はてなキーワード: 問答無用とは
俺自身も東南アジアで仕事してたこともあるし、マイノリティが多い地区で育ったので、そういった出自の同僚や友人も多い。
むしろ俺が嫌悪感を覚えるのは外国人達を政治的な目的で利用しようとするリベラル連中だ。
外国人達に対して「封建的な日本社会から差別を受ける可哀想な外国人」といったラベリングを勝手に貼って、
「そんな可哀想な外国人を助けてあげる、進歩的で人権意識の高い私達」を演出しようとするリベラル連中に無性に腹が立つんだ。
リベラル連中の憐憫なぞ無くても、外国人達は雑草精神で力強く生きてるよ。仲間同士で散々愚痴ったり、見えないところで仕事サボったりして、図太くな。
第一外国人の生活の実態なんて俺の方がよっぽどか知ってるっつうの。一緒の学校に行き、一緒に遊んで喧嘩して、一緒の職場で働いてたんだから。
俺の大切な仲間たちを道具として使うな!という怒りが沸々と湧いてくる。無邪気な善意をばら撒いて、安直に支持を得ようとするリベラル連中の浅ましさに嫌気が差す。
そんな軽薄なリベラル連中が一泡吹かされてるのが内心愉快に思えてしまう時がある。で、自分の精神状態の奇形さに気付き、自己嫌悪に陥る。その繰り返しだ。
見ていない方のためにざっくりストーリーを説明させていただこう。
ドラえもんがまだ帰っていないことを伝えると「野球に誘うつもりだったのに」と憤慨し帰っていく。
のび太が裏山の掃除をしているのを見て感激したドラえもんが心の土という道具を貸すと、感情を得た山とのび太はみるみるうちに仲良くなる。
のび太は山にばかり行くようになり、学校ではぼんやりとしていて帰りも遅い。
「のび太くんのためにのび太くんをこれ以上山にこさせないでくれ。」
山はのび太を突き放す。
ドラえもん「山は本当にのび太くんが好きだったんだね」と微笑む。
感動ストーリーとして書かれたものだと思うし、私も感動しそうになった。
でもこのストーリー、これを児童アニメが軽率に感動として扱うにはあまりにも危うくないだろうか。
のび太は野球が得意ではないし、ジャイアンはのび太をいじめている。
のび太にとっての野球に行くというのはいじめられに行くというのと同義だ。
頭ごなしに叱られ、笑い者にされるだけで適切なケアは受けられない。
勉強ができるようになるためのフォローは受けられず、のび太のなかで“自分は出来ない”という考えだけが積み重なっていく。
学校も野球ものび太にとってただただ自己肯定感と尊厳を剥奪される場所だ。
この話のなかでのび太は逃げ出し、“逃げ出し先”を奪われることでまた元の場所へと戻る。
結局のび太を逃げ出させた原因はなにも変わっていない。
追いやられたから出ていかざるを得なかっただけで何も根本的には解決してない。
あやとりも射撃も得意だ。それが評価される世界で生きられていないだけだ。
それだけなら良い。ドラえもんはそれでも面白いから、一作品としてならそれでも構わないのかもしれない。
でもドラえもんが児童アニメであるならば私たちは“のび太のような子供”について考えなくてはいけない。
運動も出来ない勉強も出来ない。馬鹿にされるばかりで得意が評価されない。自分は何も出来ない。
児童アニメはそういう子供に「君は何も出来なくなんかない」「仮に何もできなくても君には価値がある」と伝えるものでなくてはならないのではないか。
いじめられるような笑われるような理不尽な環境からは逃げたって良いと教えるべきものだ。
ようやく見つけた居場所を問答無用で取り上げて、辛い環境に向かわざるを得なくすることを美談として流してはいけないのだ。
私はドラえもんが好きだ。
ドラえもんは凄い。ずっと昔に描かれた漫画なのに今の価値観を先読みしてるような話さえある。
