はてなキーワード: さもしいとは
「💢ボーっとイキってんじゃねーよ!!!💢」
「日本刀メインにすりゃ売れるって俺は前から言ってましたよww」
鬼滅の刃が受けた本当の理由も答えられずに、興行収入を一夜にしてデビルマン以上にする日本人のなんと多いことか。
「鬼滅の刃がヒットした答えを誰も言わないのは、『脱税のニュースが野次馬を引き寄せたから』~~~~」
「マスちゃん、流石だね。DX日輪刀もまだ買えない歳なのに、日本人の行動心理が分かるなんて」
アニメや漫画の売上についての研究に詳しい在宅アニメ評論家アニメ=デ=マウントゥール3世に本日はお話をお聞きしました。
「鬼滅の刃が何故売れたのか……アニメでブームに火が点いたとHさんは言ってたけど、半分正解なんですね。実際、鬼滅の刃の売上は、アニメのクオリティについての話題と推移が似通っているんですね。ですがみなさんが見落としているのは、どんなに面白いアニメであっても見てもらうまでが大変ということですね。少し前に話題になったけものフレンズだって、一部界隈でカルト人気になった所から皆が見出したんですね。ここで重要なのは、好意的ではなくて批判的な見方をしようとした人達を引き寄せたことなんですね。今の趣味業界には2つの特徴があって、1つは小さなエコーチェンバーのようなものが無数に形成されていていて大部分のブームは狭い界隈の中での盛り上がりに終わりがちなこと、2つ目はそこから脱した作品は爆発的に広がることなんですね。鬼滅の刃もけものフレンズも、ある種のスキャンダル性によって自分たちの身内とも言える界隈以外から、いうなれば「まだ味方や身内でない人達」を引き込むことに成功したんですね。これによって、第1の特徴である狭いブームから大きなブームとなり、第2の特徴の通りにそのまま広がりが広がり続けたんですね。今の世の中はエコーチェンバーが非常に強烈だからこそ、それを突き破る勢いに乗れた作品はビッグウェーブのブルーオーシャンで好き放題なんですね。そして、鬼滅の刃がそうなった原因は「脱税」というスキャンダラスな話題だったんですね。これによって、「脱税しておいてこれかよwww」「さすが脱税しただけのことはあるなwww」と野次を飛ばしに着た人達を取り込んで、その人達が「脱税してるけどアニメ自体は面白いじゃんwww」と評価したんですね。彼らのそうした発言が、他の界隈において鬼滅ブームの火種となり、全体を飲み込む大きなブームを生むのですね。このことから、もう一つの今の日本人の特徴が見えるのですね。それは、ポジティブな話題のときはうちに引きこもりがちでも、ネガティブな話題であれば隣の界隈を覗こうという気持ちが働くということですね。非常にさもしい国民性と思うでしょうが、これは日本人だけじゃなくて世界中の人間がそうなんですね。でもこれはそもそも原始時代に、ネガティブな物事に興味を持てる人達、つまりはヒヤリ・ハットを先んじて見出し対策を取れたお猿さんだけが生き残ってきたことによる自然淘汰の結果なんですね。いわば、人間は本当的にネガティブな話題を野次馬しちゃうんですね。そして、今回はそれが「脱税」というバッドなニュースだったんですね。言い換えると『鬼滅の刃が流行ったのは人間が本能的にネガティブな話題に首を突っ込んじゃうから』なんですね~~。人間って本当にクソですね~~~」
「漏らす所」
なんだか最近クレジットカードの引落とし額が多いような気がすると思い明細を見たら、コワーキングスペース、服のサブスクリプション、コーヒーのサブスクリプション等、各種のサブスクリプションで10万円以上引き落とされていたので、全て解約した。
どれも最初の数ヶ月は利用していたが最近は利用しておらず、その一部は加入していたことさえも忘れていた。
当たり前だが、全て解約した後には何も残らず、無駄金を使ってしまったという感じだけが残った。
買うには高いが、他人とシェアしてときどき使うだけならサブスクリプションを。
基本の商品やサービスを利用してみて、もう少しいいものが欲しくなったらプレミアムを。
これらは利用者の都合に合わせて提供されているように見えて、全て売り手の都合にすぎない。
個人の経済活動がシェアリングエコノミーの名の下にどんどん小さく、さもしくなっていったのはいつ頃からだったろうか。
同じ課金方法をバカの一つ覚えのように使い続ける売り手もバカだが、そのようなやり口にうまうまと乗せられて金を払ってしまう買い手もバカである。
よいものは高い。貧乏人は買わなくていい。貧乏でもどうしても欲しいなら無理して買え。高いものを無理して買ったら余計によいものと感じるだろう。それも無理なら自分で作れ。最高級のものは全てオーダーメイドだ。
ちょっとだけよくてちょっとだけ高い、「プレミアム感」のあるものは、よいものではない。よいものはそのように限られたさもしい選択肢から選び取ることができるようなものではない。最高級のものは全てオーダーメイドだ。
この感情を表すのに相応しい言葉はおそらく『浅ましい』だと思う
1 品性が卑しい。さもしい。下劣だ。「―・い了見」「―・い根性」
2 見苦しく情けない。嘆かわしい。「―・い世の中」
3 身分や姿形が卑しい。みすぼらしい。「―・い姿」
ただ、浅ましい人がいても別に困らないのに、自分自身も高潔でお上品とは言い難いのに、なぜ強いマイナス感情を抱くのか?
