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はてなキーワード: 変数とは

2023-01-24

インドで友人の母親に毒殺された少年

頭良かったらしいけど13歳だからまだ将来はわかんなかったよね

数学もおそらく変数とか関数とかそこらへんじゃん?

その辺で成績が良くても将来はわがんにゃいよね

「ごめんなさい。私、辞書型の変数に jisho なんて付ける人とはお友達になれないの。ほんと、ごめんなさい」

そう言って、彼女は駅の方向へと駆けていった。

「わかりやすいと思うんだけどなあ」

ただ立ちつくす私の背後で、一陣の風が吹いた。

2023-01-22

方程式を解く最中自分が何をしているのか分からないということになっている。

数学においてはなんとなく生きてなんとなく死ぬという酔生夢死で終わるのではなかろうかという心地だ。

たとえば速度に関する関係式としてx(t+Δt)-x(t)≒v(t)Δtというのがあるわけだ。

ここから変位xを求めようという解法のテクニックとしてΔτ=t/nとおくとかΔτk=kΔτとおくとか、極め付けにはt=τkとおくことで区分求積法に帰着させる解法が載ってたりするわけだ。

しかしこうした変換式の設定が無意味ではないとどうして分かるのかと思ってしまうというわけだ。

上記の変換式には2つの式にtが登場している。

もしそれぞれのtが出てる式についてt=と変形したとき、各式の左辺を等式で結ぶと恒偽式になるような状態だったら無意味な置き方だということぐらいは私にも分かる。

たとえばa=x+yと置く一方でa^2=x^2+2xy+y^2+1と置いたのではこれは1=0を導く関係式を導くのでこの置き方は無意味だと分かる。

他にも自明な例だけどもx=1と置きながらx=2と置いたり、x+y=2と置きながら2(x+y)=2と置くのも無意味だろう。

しかしこれらは経験的に自明なだけでなく各式をxy平面にグラフとして表したときに交わらないということでも視覚的に自明と分かる。

a+b=tとおくと同時に(a+b)^2=t+1と置いたらどうだろう。これは経験的には自明無意味な置き方に思われるが実際にtだけの式に直すとt^2+t-1=0となる。少なくとも恒偽式ではない式が出てくるわけだ。

となれば経験的にそれとなく直感されない置き方についてはそれが無意味な置き方であるかどうかどうやって検討すればいいのかという話になる。

物理の式なんてものは多変数で高次式なわけだから恒偽式かどうか到底視覚化して判断できるものじゃない。もちろん経験的な勘が働くほど単純な式というのも多くはない。2aF/(M(a+b)+4ab)-gと(F+Mg)ab/(2ab+Ma+Mb)が常に等しいか常に等しくないのかなんて判断きっこないのだ。ある式で置くということにこうした複雑な式を出されたらその置き方が論理的妥当かという検証などもうあきらめてとりあえず従っておくしかないわけである

思えばなんで連立方程式は加減法や代入法で解けるのか、それをその方法で解くということの意味について深く教わった覚えがない。二元二次方程式までならグラフなり平行移動なりの考えで方程式を解くことの図形的な意味合いの考察を垂らされた覚えがなくもないのだが、それは一般方程式について解くことの意味説明にはなっていない。

かくして応用が利かない中途半端説明しか教授されてない結果として自分が何をしているのかも分から形式的方程式を解くだけかあるいはその連立方程式妥当性が検証できないような悲しい人間が出来上がってしまっているわけである

とはいえ任意の個数だけそれぞれが任意関数であるもの同士が任意の個数の任意演算子で結びついている表現されている何ものかについて、それを解くことの意味解説されても分かる気がしないわけだけども(たとえば∫a+bはaという関数に一項演算子積分演算子作用した後、二項演算子+によってbと結び付けられ何がしかの値を示している、みたいなことをものすごく抽象化した話を言っている)。

この問題の難しさは、ある変数が変化すればそれ以外の全ての変数が変化する一方である変数以外の変数が変化した場合もある変数を含む全ての変数が変化するというそ挙動の掌握することの難しさにあるのだろう。これが変化したらあれもこれも変化するという条件の中で論理的整合性を考えるというのは変数の数だけ変数挙動を追跡する考える余力がないといけないというわけで凡人なら簡単に頭がパンクしてしまうわけだ。