藤子F不二夫先生は、常にその時の最新の価値観を追って、噛み砕いて考えて自分の価値観として落とし込んで漫画を描いていたんだろうと思う。
ドラえもんは紛れもない傑作だ。
でも、だから、やはり言わなくてはならない。
児童アニメとして、子供に“これが当たり前だよ”と伝えるものとしてはあまりにも厳しい。
作品としての良し悪しの外の話だ。
なまじ子供向けとしての立場を確立しているからこその危うさだ。あからさまにエログロのあるアニメは見せないか、見せるにしてもある程度気を使うがドラえもんは皆が無警戒で流してしまう。そういう土壌がある。
テストで0点をとり続ける息子にするべきは、頭ごなしに叱らず話を聞くことだ。
のび太はけして駄目な奴じゃないし、辛いときは逃げたって良い。
ドラえもんがそのまま放映されているということは、私たちがそのままだということだ。
停滞してはいけない。与えられるものをぼんやりと当たり前として享受し続けるのは愚か者のすることだ。
2020年6月29日、ノウェムちゃんの専用装備追加が告知された。
その事に関して軽くバズったツイートがTLに流れてきて、オクトーくんがノウェムちゃんにブローチを渡しているスチルのスクショを見て、ノウェムちゃんがとてもかわいかったから、気になり始めた。
それから数ヶ月して、容量に余裕ができたからインストールして、少しずつプレイすることにした。
経済的余裕が無いから課金はあまりできないし、いっぱいリセマラしてノウェムちゃんを引いて、別衣装のノウェムちゃんの為に天井分の石も溜めた。
ノウェムちゃんの、オクトーくんの事を取り戻そうとする真っ直ぐな姿勢に惹かれた。
ノウェムちゃんはユイちゃんの人となりを知った上で良い子だと思っていて、ユイちゃんに対して「諸悪の根源、〜」などと言うのは違和感があった。(個人的にユイちゃんいじり普通に見てて不快で、推しであるノウェムちゃんがその一因である事は純粋に嫌だったし)
脚本に言わされた感あるなと思って、だけどそれでもノウェムちゃんにとって失った物があまりにも大きくて、だから口を突いて出てしまったのだと思えば激しく解釈違いって程でも無いのかなって、受け入れられない程では無かった。
でも、そうじゃなかった。
ノウェムちゃんはオクトーくんがいなくても結構平気そうだった。
何故か魚を食す事にご執心だし、オクトーくんの記憶を取り戻そうって事に必死でもない。
全部のセリフを確認した訳ではないけど、今までのノウェムちゃんを思うと不自然なくらいにオクトーくんの話題は挙がらない。
ツイッターやスレッドなどで、彼氏持ちとか中古とか言って敬遠されがちだから、逆にオクトーくんの事を喋らせなかったのかな?
というか、それくらい根底的にはオクトーくんの事どうでもいいなら2部でオクトーくんを追っかけるのも不思議だね〜。
初心者だからまだ星3にできてなくて絆ストーリー最後まで読んでないけど、4話が現実における騎士くんとの話らしいじゃん。
通常版のノウェムちゃんの絆ストーリーで現実では面識が無いって言ってなかった?
それともメインストーリーのもーっと後の話で、現実に普通に帰れるようになったから、悩みがなくなって平然と思い出づくりに打ち込めるし、騎士くんと現実で会うこともできるのかな?
オクトーくんに向けるそれが恋愛感情では無くても誰よりも大事な存在なんだと思っていた。
友達より家族より大事って言ってたノウェムちゃんの事が好きだったから。
だから単純に推しがなんかだいぶ信念弱々な感じにされたのも普通に辛いよね。
ネネカさんの、オクトーくんがいないから貴方がノウェムを支えてあげてって、それでオクトーくんがいなくてもノウェムちゃんがなんか普通に楽しそうなことの説明をできた気にでもなってるの?