気持ちを掘り下げてみたところ、3つ思い浮かんだ
1つ目、クズに返報性が期待出来ない。
仕事やお金で返してくれなくてもいい。他人に優しくするだけでよいのに、より弱いものを叩くという謎の選択肢を持っている。
主体的に動き自分自身で選び取らないから、常に他人の顔色を伺うことになっているだけなのに、
いつも誰かに攻撃されているという謎の被害者意識を持っている。
だから、機会があれば “誰かにやり返したい” のだ。なろうのザマァ小説の構図そのままに。スカッとジャパンそのままに。
環境を変えば、コミュニケーション方法を変えれば、返報性が期待出来る人物に変わるのでは?と思っていたけれど
クズは生まれつきクズなのでは?ではという気がしてきた。利他の精神のあるなしも生まれつきの要素が強いように。
2つ目、クズは判断能力に問題があるヤツが多く何をしでかすか分からない。
自分自身が存在してもよいように、クズもクズのまま存在してもよく、クズは社会にいる前提で、振る舞いや対応を考えなければならない。
世の中、いろんな人がいますね (棒)
PowerPointの図形にグラデーションをどうつけたらいいですかと、持田さんが訊いてきたので彼女の席まで行った。机にはノートパソコンが開かれていて、画面にはとぐろを巻いたうんこが表示されていた。
ここなんですけど、と持田さんは画面上のうんこに指で触れる。段々になっているところにグラデーションを入れて、うんこのきれいな巻き具合を表現したいです。
彼女の席に座って、PowerPointで描いたうんこに垂直方向のグラデーションを設定する。下側の黄土色から上側のこげ茶色に向かうやつだ。持田さんは「おー、それっぽい」といって、かすかに手を叩く。
なんとなくそんな気がしたので、ランチ営業をやっている居酒屋に持田さんを誘って入り、二人ともじゃんぎ丼を注文した。
ほうじ茶をすすりながら、あのうんこは何に使うんですかと聞いてみる。
あれは提案資料のイラストですね、と持田さんもお茶を飲みながら答える。
「ほら、私、もう今月で契約終わりなんで。引き継ぎも終わったし、やることって特にないんですよね」
売り上げ回復の見通しが立たず、会社では契約社員の人の契約を更新しないことにしたらしい。普段一緒に働いていてあまり意識したことはなかったけど、そういえば持田さんは契約社員だった。
「有給なんてあってないようなものだったし。やめるってわかっていて、毎日会社に来て、何にもすることなくて座ってるのって、けっこうきついですよ?」
湯呑みの向こうから持田さんはこちらをちらりと見た。じゃんぎ丼はまだ来ない。
「増田さんはこうやってご飯に誘ってくれたりするからいいけど、他の人たちはあれ何なんですかね? 私がリストラ?されるってわかった途端に態度がぎこちなくなって、最近は話しかけてもこないですし。私はえんがちょ? うんこはそっちだろって思うんですけどね」
ようやくじゃんぎ丼が来て、二人とも食べ始めたので、話はそこでいったん終わった。この店のやつは、甘辛く煮たから揚げの上にフライドガーリックをかけてクリスピー感を増してあるのが好きだ。
食べながら、このあと会社に戻って自分は持田さんのうんこの完成を手伝うのだろうか、他の人に見られたらどう思われるだろうか、などとさもしい考えが浮かんだが、あとで考えようと思った。
店を出ようとしてテーブルから伝票を取ったとき、持田さんは次の仕事が決まっていないだろうなと思った。が、突然おごってあげるのもなんだか不自然で失礼な気もしたので、会計は別々にした。
単に、ユーザーは広告を見ることで対価を払っている=無料では遊んでいないってことやろ?
あるいは、無料でお試し(楽しむ)をしてお金を払う価値を認めたら人はお金を払うよって話かも知れない
動画や音楽のサブスクリプションが儲かっている理屈と同じ理屈だね
ワイはバズりを狙うなら、
アプリのマネタイズ方法や、YouTubeやイラスト・マンガ・ゲーム・音楽の中文・英文、
その辺にフォーカスした方が需要あるしポジティブだと思うけどなぁ・・・
技術は拙いけどやたらめったら共感パワーと拡散力が強いクリエイターをテーマにしてはどうか?