効率重視の学習生涯学習において足をひっぱってくるとは思いもよらなかった。

今日も煮え切らない理解方程式を解く式を追っている悲しさよ。

2023-01-19

プログラムコードレビューが苦手だ

アラサープログラマーです。

コードレビューが苦手だということに最近気が付きました。

レビューするのもレビューされるのもそれぞれ違った理由で苦手意識があります

コードレビューするとき

・どんなことを確認すればいいのかわかっていない

コードコンパイルエラーになっていればそれは直すように言えばいいのはわかる。

あとはこういう機能作りましたというレビューなのに該当する機能が無かったりすれば質問したりすればいい。

けどコードレビューなんだからコードを見るわけだけど、特に指摘するポイントが思いつかない。

変数名がaとかbとかデタラメなら指摘するけど別にそこまでデタラメというパターンほとんど無いし、アルゴリズムだって他の実現方法はあるけどコードレビューに出されたコードで間違っていないときはそれでいいんじゃないかと思ってしまう。

(計算量が異常に多いとかメモリ使いすぎとかなら指摘するだろうけどそんなケースはほとんど無い)

から特に指摘することが無くレビューを通すわけだけど自分言語化が足りなくてレビューを素通りしているだけなんじゃないか不安になる。

コードレビューされるとき

・指摘されるポイントが多い (気がする)

他の人はコードレビューされるときに多くて2~3つくらいの指摘があるけど、自分場合は1回のレビューで4つとか5つとか平気で指摘される。

単純に自分が作ったものにモレ・ヌケが多いのかなと思う。

例えばプロジェクトにいる他の人が作ったクラスAがある。

クラスAの中にあるメンバーBを使ったけどメンバーBが長い名前だったりスペルミスがあったりすると自分はひとまずそのまま使ってコードレビューに出す。

スペルミスなどを直すならそういう目的のプルリクエストを出すようにして、新規機能実装とかならスペルミスを直すのがメインの目的ではないからという考えが自分にある。

ただ、実際はレビューを見てもらうときにそういうったスペルミスなどが指摘として出てくることもあるので苦手だなぁという気持ちになる。

・どうしたいの?

コードレビューの苦手意識を無くしたい

けどどうしたら苦手意識がなくなるのかわからない。

そもそもレビューする人への信頼が無いのかもしれない。

プライベートで一人で開発しているときレビューが無いから楽とさえ思ってしまう。

2023-01-16

anond:20230116210053

問題の軸になる変数はほんとに男女だったんですかそれ

2023-01-13

ブクマカ科学リテラシボロボロ

理解していない用語使用するブクマカ

父親が育児関わった子ども 思春期の精神不調リスク 低い傾向に | NHK | 医療・健康

この記事ブコメでいま星を圧倒的に集めているのが以下のコメント。13:40時点で216。

そんだけ家庭が円満ってことでしょ。擬似相関の一種だろ。2023/01/13

このコメントしたユーザと星つけたユーザ絶対に疑似相関がなにかわかってないだろ?擬似相関は潜在変数によって本来因果関係の無い変数間に関係が見られるような場合を指している。例えば小学生身長の高さと算数の点数は比例することが知られているが、これは身長算数の点数のどちらも年齢と相関関係があるからであり、本来身長算数の点数には因果関係はない。この場合、同年齢(あるいは月齢)内で再度高身長グループと低身長グループを分けるなどによって交絡因子の影響を排除できると考えられるし、通常科学的な研究を行う場合は交絡因子の影響を排除するような操作を行うことが一般的である

父親育児参加と思春期精神不調は擬似相関か?

まず大前提として、この研究では交絡因子の調整を行ったと明記されている。

The risk of poor psychological well-being was lower among more active involvement groups compared with the least involvement group, after adjusting for potential confounders (risk ratios = 0.90 [95 % confidence intervals: 0.85, 0.95] for the most active group).

https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0165032722014355?via%3Dihub

