はてなキーワード: 股間とは
ストーリーは高校生の主人公一人で遠く離れた東京の児童虐待に立ち向かわせたりと、
女性キャラクターに対する母性や自己犠牲の押し付けが最近の細田守映画の中でも特に酷いと言われて批判されてたよな
それって細田守の思想だけじゃなく、この人の女性蔑視の反映でもあるのかなと思った
この人、男性として女性と結婚し男性器を用いた性行為をして妊娠させておきながらいけしゃあしゃあと「自分は女だ」などと名乗るとは、あまりにも図々しく厚顔無恥だと思うんだけど。
本気で「心が女」ならば、どの面下げて股間のモノをおっ勃てて奥さんを孕ましたの?恥を知れよ
ていうか、この人、お子さんが『娘』だって、何を根拠に言っているんだろう?
もしかしたら性別違和があって自分は男の子だと感じているかもしれないのに。
でも女性に過剰な願望を投影している親だから、そんな事になったらお子さんを虐待しそうだな
女の子なんだから子供を産みなさい、母親になりなさい、って押し付けそう
『日本テレビ映画プロデューサーの谷生俊美、女性として生きると決めたパパだけどママになり、娘へ伝える思い』
「アニメ映画「竜とそばかすの姫」(2021年公開)などを手掛けた日本テレビの映画プロデューサーで、トランスジェンダーの谷生俊美さん(49)が、著書「パパだけど、ママになりました」(アスコム)を出版し、4年前に女の子の「パパ」となったことを明かしました。女性パートナーとの出会いや結婚、愛娘を囲む家族3人の暮らし、そして、男性に生まれながら「女性」として生きると決めた理由……。自らの半生を振り返り、つづった娘への「手紙」に込めた思いを、谷生さんに聞きました。」
医師に性同一性障害であると診断されていたので、性別適合手術をした上で戸籍を女性に変え、男性と結婚することも考えました。でも、あまりリアリティーをもってとらえることができませんでした。
実際、女性として婚活したら、どうなるんだろう――。そう考えたら、世界の見え方が180度転換するのを感じました。仮に女性だとして、40歳、未婚、国立大学大学院を出て、日本テレビに勤務。給料はこれくらい……、色々な条件を婚活市場にあてはめてみます。
そうすると、女性だと「バリキャリ」で「負け犬」と称されてしまうことに気づきました。同じ「スペック」でも、男性だったら「超優良物件」と言われるのに、です。まして、それがトランスジェンダー女性だとすると、客観的に見てめちゃくちゃ難しいと思わざるを得ませんでした。
あたしはてサ
しっとりぷりぷりを目指すの
金玉しゃぶりたい?
だぁーめ
あたしの金玉は安売りしていないの
金玉って素敵よね
こんな言葉知ってる?
金玉は君を裏切らない
金玉は君の流した涙の量を知っている
金玉は君だけに尽くしてくれる
素敵でしょう?
一匹残らず撃滅せねばなるまいと決心したのだった
それがあれば十分だ
ではどうすればいいか
どうすればいい
わからない
わからない
ウヨウヨしている
それなのに撃滅できない
はてサは考え
考え
考え抜いて
やがて
金玉になった
もはや
はてウも気にならない
金玉は
金玉だ
なにもいらない
そんなに嘘ばっかりついてると鼻が伸びるよって言ったら
鼻なんて伸びない伸びるのはムキムキちんぽだって答えて
ボロンっとちんぽを出すと
屋根を突き破り
ビルよりも高く
飛行機を貫き
空を超え
宇宙まで伸びていった
金を楽に稼ぐには体を売るしかないと答えたら
たまにマナーの悪い客がいても
すごい楽みんな大好き
と夜の蝶気取った発言をし始めた
やがてはてサは気に入った客にお持ち帰りされて
はてウ? なにそれ知らない
と答えたという
はてウが客としてつくことはなかった
イキイキと働いていた
修行の手配をしてやったら
パワーアップしようとしていた
ここに最強の幽霊を降ろしてもらえるように頼み込んだ
最強と言えば恐竜だろうと
はてサは大喜びだったが
はてサは両方の金玉に釘を刺しそれをワイヤーで繋いだものを振り回す
はてウは肛門を人類の限界まで拡張し全てを飲み込もうとしていた
勝負はすぐに終わった
はてサの勝ちかと思われたところで
ジャニーズの報道を見ると動悸が早くなって胃の中が全部逆流しそうになる。
