はてなキーワード: 兄弟喧嘩とは
土岐市美濃陶磁歴史館で開催中の「お茶と美濃焼」展に行って参りましたわ。
お茶と一緒に発展してきた焼き物の歴史が時系列順にまとめられていて、
わかりやすかったですわ。
最初は禅僧の修行用の眠気覚ましだったお茶が、だんだんと娯楽になってきて、
夢窓疎石という偉いお坊様が「最近の若い者は」と闘茶の風習を、
それより兄弟喧嘩を注意したほうがいいですわ。
越前朝倉氏の一乗谷で出土した陶磁器に、国外品を尊びながら国産品にも
注目する当時の姿勢が現れていましたわ。
余談ですが、館内で閲覧できた一乗谷の展示会の本が興味深かったです。
あと展示されている四耳壷のひとつが、きちんと耳を通したワイヤーで
固定されていました。
我が子たち、つっても二人しかおらんが。
上が中一娘で下が小五息子。
兄弟喧嘩はどこの兄弟でもあるわけだが、ヒートアップすると娘の方が弟に「お前なんか死ね!今すぐ死ね!」って絶叫するんだな。
家風ってのがあって、嫁もかなり言いたい放題言うし、夫である肩身の狭い私は修羅場からは避難する(だって仕事から帰った時にはほぼ毎回既にヒートアップ状態で原因すら分からんもん)人間なのだけど、私までヒートアップしたらダメだからってのもある。
なので、口論してる間は放置してるんだが、流石に「死ね!」はないんじゃないかと思って、子供たちをきつく怒ったんだ。
実際、死ねって罵られる方の息子は何しでかすか分からないところがある。
あるいはもっと前には台所から包丁まで持ち出した。その時は包丁で切りつけるとかはなかったそうだが、こっぴどく叱っている。
なので、マンションは4階だけど万が一飛び降りられたらと思うとぞっとするものもあった。
で、「死ね!とか絶対言ってはいけない言葉。他にも殺すとかそういう言葉は絶対ダメ。カッカして喧嘩してしまうのは分かるし喧嘩したらダメとはいわないから、もっと言葉を選びなさい」って。
そしたらですね・・・・
「お前なんかデスだ!」「デス!デス!デス!デス!・・・」と娘は息子を罵ったんだな。
英語の分からない息子は「お姉ちゃんおかしくなってる!あはははは!」とかって嘲笑っぽくしてたけど、目の前で見てた私はおかしくて噴出しそうになった。
娘よ、私も英語はよく分からんけど、それも言うなら「ファックユー」とかじゃないのか?と思った。
200以上もコメント付いて焦りました。
確かに包丁の件は書かなくても良かったし、恐い話です。但しこれ、煽ったのは娘です。
売り言葉に買い言葉って奴で、死ね→お前が死ね→死なねぇーっつの→じゃぁ殺すからな!→出来るわけねーだろ。やれるもんならやってみろ、バーカ→こうやったら出来るぞ!、みたいな流れで包丁に辿り付いたらしい。
もっとも、台所から取り出したのは子供が使うプラスチックの包丁でして、怪我はするだろうけど、殺傷力は低いと思います・・・ってそんな問題でもないですね。
その包丁のすぐ隣にはマジものの包丁もありましたから、ちょっと間違えたらほんとにぞっとする話です。
息子は、出したもののすぐ引っ込めて、娘に空のペットボトル投げつけたそうです。
テレビ壊したのもペットボトルです。どうもペットボトルなら大丈夫と思い、人に投げる場合は手加減してたんだけども、テレビなら大丈夫と思って強く投げたらしい。で、液晶画面がぶっ壊れてしまいました。どうやら硬めの蓋の部分が当たったらしい。
かなり以前、息子は手足を出して殴ったり蹴ったりする事があり、苦労してそれをやめさせたのです。
でも、手足の代わりに怪我の可能性の低いものを投げるようになってしまったのですね。