概要しか読めていないので具体的にどのような調整をしたのかはわからないが、その妥当性については査読で十分に検討されているだろうから一定以上の信頼は置けるだろう。また父親育児参加している場合はそうでない場合に比べて人手に余裕のある育児可能と考えられるため、これらに因果関係があるというのは特に自然ではない。またブコメの主張するように交絡因子として『家庭の円満さ』がある場合、『家庭の円満さ』と『父親育児参加』、『思春期精神不調』に因果関係存在する必要がある。これらにどういった関係があるのかは調査してみないとわからない(本文を読むと近いことが書いてあるかもしれない)が、家庭が円満であることによって父親育児参加が増えるというのは因果関係が逆転しているように思えないだろうか。家事育児役割分担が夫婦間で偏っている状況が家庭の円満に対して悪影響を与えることは想像に難くなく、家庭内円満であった結果として父親積極的育児参加するというよりは、父親育児参加によって家庭内役割分担が均されて家庭内円満が保たれるといった説明のほうが腑に落ちるように思える。まあ上述の通りこのあたりは調べてみないとなんともというところだが、現状では疑似相関であるという主張は根拠がなく、因果関係が認められているという仮説を採用するのが自然である

君らが簡単瑕疵を見つけられるような論文はまともなジャーナルに載らない

少しでもアカデミアに関わったことのある人間なら常識だが、論文を(特に英語の)ジャーナルに載せるのは非常に労力がかかる。研究を完成させて論文投稿するまでに労力がかかるのはブクマカにも想像がつくだろうが、その後レビュワーコメント対応するにも投稿までと同じくらいの労力がかかることがよくある(分野にもよるかもしれない)。一発で通ることもあるにはあるらしいが、非常に稀であるハゲタカジャーナルならまだしも、まともなジャーナル(分野が違うのでこのジャーナルは知らないが、エルゼビアだしIFもそこそこありそうなのでまともといっていいだろう)たかだか10ページ前後論文を載せるために多くの研究者のチェックを通っている。君らがいっちょ噛みで文句をつけられるような部分は、すでにケアされて世に出てきていると思った方がいい。

2023-01-12

anond:20230112172217

科学プロセスでは、実験に外乱の影響があったのではないかというのは常に疑うので、査読等を通して「過去のこの実験結果は実は当時未知だったこ変数に引きずられている可能性はないだろうか」なども実験比較した上で棄却したりしなかったりするんだぞ。

社会学けが疑われてるんじゃなくて、外乱の影響を疑うのは科学で常に行われていることだ

もうスキャナプリンタいらないなこれ

ファミマ複合機から 400dpi JPEGスキャン画像を直接自分スマホに送れることを知って確信した。

俺がスキャナプリンタを所有する意義は消失した。

買おうかどうしようか少し迷ってたけど、コンビニが近くて印刷スキャンはたまに使うだけくらいなら機械を持ってる必要いねえ、これ。

 

もちろん、コンビニが近くにないとか、印刷スキャン日常的に利用する人はこの限りではない。

自宅にスキャナプリンタ必要か・必ずしも必要ではないか分岐点はあるだろう。

 

コスト計算してみる。

白黒20円、カラーが40円。間をとってコピースキャン単価を1枚30円くらいとしよう。

スキャナプリンタ価格カカクコム売れ筋上位10機種の平均価格本日現在)をとって18,507円としよう。

スキャナプリンタ製品寿命は法定耐用年数をとって5年としよう。

これをもとに計算すると、月に10ページあたりが損益分岐点となるね。

平均価格最安値から導いているので、分岐もっと上ブレするはずだけど)

 

直接のコスト以外にも、

などなど変数は色々あるし人それぞれなので定式化できないが、何となくプリンターはパソコン周辺機器として家にあって当然のもの」という意識のままで思考停止しちゃっているのならば、一度立ち止まって検討しなおす価値はあると思う。

 

とここまで考えて、車も同じだなあと思った。

使用頻度、ランコス利便性もろもろ加味して持つか持たないか選択は人それぞれだろう。

ほかのあらゆるサブスクにも言えるかもしれない。

anond:20230111073136

言葉の軽重はくぐった修羅場の数と重さが変数だろ。

結婚出産子育ては「直接には」関係しない。

修羅場に遭遇する「確率は上がる」が。

2022-12-26

アルゴリズムってさ、

与えられた制約条件の中で目的関数最適化する変数値を探すって問題あるっしょ?