その理由は単純で、自分の性的被害と人にしてしまった加害を同時に思い出して心臓が締め付けられるように痛くなるからだ。
被害者面だけしたいわけではないので、先に言ってしまうが、自分は性的加害者でもある。
相手は妹みたいにかわいがっていた2つ年下のいとこで、親戚同士のお泊まり会のときに寝ているところを触りに行った。
生々しい描画がしたいわけではないので詳細は省くが、直接触ろうとして下着を少し下げたところで目が覚めそうになったので、慌てて部屋から出ていった。
その時は自分の兄弟含め何人もの親戚が泊まる会だったのでおそらくは特定されることはなかったと思う。
その後もたまにあったりしたときはやはり兄妹みたいな関係でいられたので、そんなことを少しずつ忘れつつあった。
それから20年ほど会わない時間があったのだが、その子の父親が亡くなったという話を聞いて、葬儀に参加することになった。
その時自分はすでに結婚していて子供も二人生まれていた。結婚式はやらなかったので親戚にはハガキで報告を送った程度だった。
葬儀が終わってからも母と妹の話は終わらず、しんみりとした雰囲気の中でうちの子供達だけが騒いでいた。
すると、妹みたいだったいとこが子どもたちと遊びながらふとした瞬間に手を止めて泣き出してしまった。
どうしたのか聞いてみると、父親に自分の子供を見せられなかったことが悲しくなってしまったのだという。
その子の母親も、亡くなった夫に孫を見せてやれなかったことが本当に悔しいと一緒に泣き出した。
少し落ち着いてそういえば結婚はどうしたのか聞いてみたところ、「じつは、〇〇ちゃん(増田の名前)は大丈夫なんだけど、、、」という枕詞とともに自分が男性恐怖症であることをこちらに告げてきた。
はっきりとした理由は言わなかったけど、親戚を含めて自分以外の男性が怖いのだという。
今回の葬儀についても遠回りに自分以外の男のいとこは参列を断っていたという。
その瞬間、それまで忘れていた自分がしてしまったことがフラッシュバックのように思い出された。
それはつまり、自分が性的加害をその子にしてしまったことが原因で男性恐怖症になり、今日の今日まで苦しみ続けていたということではないか。
いとこが泣いているのも、母親が泣いているのも、全部自分のせいではないか。
それなのに加害者である自分だけが許されているとはなんておかしな状況なのか。
今頃あの世ですべてを知ったこの子の父親が、どんな形相でこちらを見ているのかを想像しただけで背筋が凍る思いだった。
すべてを白状して懺悔したい気持ちが、自分だけは信じつづけてきたこの子に真実を突きつけてしまう残酷さに負けてしまった。
保身と言われればそれまでだが、真実を知ってしまうことが今更傷を深くえぐり返してしまうことのように思えてできなかった。
自分が性的被害にあったのは小学校5年生のときに、民間のキャンプ体験合宿に参加したときのことだった。
インドアな自分に対して、仕事で忙しかった親が夏休みに無理やり参加させたもので、同年代の子供10人くらいが、30歳くらいの優しい男性インストラクターに色々と教わりながら自然を体感する教室だった。
悪いことをしなければ怒らることもなく、みんなで料理を作ったり自然に囲まれたテントで眠るということ自体が新鮮で楽しい経験だった。
2日目の夜、尿意を感じて夜中にふと目が覚めると隣にインストラクターが横たわっていた。
自分が何をされていたのかの自覚はなく、なんとなく嫌だなと思いながらも「トイレに行きます」といってその場を離れた。
戻ってきたときにはすでにインストラクターはその場にはいなかった。
今にしてみれば思い出すだけで背筋がぞわっとするほどの嫌悪感がある。
ただ、そのことは自分にとって歪な形での性の目覚めとなった。
一つは尿意によるものか快感によるものかわからないながら、勃起してしまった自分への戸惑いが強く残ることになった。
同性愛者を差別するつもりはないが、自らが同性に対して性的な何かを感じることに猛烈な嫌悪感と恐怖を覚えるようになってしまった。
今に至るまで、男性恐怖症(男性過敏症)は解決されないままでいる。
