はてなキーワード: 魔女とは
https://ja.wikipedia.org/wiki/保育園などでの性的虐待の可能性に対する社会的恐怖
保育園などでの性的虐待の可能性に対する社会的恐怖(ほいくえんなどでのせいてきぎゃくたいのかのうせいにたいするしゃかいてききょうふ)とは、1980年代にアメリカをはじめとする各国で、保育園や幼稚園などの施設の経営者や職員らが子供たちに対し性的虐待を行ったとして親たちに相次ぎ告発された現象である。告発の内容は、職員らが子供たちの性器に触れた、拷問した、性的な行為を強要したなどであり、中にはエーカー託児所事件のように別室へ連れて行かれピエロに襲われたという証言や、マクマーティン保育園裁判のように魔女の出現を証言した子供たちもいた。
「そういう部分もある」では駄目。
これはほぼ100%がそうであるタイプであり、それ以外の部分は繋ぎでしかないと思っていい。
作中に説明不足に見える用語が沢山あるけど、それらは作品の外から持ってくる必要がある。
たとえば戦争映画でわざわざ「日本とアメリカが戦争をしています。日本は最後に負けます」と解説しないのと同じで、作品外から情報を補わせることで作品のテンポを良くしたり仄めかすことでより感情を揺さぶろうとしてる。
まずは作品のラストから遡っていき重要な用語を現実に当てはめて整理していく。
13個目の積み木→宮崎駿の長編監督作品(ルパン2作とコナン1作を含む)13作目が君たちはどう生きるか
血を継ぐものへの継承→宮崎吾朗(アーヤと魔女を見れば分かる通り、継承は失敗している)
インコの王→米林宏昌(それっぽい真似っ子は出来るが……を越えられず、ついには独立してメアリと魔女の花を作っている)
インコ→ジブリのアニメーター(塔(ジブリ)の庇護下にあるときは強いのだが、外に羽ばたいて見せると途端に魔法が解けて拾ってきたときのか弱い生き物に戻ってしまう。インコは結局真似っ子しか出来ねえかんね)
下の世界の死人→アニメーター以外のスタッフ(自分たちでは何も生み出せず、いざ作品が形になると群がってくる)
ワラワラ→未来の太客(面白い作品を見せて育てることで将来的に太い客になってくれる)
ペリカン→客を食い物にしようとするアニメ関係者(せっかく育てた客を食っていく。傷ついた客がアニメに愛想を尽かすすことも)
これがマジで難しい。
アニメーターとしての宮崎駿だと考えることも出来るし、宮崎吾朗の成長物語だったのかも知れないし、鑑賞者の分身だったのかも知れない。
そういった全てが重なり合った存在であったと解釈するのが自然ではあるのだが……。
たとえば自傷行為で心配されているのは宮崎駿が引退するする詐欺で周りを振り回したときの様子にそっくり。
ことあるごとに鈴木敏夫に振り回されているのは宮崎駿もそうだけど鑑賞者側も同じなわけで。
主人公は最初、本当の母親との再開を求めて塔に向かうが、途中から新しい母親を連れ戻すための冒険も同時に進行していく。
塔の中では幼少期の本当の母親と再開し、最後に別れを告げることになる。
また、新しい母親のことを最初は他人行儀に読んでいたのが、夏子母さんと母であることを認めることで取り戻すことに成功する。
結果として、どちらもが本当の母であると言わんばかりの終わり方となる。
これは宮崎アニメにおいて「ヒロインをどのようなキャラクターとして造形するか」についての葛藤を描いているのではないか。
ハッキリ言えば、「ロリコン趣味を疑われながらも少女を主人公とするべきか、そうではないヒロインを描くべきか、それらは物語や世間が求めるヒロイン像により時には重なり合い時には反発する」という話をしたかったのだと思う。
歪な時間軸の中で幼少期の母に出会いヒロインとして共に冒険しながら、もう1人の大人のヒロインを救出に行くという混沌とした物語構成が、常にその葛藤に晒されてきた宮崎駿の複雑な心情を描いているのである。
こうして纏めてみると結構スッキリした話なんじゃね?(むしろドロドロって気もするけどな(笑))
宮崎駿の目から見たジブリの物語を描いてますよって感じなのでは。
「君たちはどう生きるか」というタイトルはこの状況に対しての語りかけで、どこに向けてそれを言ってるのかで意味は変わるんだと思う。
ジブリと関係が深い人に対しては「俺が引退した後好き放題するんだろうけど、何をする気?」みたいな感じだろうし、インコに対しては「真似る相手がいなくなったらお前らもう本当に何も無くなるんじゃね?」とかなんかな。
でもインコの話について観客に対しても「お前らもインコになってねえか?」って圧かけてきててもおかしくないんだよなーこのお爺ちゃん職人気質とかいてパワハラって読むような所あるからさー正論で人を追い詰めるマチズモなんだよなー。
