はてなキーワード: 理解力とは
元の増田だけど「賢い=分かる人」とは私は規定していないので、ご批判はとんだ藁人形です。私は「本当に答えを求めている人」に向けて書いたと書きました。大衆であるとかないとかは、残念ながら的外れな話です。
ああいう書き方をした理由は、これも元の文章中にありますが、最初の増田の「何なの」という、嘲笑とも質問ともとれる定型句が、嘲笑にマジレスすれば論点ずらし、質問に答えていなければ「答えていない」という批判を行うことができる厄介な言い方だったからです。
そのため、一見したところは嘲笑に対して罵倒で返すように仕立てながら、全体としてはフェミニズム「的」視点で語ることで、フェミニズム的立場の論者の目指しているところ、伝えようとしているところ、そして現在フェミニズムに反感をお持ちの方々とのズレを、特に高度な知識や理解力を求めたり、あるいは本や論文を読めと言ったりすることもなく説明しました。もし相手が本当に答えを求めているということなら、そして、特別な能力をもたない人に対しても分かるように語れということなら、私の回答は充分その任を果たしていると思います。
格ゲーってシステムがゲーム毎に違ってもルールは一緒で「○秒間で相手の体力を減らせ」以外ないじゃん。
でも、FPSはシステムはほとんど同じでルールが違うから全く違うゲームやってる気分になってくる。
だから新規参入した時に敗北したやつはFPSならルール理解力が進んだりセオリーを学んだりするけど、格ゲーは基本的に「なんか体力0にされた(圧倒的に負けた)」=「まただ!」「このゲームでもだ!」=「俺は格ゲーが下手くそなんだ!」という気持ちしかわかないからハードル高くみえるんじゃないかと思った。
つまり、スマブラみたいに「4人対戦でふっとばしたら勝ち」みたいなのを他の格ゲーメーカーも開発し、格闘ゲームのルールが増えれば盛り上がりそう。
仕事の説明を受けているとき、話が急に飛ぶということに必要以上にイライラしてしまう。
例えばAとBふたつの話があったとしたら「AとBふたつの話があります。まずAの方から説明しますね」ってAの説明されたあと「じゃあBのほうの話をしますね」っていうかんじでしてほしい。
社内でよくされるのは前振りなしに「Aというのは〇〇で××だから~」ってはじまってシームレスにBの話に移動するパターン。それがすごくストレス。自分は読解力はあるけど口頭で聞くときの理解力がない方なのか、ものすごく「??」ってなる。途中で気が付いて「AとBという話があって、今Aの説明してくれてるんですよね?」って確認して、ようやく現状が判明する。
上司から「〇〇の値と△△の合計値を足して、前日の〇〇の値を引いてあげた数を、□□でさらに引いて□□にすり替えといて」といわれてマニュアルを渡された。
概要と目的は理解しているものの、計算手順にさっぱり頭がついていかず、疑問すらわかない。わからないところすらわからないというのが適切だろうか。
「わからなかったら後日俺が処理しておくから」と言われたので、その旨を承知してマニュアルを読んだ。
理解力は遅いものの、口頭説明じゃ100中1ぐらいしか理解できなかったものが95ぐらいの理解が出来た。
今思うと学生時代から板書にいっぱいいっぱいで口頭説明が頭に全く入らず、理解したつもりで盛大に勘違いしていたりすることが取り分け多かったので、頭が悪いだけなのかもしれない。
上司から「〇〇の値と△△の合計値を足して、前日の〇〇の値を引いてあげた数を、□□でさらに引いて□□にすり替えといて」といわれてマニュアルを渡された。
概要と目的は理解しているものの、計算手順にさっぱり頭がついていかず、疑問すらわかない。わからないところすらわからないというのが適切だろうか。
「わからなかったら後日俺が処理しておくから」と言われたので、その旨を承知してマニュアルを読んだ。
理解力は遅いものの、口頭説明じゃ100中1ぐらいしか理解できなかったものが95ぐらいの理解が出来た。
今思うと学生時代から板書にいっぱいいっぱいで口頭説明が頭に全く入らず、理解したつもりで盛大に勘違いしていたりすることが取り分け多かったので、頭が悪いだけなのかもしれない。
東京高裁の岡口基一裁判官について最高裁が戒告の分限処分を下したことについて,法曹界隈からは岡口氏を擁護する言説ばかり喧伝されているので若干のコメントを。
彼の擁護者らは,裁判官自身の表現の自由無くして市民の表現の自由を守れるのか云々などといった声を上げる者がいるけれども,もしかかる主張が,裁判官の特殊な地位に鑑みて裁判官の私的な表現の自由は一般市民のそれよりも強く保障されなければならない,という意味だとすれば,全くの失当である。裁判官の表現行為について,憲法の保障する表現の自由によって保護されるべきであることは言うまでもないが,裁判官はその職責上,品位を保持し国民の信頼を得ることが何よりも求められており,その職責の点から私的行為についても一定の節度あるいは限度があるというべきであり,その意味では,裁判官の身分との関係では裁判官の私的表現の自由は一般市民のそれよりも制約されると解さなければならない。
要するに,表現の自由と言ったところで,およそどのような表現を行うことも自由であるかというと,そんなことはない。
たとえばもし仮に,現役裁判官が,Web版週刊ポストの「都内の人気公立小学校 小渕優子の息子のクラスで学級崩壊」という記事のリンクとともに,
小渕優子の息子が一番暴れてたりして(^_^)
http://www.news-postseven.com/archives/20180309_658021.html …