この発想が汎用的なハンマーすぎですべてが釘に見えて来た経験は一回はあるっしょ、男として

女々しい奴は「制約条件など設けるべきではない!」とか頓珍漢なこというてきますがとりあえずスルー

2022-12-24

ビッグバンを模式するために使われる風船のたとえをもって「全てが中心だ」と言い張る人がいる。

しかしこれは屁理屈だ。

普通人間はそんなふうには考えない。

膨張の基点は風船のゴム膜の中にではなくそれによって包まれている空気に満たされた空間の内部に一点だけ見出すのがまっとうな考えだろう。

ここから類推するならこの宇宙の中心はこの宇宙には無い。

たとえばこの宇宙三次元多様体の膜のようなものだと仮定するならその中心は四次元以上の座標系のある一点から放射状に膜が広がっていったと見ることができるだろう。

宇宙の全ての点で点同士が離れあっているというのはいわばコリオリみたいな見かけの現象だ。

次元真空のゆらぎから宇宙構成する一点ができたという仮説に基づくなら、その宇宙の一点が三次元に収まっているのあえていうなら最初の瞬間だけであり、それ以降は一点に収まってたものは、各々一点から四次元以上の意味での距離において等距離だけ遠ざかっているということである。見かけ各点同士が遠ざかっているのは、一点に対する離れ方が等距離からであり、実際の我々は絶えず高次元上の一点からまっすぐにどこかへと移動しているのだ。いきなり真空のゆらぎに無限次元仮定するのはオッカムの剃刀からしても妥当ではなかろうが、とにかく、最低でも膨張の基点に原点をおいたときその座標を構成する変数のうち4つ以上の変数絶対値が絶えず増加するような高次元旅行を我々はしているのだと思う。

2022-12-21

プログラミング初心者が知っておくべきツール

初心者の頃に知っておきたかったプログラミングツール、みたいな記事ホットエントリに来てる。

こういうのでなるべく初期に使えるようになった方がいいのがデバッガ

基本的すぎるからか、あまり言われない。

今でも言われてるかどうか知らないけど、昔は、机上デバッグと言ってプリントアウトして目でコードを追いかけてデバッグするのを初心者に進めるベテランかいた。

これは大間違い。

普通にデバッガ変数の中身を確認しながら一行ずつステップ実行して、デバッグする方が効率的

理解も深まる。

十行や二、三十行程度のコードを書いて「うーん、思った通りに動かない。なんで?」と首を捻ってる、初心者には特に

2chプログラム板を見てた時に、短いコードを貼って「思った通りに動きません。教えてください」とか言ってる初心者を見るたびに、デバッガを使えたらこんなところで質問しなくても一発なのにって思ってた。

2022-12-14

anond:20221214155758

そもそも符号を合わせる、の意味するところがわからん

とにかく正しい代入は

両者のΔpをそれぞれdΔp1,Δp2区別すれば(さらにΔp=Δp1)

Δp1=-Δp2なので

U=-(1/fρ)Δp/Δy

U=-(1/fρ)Δp2/Δy

U=-(1/fρ)*(-Δp1)/Δy

U=-(1/fρ)*(-Δp)/Δy

U=-(1/fρ)*(-(-ρgΔz))/Δy

U=-(g/f)Δz/Δy 

だぞ

そのまま代入する、すなわちΔp1=Δp2とみなしたような代入では負の符号がなくなってしま

でこのような関係式が変数について二つも三つもあったらどう処理すりゃいいんだよっていう話な。一個ならこの通りだけど二個以上になるとイメージ湧かない。だって代入が一方に対して(1変数)=(その他の変数による式)に直したものを使ってする操作なんだから

力学平衡の式:Δp=-ρgΔz

地衡風の式 :U=-(1/fρ)Δp/Δy

代入後の式=U=-(g/f)Δz/Δy

前二者の式のΔpはそれぞれ正負に関する軸の向きが逆なような定義になってるから代入後の式でも負の符号が打ち消されない、らしい

俺はこの手の代入操作レベルになるともうわかったふりをすることしかできない。

同じように三つ以上共通する変数がある式同士で、今やったのは一つの場合だが、二つあるいは三つ、お互いが座標軸として反転してるような関係変数であったらどういうふうに代入すればいいのかもうわからん

