はてなキーワード: 道徳的優位とは
実はあいつらは強者男性に対して求めてるハードルってそれよりも遥かに高いんだよね
強者男性は俺の中にあるルサンチマンを投影する為に程よく高い地位にいて欲しい
強者男性は俺が安心してマウントを取れるようにありえないレベルの池沼でいて欲しい
強者男性は俺の被害妄想を肯定する為に全力で俺を見下していて欲しい
強者男性は俺が戦っても勝てるように力に溺れた無能でいて欲しい
強者男性は俺の方が正しいと思える為に本当は俺以上のクズでいて欲しい
強者男性は俺の惨めさを押し付ける為に本当は俺以上の嫌われ者でいてほしい
強者男性は俺が道徳的優位を得られる為にほどよく俺を虐めて欲しい
強者男性俺が都合よく縁を切る為にちょうどいい感じで俺を追放してほしい
強者男性は俺が気持ちよくざまする為に出来るだけ無様に落ちぶれて欲しい
強者男性は俺がボコボコにした後も決して反撃出来ないでいて欲しい
強者男性は最終的には俺がいない所で一人で自滅して死んでほしい
この異常な接待の要求値と比べたら、弱者男性の想像するアニメやゲームキャラみたいな女なんて現実に結構いるんじゃねえのかとすら思えてしまう
もはやあいつら弱者男性が真に甘えてるのは女じゃなくて強者男性だとすら言ってもいい
になったらいいな。
ウイグル人ジェノサイドは21世紀のホロコースト、人類史に残る絶対悪、みたいな扱いになって欲しい。
僕はネトウヨくんじゃないので、世界の歴史学者が批判・検証を重ねて概ね同意している範囲の『南京大虐殺』の事実に、素人の分際で反論する蛮勇は無いです。はい。
でも戦後生まれで日中戦争での日本軍の悪行になぁぁぁんの責任も無い僕に対して、「南京!」と言えば道徳的優位に立てて何らかの譲歩や謝罪を勝ち取れると思ってる中国人や中国人を憑依させた日本人には何なのお前ら?ってなるし、絶滅させたくなる。
僕「そうですね、非戦闘員の殺害は戦争犯罪です。過去の日本の帝国主義は悪だと思います。ところで、ウイグル人強制収容所についてどう思われますか?」
バカ「西側メディアの捏造だ! 虐殺や収容所など無い! テロ対策のために職業訓練をしているだけだ!」
僕「wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww」
いやいやアイツら黙らせるのは無理だね。
理解ある彼くん現象とは、精神疾患や引きこもり等の女性が『女性の生きづらさ』『困窮した状況から立ち直った方法』をテーマに描いたコラムや漫画の中で『理解ある彼氏』が最終ページ辺りに唐突に登場し、男性パートナーの経済的・精神的な支えによっていきなりすべての問題がなんとかなってしまうというある意味デウス・エクス・マキナ的な超展開パターンがあまりにも多いため、皮肉や嫉妬を込めて『理解ある彼くん現象』とか『そ理彼(そんな私にも理解ある彼くんがいますの略)』などと言われるようになったネットスラングである。
逆に障害者や引きこもり男性の人生にこのような『理解ある彼女』が登場し経済的・精神的に支えられ人生におけるセーフティネットとして機能するケースはそ理彼に比べると極めて稀で(健常男性だったパートナーが結婚後に鬱病を発症したケースや数十年前の国民皆婚時代の話であれば例外的にないこともないが)、自由恋愛化した現代日本においての生まれながらの性的価値の差による男女の非対称性の象徴としてよく扱われている。
また、男性の自殺率などを持ち出し『男性と女性どちらが本当の弱者であるか』というテーマの議論でもよく議題に上がる内容だ。
ちなみにこれは『無能の世界』の男女の対比の話であって、例えばそこそこ良い大学を卒業していたりコミュニケーション能力が高かったりと男だろうと女だろうと現代社会で就業や恋愛や結婚に特に困ることのないような五体満足の男女とは全く別次元の社会問題であることは予め頭に入れておいてほしい。
解説するが、理解ある彼くんの正体とは『一応定職にはついているが健常者の女性に相手にされなかった冴えない非モテ男性』のことである。
恋愛競争に敗北したチー牛顔の彼らは『無職や障害者のメンヘラ女性を養う』という戦略を取ることでギリギリの境界で恋愛競争に振り落とされないように必死にしがみついているのだ。
男としての性的魅力は低いが『優しい』『メンヘラ相手でも面倒を見れる』『嫁を養えるレベルにはまともな経済力』という属性がたまたま彼女らのセーフティネットとしてマッチングし、双方の妥協と打算の歪な結果生まれたのがあの物語なのだ。
しかし、この構図は同時に、後世の男性に対する重大な加害行為ではないだろうか?