ともかく、ちっちゃい頃から暴力だけはダメだという方針でして、その代わりに口論は多目に見るようにしたのです。
でも、やっぱりというか男の子はやんちゃで、どうしても実力行使したがるところがあります。お姉ちゃんの方が口が達者だし(で、「デス」かよwってのもあるけど)。
まー、でもテレビくらいならいいかな。今のところですけど、喧嘩で怪我はありませんし、言いたい放題言い合った後は意外にケロッとしてたりします。
これがいいのかどうかはよく分かりませんが、ともあれ子育ては大変ですね。
太陽の石を読んだ。オーリエラントの魔術師シリーズは、魔術師と魔法に特化した重厚なファンタジーだから読み応えがある。世界観にどっぷり浸かると面白いと思う。
ただ、個人的に今作は前二作に比べて盛り上がりに欠けた気がした。謎を解いたり、強大な敵の罠に嵌ったりすることがなかったからかもしれない。歌うクジラでも思ったけど、ロードムービー的な物語はあんまり好みじゃないのかもしれない。失敗や成功を糧に登場人物が変化するわけじゃなく、終始道なりに展開するからなのかな。あんまり起伏が感じられなくて残念だった。でも、朽ちた砦で冬ごもりする部分は面白かった。
イザーカト兄弟は揃いもそろって人間味あふれる問題児ばかりで、それが理由で悲惨な兄弟喧嘩に発展したのかと考えると悲しくなった。もちろん魔術師だから性根のところがねじ曲がってはいたんだけど。暴君とかしてしまうナハティの変遷なんて、テンプレートといえばテンプレートなんだけど、どこかで違う道に進めたんじゃないかな。力が強すぎたりプライドが高すぎたりするのってほんと不幸だと思った。
帯にも解説にもあるけど、最終決戦へ向けての段階から、予想を裏切るが決して嫌いを裏切らないエンディングが待っていたので、ちょっぴり切なかったけど満足できた。
この地域の人々がこれからどんな歴史を育み、後世の社会を形成していくのか。シリーズ第四弾が出たら追い続けたいなって思いました。
奥さんから見たら
→1人育児に奔走することになり、身なりに気を使う余裕もなくなる
→女性としてみれなくなった。と言われる
→手足がないのでオナニーもできないし不倫も仕方ないよね?みたいな雰囲気
と、いうことみたいで。腹立つ。
確かにホヤホヤの赤ちゃんの世話は無理でも、お絵描きしてる子供に「上手だね」って声かけはできるよね?
1人でトイレに行くのを怖がる子について行ってあげることもできるよね?
女性を何人も口説き落とすことができるほどの話術があるなら、例え手足がなくても子供をコントロールして、しつけることもできるよ。
奥さんのことを女性として見られなくなるのは仕方ないけど、そのことを公表するなよ
奥さんにだけ「今は大変な時で俺の性欲処理をさせるのも申し訳ないから風俗でも行ってくるよ」
って言って週3で風俗通えばいいじゃん。
女と高いレストラン行ったり海外旅行行ったりする金があるなら余裕でしょ。
<前置き>
この案は「そもそも兄弟や姉妹という存在は子供の人権侵害なのではないか」という思考から生まれた産物です。
一人っ子と比べて兄弟や姉妹がいるという状況は、明らかに子供や親に求められる能力が高くなります。
まず子供ですが、兄や姉は妹や弟の世話。未成年に当たり前のように労働をさせている現状があります。
次に比較されてしまう状態。出来のいいほうに比べられたり年が上なんだから下なんだからとどちらか一方に負担される場合があります。
そして兄弟喧嘩、一人っ子では絶対に起こらないトラブルに対応する必要があります。
親の方はというとまずお金。一人っ子と同様に育てようとすると単純に考えて二倍の予算が必要になります。
足りない場合は年が上の子が進学を諦めて就職するなど子に負担が掛かるようになります。