2022-12-13

Excelマクロのし

マクロネットで調べてコピペしてるだけ。体系的に学んではない。プログラミング完璧素人

でも、最近なんとなく変数ループ関数理解できた。

他人のものちょっとだけ読めるし、自分でもちょっとだけ書けるようになった。万能感ある。楽しい

そして自分で作ったマクロってめちゃくちゃ愛着ある。用もなく開きたくなる。

今まで渋々やってた作業に、マクロを動かしたくてノリノリで取り掛かれるようになる。

anond:20221213001713

そのあたりの界隈には、アルゴリズムとかフローチャートとかまったく知らん、何だったら文法もよく知らん、という人がごろごろいる。

そういう人に聞くと、そもそも最初勉強した段階で

「ぐぐってサンプルコードを見つけ、それをコピペして実行し、エラーメッセージから必要修正方法をぐぐって見つけ、それをコピペして以下略

みたいな教わり方をしている。

文法もろくに知らないし英語なんてまったく読めないのに、なぜか英語サイトで拾ってきたコードコピペして動くプログラムが出来上がるので、最初ものすごく驚いた。

 

心配になってそいつらの書いたコードをチェックしようと思い、使われているライブラリサイトに行くと、さらに驚いたことに文法説明が無い。

あるのはサンプルコードと、雰囲気ふわふわした説明のみ。

途方に暮れて困惑していると、彼らは

「ここをこうやってコピペするんすよ」

みたいなことを言ってコピペ検索を繰り替えし、なぜか動くプログラムが出来上がる。

変数等の命名ルールなんてバラバラだし、何だったら無駄変数もあったりするけど、そういうのは開発環境機能とlintできれいにするんだそうな。

自分には理解できない世界だと思った。

2022-12-11

今後ゲーム作りにおいてもAI任せの領域が出てくると思うんですよ

ある程度ゲーム内にランダム性を持たせたいというか・・・

完全に開発者制御された世界ではないゲームシステムがAIによって実現できるようになると思うんですよ。

そこではプレイヤーは真に試行錯誤ができる。

いっちゃえばなろう系のような(製作者不在≒認識できない)ゲームが作れるようになる。

開発者一定方向性を持った場だけを作成すればよい。

マイクラとかはなんでもできるけど真っ白なキャンバス過ぎる。だから有志がMODなどを作って目的を追加するが、こうした方向性を持った制御AIによって人間が介在せずに作れるんじゃないか

流行りのお絵描きAIが好例で関数けが与えられている中で人間変数をひたすらイジって結果を楽しむ。そこに人の手が入った完璧制御は無い。

中央権力存在しないという思想ブロックチェーンにも通じるし、これから世界の動向にもマッチすると思うんだよな。

2022-12-06

馬鹿の特徴」を語りたがるオッサン

馬鹿の特徴」とか「賢い人の特徴」とか語りたがるのって気持ち悪いオッサン仕草だと思ってるんだけど、

まり目的関数バリエーションを認めるなら、人が1億人いれば1億人分の異なる最適化問題になり、「馬鹿の特徴」を挙げるバリエーションも1億通りになり得る。

では「馬鹿の特徴」とは本質に何を語っているのか。それは目的関数に含まれ情報についてだと思う。

「俺は人生の中でこれが重要だと思っている。他の人間重要だと思うことはクソだと思う」という情報が「馬鹿(あるいは賢い人)の特徴を列挙する」という行為には含まれている。

自分があまりからないのが、それを開陳することによってオッサンが何を得るかである

もしネット上の影響力を利用して「嫌いな奴の特徴を列挙して、社会的攻撃しよう」という発想であれば、オッサン幸せになるためには他人を傷つける必要があるということだろうか?

オッサン、同情するよ。些細な日常出来事被害妄想を持って足の引っ張り合いをする悲しい人生に。

オッサンがクソ野郎認識されるのは世界普遍現象らしいしどうしようもない。

クソ野郎をクソと呼ぶことも、やはり「馬鹿の特徴を列挙する」ことになるかもしれんが、まあ自分は年齢的にまだオッサンではないしいいや。

参考:「クソ野郎」と言われる人々に共通する性格特性はあるのか? - https://gigazine.net/news/20220418-personality-profile-of-a-holes/

2022-12-05

var導入ってつい数年前なんだな

プログラマーはそれまでどうやって変数宣言していたんだ

2022-12-04

anond:20221204210339

クラス名とかは英語(中国語直訳英語みたいなのが多いですけど)