もう一つは、性的欲求の解決手段として、「寝ている相手を触る」という行為が強烈に印象付けられてしまった。
あの瞬間に印象づいたわけではなく、思い返し疑問を反芻している間に塗り重ねられるように刻まれていったのだと思う。
それは自他ともに認めることで、それが恋愛感情であるのか、兄妹間による愛情であるのか、長女であるいとこにも、末っ子である自分にも分からなかった。
相手がどうかはわからないが、小学生くらいまでの間のことでありながらも自分には命と同じくらいに大切な存在だった。
それが一切の言い訳にならないどころか、それなのにどうしてそんなことをしてしまったのか自分でもわかっていないというのが正直なところだ。
全ては想像力の欠如であったのだと思う。
好奇心に負けてしまったというよりは、たまたまできる環境が揃ってしまったところに、されたことがある人間がいただけのことなのだと思うしかなかった。
ただ、本当に、本当に今では後悔しかない。
ジャニーズの報道を見るたびに、そのことが思い出されて心臓が締め付けられる思いがする。
自分への性被害がなければいとこへの性被害がなかったかどうかはわからない。
そればかりは本当にたらればで、だからそのことについて性的加害者を責めるつもりはない。
それどころか、もし自分への加害がなかったらという思いが持ち上がろうとすると同時に、そんなものが相手への加害の言い訳になるわけがないという鉄槌が下るのだ。
加害者なのだから苦しんで当然という言葉が、いつでも自分を苦しませてくる。
それを当然のことと受け入れなくてはならない苦しみから逃げることはできない。
学生時代、同級生との関係をうまく築くことができずに孤立してしまったし、未だにゲイやホモセクシャルに対する直感的な嫌悪感を払拭できないままでいる。
思春期を迎えて、されたことに対する意味が理解できるようになればなるほどその考えは強くなった。
そんなことさえ、いとこのことを男性恐怖症に陥らせておいて言えることではない。
わたしの被害は、自らの加害によって全てが甘じて受け入れざるを得ないものへと変わってしまった。
断じていうが、それ以降自らが痴漢行為に手を染めるようなことはない。
される側の辛さを知っているつもりだし、それによって人生がどのように狂ってしまうのかも知っているつもりだ。
そんなことを考えているときでさえ、狂わせた側としての責任という鉄槌が脳天に振り下ろされ続けている。
ジャニーズの報道を目にする度に、自らの責任によって脳天への鉄槌が繰り返され続けている。
報道を止めてほしいわけではない。
ただ、被害者数百人という数字を巨悪を叩くだけのエンタメで消費しないでほしい。
その上で理解してほしいことは、ジャニーズの最も醜悪な点として被害者を共犯関係にさせている点にある。
ただ単純に、一人の大人から数百人の児童が被害を受けていたと言うだけの話ではないのだ。
彼らは「アイドルとして成功したい」という正義のもとに、黙認や通過儀礼という解釈による加害の助長を担わされていた。
それが分別のつかない年端も行かぬ年齢の頃から組み込まれるように作られていたと考えれば、その仕組みのあり方がどれほどおぞましいものかわかってくると思う。
大人であれば立ち止まれたものであり、大人になれば後悔するようなことを、信じてる大人にやらされていたのだ。
そのことが今まで被害を表沙汰にしなかったし、ジャニー喜多川氏はそれを理解した上で、分別のつかない年齢の子供だけを集め続けてきたのだろう。
金に目がくらんだ親さえも巻き込んで。
それはもう端的に言って地獄だ。
どれだけ表向きに眩しいエンターテイメントを演じていても、その土台に埋もれているものが地獄すぎる。
今回の一件が巨悪を叩くエンタメで終わってしまえば、さらなる地獄が地層として積み重なるだけになってしまう。
そんな地獄が地獄を生む呪いの連鎖を断ち切るためには、一つ一つのケースと向かい合い、絡まりあった被害と加害を解いていく必要がある。
少なくとも、今のままただ単に巨悪を叩けば叩くほど、少しでも加害に手を貸してしまった被害者の心の傷さえもえぐっていくことを理解してほしい。
もちろんそれがあなたにとっての正義だというならば好きにすればいい。