はてなキーワード: スターウォーズとは
35歳、独身男。そろそろ年末なので実家に隠してある大量のエロ本を処分しようとした。
土曜が実家のある地域の資源ごみの回収日なので、何食わぬ顔をして前日に実家に帰り、
そして、朝六時にこっそりと起きて、それを両親に見つからないようにゴミ捨て場に出しに行く。
輸送しなければならないエロ本の束は四つ。一つ一つが結構重い。
ここで皆さんは、エピソード5「帝国の逆襲」のホス撤退戦を思い出してほしい。
氷の惑星ホスから帝国軍の包囲を掻い潜り、無事に何隻かの輸送船を宇宙空間に脱出させなければならない。
「一隻ずつが精一杯です」
指揮官であるレイア姫に士官が進言する。それにレイヤ姫がこう答える。
あえてリスクを取りながらも、早急に輸送船を脱出させることを決断したレイア姫。
エロ本の束も、一つ一つがなかなか重いので、一つずつゴミ捨て場に運ぶのが背一杯だった。
しかし、早くしないと親が起き始める。
ホス撤退戦では、一つ目の輸送船の集団が無事に脱出したという知らせが入った時、
兵士たちが歓声をあげていた。
俺も、一つ目のエロ本の運搬を終えた時、同じように、土曜の朝の陽の光に向けて、歓声をあげた。
さあ、冒険は始まったばかりだ。
みんなも、こうやって日常をスターウォーズになぞらえて生きると、色々捗るよ。
お試しあれ。
すっかりおっさんになってしまい、映画の出来・不出来を語り合う友人も周りにいないので、ネットに書いてみることにした。
ネタばれ多数。未見の人、傑作だと思っている人は読まない方がいい
結論を簡単にまとめると、映画的に正当な続編になっていても、あの時代設定のSF的な延長になっていないと思った。「メッセージ」は傑作だと思ったんだけどなー。
自分がブレードランナーを見たのは、初回公開時の16歳のころ。名古屋で「燃えよドラゴン」と2本立てだった。
ひとつは、地続きの未来がバラ色じゃないというビジョンを、明確に具体化したこと。
それまでの地続きの未来のイメージは、2001年宇宙の旅(1968年公開)とか2300年未来への旅(1976年公開)とかに描かれた、ピカピカのスゴイ科学の世界だった。
2300年未来への旅はディストピア映画だけれど、誰も見たことがない輝かしい世界を描くとき、ピカピカに描くのが当時は当たり前だった。
それに対して、文明が衰退した未来を描く映画やSF小説は、あくまで核戦争でという分断された未来に位置付けられていた(地球が燃え尽きる日:1976年公開、マッドマックス2:1981年公開)。
スターウォーズ(1977)やエイリアン(1979)で描かれ始めたように、スゴイ世界なのに汚い・ポンコツな世界が地続きで存在しているという、(当時にしては)画期的なビジョンがブレードランナーで完成した。
ブレードランナーの未来が暗い理由は、原作小説とは違い環境破壊のせいだった。いつも酸性雨が降っているという地球温暖化を先取りしたような設定。
そのために、人類の多くが宇宙に移住して、それでも残っている人々は人口過密の大都会で生き延びている。
自然破壊が進んで本物の動物がほとんど死に絶えていて、映画で登場する動物はほとんど全てレプリカントという世界だったんだよ。
もうひとつインパクトが強かったのは、レプリカント(ネクサス6型)の設定。人間よりも肉体的にも頭脳的にも優れているけれど、感情移入能力が著しく低いというあたり。
コミュニケーション能力に問題を持ち、常日頃から疎外感を感じている世界中のオタクの琴線を捉えたんだと思う。
ただし、ディガードがレプリカントではないか、なんてネタはディレクターズカットあたりが公開されるまで考えてもみなかった。
ビジュアル的には、現代の当たり前をひっくり返しているところがまるでなく、前作のインパクトに及ばない。
そして前作では、人間であるかないかに関係なく、自分の生命にジタバタすること自体が生きること、だったはずなのに。
今作では、誰かのため、大義のために生きて死んでのが人間という話になっていて・・・それって、非人間的な重労働を強いられるレプリカントの存在そのものじゃん。
皆さん、「エッジスクリーンはSamsungがやった」とか「ヘッドフォンジャックが」とか「今更ワイヤレス充電w」とか「剃り込み」とか言ってますが、わかってないなー。
本当にすごいのが顔認識。今までの顔認識のテクノロジーは平面で認識していたので、写真でアンロックとかできたわけ。今回のiPhone Xの顔認証は、赤外線のプロジェクターを使って立体的に対象物を検知するというスゴい技術。カメラの前にいる人の顔を立体的にキャプチャーできるということは、FaceTime なんかで立体的に映写ができる(という可能性がある)ので、あのスターウォーズのホログラムチャットみたいなことができるってこと。これはテクノロジー業界の次のパラダイムの入り口という意味で事件だと思うんだけど、皆さんどう思いますか?
言葉選びが難しいんだけど、決して作者をバカにしているわけじゃなくて、
深見真の作品はコメディなのか、シリアスなのかが、よくわからない。
いやもちろん、0と1ではっきりコメディとシリアスを分けられるわけじゃなくて、それらは濃度なんだとは思うけど、
それでも、作品を見るにあたって自分の態度ってものがあるじゃないですか。
新喜劇を見るときと、スターウォーズ見るときじゃ、さすがに態度が違いますよね?
態度というか、心構えというか。
ニコニコでてーきゅう見るときと、映画館でジブリ見るときは、心構えが違うよね?
違うよね?
みんな、全部同じテンションで見てないよね?
で、その、テンションを深見真の作品はどうしたらいいのか、未だにわからない。
彼の作品っていわゆるシリアスな笑いというか、真面目な話なのにどこか滑稽みたいなシーンがとても多いから、
今このキャラが真面目なことを言っているのか、おちゃらけているのか、真面目なこと笑えるシーンなのかが、とてもとても難しい。
……いやこれ、よくよく考えると、あのトリックのことが自分の中できちんと整理できてないだけな気がしてきたぞ。
やっぱLOVE以前の富士見ミステリー文庫をもう一度読み返して、歴史的文脈も含めて考察するときがやってきたのかもしれない。