正直中国人でもピンインクラス名とかつけたら意味がわからないんじゃないかな。

コメント中国語

一回創業初期に書かれた技術負債的なコアなところに

ピンイン変数名とかが書いてあるコードを見つけたことがあります

2022-11-30

anond:20221129085814

CSって理系って感じだけど、今のプログラム業界はほぼ文系って感じだよなぁ

前は全体を把握して高速化とか最適化とかをやってくのが楽しくてやってたんだけど、

最近仕事は、フレームワーク的なもの協調よく使えるかみたいなところが重要で、

「このコメントはわかりづらいです」「変数もっとわかりやすくならないんですか?」「ここは依存関係的にまとめた方がいいです、分離した方がいいです。」みたいなのがちょくちょくあって、

合理的なのもあれば、その組織レベルによって言ってることがまちまちだったりで、

作者の気持ちを答えよ、読者の気持ちになって文章を考えよ、みたいな文系問題で頭を悩ませることが多い。

まらない仕事になったなぁ

並列処理をまともに書けてる人をほとんど見たことない

オーダを知らないで書かれたコードなんかよりもっとやばいのが並列処理な

爆弾みたいなもんだけど、世の中のシステムにかなり内包されてる

レベル1:単に並列処理として書いてあるだけ

レベル2:とにかくロック

レベル3:並列処理しない

レベル4〜99ぐらいまで

  • この辺は無い

レベル100:アーキテクチャレベルでのシンプル設計と性能保証


こんな感じで人類はまだ並列処理の最適解を見つけていない

そのくせに「並列化したら早くなるよね!」っていう人が多いので事故ることが多い

2022-11-27

不快原理主義者は、他人不快にさせる自分ブコメを削除するべき

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/otsujikanako/status/1596276961059344384


ここのブコメについて、主に広告批判サイドにあまりにも傲慢不快原理コメントが目立ったので書くことにした。


個人の感想として雀魂の広告が気色悪い、下品、または不快であると言うに留まるだけなら、それは誰かに否定される筋合いのものではないと思う。


ただ、中には件の広告がアウトだのNGだのというコメントも見受けられる。これらは単なる個人の感想を逸脱して表現不適切性に結びつけている実例だろう。

個人不快感に過ぎないもの公共空間(JR公共空間か?という議論もあるだろうが、ここでは「不特定多数が利用するサービスないしそれが提供される物理的・論理的空間」程度の緩い定義とする)における表現の是非に直結させてしまうのは不寛容に基づいた論理の飛躍だ。

というのも、公共空間不特定多数が利用するからこそ、特定個人主観に頼るのではなく、何がどのような悪影響を及ぼすかを客観的実証的に整理した上で定性的定量的な線引きを設けるというのが、公共空間ポリシーを設ける本来手続きであるように思う。いやらしい言い方をしてしまうと一概に"お気持ち"のみに依拠して決められるものでは無く、また別の多くの段階を踏まえなければならない筈のものである

もし公共空間不快原理ベース排除を許してしまえば、際限のない不寛容によって公共空間での表現言論(に留まればまだ良いかもしれない)は委縮し、利用できる者はいなくなり、その存在意義を失ってしまう。


これをはてなブックマークに当てはめると見出しの内容になる。

正直、私にとって上記ブクマ不寛容コメント群は極めて不愉快ものだ。

もし彼らが「他人不快感を与えるような表現公共空間から除外されるべき」という規範普遍的に正しいと考えているなら、まずは自ら率先してその規範を順守し、私や私と同じような考えを持つ人間に今も不快感を与えていることを省みてブコメを削除するべきではないか? そして金輪際そのような投稿をしないと誓い、はてブを去るべきという結論が導出されるのではないか

はてなブックマーク上記公共空間定義に該当するから不快原理主義者はてブにおいても他者不快感を及ぼす表現を控えなければならないはずだ。さもなければ自分自身の掲げた正義に自ら背くというダブルスタンダードを犯してしまうことになる。

勿論、私は上記のような規範は支持しないが、彼らは彼らで自身規範自身に架せばよい。信念のある人間ならむしろそうあるべきだ。


このように不快原理というのは、それを主張する本人らにまで排除の論理を拡大できてしまうわけだ。短くまとめれば「不快原理主義者不快から消えろ」に反論する論拠を持たない。不快原理主義者他人に一切不快感を与えないということは確率的に極めて低いだろうから存在自体矛盾しているとも言える。

