はてなキーワード: 法則とは
自分が譲れない条件(お金や職業安定性や外見的優位さ)を選んだことによって
結婚生活の維持で最も必要になる部分(相手への寛容さ、精神的な安定性、子育てへの志向、経済観念、価値観のマッチング)を選ばない
という選択をしたんだろう
いわゆる男らしさや格好良さ、リーダシップやそれに伴う経済的な優位性というのは
共感性のなさや攻撃性(広義の攻撃性ということにしておく≒自己主張性)がベースになるところがある
自分の遺伝子をばら撒くという方略を持つオス個体にとって、メス個体を上手く騙して自分の遺伝子を残すことが至上命題になる
進化を経るごとに、そうしたタダ乗り志向のオス個体はメス個体を騙す技能をどんどん先鋭化させ、それに対抗するようにメス個体は騙されないように進化していく
タダ乗り個体の遺伝子は、それ単体ではメス個体側の資源(資産や、メス個体の近親者=子育て協力者)に頼ることしかできない
つまり、俗な言い方で言えばヒモなので、生産性がない=経済力がない=養育能力がない
なので、通常はそうしたタダ乗り個体の遺伝子は育たないため、遺伝子としては少数派になる
しかし、福祉国家である日本(あるいは現代世界)においては事情が違う
人権や公共の利益追求という名の弱者救済によって、そうした生産性のない個体でも生き残れるようになった
かくて、タダ乗り個体、すなわちメス個体を上手く騙してコントロールすることに特化した「幼稚な夫」が結婚して子供を産ませることに成功する
そして、メス個体への訴求力こそない代わりに、知的・経済的・性格的に安定した、いわゆる「理解のある彼君」が托卵されるわけである
ここに、システムとしての綺麗な循環がある
あらゆる個体がそれぞれに任じられた役割を全うし、種としての繁栄と存続の礎となる
そこに、個々人の不幸や嘆きは勘定されない
産めよ、増えよ、地に満ちよ。
あらゆる地の獣、あらゆる空の鳥、あらゆる地を這うもの、あらゆる海の魚はあなたがたを恐れ、おののき、あなたがたの手に委ねられる。
命のある動き回るものはすべて、あなたがたの食物となる。あなたがたに与えた青草と同じように、私はこれらすべてをあなたがたに与えた。
本当に頭が悪いな
昨日は14名死者が出ているし、単なる感染者数と相関しないのはメディア(と元情報を発信する役所の保健部署)も分かっていて、年齢別のデータを出しているわけじゃん
高齢者の割合が少ない!と騒いでるが、感染者数が激増したことによって高齢者だけで見ても実数ではほぼ12月初旬の感染者数に近づいており、そういう中で死者数や重症者数が増えてるのは明白
一つ問いたい。
率直に、今でも朝日新聞、読売新聞、日経新聞など新聞紙1紙のみ、1テレビ局のみから情報を得ていると言う人はいるだろうか?
例えば私であれば、テレビは持ってないから見ないし、同一ニュースは参照できるなら海外のニュースソースも参考にする事が普通になった。
多くの人も朝日新聞だけ、読売新聞だけって情報の受け取り方をしてないだろうと推測する。自分の周りには、自覚的に複数ソースを見る人が多い。
私も自覚してそうしているけれど、その理由は「メディアは嘘をつくし、真実を書かない事もあるし、客観性と言う点では信頼に値しない」と感じているから。
時事通信、共同通信などは、速報性は認めても、事実は後で複数のソースから確認すべき存在としか思えないほどだ。
とは言え、ニュースを伝えるメディアが全く必要ない訳でもないし、多くの情報を集めることは1個人で出来る事ではない以上は、その存在には価値はある。
ただ、自社あるいは記者が都合がいいように曲げた情報を乗せるという前提でしか受け取ってないので海外ソースとも比較は避けられないというだけだ。
特定の報道機関のみを信じてますって人は、もう希少種なのでは?と思うがどうだろう。
自分よりは年配の方はもっと前からそうかもしれないが、自分にとってはこの10年ほどでその傾向は強くなった。
何故か?近いところで例を挙げてみると、コロナウイルス感染者数に関する報道がある。
感染者数の増減が一つの重要な指標であるには違いないが、それ以上に重要なのは、重症者の数、死者の数だ。
しかも、感染者数と重症者数は必ずしも一定の法則で比例する訳でもない。
現に、4000人の感染者がいても現在は死者数名だが、1月ごろは2000人の感染者でも20名から死者がいた。
この間の差はワクチンの接種が、高齢者に対して進んだことで生まれたのは明白だ。コロナ対策は確実に決定的な効果を生んでいる。
このように、何を伝えるかで国民の多くの感じ方を操作できるのは明白だ。コロナ対策関連では、報道の恣意的な姿勢の例は枚挙にいとまがないく、もう全く信頼できない。
今、警戒感と自粛意識を薄くすることは危険なので、特に感染者数にフィーチャーして報道を行うことは理解できる。恐怖で自粛を選ばせる事は全体の利益に繋がる。
だが、一部の報道機関は、この感染者数の増加を一方では死者数が減っているし致命的な結果を招く割合は下がり続けているという状況を伝えることなく、人々の恐怖感を政治的に利用している。
情報を制限し耳目を塞いで起きながら、恐怖をあおり、その恐怖の矛先を自らが望む方向へとむける論調でいる事が、私が報道機関を信じがたくなる理由だ。
コロナに関しては興味も、情報取得に割く労力も高いから、矛盾や嘘に気付けるが、他の興味が薄い案件であれば、私も騙されてしまう事があるかもしれない。
