はてなキーワード: 中二病とは
自分をゲームのキャラクタと考えれば、予め能力値とかパラメータが決まっているのだから、
何か絶対的基準で他人と比較しても意味なくね、って中学時代の(中二病的な)発想を突然思い出した。
社会からの期待のような絶対的基準を内面化するのは、モチベーション高まるという意味ではOKなんだけど、
一方で極論だけど、どんだけ色々もがいたところで、所詮は他人は他人、自分は自分ってのはどうしようもないことなんだよな。
ほんと中二病なんだけど、社会に出て揉まれていくと若いころに考えていた他人は他人、自分は自分という事実が
どうも何かそこまで軽視できるほどつまらないものではない気がしてきたんだよ。
なんだろ。一人ひとり顔が違うように、一人ひとり能力も違うし、環境や運のような外部条件も結構違う。
まあ、それでも何とか絶対的基準に沿うようにやっていくしかないんだけど、
それでも心のどっかに他人は他人、自分は自分、どこまでいっても同じにはなれない
って当たり前すぎて小学生にも嗤われるような事実を把握しておかないと、
他人と同じになれない自分に絶望して、魂を無駄にすり減らすような生き方することになるんだろうな、と。
便宜上、俺らは人間同士を比較するけど、それはあくまで便宜上であって、
そういう比較しようもないものを比較する何かをあんまり内面化して苦しんでいる必要もないんだな、と
どういうわけか妙に心が軽くなった。
多重人格というのは中二病を刺激するらしく、自称多重人格というのも結構いるらしい。彼女の場合は出来るだけ隠そうとしていたし、他の人格も俺が接触するまでは話そうとしなかった。精神的にノーマルじゃない事で、嫌われたり変わり者扱いされるの事を嫌がっていた。気持ち悪いと思われるんじゃないかと言っていた。俺の方はというと、これを聞いたからといって気味が悪いなどと思うよりもむしろ好奇心が勝っていた。昔ドキュメンタリーで見た事ある、多重人格というやつ、どんなものかもっと知りたい。もしかしたら他の人格とも付き合えるかもしれないという平和な事も考えていた。結局は他の人格ともエッチしたりする仲になるのだが。
彼女は所謂メンヘラでもあって、手首には無数のリスカ跡があった。つらいことがあった時、消えてしまいたい、自分なんかいなくなればいいのにと思った時に自分の血を見ると落ち着くらしい。過去に俺の眼の前でカッターで手首を切ろうとしたかまってちゃんはいたが、リスカ跡を見たのは初めてだったので最初は衝撃的だったし、手首を切るのは辞めるように説得をした。ただ強要するのは余計ストレスになって「自分はダメな子だ、いらない子だ、手首切ろう」となってしまうようなので、なるべく落ち着くように「つらい時は話を聞くから、切るのもしょうがないけど、なるべく減らしていこうね、傷も浅いうちにやめようね」と諭すようになった。俺と付き合うようになってほぼ毎晩Skypeで会話していたし、気持ち的に落ち着くことが多くなってリスカの回数はだいぶ減ったようだった。
別の人格が元彼と話をしていると言っても、気持ち的に納得できない俺は、その人格と話をさせて欲しいと要求した。彼女はミユキと名乗った。少し話してみたが、確かにチカとは雰囲気も大分違うし、なにより俺に全く心を開いていなかった。「僕は大人の男の人は嫌いだから」彼女はボクっ娘だったのだ。という事は置いといて、事あるごとにミユキは俺を好きじゃない、信用しないと言った。そして話の中で、さらに別の人格ナツの話が出てきた。
「他にも人格がいるの?」
「ごめん聞かなかった事にして、チヒロがテンさんに知られる事を嫌がってるから」
「チヒロ?」
「チカの普段の人格の事。僕らはチヒロって呼んでる。でも他の人に呼ばれるのは嫌みたいだから、テンさんはチカって呼んで欲しい」
チカは戸籍上の名前、普通の人で言うところの実名だ。この時は何故チカが他の人格の事を知られるのを嫌がっていたのかさっぱりわからなかった。どうやらそんなに普通の人と変わらないよ、私は変人じゃないよアピールだったらしい。彼女たちは記憶を共有しておらず、考えることはバラバラだし趣味趣向も異なるようだ。精神年齢もそれぞれ違う。ナツはまだ子供だった。俺はこの時ネットで解離性同一性障害について調べて、
「この病気を治してあげたい、人格が統合できるように説得してみよう」
等と考えていた。まだまだ解離がどんな病気なのか、全く分かっていなかった。
読者の皆さんも「ジキルとハイド」の名前は聞いたことはあるだろう。俺も読んだことはないが、二重人格で別人格になった時に殺人事件を起こすという話は聞いたことがあった。ずいぶん不思議なこともあるもんだと思っていた。多重人格のドキュメンタリーでは、一人の人間の中に人格が10以上いること、それぞれ筆跡も違うし考え方も違う、統合はじっくり時間をかけて行う、患者は幼い頃性的虐待に遭っていることが多いなどの説明がされていた。このドキュメンタリーを見た時には性的虐待とどうして結びつくのかよくわからなかった。