本当に公共空間というものの持続性について真摯に考えているのであればこそ、不快原理のような持続可能性のない考えを改めて、他者表現に寛容になってもらいたいものだ。


あ、ちなみに、もしここで上記定義否定して「はてな私企業サービスから問題ない」と言うのであれば、それはJRにも該当することであって一連の広告批判は失当なものになってしまう。まさかこんな反論をしてくる愚か者はいないとは思うが、無駄なやり取りを減らすためにも一応書いておく。

正直、変数の統制が不十分で根拠曖昧割れ窓理論まで持ち出してくるブコメを観たときは頭を抱えたよ。

追記

沢山の反応を頂けてありがたいという感想と、あまりにも低レベルな(それこそ文章をまともに読めていない)反論に呆れ果てているのとで半々くらいだ。

一つ、面白いコメントがあったので反応したい

うんこが落ちてたら不快なのと同じで、自分の望まない性的もの不快なのは万人共通。一方で私は『ワンピース』が嫌いだが個人的な好みなので、街中に貼り出されてても我慢している。万人共通というのが普遍性

自分の望まない性的もの不快なのは万人共通」を仮に真とするとして、「自分の望まない漫画不快なのは万人共通」はどうだろうか?

このコメント主はワンピースを挙げてくれているが、漫画という上位の集合を持ち出せば、それは普遍的不快さになってしまわないのだろうか?

また、漫画についてはワンピースという個別具体的な例を挙げるのであれば、件の広告も"性的もの"という抽象概念ではなく雀魂または咲という具体的タイトルで論ずるべきではないのだろうか。そしてその場合、それらもワンピースと同じく個人による好き嫌いがあって当然であり、そこに普遍性を見出すことはできないと私は考えるがいかがだろうか

2022-11-20

アカデミアのアファーマティブアクションなんてクソ喰らえ

東大博士課程 男性

定期的に燃えては消えを繰り返すアカデミアのアファーマティブアクション(以下、AA)に対する怒りが止まらないため感情整理のために書く。

東大准教授以上のポストを今後女性限定で埋める記事を見て日本でのアカデミア就職を諦めかけている。

https://www.asahi.com/sp/articles/DA3S15478221.html

大学のファカルティ職(助教以上のアカポス)の男女比は偏りがあり、教授では7.8%程度になるらしい。そのため、文科省および大学は、女性アカポス比率を上げるために女性限定公募を設け女性比率を向上させる事を推奨している。

パッと見ると非常に重要施策だし、男女平等に向けて良い向きだと思われる。しかし、実際に運営するうえで差別差別で上塗りする面が拭えず一定数の反対を受けるため、それに対する私見を述べたい。

そもそも論として日本アカデミアでテニュアポストは減少傾向にあり、ポストを獲得するという事は簡単な事ではない。そのため有名大(とりわけ大都市予算の潤沢な大学)はひとつポストに対して倍率数百倍という応募が殺到する。つまり、年間数万人の博士誕生するが安定したポストを得ることができるのは男女に関わらず一握りであると言える。ひとつ仮定として、男女平等一定の優秀層が選ばれた場合、男女比は博士学生比率とほぼ同一になると予想される。しかし、博士課程学生における女性比率現在約30%程度となっており、女性に対して選考プロセスで何らかの差別があったと考えても良さそうであるしかし、本当にそうだろうか?

ここで(1)世代間格差, (2)分野間格差, (3)日本における女性ライフスタイルの選好という新たな変数を導入すると、今のAA問題が浮き彫りになってくる。

(1)世代間格差

 これは簡単に言ってしまえば、博士の男女比が世代によって変化しているはずという事である科学技術政策研究所による調査では、1975年博士女性比率は5.8%であり2010年の30%まで上昇傾向にある。

 ここで単純な仮定として、現在教授が60歳とすると博士号の取得年度は1990年となり、その年の博士女性率は12%と推測できる。この場合選考プロセスにおける差別度は前述の30-7.8 = 22.2から12-7.8 = 4.2と大きくポイントを下げる。また准教授助教と職位が下がるごとに女性比率は上昇傾向にある事からも、女性博士取得の上昇とアカポスの女性率は正の相関があり、不合理な差別によって力強い訳圧ある訳ではないと推測できる。