とTwitterに投稿したと想像してみてほしい。上記のツイートは,公人でもない一人の児童について,それが政治家の子であるというだけで,個人を特定して揶揄するものであり,憲法が禁止する門地に基づく差別表現である。仮にこのようなツイートを現役裁判官が投稿したならば,裁判官の人権感覚ひいては司法制度に対する国民の信頼が害される。これが戒告で済めばむしろ軽いくらいである。
このように,裁判官のツイートには一定の節度と限界がある。彼の支持者らは,この前提から争うような主張を繰り返すのであるが,全くの失当である。
以上を前提に検討するに,本件で問題とされたツイートは下記の通り。
公園に放置されていた犬を保護し育てていたら,3か月くらい経って,もとの飼い主が名乗り出てきて,「返して下さい」
え?あなた?この犬を捨てたんでしょ? 3か月も放置しておきながら・・
裁判の結果は・・
通常の理解力を有する一般人が上記ツイートを見たときに,「岡口氏は原告の請求が不当だと思っているな」という感想を抱く者が,10人中1人もいないと,言えるであろうか。
岡口氏は,上記のツイートは単に両当事者の主張を要約したに過ぎない,リンク先に対する予告編でありリンク先を読めば原告勝訴とわかる,すぐに消したから問題ない,自分は裁判官であるとは明示していない,等と反論している。
しかし,原告の主張については「返して下さい」と鉤括弧を付けているのに対し,岡口氏が言うところの「被告の主張」には鉤括弧がなく,むしろ情感を込めた独自の表現になっている。
(鉤括弧がなくても自身の見解ではない,との言い訳をするためであろうか,岡口氏はしばしば,彼の好みに適う他人の表現を,引用であることを明示せずにTwitterやFacebookに投稿する。)
このツイートを見たときに,「え?あなた?この犬を捨てたんでしょ? 3か月も放置しておきながら・・」という表現が岡口氏の意見であるとの印象を持つ人がいたとしよう。岡口氏や彼の支持者らは,そのような理解をした人は知能が劣るかあるいは精神異常者であると言うのだろうか。
もしそうでないとすれば,上記のツイートは,相当数の一般市民に対して「高裁の裁判官から見ておかしな主張をする原告がいる」との印象を与えるものであることを認めなければならない。リンク先まで読めば,高裁判事である岡口氏が地裁判決をも批判しているとの印象を抱くであろう。
本件ツイートの上記欠陥は,岡口氏やその支持者が大量の紙幅を費やして弁明したからといって治癒されるものではない。むしろ説明に大量の紙幅を要していること自体が,本件ツイートの欠陥を如実に示している。
そして,一般人のツイッター閲覧・利用方法を前提とした評価は,ツイートのスクリーンショットのみから判断可能できるから,最高裁としては,それ以上の事実関係に関する資料の提出を求めて審理を継続する必要は無いであろう。なお,分限裁判の性質上,職権探知主義が妥当するものと思われるが,岡口氏の本件に関する近時の言動や,情状資料としてのその他の事情を収集されなかったのは,むしろ幸運ですらある。たとえば岡口氏がChange.orgでの署名集めを試みたがごときは,あたかも裁判官が署名の証拠価値を高く評価するかのごとく受け取られかねない(署名は基本的に多数決原理であって,司法と相容れない)。署名が目標数である100人に達せず,証拠提出しなかったのは,国民の司法に対する誤解が未然に防がれた点で幸運であった。
なお彼の支持者らは,本件の分限裁判の結論をもって裁判官の表現活動が萎縮する等と声高に叫ぶ。
しかし,そのような宣伝活動はあたかも本件分限裁判が裁判官の表現活動を厳しく制限したかの如き誤解を広めるものであって,却って裁判官の表現活動を萎縮させること大である。
5 ちなみに,現役裁判官が,ツイッターにせよ何にせよ,SNSその他の表現手段によってその思うところを表現することは,憲法の保障する表現の自由によって保護されるべきであることは,いうまでもない。しかしながら,裁判官はその職責上,品位を保持し,裁判については公正中立の立場で臨むことなどによって,国民の信頼を得ることが何よりも求められている。本件のように,裁判官であることが広く知られている状況の下で表現行為を行う場合には,そのような国民の信頼を損なうものとならないよう,その内容,表現の選択において,取り分け自己を律するべきであると考える。
そして,そのような意味での一定の節度あるいは限度というものはあるものの,裁判官も,一国民として自由な表現を行うということ自体は制限されていないのであるから,本件のような事例によって一国民としての裁判官の発信が無用に萎縮することのないように,念のため申し添える次第である,
言葉足らずな同僚が居る。仕事上ほとんど関わりが無く、そこまで仲良くない。
本当に知り合い程度の仲だ。
そして、俺はそいつから「理解力が不足している」と指摘を受けた。
会社に来て、同僚が数ヶ月ぶりに声をかけてきた。
同僚『今日、どう?』
「え?何の話?」って思うのも当然だと思う。
久々に話しかけに来て、いきなり「今日、どう?」って言われても「何が?」って感じだった。
でも、「今日どうか」という話をするのであれば、基本的に飲みや2人で何かしたいという事だろうと判断し
「仕事終わりに時間が取れるかって話か?」『いや今日のお前の仕事の進捗だけど』
その後、『お前は理解力がなさすぎる。他のやつなら分かる』と怒られた。
まぁ、勝手に脳内補足したのは悪いと思う。だが、何故怒られなきゃいけないんだ?