次に育て方の差異。勝手の分からない上の子より下の子のほうが育て方をわかっているのでスムーズに育てることができます。
逆に上の子が手間のかかる場合は子育てもままならず、場合によっては死に至る危険な状況になることもあるでしょう。
最後に愛情の差異です。極端な例で言えば搾取用と愛玩用なんて言葉がありますが、そうでなくても人間である以上上の子と下の子を完全に平等に愛することはできません。
また上の子一人の期間があったわけですから、下の子が生まれてから上の子に与えていたように愛情を注ぐ事は上の子がいる時点で不可能です。
このように複数人兄弟がいるという事は明らかに一人っ子である場合とはまるっきり異なる状況になります。
しかしそれらが全て悪いというわけではなく、小さいうちに子の世話をすることや喧嘩によって得られる経験や比べられることによって伸びる能力等もあるでしょう。
何より少子化が加速している日本で一人っ子以外の廃止などという提案は無意味でしょう。
そこで考えたのが二人っ子政策です。
<二人っ子政策とは>
簡単に言ってしまえばばら撒きです。
後は<兄弟><兄妹><姉弟><姉妹>という4パターンにおいて発生しうるトラブルの対処法の教育をするなど考えています。
なぜ二人っ子限定なのかといえば、三人になると9パターンになって教育内容が増えてしまうため、ひとまず二人っ子として上手くいったら二・三人っ子政策に進むという事になります。
ではその財源はどこから取るのかというと、一人っ子家庭…からではありません。
徴収額はその人の状況で変動し、
未婚同棲>結婚子無し>未婚恋人有り>未婚恋人経験有り(子有り含む)
上記状態から二人の子供が生まれた時点で徴収したお金は全額返還されます。
その後は子供が成人するまである程度の補助金が出ますが、三人目が生まれた時点で補助金は終了します。
これが二人っ子政策です。
<独り身隔離金>
二人っ子政策とは少し外れるのですが同時に導入したら良いのではないかと考えているのが独り身隔離金です。
上記二人っ子政策予算徴収対象者に未婚恋人経験無しは含まれていません。
私はむしろそういう人たちには隔離金と称した金を二人っ子政策予算から出すべきだと考えています。
これはただでさえ競争率の高い婚活市場に一度も恋人経験の無いような人が含まれることを防ぐことが目的です。
それにより自然に恋人ができるような意欲と能力を持った人だけが婚活市場に残るという目的があります。
独り身隔離金は未婚恋人経験無しの人に恋人ができた時点で止まるどころか全額返還の義務が発生します。
それもあり、婚活市場には全額返還するほどの意志のある人しか来ないという事となります。
また独り身隔離金の支給額が少ないうちに行動したほうが良いという意識から晩婚化も防ぐことができます。
結婚はともかく同棲や恋人の有無なんかどうやって政府が把握するんだというごもっともな意見はあると思います。
それは監視社会のようになってしまいますが、やはり通報制度によるものが一番安価に導入できるのではないでしょうか。
独り身隔離金を受けながら恋人が過去や現在にいた場合にはその人から返還される独り身隔離金の一部を、
同棲や恋人、恋人経験を隠していた場合には追加徴収額の一部を奨励金に回します。
これにより不正を行う人達から適切な徴収を行うことができるようになります。
久々に実家に帰った日、待ち受けていたのは家族のドン引きした視線だった。
冷ややかな視線も痛かったがそれよりも心に突き刺さったのは妹のヒステリックな叫びだった。
「外でお兄ちゃんだって言いたくない」