こういうタイプのクリエイターは無料のうちは崇められるけど有償にしたとたん、
脇役にも輝く瞬間がある、そう思って生きて参りましたがなかなかそのような場面に当たりません。
これはあれだな、脇役は脇役でもまだカメラ回ってないな?というか本番でもないかもしれない。カメラが回っていないということはカメラテストでもないのでは。むしろ、脇役にブッキングされているのかも怪しい。いや、そもそも応募しただろうか?応募しなければ脇役にも選ばれていないよな。選ばれるかどうか、そのような考え自体がさもしい。自分を使ってください!脇役でも何でもやります!むしろカメラに映れなくてもいいんです。この作品に関わりたい、そういった強い気持ちがあるんです!って訴えるところから始めないといけないのかもしれない、などど考えている次第です。
前例が出来たので同じ事するのが増えるぞ
「広島県もやったのだから我が県もやろう、もう引き落としたからそのつもりで、元々の給料は減ってないからいいよね?」
なんてやるところが増える、絶対に
俺は関係ないなんて思わない方がいいぜ、デカい企業も小さい企業も広島県以外も、やるところは関係なくやると思うから
ああ、そうそう、なんか10万貰う事が恥ずかしい事、さもしいこと、意地汚い事にする風潮を作ろうとしてるやつもアレだな
日本は国全体がムラだから、そういう空気に染まった所は10万貰ったらどこかに寄付しろ!とか10万貰うなよ?って同調圧力かけてくるんだろうな、特にお前らとか
今年になって初めてマスクを買った。買ったというか、買えた。
元々花粉症もなかったため、風邪のときくらいしかマスクをする習慣がなく、家にストックもない。今年に入ってあれよあれよとマスクが店頭から消え、気付いたときにはすでに買うことができなかった。
手元にないものを着用できるはずもなく、ここ2ヵ月、ずっとマスクをせずに通勤していた。そもそも感染している人が飛沫させないことに意味があるという。予防効果があるわけではない。しかし、周囲の人は、マスクをしていない者が咳をしたら不安だろう。今年に入ってすこぶる体調がよかったこともあり、咳もくしゃみも一切なかったが、一分の隙も与えまいと、通勤中はじっと口元を結んでいた。しばしば、薬局やコンビニに寄って売り場を覗いてもいたが、当たり前のようにマスクは置いていなかった。そもそも、皆開店前に並んで買っているのだ。独身の勤め人で、会社帰りにふらっと入店している自分が買えるわけもなかった。
そうしているうちに、次第に「もういい。自分はマスクを着けない。熱や咳といった症状が少しでも出たら会社を休む。」という気持ちになった。マスクは飛沫を押さえるためのものだ。飛沫する咳もくしゃみもない以上、マスクはもうよいと思うようになった。むしろ、マスクをしているのをいいことに、人ごみで口元を押さえずに咳をする人を引き気味に見ていたくらいだ。そして、朝からドラッグストアに行列している人たちを見て「寒い中並んで、あの方が身体に悪かろうに」と思っていた。
今日、帰りがけにコンビニに寄った。酒を買いたかったのだ。入口すぐ脇の空っぽのマスク売り場を横目に「相変わらずないねえ」と通り過ぎようとしたとき、隅の方のフックにひとつだけ、マスクが掛かっていた。そのとき、すっと手が伸びてマスクをとっていた。自分は、コンビニでマスクと酒を買った。
支払いを終えた時、正直な気持ちとしてうれしかった。しかし、そのうれしいという感情がわいたと同時に、そんな感情を持った自分を、ひどく卑しくさもしいと思った。「さもしい」という言葉をいつ学んだか記憶にないが、まさに「さもしい」であった。あさましくて、みじめで、卑しい、そんな気持ちになった。「いらない」と思っていたのに、いざ目に入った瞬間に手を伸ばした自分。強がっていたのに、手に入ったときにうれしいと思った自分。
文章の最後に「文章が下手ですみません」とか書いてあることがある。これにいらっとする。下手だとわかっているなら書き直すべきだ。下手な文章を読ませるのは失礼な行為であり、読み手の時間を奪う行為でもある。最低でも書き直すべきだし、もっと言えば、上手な文章が書けるよう、日頃から練習すべきだ。
そして、日頃十分に文章の修練をし、当該の文章を十分回数推敲して丁寧に書き上げたならば、「文章が下手ですみません」などという弁明は要らないし、そもそもそんな言葉は出てこないはずだ。自信と責任をもって、堂々と相手に読ませられるはずだ。
日ごろ鍛錬を怠っていて
「文章が下手ですみません」と最後に記載されていることがあり、これを見るとイラッとする。
日頃から上手く伝えられるように練習を重ね推敲してきたのであれば、
「文章が下手ですみません」などという言葉は出てこないはずだ。
文章の最後に「文章が下手ですみません」とか書いてあることがある。これにいらっとする。下手だとわかっているなら書き直すべきだ。下手な文章を読ませるのは失礼な行為であり、読み手の時間を奪う行為でもある。最低でも書き直すべきだし、もっと言えば、上手な文章が書けるよう、日頃から練習すべきだ。
そして、日頃十分に文章の修練をし、当該の文章を十分回数推敲して丁寧に書き上げたならば、「文章が下手ですみません」などという弁明は要らないし、そもそもそんな言葉は出てこないはずだ。自信と責任をもって、堂々と相手に読ませられるはずだ。
日ごろ鍛錬を怠っていて