手食い散らかして、風呂も毎日溜めて、家事も食事の世話もしてもらって当たり前と思ってるけど年収200万円でそんな生活はできないんだよ。
実家暮らしでそれが当然になってしまってるお前の金銭感覚の方が狂ってるんだ!
そう言いたいのを飲み込んで私は「うちに置いてる荷物を持って帰ってね」と通告した。泣いてたけど知らない。
禅問答のような告白劇からわずか一ヶ月半のことだったが、色々と我慢の限界だった。
うちに持ち込んだ荷物は手提げ二袋に詰めてもまだ残っていたので、私が大きい段ボールに詰めて送った。
私に了承を得ていない様々なところに荷物を置いていたので探し出すのに苦労した。
別れた後もオフ会した女の子の品評が送られてくるなどした。「焼肉奢ってやる価値なんてなかった」「デブだった」「立ち居振る舞いに品がなかった」「増田がどれだけ素晴らしいか分かった」
うるさい、死ね。腹がぽっこりしてるアラフォーのおっさんが女子大生に向かってなにを偉そうに。その子が可哀想だ。
またまたその後便箋七枚ほどに及ぶ懺悔の手紙が送られてきた。字があまりにも汚かったので、読めたところだけを要約すると
「コンプレックスに苛まれていろいろとしたことを反省します。プライドが邪魔をしてしまったんだ。だって俺は稼げないし」
稼ぎがどうこうじゃなく人間性の問題であることを理解できないのが哀れだと思ったが。
後日談として、
その後Aは自分のコンプレックスを払拭するためか親にいれている金を免除してもらって株式投資をはじめ、順調に年収分くらいの損失を出しているらしい。
異性として見られる魅力もなく、自信となる稼ぎもなく、実家暮らしで萎えた自立心と金銭感覚、末っ子長男扱いと狭い人間関係で肥大しきった自己評価
彼の不幸の全てが弱者男性という社会問題のせいとは言わないけれど、でも私は二度とその手の男性に近づかないだろう。
たとえ差別と言われても、この記事に書いた奇行、書ききれなかったその他の様々なコンプレックス由来の奇行どちらも私を頑なにするには充分だった。
10年間、ずっとニコ厨を続けてきた。現在もプレミアム会員だ。
しかし、最近のニコニコはあまりにも使いにくい。プレミアム会員なのに動画読み込みがピタリと止まって動かない。再生途中にシークすればシークポイントで固まる。生放送は追い出される。正直言ってプレミアム会員であるメリットがほとんどない。
少しネットで探るだけで、同じような意見をわんさかと見ることができる。みんな我慢ならなくなったのか、ついに今年プレミアム会員数が減少に転じてしまった。
ニコニコ唯一の強みと言ってもいい動画コメント、その数もどんどん下がり続けていると聞く。コメント数は最盛期の25%程度にまで落ち込んでいるという。
このままではニコニコは早ければ来年にも立ち行かなくなるだろう。誰の目にも明らかだ。
こういうニコニコ衰退が見え始めたタイミングでの、新バージョン(く)の発表告知。
ユーザーはみんな「ニコニコは尻に火がついて重い腰を上げざるを得なくなった」と思ったに違いない。そして「画質、重さ、完全解決」という、大風呂敷広げすぎに思えるブチ上げにもある程度の期待を寄せたと思う。「今度のニコニコはもしかして本気なんじゃないか」と。だって、それをしないとニコニコは競合他社に潰されるんだから。
ニコニコ運営はもともと人をバカにしたような態度を取る事を是としてきた感がある。動画投稿者やユーザーに目線を合わせているつもりなのか、ノリが大学サークルなのだ。「俺らすげえ面白いだろ?こっち来いよ」という戦略である。ここ数年まではそのノリが受けた。しかしこれは、ユーザーが許容しなければただの殿様商売にすぎない。
はっきり言って、ニコニコ運営のやることはまったく面白くない。面白かったのは動画投稿者でありエスプリのきいたコメントであり、ニコニコはそれを横取りしてきただけだ。「後押し」じゃない。「横取り」だ。
この「面白いことやってやろう」の危機感のなさが最悪の形で露見したのが11月28日の(く)の発表会だった。まず、自身が定めた10月30日の期限を守らず、期限が過ぎた後で突然の1か月近い発表延期の告知。この時点でかなりのユーザーがニコニコを見限った。我慢して待ったユーザーが見せつけられたのは、うすら寒いゲームやら生放送のエフェクト紹介に終始し、しかもそれを激重の新サービス上で限定公開で行うという、最悪のお遊戯会。新バージョンリリースはさらに延期の2月28日。さんざん延期したにもかかわらず「画質、重さの解決」への答えはなかった。ユーザーの怒りは頂点に達し、圧倒的な数の悪評がネットにあふれ、プレミアム退会者が続出。
ニコニコ運営はこれを予見できなかったのか?たぶんできなかったんだろう。内輪で受ける面白さにしか興味がなかったニコニコには。