しょーじきここまでメタファーまみれだと「風斬りの7番」とかも分かる人には分かる要素なのかもね(鈴木敏夫の弱点って聞くと咄嗟にとある女性が思い浮かんだりしちゃうが、アオサギ=鈴木敏夫じゃなくて高畑勲って解釈もできるし焦っちゃ駄目ね。高畑勲の場合は柳川堀割物語かな。まあ人間なんかしら人生に汚点はあるからこじつけようと思えばいくらでも出来ちゃうね)。
アオサギを適当な人物に当てはめて「宮崎駿が「お前とは色々あったけど本当に友達だったと思ってるぞ」と言ってるんだ―尊いー(T_T)」って適当に感動しときゃええんちゃう。
作画スゲーだけで終わらせるのも吉。
ジブリは滅びますぞ―のセンチメンタルそのものについて鑑賞者まで深く考えんくていいと思う。
マザコンなのかロリコンなのかハッキリしろって突っ込むとか、宮 崎 吾 朗 wwwwwみたいにヤジを飛ばすとかは見終わってからまでわざわざせんでええのかもなと。
やっぱ全体としてストーリーラインが雑というか、もののけ姫とかに比べて不自然さは凄いし、ストーリーだけを楽しもうとするのは厳しいね。
マクガフィンが母親であることのパワーを過信しすぎて「え?そこまでする?」になってるのがあまりよろしくないのよねー。
メタファー込みで考えると上手い具合に物語に落とし込んだなって感心はするけど、そんなの見せられても困るんですよお爺ちゃんって感じよ。
話題っすねーポリコレ問題。ポリコレに反してるだのポリコレに屈してるだの
うるせーーーよな。いや俺別にそういうの詳しくないよ。ポリコレ側には色んな歴史があるだろうし反ポリコレ側にも自分たちなりの意見あるだろうけど、そういうのよくわからん。
ただ、喧しい。
何?この人種が出てないから差別とか声優とキャラの人種合わせるとか。じゃ人外の声優どうすんだよ。ナメック星人も魚人もいねぇんだぞ。
反ポリコレも大概よな。いや原作を明らかに無視したキャスティングに抗議するのはわかるよ。ただ自分の気に入らない要素が出ただけでポリを叩き棒にギャーギャー騒ぐやつもよくいるよな。
水星の魔女とか面白さで黙らしたけど放送前は割と見たもんねそういうの。今そこに関する問題あんま見かけないしホントに極々一部だったんだろうけど。
話題っすねーポリコレ問題。ポリコレに反してるだのポリコレに屈してるだの
うるせーーーよな。いや俺別にそういうの詳しくないよ。ポリコレ側には色んな歴史があるだろうし反ポリコレ側にも自分たちなりの意見あるだろうけど、そういうのよくわからん。
ただ、喧しい。
何?この人種が出てないから差別とか声優とキャラの人種合わせるとか。じゃ人外の声優どうすんだよ。ナメック星人も魚人もいねぇんだぞ。
反ポリコレも大概よな。いや原作を明らかに無視したキャスティングに抗議するのはわかるよ。ただ自分の気に入らない要素が出ただけでポリを叩き棒にギャーギャー騒ぐやつもよくいるよな。
水星の魔女とか面白さで黙らしたけど放送前は割と見たもんねそういうの。今そこに関する問題あんま見かけないしホントに極々一部だったんだろうけど。
非成立となったグエスレ、4スレ、シャディミオのカップリング的なWEBCMやグッズが出続けるし、
腐女子人気が高かった近親BLのラウグエのインタビューとかも出続ける。
本編の展開と、グッズ・CM・インタビューなどの周辺コンテンツの整合性があまりにも取れてないというか、
非成立CPのファンダムを煽ってるかのような展開に見えるんだけど、意図は何なんだろう…?
本編だけ見ると「最初からスレミオだったよな」って思うから、本編でグエスレが成立すべきだったみたいな考えには全く同意できない。
グエスレにすべきだったといって公式に抗議文を送りつけてる人たちなどにも引いてる。
でも本編以外の集金周りがなんか、マジで何考えてんだろ…?ってなってしまう。
物語のプロローグにあたる部分で悲惨なことになってたり主人公が暗い状況でも前を向いてたり母親がやばかったりえぐい差別があったり人の命が軽かったり主人公が強く派手で見ごたえがあったり割とやりたいこと重視で単語の説明はあとでやったりやたらと勢力図が複雑になっていったり最後にでかい要塞でてきたり結局あれなんだったんだ…?てところをノリと音楽で納得させられたり楽しかったです。
主人公周りのところは割と単純なんだけど各勢力や世界観は結構複雑ってところも同じで、ただFF16にはアクティブタイムロアというその場その場ですぐに用語の内容を確認できるシステムがある。これが思った以上にありがたいシステムで、RPGどころかゲーム以外でも色んな媒体で見習ってほしいなと全く更新されない水星の魔女の公式用語ページを見て思う。