歳が離れている分、特に兄弟喧嘩をすることもなく仲良くやってきたつもりだったが
母のヒステリー体質をしっかり受け継いでいるのもこの時知った。
父を除く家族一体のブーイングの中、這々の体で帰らざるをえなかった。
先ほどその妹から宅配便が送られてきた。20-21時の時間指定で。
玄関先で偶然配達のあんちゃんと顔を合わせたので、そのまま受け取ったが、
だが四角い。玄関の明かりをつけると、果たしてそれはタニタの体重計であった。
リアクションを取れずに固まる中、宛先人が妹の名前になっていることをかろうじて目が追った。
有効に使ってほしいということ、先日は言い過ぎたこと、2月の結婚記念日は絶対に痩せて帰ること、
細かいが息せき切ったような字でみっちり書いてあった。
高校生のお小遣いにしては少々額が張りそうな立派な体重計を見ると、母もお金を出したのだろう。
ただ、言い出しっぺは妹に違いない。家と会社を往復する世捨て人のような社会人生活を送ってきたが、
今更やばいと思った。私は意思弱だが、見栄っ張りだ。自分のためではなく妹のために痩せよう。
まずはメールを送ろう。
部屋数が少ないから姉弟別室になると、
どうしても片親と姉、片親と弟が同室になることになり、
そうなると、両親が夜中私か弟の隣で始めることがあるんだよね。
それが嘔吐するほど苦痛なので、私から遠回しに頼んで姉弟同室にしてもらった。
それでも未だに両親がやってる気配とか声はわかることがあって、それだけでも苦痛。
隣でされるのはマジ辛い。だから両親別室にはできない。
それか恥を忍んではっきりと「セックスするなら外でやって」と頼んで、姉弟別室にしてもらうか。
それでも両親が隣でやらないとも限らないし、弟が侵入してこないとも限らない。
どっちにしても修羅場だ・・
兄弟喧嘩したことがないっていうことはないけど、性的な話は一切したことがないから、
オナニーしてるの目撃するのは今回が初めてじゃないけど・・
ほかの人に話したら、思春期の男の子が身近にいる姉や妹を性の対象に見るのはごく普通のことで、
そういうものなのかな。
あなたにとっての虐待の定義とはなんだろうか、被害者が加害者の保護下であるという関係を除けばあらゆる虐待は存在するが、今回は主に成人と未成年の間、親と子の間に存在する虐待について論考していこうと思う、なぜなら家庭というのは非常に外部と隔たれた空間であるからだ、教育の場であったり労働環境での虐待と比較するとお互いの利害に関係のない第三者の目に触れる機会は一気に減る、その分陰湿であったり陰険になるなどの諸問題は生ずるが同じ様な虐待が発生した時に他との比較が容易で無いという点において、また未だ家庭内部の隠され閉ざされた空間で行われている虐待についての個々の認識を明らかにしていく事が、この世から虐待による悲痛、声にならない声を浮き彫りにしまた被害者自身がより客観的に自己の被害状況を分析し気持ちの整理をつける事でより良い明日へと繋がる事を祈り進めていきたいと思う。
虐待の種類
虐待にも様々なものがあるが、一つに基本的には相手の事を思っているか?という漠然とした表現にその発生源を求める事ができる。もう一つは、相手の事を思ってしているという認識の行為が結果的に同じ結果を生じさせているという虐待について、また意図的、偶発的を問わず“何か”をしなかったという事が虐待になる事もあるので、それらを比較しながら論拠していきたい。
一、【故意】例
二、【過失】例