この漫画で描かれる多くの『性を売ることでしか生きていけない無能な女性』というのは、言い換えるともし彼女がたまたま男であれば生きていけない人間だったということだ。
この『性を売る』というのは売春行為だけでなく当然恋愛での優位性を利用して婚姻等の社会制度の中で『理解ある彼くんに面倒を見てもらう』ことも含まれる。
男性パートナーに依存して生きていくということは、大人として成熟していけば結婚、出産などのイベントからは多くの場合逃れられないだろう。
そして、精神疾患や発達障害などは高確率で子供に遺伝してしまう。
私が『理解ある彼くんに支えてもらいか弱い女性が幸せになったお話』を見たときに一番違和感を感じるのは、彼女らの間に生まれるかもしれない男の子、つまりは不幸の再生産による後世の男性に対する加害行為があまりにも見て見ぬ振りされすぎではないだろうか?という点だ。
生活や承認のために様々なものに目をつぶって『ただ女だから生きていけた無能な女性』が『男だというだけでは生きていけない無能な男性』をこの世界に生み出すことはあまりにも残酷ではないか?
生き方が多様化した現代社会、中には「私は理解ある彼くんと無能な女性の間に生まれた性的弱者の無能な男性であるが、それでも趣味や宗教に打ち込むことによって幸せな人生を送ることができた。」というような男性も、ミクロレベルにはいるのかもしれない、だがそんなレアケースが生まれることを期待して恋愛や生殖のような生物としての根源とも言える選択肢を生まれながらにして当人の意思とは関係なく奪われた弱者を生み出すことは果たして人道的であろうか?
Twitterなどで男女論で議論しているフェミニストやこのような論説に異を唱えているアカウントを追っていると、(勿論漫画化などされていない)暗数も含め『無能な女性が理解ある彼くんと結ばれることで不幸な人生を歩むであろう男の子を生産する』パターンはかなり多いように見える。
現代の発達障害者の男女の生涯未婚率などを比較すると、統計としてもより顕著になるだろう。
もしかすると、この歪な関係の男女の間に生まれてくるのが運良く女児である可能性もある、その場合、その娘は母親と同じように将来『理解ある彼くん』を生やすことで幸福や承認を掴むことは可能なのかもしれない。
しかし、結局は彼女らの子孫から男の子が生まれてしまうまで問題を先送りするだけのことだ。
弱い男性が恋愛や人間関係の中で淘汰され苦しまざるを得ない現代の構造は誰が悪いという話ではない。
それが自然の摂理、といえばそれまでだし、ほぼ全国民が見合い結婚をしていた数十年前の方が生物としてはおかしかったのかもしれない。
これは黒人の奴隷制や昭和時代の女性蔑視な法体制のように国家による責任でも、ましてや『彼らを選ばなかった女性』の責任でもないだろう。
国民に自由を与えた結果、たまたま彼らは選ばれなかっただけだ。
LGBTや黒人のように歴史的な道徳的優位性もなければ、彼らは被害者ですらないだろう。
しかし、そんな歴史の都合は本人達の苦しみとは何一つ関係ない。
100年前であれば、現代では考えられないような碌でなしの男ですら皆何も考えず結婚できていたのだろう。 労働者階級が農民中心の時代では、現代では無能扱いされる彼らも無能ではなかったのかもしれない。
もっと昔の狩猟時代であれば、生きることに必死でこんなことは考えすらしなかったのだろう。
