はてなキーワード: さもしいとは
前例が出来たので同じ事するのが増えるぞ
「広島県もやったのだから我が県もやろう、もう引き落としたからそのつもりで、元々の給料は減ってないからいいよね?」
なんてやるところが増える、絶対に
俺は関係ないなんて思わない方がいいぜ、デカい企業も小さい企業も広島県以外も、やるところは関係なくやると思うから
ああ、そうそう、なんか10万貰う事が恥ずかしい事、さもしいこと、意地汚い事にする風潮を作ろうとしてるやつもアレだな
日本は国全体がムラだから、そういう空気に染まった所は10万貰ったらどこかに寄付しろ!とか10万貰うなよ?って同調圧力かけてくるんだろうな、特にお前らとか
今年になって初めてマスクを買った。買ったというか、買えた。
元々花粉症もなかったため、風邪のときくらいしかマスクをする習慣がなく、家にストックもない。今年に入ってあれよあれよとマスクが店頭から消え、気付いたときにはすでに買うことができなかった。
手元にないものを着用できるはずもなく、ここ2ヵ月、ずっとマスクをせずに通勤していた。そもそも感染している人が飛沫させないことに意味があるという。予防効果があるわけではない。しかし、周囲の人は、マスクをしていない者が咳をしたら不安だろう。今年に入ってすこぶる体調がよかったこともあり、咳もくしゃみも一切なかったが、一分の隙も与えまいと、通勤中はじっと口元を結んでいた。しばしば、薬局やコンビニに寄って売り場を覗いてもいたが、当たり前のようにマスクは置いていなかった。そもそも、皆開店前に並んで買っているのだ。独身の勤め人で、会社帰りにふらっと入店している自分が買えるわけもなかった。
そうしているうちに、次第に「もういい。自分はマスクを着けない。熱や咳といった症状が少しでも出たら会社を休む。」という気持ちになった。マスクは飛沫を押さえるためのものだ。飛沫する咳もくしゃみもない以上、マスクはもうよいと思うようになった。むしろ、マスクをしているのをいいことに、人ごみで口元を押さえずに咳をする人を引き気味に見ていたくらいだ。そして、朝からドラッグストアに行列している人たちを見て「寒い中並んで、あの方が身体に悪かろうに」と思っていた。
今日、帰りがけにコンビニに寄った。酒を買いたかったのだ。入口すぐ脇の空っぽのマスク売り場を横目に「相変わらずないねえ」と通り過ぎようとしたとき、隅の方のフックにひとつだけ、マスクが掛かっていた。そのとき、すっと手が伸びてマスクをとっていた。自分は、コンビニでマスクと酒を買った。
支払いを終えた時、正直な気持ちとしてうれしかった。しかし、そのうれしいという感情がわいたと同時に、そんな感情を持った自分を、ひどく卑しくさもしいと思った。「さもしい」という言葉をいつ学んだか記憶にないが、まさに「さもしい」であった。あさましくて、みじめで、卑しい、そんな気持ちになった。「いらない」と思っていたのに、いざ目に入った瞬間に手を伸ばした自分。強がっていたのに、手に入ったときにうれしいと思った自分。
文章の最後に「文章が下手ですみません」とか書いてあることがある。これにいらっとする。下手だとわかっているなら書き直すべきだ。下手な文章を読ませるのは失礼な行為であり、読み手の時間を奪う行為でもある。最低でも書き直すべきだし、もっと言えば、上手な文章が書けるよう、日頃から練習すべきだ。
そして、日頃十分に文章の修練をし、当該の文章を十分回数推敲して丁寧に書き上げたならば、「文章が下手ですみません」などという弁明は要らないし、そもそもそんな言葉は出てこないはずだ。自信と責任をもって、堂々と相手に読ませられるはずだ。
日ごろ鍛錬を怠っていて
「文章が下手ですみません」と最後に記載されていることがあり、これを見るとイラッとする。
日頃から上手く伝えられるように練習を重ね推敲してきたのであれば、
「文章が下手ですみません」などという言葉は出てこないはずだ。
文章の最後に「文章が下手ですみません」とか書いてあることがある。これにいらっとする。下手だとわかっているなら書き直すべきだ。下手な文章を読ませるのは失礼な行為であり、読み手の時間を奪う行為でもある。最低でも書き直すべきだし、もっと言えば、上手な文章が書けるよう、日頃から練習すべきだ。
そして、日頃十分に文章の修練をし、当該の文章を十分回数推敲して丁寧に書き上げたならば、「文章が下手ですみません」などという弁明は要らないし、そもそもそんな言葉は出てこないはずだ。自信と責任をもって、堂々と相手に読ませられるはずだ。
日ごろ鍛錬を怠っていて
私は日本有数のターミナル駅にいた。乗り換えを急ぐ道すがら響く「チャリーン」。金属音には敏感である。
ぜ・・銭ズラ。
床に落ちた金。うーむここは気づかなかったことにして道を急ぐべきか。
周囲の人々にそこに何か金目のものが落ちていると言わんばりに50円玉を見ているのだ。
自分が通り過ぎれば誰かに採られるなどとさもしいことを考えた瞬間、拾ってしまった。
あぁ・・なんてことだ拾ってしまった。今、たった今、運を減らしてしまった。
うまい寿司や焼き肉を食えたかもしれない運を減らしてしまった・・・。
そう思うと拾っておきながら50円玉を握りしめることができない。
と思っているうちに目的地の駅に到着。
多少の運を取り戻せたに違いない。