例えば、子供が他人の所有物を不当に取得した時などに“叩く”などの痛みを与える事で子供の犯した不当な行為を是正させようというもの、これでは罪を犯してはならない理由が“叩かれる”からだとの理解を子に与えかねない。裏を返せば叩かれてもいいくらい欲しい物であれば不当に他人から奪っても良いという事になってしまう。人間なのだから例え時間をかけてでも、物には“持ち主”という所有の概念があり、他人の所有物を正当な理由なく勝手に奪ったり何かしてはいけないと教えるべきだ。こういうと小さな子供にそのような説明をしてもわからないという人がいるようだが、行為の是非は痛みが伴うかどうかだと理解させてしまう可能性を与える行為こそ余計に子供が所有の概念を理解する事を阻むだろう。
三、【認識ある過失】例
意図偶発問わず放置に至った時に、その放置によって苦痛が子供に生じるかもしれないと認識しながらも「もう我が子の年齢なら大丈夫だろう」と本人を介さない判断で放置した結果、実際は子供が精神的苦痛等を生じていた場合の虐待
※本人の事前の意思を汲んだ上での放置で、実際に子供に苦痛が生じても生じなくても、第三者から客観的には虐待と判断される場合も有る。
四、【未必の故意】例
意図偶発問わず放置に至った時に、その放置によって「子供に苦痛は生じる」と本人を介す介さない問わず判断し放置した結果、実際に子供に精神的苦痛が生じていてもいなくても構わないと思う虐待
他にも虐待時の心模様は分析できるが、虐待による不都合が生じるかどうかという点では、これらの行為が多岐に又、継続的に行われるかどうか、そして被虐待児の個体差に寄ってでしか判断できない事とより効果的な虐待ラインの線引きをする為に虐待の回数、頻度、継続性やその子供の人生に不都合が生じたかどうかは度外視し“その行為が虐待なのかどうか”に的を絞って進めていきたいと思う。
それでは、ここから思いつくままに、もっとイメージを換気しやすい実例を列挙していきたいと思う。
一、お父さんと息子がプロレスごっこをしていて上手く技が決まり泣き叫ぶ子供に対してもなかなか技を解かなかった。
一、食事を親の許容時間内で食べられずゆっくりと遅い食事スピードの子供に対して、精神的な怒りを顕わにし、その怒りを子供に伝えた。
一、兄弟喧嘩をした子供に対して、親の判断で判決を下し、制裁として一度の食事を与えなかった。
一、何時にお客様が来るからそれまでに部屋いっぱいに散らかった玩具を綺麗に片づけておいてねと子供に頼んだのに、その時間になっても部屋を片づけていなかった為、児童の頭部に真上から握りしめた拳の中指第二関節の先を尖らせた部分を振り落としそれなりの痛みを与えた。
一、子供が学校から持ち帰ったテストの結果を見ると20点と書かれてあった、問題内容や平均点などがどのような状況なのかは関知していないが主観的に悪い結果だと思ったので「なにこの点数は?」と冷めた表情で悲しみを子供に伝えた。
一、子供達数人を祖父母に預け遠方に行くことになった際に、お土産を買う事になった、その際個々の子の長男、長女、次男、二女などそれぞれにお土産を買う際に、自分の子に対する好きの程度が“ひいき”としてお土産の質にも反映された。
一、子供が食事に対して好き嫌いを顕わにした時に、栄養学的な事、勿体無い事、また添加物や農薬、化学調味料等による影響を考慮せず、また食べる事や残す事を“怒り”や“恐怖感”と共に子供に迫った。
一、子供に玩具を買い与える等の条件を設けてお手伝いさせたり、肩を叩かせる等した後に、その約束に対しての意識をおざなりにし約束をまだ守っていない。
一、子供に早く寝ないとお化けや怪物、悪魔に襲われるなどと自分の信じていない事実を信じこませ嘘の恐怖感で持って子供を自分の意図した時間帯に寝かせてしまおうとした。
一、家庭内でだれかの所有物が紛失した際に、証拠なく過去の行動等から子供のだれかが盗んだのではないかと疑いそれを子供に伝えた。