ネネカさんは、別にノウェムちゃんとオクトーくんへの関係性にそんな詳しくないだろうから、何ならブローチの事も知らないだろうから、本心からノウェムちゃんを心配したが故にそう口にしても仕方ないと思う。
でも事実として違うでしょ、代わりに支えられる人なんていないから、だからノウェムちゃんはどうしてもオクトーくんを取り戻したいんだと思ってた。
オクトーくんがいなければノウェムちゃんは何かしらを楽しんではいけないって訳じゃなくて、ただオクトーくんがいないと何だって心から楽しめないからノウェムちゃんにオクトーくんが必要だったんじゃないのかな。
通常版絆3話だってラジラジやダイゴやマサキに励まされてみんなに支えられていることを実感した上で絶対にオクトーくんを取り戻すぞ!って決意する話だったし。
ところでノウェムちゃん、改変後の世界で多分一番世話になってるラジラジや、何だかんだで仲良いダイゴに対しての方が騎士君に対してより絶対情あるし、ラジラジやダイゴにデレる方がまーだマシだったとすら思う。
なんていうか、ペコリーヌは実装させたいし、本編における重要ポジションだから正月イベントには妥当っていう理由で、なんというか数合わせの為に連れてこられた感じだなって。
多分ライターが変わったらしいことにも原因はあると思うけど、キャラクターの同一性を安定させることもできないし、整合性も取れないならなんで実装したのって言いたくなっちゃう。
本当に、こんなの見せられるくらいならずっと実装されない方がよっぽどよかったと思う。
最近始めたばかりだから1年以上ノウェムちゃんの再登場を待っていた人の気持ちは理解できないからこう言えるのかもしれないし、課金してない人間はコンテンツに偉そうに口出しする権利はないだろうけど。
ノウェムちゃんにかわいいお洋服着て欲しいなって思ってたし、事実衣装も立ち絵も星3絵も口調もかわいいと思う。
だって、それらを含めてノウェムちゃんをかわいいと思ってたから。
でもなんだか、ただノウェムちゃんのガワを被ったノウェムちゃんのようなもののようで気持ち悪さすら感じる。
なんでこんな話になったの?なんでこれがムイミ (ニューイヤー)として実装されてるの?運営はわたしが思っていた以上にノウェムちゃんの事が大事ではなかったんだな。運営にとってノウェムちゃんとオクトーくんをカップリング推ししたり、ノウェムちゃんの中身を直向きに愛している人間なんていないも同然なんだろうな。って。
公式と解釈違いって時、今までだったら自分がこの子の事を知らなかっただけなんだって思ってきたけど、これだけは本当に辛い。
オクトーくんのこと大好きなノウェムちゃんが大好きだと思っていたけどそもそもそんな子はいなかったって事になるから。
ノウェムちゃんの好きなところで、騎士くんのこと好きにならないっていう信頼もあったし。
それはまあノウェムちゃんにだって羞恥心はあるだろうけど、それでも騎士くんに赤面するノウェムちゃんが見たかった訳はない。
なのに、あの世界で騎士くんを好きにならない女の子は大衆的に価値はないからノウェムちゃんも問答無用で騎士くんに赤面する女になる。
drstでLove∞Destinyでまゆちゃんの夢プロデューサーが苦しんでた時はどこまでも対岸の火事だったけど、自分がその立場になってみるとこんなに辛いんだなぁ。
(どっちもcygだ…)
潘さんがノウェムちゃんのこと大事にしてるのは微笑ましいなと思うし、最初は困惑していたように思う人達もある程度は自分なりの解釈を見つけて落ち着いてるように思う。
わたしだってかわいい新しいノウェムちゃんだって喜びたかったな。
星3ホームセリフや絆4話までしっかり読めば少しは変わるかなぁ。
せめて4コマとか、メインの続きとかでこの件に関してなんとか補足になるような事、言ってくれたらいいな…。
もし次の別衣装が出るとしたら、その時はオクトーくんのことが大好きなノウェムちゃんだと嬉しいなぁ。
これ以上解釈違いが続いたら、本当にもー二度とやらんと思う。