たまたま時代と自己の存在がミスマッチしてしまった不幸な存在が現代の無能な男性なのである。
社会は自動化が進み労働環境は複雑化し続け、教育費は高騰。経済格差は今後も広がり続ける。
無能な社員を雇い続け海外からは『日本式経営』と揶揄される現代の終身雇用形態も合理性のもといつ終焉を迎えるのか誰にもわからない。
きっと無能男性に対して厳しい社会は今後も長い間続いていくのだろう。
社会が形を変え、自殺率や幸福度が更に悲惨な状態になり、無能な世界の男女格差がどれだけ広がっても、きっと彼らは被差別階級にすらなれないのだろう。
情報化によって無能な男がどんな惨めな末路を辿るのか、現代はこんなにもはっきりと知ることができてしまう。
今の世界は、無能な男が笑って胸を張って生きていけるほどまだ優しいものではない。
政治的な正しさなんて概念も、そこまで万能ではない。 『多様性』なんて甘い言葉にきっと苦しむ彼らの存在は含まれていない。
現代における政治的な正しさにおいては「どんな人間であれ恋愛や生殖の権利はあるし、か弱い彼女らがパートナーに救済され子供を持つことは何一つ間違っていない」という主張の方が圧倒的に正しいのだろう。
しかし、どんなに取り繕っても現代の自由経済・自由恋愛社会というものは性淘汰と優生思想の理のもとに機能していて、結局は彼女らの救済の物語とは性淘汰の苦しみを後世の男性にすべて押し付けているだけではないだろうか?
実の子供というのは親にとっては可愛いものだ。 それは多分、種としては出来損ないの息子であったとしてもだ。
理解ある彼くんと無能な女子との間に生まれてきた子供の存在意義を無理やりこじつけるとすれば、それはきっと弱い女性と冴えない男の人生に多少の彩りを与える愛玩動物なのであろう。
彼らの存在は、さしずめカップルが寂しさを紛らわすためにペットショップから貰ってきた去勢済みのポメラニアンと何も変わらないのだ。
悲しいことに、愛玩動物として生を全うするには人類は幾分賢すぎる。
もし今後このような物語を見たとき、少しでも思い出してほしい。
か弱い女性が『理解彼くん』に救われた明るい物語の陰には、その皺寄せにより生涯苦しみ抜かねばならない後世の男性がいるかもしれないことを。
俺のような貧乏人の精神障害者は日々の生活に汲々としていて、動物性のもんでも食ってないとやってられない。衣食足りて礼節を知る、ってのはよく言ったもんで、自分がロクな暮らししてねえのに鶏だの牛だののwell-beingなんかを考えてたまるかという気持ちがある。俺みたいな暮らしをしてるやつは似たような考えだろうと思う。
つまり、ヴィーガニズムをとなえてるような奴らは暮らしに余裕があるインテリの鼻もちならない金持ちばっかりだってことだ。ムカつく!
月収11万円の派遣労働者かつヴィーガン、ってやつももしかしたらいるかもしれないが、そいつは利他の精神に取り込まれたバケモンみたいなやつで、怖い。
動物を苦しめて飼った末に殺して食うなんて酷い・環境にも悪い、という主張の根本部分には反論できない。
自分よりいい暮らしができる稼ぎのやつらが、反論できない理屈を振りかざしているのをみると非常に気分が悪くなる。
毎晩毎晩、寝る前に死にたい、このまま朝目が覚めなかったらいいのにな、と思うような暮らしをしているか?
牛も苦しんでるかもしれないが、俺だって苦しんでいる。