一、子供が嫌がったり、将来思いだした時に嫌だと感じる可能性がある行為を何らかの脅迫や脅し、また体格差による優位条件を利用して行った。セックス等
等々、枚挙に暇が無いが、突き詰めていくと、同意や相互の了解、約束の無い事で自分の保護下にある者に対して怒りの感情や、隠避の態度、また虚偽の同意や相互の了解、約束で保護下にある者の言動を操作したり、当初は嘘のつもりはなく結果的に不本意であったとしても謝罪無く保護者の立場を利用して子供の意思、期待を蔑ろにする行為を虐待と定義する事で、確かに、ほとんどは大した事のない軽度の虐待ばかりが散見するとは思うが、その浮き彫りにした小さな声の中から、継続的であったり深刻な状況に陥っている児童を露わにする事で虐待親からの保護活動がより進むのではないだろうか。
次に、虐待をされた側の福祉ではなく、虐待をしてしまった側の福祉を考えてみよう。確かに、認識の無い虐待の方が子供の悲痛は重いだろうが、罪悪感を認識しつつも己の言動を制御できず我が子に対してしてしまうという行為としての虐待の加害者も罪を理解しているという点においては周囲が手を差し伸べるべきではないだろうかと思う。何度も閉ざされた家庭内の出来事である事は強調するが、親自身が現在において健全であると因果関係の立証なくして自分の生育環境を我が子にも模倣するという事は大いにあり、その今現在健全である事はわが身が程度の差こそあれ受けた虐待が今のわが身の為になったと解釈しその虐待行為をまた我が子にしてしまうと言う物だ。
良かれと思いやっている事なのだがこの場合本人の気分もなぜか優れないという事が多いように思う。どうも本当はこんな事はしたくはないが、我が子の将来の為に体罰や強制、十分に説明のできない因果関係の不明な理由によって我が子の言動を統制するのは止むを得ないを自己を正当かするのだが、なぜか当の親自身は心のどこかに陰りを想わせる精神状態に陥ってしまう。
こんな時、もしも閉ざされた家庭でしかも虐待というナイーブな情報について共有でき、また素直な気持ちで自分の行為が虐待なのか虐待でないのか話しあえる場、意見交換できる場があったらどうだろう。
子を持つという事は責任が伴う。
ないものは仕方がない、生殖の自由を制限することもまた違うであろう
親になったからといって、社会は一律に保護者の責任を追及しても良いのだろうか?
そこに、責任という耐えがたい重圧感を与える事が、自らの育児教育能力を自己判断し自信が持てなかったり自己否定の念の押しつけられた時、弱者である子に対し“教える”という行為をしなければならなくなった時に怒りの感情が“怒る”という形で子に向けられてしまうのではないだろうか。
“怒る”について考えてみよう。
子供が何か良くない事をした時に「コラーッ」と怒った場面を創造してみて欲しい。
それは、子供がスーパーで売り物を食べ始めてしまった時かもしれないし、子供が自分で行きたいと言って行き始めた何かの教室を勝手に休んだ時かもしれない。
私や貴方はいったい何に怒っているのだろうか?
子供が確かに一度はしてはいけない事だと理解したのに、私欲のために再三した事が許せないという怒りだったかもしれないし、貴方がせっかく拠出した習いごとの月謝を無駄にされた事かもしれない。他にも様々な解釈はできるが“怒り”がなぜ生じるのかをよくよく考えてもらいたい。
そこに“悲しみ”はないだろうか?
人は悲しくないのに怒る事はあるだろうか?
元の感情として、自分が悲しくなる何かをされた事や身内が誰か他人を悲しませてしまう事が悲しくて、そんな思いはしたくないから“怒る”のではないだろうか?