幼い頃、まだ人格の形成が完了する前に継続的に性的虐待を受けると、虐待のストレスから逃避するため「これは私じゃない、今虐待されてるのは自分じゃないんだ」と思い込んで逃げることがあるらしい。これを何度も繰り返すと、脳が虐待体験を自分の記憶として保存することを拒否する。そして自分が今ここにいないような感覚になったり、ある期間の記憶がなくなったりする。これが解離性障害と呼ばれる症状らしい。その記憶は完全に消えて無くなったわけではなくて、その記憶を持っている部分が普段の自分とは違う人格を形成し始める。それぞれの人格は記憶が違う、つまり経験していることが違うので、いろいろなものに対する考え方も異なるし性格も違う。それだけではない。虐待から逃避するために生まれた人格は虐待に対してつらいなどの感情を持たない。そういう感情を抱かないことによって、虐待に耐えるという精神的なテクニックなのだ。小さい頃にこの能力を獲得した人は、成長してからもつらい事があると解離して人格を生み出す事がある。
生まれ持った最初の人格の事を基本人格という。この基本人格が生活の基盤になっていてつらい時に他の人格が出る人もいれば、基本人格は引っ込んだままで普段の生活は別人格が行っているという人もいる。人格同士は基本的に記憶は共有しないのだが、他の人格が表に出ている時に頭の中で起きていて、外で起きた出来事を他人事のように見てる時もあれば寝てる時もあるという。人格にはそれぞれ役割分担や能力分担があるので、人格によっては他の人格の記憶を一部のっとったり、突然身体の支配圏をとって行動したりできるものもいる。人格間の会話もできるものもいれば、存在するのはわかってるんだけど探しても見つからない子もいる。
チカは小さい頃、よく記憶が飛んで自分が何でここにいるのかわからない事があったという。それがチカにとっては当たり前なので、てっきり周りのみんなもそうだと思っていたがだんだん人と違うことに気がついたそうだ。中学校でいじめに遭い、鬱を患ってから心療内科に行くようになり、医者と相談しているうちに「記憶がないのは解離性障害、他の人格がいるのは解離性同一性障害といい、他にもこういう人はいる」という事を知るようになる。そして治療を続けてるうちにチカに協力的なミユキやナツとは会話ができるようになり、お願いして意図的に人格交代することができるようになったようだ。
子供のころ、両親が突然無気力になって家事も仕事も放棄してしまうんじゃないかといつもビクビクしていた。特にいつも以上に機嫌が悪いときにそのままプッツンといってしまうんじゃないかとかと思った。両親に限らず、例えば学校の先生なんかも突然「もういいや」と教えるのをやめるんじゃないかと思っていたし、アニメのキャラが精神的にダメージを受けて意欲を失ってしまうシーンにはドキドキした。
それは中二病的なものではなく確実に不快なもので、漠然としてるけどモヤモヤと無限に広がっていくような不安感だった。
それから15年ほどたった現在、病気が直接のきっかけとはいえ仕事を辞めてしばらく経つ俺は、まさにこの状態に陥っていることに気が付いた。かつて他人に対して不安に思っていたことを自ら実現しているのだ。これに気付いたとき、まるで子供のころの俺が頭のどこかでこうなること予見していて、その不安を他人を通して感じていたみたいだと思った。
ところで人は自分の中にない発想を他人の行動原理として想像することはできない。例えば童貞は馬鹿にされるものという発想がない人は、自分が童貞でも他人が馬鹿にしてくるとは思わないし、他人に対しても馬鹿にしない。逆に言えば両親が怠惰な生活に堕ちるんじゃないかと不安に思っていた俺は、自分を含めて人はそうなる可能性がある(それも結構簡単に)という考えを信じていたことになる。だれしもがぎりぎりのところで頑張っていて、その張り詰めた糸が切れれば廃人になってしまうと。思えば当時も、ちょっとバランスが崩れれば今の生活が壊れてしまいそうな感覚を持ちながら毎日過ごしていた。まあ今となっては、その「人類皆ぎりぎり説」はあながち間違ってもいないと思うが。
子供の俺はその説を本やらテレビやらから種となるものを仕入れて発展させたのか、それとも自分の中にその可能性を感じとったのかはわからないが、こんな思い込みをしてたのは俺だけだろうな。
そもそも日本に生を受けた身で、蒸気機関に何らかの魅力を感じたのならば、それは中二病か、個人的なノスタルジーの二択でしかない。
スチームパンクというジャンルが成立するには「蒸気機関は世界革命である」という大前提が必要だが、日本の産業革命は蒸気ではなく、電気によってその域に達したわけで。
いや、オタクの裏設定遊びとか好きにすりゃ良いと思うんだけど。
要するにCLAMPの漫画が実は世界観が繋がっててーとかああいうのでしょ。
最近なんかやたらと「このヒーローはスパイダーマンを尊敬してて〜」云々とか、アメコミオタが嬉々として語ってんの。
くそうっぜえ。
なんでそんなクソオタ向けの話が一般に通じると思っちゃってるのかね。
ヒーロー映画なんてわかりやすいカタルシスがあって見やすいから興行として人気があるだけなんであって。
普通の一般人がお前らみてーなオタクと一緒で裏設定に脳汁出まくっちゃうような客だと思うなよと。
キモいんよ。引くんよ。
アメコミの「話」に魅力があると思ってるようなのはお前らだけなんよ。
とか言うとまた、何か勘違いしたアメコミオタが、「登場人物が不倫をしたりドロドロで〜」「こんなの子供向けじゃない〜」とか言ってくんのな。
エヴァンゲリオンでセックス描いて大人っぽい〜とか言っちゃうレベルの子供に向けて作ってるんだよ!