(2)分野間格差

 これは男女の分野による好みの違いである。一般女性STEM(科学技術分野)を敬遠する傾向にある。実際に上述の博士調査於いて人文科学40%に対し、工学6%と選好に差が生じている。また、議員数や社長の男女比により算出されるジェンダーギャップ指数が高い(男女平等度が高い)国ではSTEM系は敬遠される傾向にある事が報告されている。つまり、完全に平等選考プロセスを踏んだとしても分野間による男女比の差は生じるため数値目標には分野間の調整が必要だと考えている。もし、理工系などでアカポス男女比を50%すると言ったら、選考に歪みが生じるのは想像に難くないはずである

(3)ライフスタイルの選好

 これが一番燃えそうな気がするが、つまり女性は養うために仕事をしないという事である

 男女における賃金格差は全業種において大きな問題ひとつだが、独身場合、差はほとんどない事が各調査で示されている(そもそも同じ職位で性別による給与差があれば労基案件である)。では、どこで差が生まれるかというと、単純に結婚後にフルタイムワークからパートタイムに変更するからである。つまり女性結婚後に稼得業務男性委託する傾向にあると言える。これは各家庭の家事/稼得の比率を断定するものではなく総体として、女性結婚出産後に仕事を辞める傾向にあると言う話である

 ではアカポスと何の関係があるかというと、博士アカデミアに残った女性一定確率仕事を辞めているという事である。つまり、単純に博士の数と出口であるアカポスの比率を比べても一生その溝は埋まらないのである。これは個人的観測だが、女性である程度のアカポスにある人は医者同業者などと結婚しており、男性のように専業主婦を養うようなスタイルは非常に珍しい。同期や友人の博士学生プロポーズされたから辞めたいなどと言う始末である。これは全業種の女性収入が高くても専業主夫を養わない事と同根であると考えている。

一方で男性自己実現としての研究職と家族を養うという両軸のバランスを取りながら、覚悟を決めて科学職業にしようとしている。実際にめちゃくちゃ優秀なのに家族を養うためにアカデミアを去った人を何人も知っている。

(まとめ)

以上をまとめると、現在アカポス事情女性博士取得者の上昇に従い、男女比は改善しつつある。しかし、一定の低い分野や上昇の鈍さは女性のものの選好も加味する必要があると言える。

しかしながら、現在進められているAAはこの結果を見ずに、ただ数値目標的に女性比率を上げようとしているものが大半である。これは平等担保されるべきである選考を無理矢理歪めた結果平等であり、断じて許されるものではない。理工系などでは、その歪みによる若手のダメージは深刻である

百歩譲って過去に機会レベル男女差別があった事は認めよう。しかし、男女平等一定水準でインストールされ育ってきた、我々若手男性が不当に差別を受けなければいけないのだ。看護系や美術系に男性が少ない事は、一切問題にしないのに、一部の理工系だけ捕まえて無理なロジックを使わないでほしい。

こっちは今後家族を養っていく事を踏まえて、覚悟を決めたチャレンジをしているのに"自己実現(笑)"みたいなノリで遊びに来ないでくれ。

実際に現場レベルで何が起きてるかと言えば、外国人留学生女性とか教え子を2年とか助教として置いて、外国人1 pt, 女性1 ptと点数稼ぎしてるだけじゃないか。何の意味があるんだ。

声のデカ女性研究者が声高にAAを礼賛し、少しでも反論すれば差別者呼ばわりするのも辟易する。謎のポンチ絵反論したり謎ロジック脅迫しないでくれ。せめて科学者なんだから論理的整合性を取ってくれ。

貴方たちが求めるアカデミアが、結果平等で男女比が均質な世界なのなら、立場の弱い私たちは受け入れて生きていくしかない。ならせめて、加害している事を受け入れてくれ。痛みも背負った戦いをしてくれ。アクロバティックに被害者にならないでくれ。いっそ「差別者だった性別の方に産まれたのが運のツキだったな!バーカ!死んでやり直すんだな!」とか言われた方が気持ちがいい。それなら我々は、男としてこの時代に生まれた事を受け入れて去っていくから

恐らくこれを外で言えば、我々男性は一瞬でアカデミアから消されるだろう。もう動き出したのは止まらないし、誰も変えられない。我々20代からすれば抑圧者はいだって女性である

感情的に書き殴ったが、以上が今のAAに対する素直な気持ちである。これだけ間違っていても私は科学が大好きなので、科学をしながら家族と生きていける未来模索していこうと思う。

改めて言おう。AAなんてクソ喰らえ

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