子供には貴方や私が怒る理由を理解するのは難しい
まだ悲しい気持ちから怒りに転化したという実体験も希薄だろう。
これを読んでくれた貴方には
どうか
どうか素直な感情で我が子と接して欲しい
悲しい時には悲しい気持ちを我が子に伝えよう
あなたがそんな事したら、お父さん悲しいよ お母さん悲しいよ って
私や貴方がが無碍に他人を悲しませたいなんて思わないように
子供の純粋が気持ちとして、他人を悲しませるような事はしたくないという純粋が感情がある事を期待しよう
怒りは「快」「不快」という根本の感情よりも一段階上の複雑な感情だからだ
例え我が子にでも、悲しい思いをさせられたら「悲しい」気持ちを表してみよう。
きっと、わかってくれるはずだ
今からでも遅くない 例え貴方の子供が既に成人していたとしても
本当はどう思っていたのか? あの時は悲しかったんだよ だからあんな事をしてしまったんだと
また貴方の子がさらにまた子に対して同じ事を繰り返し、子が将来、あなたと同じ苦しみをする事を回避する為に
勇気を振り絞って、例え過去の事であっても当時の本音の素直な気持ちを話してみよう
きっと、貴方を許してくれるはずだ 貴方はもっと楽に生きるべき存在なのだから
@awaikumo
例えば、結婚したりすると、妻にDVを加えたらどうしようとか思う。
今のところ、暴力を振るった経験というとせいぜい兄弟喧嘩くらいしかない。
ペドロリでもない。
今のところ相手もいないから心配無用なんだけど、よくみんな結婚とか出来るなと思う。
時分の娘を殴る蹴るしてレイプしてしまうリスクを考えたら、怖くて踏み切れないと思うんだが。
妻や子供に愛されないとか、憎まれる、疎まれるとかはまだ我慢できると思うけど、自分が加害者側になるのは嫌だなって思う。
みんな凄いよな。
いろいろなことがあるかもしれないけど、それでも一緒になりたいっていう想いが、そういう恐怖に打ち勝つんだろう。
そこまで人を愛したことは一度もない。
http://anond.hatelabo.jp/20101018071855
続きを書くべきなんだろうが、うーんと思う。俺が書いたものを嘘っぽいとか創作だとかいう人たちってなんなんだろう。
俺の態度を差別だって批判する人たちが、腐女子っぽいとかゲイっぽくないとか、なんであるかどうかも分からない形にあてはめて批判しているんだろう。
男ってこうだよね、とか実の兄弟ってこうだよねっていうのがダメで、ホントーのゲイってこうだよねっていうのがOKなのが分からないです。
うちの家族や弟のことを嘘っぽいって言われても、ホントのことですしねえ、としか言えません。そういうことを言っている人たちって、こうあるべきっていう無駄な決めつけをゲイに対してすらしているんじゃないだろうか。
俺がうちの実家スペックをまず明らかにしたのは、基本的にこれがうちの実家の問題だからです。嫁にゃあ関係ねえとは言わないけど、他人事であるのは確かであって、だからこそ嫌悪感が愛情に勝ってしまう可能性がある。逆に簡単に「あ、そうなの?へーきへーき」で済ませてしまうかもしれないけど、俺の嫁の場合、宗教もからんでくるんでそうそう楽観はできんのです。
うちの実家は宗教は無いけど、基本、保守的なのは確かであって、心の葛藤だけじゃなくてもっといろいろと現実的な問題があるのです。
弟も別にカミングアウトせずにすむならわざわざしないんだろうが、相手の男、浩介と同居したいという希望がある以上、言わずに済むというのは難しい。これは弟とも話したんだけど、おまえ、県庁に入ったの失敗だったね、と言ったんですね。
地元に残ってくれるっていうんで家族は喜んだんだけど、こういうことになるなら東京や大阪で、こっそり同棲するのが一番よかったんじゃないかと。
12歳差の弟ってのは半ば息子みたいなもんですよ、俺にしてみれば。対等な兄弟喧嘩なんてあるはずもなく、可愛い可愛いで来てしまった。親としての責任があるわけでもないから、まー、ジジババにとっての孫に一番感じが近いかもしれません。
ひょっとしたらそのせいかも知れないと思うところもあるんです。
大体、弟がゲイなのか、ただ相手の男が好きなのか、聞いてみても本人にもよく分からないんだそうで、こういっちゃなんだけど、心のもちようでなんとかなるなら何とかしてほしいという気持ちはある。心療内科とかで治療できるなら、そうしてほしいけど、ゲイだったらそれはそれで残酷だなと。