あと、進捗について話したら『ふーん』で終わりやがった。何が聞きたかったんだコイツ。
そういえば以前も似たようなことがあった。
その時も『今日、どう?』だった気がする。ともかく「なにが?」が抜けてるんだよな。
当時は俺と同僚同じような仕事をしていたから、「○×っていう仕事が意外と厳しい」っていう話をしたら
『いや、飲みにいかねーかって話だが』と言われた。
その時に「最初に今日、飲みに行かね?で良いだろ!」と言った気がするが、「お前が悪い」の一点張りだった。
いーや、マジで面倒くせぇんだけど
これ俺が悪いの?
読解力というものが年々弱くなっている感じがしている。(感じがしているだけだと思ってる。そう信じたい)
というのは、先日あった話から始まる。
うちの会社は別の会社が同じフロアにあって、空調も同じものを使っている。
片方が寒くて、片方が暑く感じることも少なくないんだけど、
お隣の人と雑談する機会があって、たまたま空調の話になったので聞いてみると、最近寒いかなーって話だった。
そんな話があったから、空調を管理している所に時間帯によって変更ができるか問い合わせることにした。
メールでの問い合わせ対応だったので、メールは下記のように書いた。
うちの担当もそうなんですが、隣の部屋の方たちも寒そうな様子です。
指定した時間の間は、うちも寒いと言っているのがいるけど、隣の部屋の方が寒そう様子なので室温をあげられますか?
これだけの事なので当然回答は「上げられるか」「上げられないか」だけの回答になるのだけど、
その歪曲した理解の内容はこんな内容。
【隣の会社宛に送られた内容】
上の文は、原文そのまんま。
どこをどうするとここまで歪むのかがわからない。
これが読解力がないんだなと思った原因。
寒いという話については、そもそもクレームで出た話ではないし、そういう話題で雑談した程度なわけだけど、
当然、これは管理する側は知らない内容。そして管理する側は聞いてない内容。
なので、メールを読んだ人だけが知っている内容は【寒そうな様子】という言葉なんだけど、
ここで読解力が欠けているというのが、よくわかるのが【様子】という言葉の意味を理解できていないという所。
別に【様子】なんて書かなくたって「寒そうでした」って書いたとしても、クレームを言っているなんてところまで話は飛んだりしない。
どちらも相手が言ったのではなくて「そのように見えた」という意味なのだから、なぜクレームになったと考えるのだろうかと。
元々、空調管理側は以前から会話もろくに成立しないと思っていたが、ここまで酷いとは思わなかった。
まさかね、メールで文字に起こしても駄目だとは思わなかったわけなんだけど、
今回のような歪曲するだけの読解力の持ち主がいるというのは、今後も怖いし日常でも出会うのが怖い。
今回の件で一番大変だったのは、勝手にクレームと置き換えて相手の会社に特攻した空調管理担当が居て
事を大きくした上に、修復が難しい溝を作ってドヤ顔している所(本人はまるでわかってない)
この件に関しての誤解と本来送っていたメール内容を見せて、事は一応治まったが一度嫌な思いをすれば、それを割り切れるかっていうとなかなか割り切れない人もいる。
今後は、小学生並の文章にして何度も何度も言い聞かせないといけないのかと考えると、
増田でも見かけるが理解しないままで歪曲して批判している増田も見かける。
そういう増田がいるくらいだから、日常でも今回の空調管理側ぐらいの残念な人もいるのは当たり前といえば当たり前なのだろうな。
酷いこと言われても「お、おう、わ、わかった」←わかってない
助けてもらっても「お、おう、わ、わかった」←わかってない
嫌味言われても「お、おう、わ、わかった」←わかってない
質問されても「お、おう、わ、わかった」←わかってない
あれだわ。感情の動きがどうのじゃなくて単に理解力が無いだけだわ。理解力ってどうやったら身につくの。
周りのみんなの会話は目まぐるしい。感想を抱く前に次の話題になってしまう。
そして家に帰ってから
「ああああお礼言えばよかったー!」とか「よく考えたら理不尽なことで怒られてるー!」とか「嫌味言われてたのかあああ」とか「質問と回答がずれてたあああ」とかでうわあああってなる。
みんな速いよ。どうしてあんなに速いの。