そう考えた時、複数の報道機関の、必要であれば海外ソースをも見て、それぞれに深度に差がある角度付の報道を見る必要を感じることになる。そうでなければ、矛盾に気付くことができない。
良い報道とは
こういう事だと考えるが、限りなくこれに近い事が出来ているのは、現状ではNHKだけだろう。
世の中の事ってのは、何か一つだけを見ていればいい程簡単ではないし、様々な情報を意図的に我々が取得するべきだ。
恣意的に角度をつけて誘導しようとする報道にNGを突き付けて、必要な情報を多角的に取得して、論理的に帰結を考え、合理的な判断を下す事を多くの国民が出来れば
報道機関の側で変わらざるを得なくなるだろう。いいように操れて多額の利益を得られてしまっている間は、報道機関に変わることを期待するのは難しい。
アフターコロナの世界で、メディアを改めて査定すべきだろうと強く思う。だが、同時に我々は自分たちについて考えるべきだ。
報道機関を信頼出来ないという事実は、翻ってみれば、我々自身のお互いの知的能力を信頼出来ないという事でもあると思う。
国民が変わっていくためには、やはり大事なのは教育だ。もっと家庭での教育、学校での教育を改善していくべきだなと感じる。結局は、そこに帰ってくる。
手相占いは因果関係は分からないけどとりあえず見出されてる相関関係を予知のための法則として受け入れる。
つまり東洋医学みたいなのかな。漢方が科学的にどう作用するのか説明できないけど医学界でそれなりの権威がある。
でも手相占いは学問ではなく単なるオカルトとされてる。なんでだろう。因果関係を重視するなら東洋医学もオカルトでしかないでしょ。
どう言えば分かって貰えるのだろうか……。
そもそも論として「障害者の社会的立場について語ることを、貴方の承認欲求や宣伝に利用することは、障害者にとっては迷惑でしかないですよ」というのを語るべきなのだろうか?
分からない。
図が必要だ。
多くの人間が自分のメガネでしか世界を見ていないことをまず説明しなければ。
「男の犯罪者が出てきたのを論拠に男は犯罪者であるかのように語るべきではない。つまり、犯罪者として漫画作品に男性を出すべきではない」といった論調そのものではないかということを理解してもらうにはどうすればいいのだ。
いや、本気でコレを正しいと思っている人がいるのかも知れない。
だが待ってくれ、それは結局異形であることが社会の敵であることに結びつくというエレファントマン的な問題を孕むではないか。
問題の始まりは「特定の事例を持って、それがこの世界における特定の法則の証明と即座に結びつけるような短絡的な思考を辞めるべきだ」という所ではないのか?
そういった考え方を植え付けてくるような真似を世の中の多くの創作物はやっておらず、やっているものがあるとしたらマスメディアや教育者のたぐいであるように思える。
マスメディアが「こういった傾向がある人達は、こういった行動をしますよね」と血液型占いの延長のような態度で様々なステレオタイプ論を量産していったことがまず背景にあり、創作物や雑談の中に出てくるような人物像に対して、それが肉付けされたと勝手に感じているだけなのではないか?
つまるところステレオタイプというものは肉付けとなるものを自動的に収集する機能を持った骨子なのだ。
そして、その肉にされてしまうものの意図などその骨子自体が持つ吸着力の前では無力となるのであろう。
だが外側から見れば、既に骨子が寄せ集めた肉の上にまた新たな肉が自分から覆い被さる用に見えてしまうのだ。
そういった誤解を招くような巧妙な仕組みが、ステレオタイプ論の中にあることが問題だったのだ。
敵はマスメディアにあり。
読めば絶対ハマるからと一冊プレゼントされたのだが、正直面白さは欠片も分からなかった
感想を聞かれたから「よく分からなかった」とだけ答えたのだが、これがまずかった
お前はヒーローの良さが分かってないと延々三時間の説教が始まる
バットマンの尋問を受けてるジョーカーってこんな感じなのかなと心を無にして、アメコミ教に入信させるまで帰らないのだろうかと考えていたら殴られた
「バットマンもスパイダーマンもストーリーライン変わらない。新装版ばかり出して一度もストーリーを完結させたことがない。なろう小説と大差ない。」
「てめぇなんがドラム缶に詰めて魚のエサにしてやる」とアメコミヴィランみたいなセリフを吐いて逃げ帰った。
それ以降半年は連絡もきてないから多分大丈夫だと思うが、アメコミ読むとあのように暴力的にならないといけない法則でもあるのか?
どうしたらいい?
まるで老人の尿もれのように、予測不能絶対不可避にジョボボビッチ。
水を使った直後にジョボルのならば理解可能それはパッキンの死。
我が家の暴れん坊は一味違う。
かれこれ1時間はひねっていないはずの蛇口から唐突にジョボボボ。
さっきまで一滴のお漏らしもなかったアイツが突然ジョボボをジョボらせる。
亡霊のジョボボ、どこに潜むのか。
パッキンの劣化で終わるのか。
はたまた浄水器が壊れたのか。
いやそれはない。
浄水器が壊れただけなら固く閉じられた蛇口から無制限にジョボれるはずがない。
何が起きている?
だが待ってくれ水道屋を呼んでも結局何もなかったら俺の2万円は虚無へと消える。
逃げ切ろう。
どうせあと3年もいればまた転勤だ。
転勤のその日まで逃げ切るのだ。
1日にコップ1杯分ジョボボるのだとしてせいぜい一月で風呂一回分もないだろう。
となれば100円もしない。
年に1000円程度。
3年で3000円。
俺は負けない。