相手の男も今は恰好いいこと言ってるけど、先のことはわからんでしょう。一番つらいときに、優しくしてくれた弟に依存しているだけかも知れないし。結婚というきとんとした縛りがあるわけでもない、そんなあやふやな相手に弟はやれん、そう思ってしまうのがそんなに悪いことなんでしょうか。
誰の目にも明らかにゲイ、100%ゲイならかえってそっちの方がよかったと思うんですが、弟も相手の男も普通にしていればふつうの男ですし、相手の男が将来、うっかりどこぞの女をはらませて、結婚、なんてこともないとは言い切れない。
そういうことも考えませんか?家族なら。
はたちそこそこのガキんちょが今だけの気持ちで、僕たち愛し合っています、なんて地方のこの町で公表しちゃったら、どうなるのかと。気持ちが変わらないなら逆境もまたよいでしょうが、変わると思います。弟なんて、男であれ女であれ、肉体関係は今の相手ただひとりしか経験ないっていうんですから。相手の男は女性経験はあるみたいですけどね。
今、弟に言っているのは、とりあえず待て、ということ。
待ってどうなるかっていうのはその先は俺にもわかりませんが。ここ何日間かで俺も肝が坐ってきて、少なくとも俺は弟の味方でいようと思うようになりました。
ただ、どういう形で着陸させるのがいいのか、手さぐりになりそうです。
まずは姉の反応を見てみようと思います。俺の話として、俺、実はゲイなんだけど、妻と別れて年下のカレシと付き合おうかと思っているみたいな相談をしてみて、反応を見てみようと思っています。
http://anond.hatelabo.jp/20071008044919
私は逆に、「クリスチャンの子供たる者、人様と喧嘩などしてはいけません、聖書にある通り、いつも平和を求めなさい」って育ったけど、それが通用するのは大人の(一部の)集団の中だけであって、子供の世界ではそんなの全く通用しないわけ。
小学生のガキの価値基準って奴は、「誰が喧嘩が一番強いか」、それで順位が決まってしまう。小学生の頃、級友に「おまえらの兄弟の中で誰が一番喧嘩が強い」って何度も聞かれたけど、そんなの知らねえよ。たとえ兄弟喧嘩が始まっても、すぐ親に見付かってこってり絞られて、決着の付く最後までやった試しがないもんな。
それじゃ学校で思い切り暴れて喧嘩して、なんてやっても、どこにスパイがいるやら、決まって親に情報が筒抜けで、やはり小一時間お説教されてお尻ひっぱたかれるし。
そんなこんなで、喧嘩の実戦経験がなかなか積めない。腕力も、言葉による攻撃すらも。自分は今ですら悪口のボキャブラリーが貧弱で、まるで外国語を片言でしゃべるくらい努力が必要で、他人みたいにポンポン出てくる人はうらやましいくらいさ。
そうなると、どうなるかわかってるな。「こいつはぶん殴っても、まともにやり返さないから大丈夫」って、サンドバッグ扱いだ。
そりゃあ、大人ならそれでも強靱な精神力でどうにか持ちこたえるだろうよ。キリストとかガンジーくらい神がかった非暴力主義者ならさ。
でも、それをなぜ子供に期待する。「よかった、うちの子が加害者じゃなくて」って何度も親に褒められたけど、その前に子供が壊れちまうよ。
それでいて、「男の子でしょ、男は泣くもんじゃありません」って、おやまあ、大層都合の良いお話ですことねえ。
それを考えると、「男の子は喧嘩が強くなきゃいけないんだよ」というのは、ある意味真理かもしれないと私は思う。
別に強くなくてもいい、「やられてもやり返せない人間」だと思われて私みたいにナメられるよりは、弱くてもいいから抵抗くらいはできなきゃダメ。
そういや
http://anond.hatelabo.jp/20071008085513
「男の子は女の子を尊重して互いに対等な人間関係を築かなきゃいけないのよ」は、自分も子供の頃に似たような事を言われて育ってきたけど、これも大人の世界だけの常識で、子供の世界では通用しなかったな。
今とは違って昔は、小学生の男の子が女の子と仲が良い、優しくしてる、ってだけで、「結婚」だの「エッチ」だのって、何だか、からかうような連中が多かったからな。あの頃が自分のモテピークで、今じゃ立派な非モテだけど。