さすがにこの状況に危機感を感じたのか、ニコニコ運営は11月30日に謝罪文を掲げた。そこには、画質、重さが解決できなかったお詫びと、来年1月までに画質を向上させる(投稿動画は1080p、生放送は720p)約束などが記載されていた。12月3日に予定されていたニコキャスの発表は当然中止。
この謝罪文を見て、あれっ?と感じた。内容が真実なら、2か月で画質向上できることになる。「新バージョンは2月28日から」という発表はいったい何だったのか?思いがけない批判殺到にビビった運営が、エンジニアを馬車馬のように働かせて強引に画質を向上させることにしたのか?それはドワンゴが今までやってきた行き当たりばったりの機能拡張と何ら変わらない対応なんじゃないのか?モヤモヤだけが残った。そう思った人も多かったようだ。
そんな中、ドワンゴ取締役の栗田穣崇氏が「ユーザーの意見をちゃんと聞く」とツイッターでつぶやき始めた。以後、栗田氏が矢面に立っていく。
この時、ニコニコで面白い動画を見つけた。百花繚乱氏というニコニコでも名の売れたユーザーが発表会放送を見ながら厳しいツッコミを入れるというもの。彼の指摘はかなり的確なもの多かったので、見入った。百花繚乱氏はニコニコ公式イベントなどにも多数参加しているそうで、ニコニコの事情にも詳しいようだった。
栗田氏のもとにはたくさんの意見が行ったらしい。それに感激したからかどうかは知らないが、栗田氏主導で12月12日にユーザーとの意見交換会が開かれることになった。意見交換会はドワンゴ本社オフィスから生放送、エンジニアの鈴木氏とユーザー代表の百花繚乱氏も同席、時間は2、3時間、一般プレミアムともに追い出しなし、コメントを徹底的に拾う方針と、かなりユーザーに配慮したものになった。この放送を生で実際に見たが、最初の栗田氏のお詫び会見はかなり覚悟の見えるものだったと思う。以降、生粋のエンジニアらしく誠実に技術面の説明をする鈴木氏、なるべくユーザー意見を拾おうと努める百花繚乱氏、対話重視を強調する栗田氏、ともにそれなりに好印象を与える放送だった。これを好感して翌日のカドカワの株価も上がったという。
ニコニコ運営は頑張っている。サーバ増強も、システム移行も、着々と進めている。1080p動画対応は12月11日から始まり、画質に関しても、前倒しで進めている。そういう放送だった。
ニコニコ動画は変わったのか?いや、どうだろう。
「やります、やってます、もっと告知します。いつできるかは、また知らせます」と栗田氏は繰り返していた。まあ、要するに、何もかもこれから、ということなんだろう。様子を見るしかない。
それよりも、栗田氏が放送冒頭で驚くべきことを言っていた。「川上は運営責任者を降板、自分が運営責任者となる」と。こんな大事なこと、口頭で一言で発表するようなものなのか?そもそも運営責任者とは何なのか?会長という立場は運営に責任を持つものではないのか?栗田氏が会長の意見をすっ飛ばして何でもできるのか?そのあたりの説明が何もなかった。
あの悪夢の発表会の時、ニコファーレ壇上には3人の登壇者がいた。一人は最悪の発表をした川上会長、二人目は夏野剛取締役、そして三人目は今回「運営責任者」とやらになった栗田氏だ。つまり、栗田氏は川上会長とともに糞みたいな(く)を描いてきた張本人ではないのか?
意見交換会に川上会長の姿はなかった。それは不満だが仕方ない。それより気になったのが、川上会長を悪の独裁者よろしくさんざん叩きまくり「川上が降りたから問題解決」的な空気を演出していたことだ。栗田氏は発表会で川上会長とともにいたのに、意見交換会で川上会長を叩きまくる手のひら返しはあんまりじゃないのか?あまりの露骨な川上叩きに、栗田氏と川上会長が八百長プロレスしてるだけなんじゃないかと勘繰ってしまいたくなる。百花繚乱氏もツッコミに精彩を欠き、川上パージ放送の空気づくりに一役買っていたように思う。途中から百花繚乱氏が率先してコメントに回答していくという、「あんた運営の側なの?」的なおかしな状況になっていた。
自分が思うに、ニコニコの病巣は川上会長だけじゃない。こんな状態でユーザーの意見だけ際限なく吸い上げる態度だけ見せられても、不安が募るばっかりだ。
栗田氏が言うには、これからもどんどんユーザーの意見を聞き、取り入れるらしい。でも、八方美人はユーザーの欲求ハードルをどんどん上げる。エンジニアに無茶なしわ寄せのないようにしてほしい。ユーザーが望んでいるのは「まずやるべき事をやれ」ただ一点なのだから。
意見交換会の翌日、ニコニコ動画を見てみた。重さは相変わらずだ。そして、なんと動画検索結果に強制的に検索とまったく関係ない広告動画が表示されるようになっていた。栗田氏は「ランキングの広告汚染を何とかする」と言っていたが、検索結果は広告汚染してもいいと考えてるのか?