もうマジキモイんだわ。
中二病はマジ中二で終わらせてくれよ。
漫画のキャラクターなんかにマジになっちゃってるのはお前だけ。
勘違いするんじゃないっての。
前提として、全くこれっぽっちも死ぬ気はないです。
ただ躁鬱で何をやらかすかわからないのと(人様に迷惑はかけないようにとは心がけている)、遺書という形に今も気持ちをアウトプットすれば見えてくるものがあるのではないかと思って、このように考えたわけですよ。
さて、私が遺書に残したいことはなんだろう。
真っ先に出てこなかったのが情けないが、感謝の言葉も必要だろう。
死ぬ理由は訴えたら楽になるのだろうか。それを死ぬ前に言おうと言う気にはならないだろうか。
私が泣き言を言うなら、やはり理解して欲しかったという言葉が出てくる。
もう少し遡るなら、過去への恨み言になる。
私が躁鬱を発症した時、親はそれを認めてくれなかった。
親からしたらそれは優しさ…親なりの励ましだったのかもしれないが、私にはだいぶ堪えた。
「そんな子を産んだ覚えはない」という言葉は、「だから(私の子なのだから)躁鬱なんかではない」という意味合いだったと後から言い訳がましく言われたが(言い方に棘があるのを見て分かる通り、私はこのセリフをずっと根に持っている)その言葉に私は見捨てられたかのような絶望を覚えたものだ。
薬を飲んでいれば叱られ、取り上げられ、仕事を休めば「俺は仕事を休んだことなんてない」という励ましにもならないオヤジの自慢話だけを永遠と聞かされた。
その選択は間違っていなかったと信じたいが、やはり一人きりでの闘病生活は苦しい。
正直言えば助けて欲しい。
朝は起こしてほしいし風呂には入れて欲しい。
理解してもらえたら私の心は安らいでいたのだろうか。
わからないなーーー。
真っ先に出てくるあたり、根に持ちすぎていて笑える。
死を選ぶいうことは現状への不満があるはずだ。
現状の不満はなんだろう。
現状
・働いているがクビになりそう(出社率が悪すぎる)
・金がない
・食事は1日1~2食
・風呂は2日か3日に1度
・独り身
そもそもクビになっても生活保護とかまだ生きていく道はありそうだけど、そっちはどうなんだろう。メンタル的に耐えられるのかな。何か、道行く人全員に萎縮しそうだ。
多分、未知が怖いんだ。
状態…
よく幻聴がする…いや、独り身だから、実際に鳴ってるのか幻聴なのかわからないけど。
匂いもたまにおかしい。ものが腐った匂い(部屋が汚いから?)りんごの匂い。
見えるもの。視界の橋に虫。
夢見も悪い。家族の夢を見る。
改めて、これはわりかししんどい。死を選ぶ理由になりえる気がしてきた。
大きいのはなんだろう。周囲とのギャップかもしれない。
私が良かれと思ってやったものを怒られる。
考え方が違いすぎてしんどい。
異星に迷い込んだ気分。
何か中二病みたいなこと言ってるけど、本当に周りと別の生き物のような気がしてつらい。
うまく言葉にできないということは、私がまだこの問題を捉えきれていないのだろうか。
一旦、ここまでにします。
いま、大学に通っていて就職とかをぼんやりと考えているのだけれど、高校生のときからずーっと考えていることがあって、やっぱり自分は「子供はいらない」ということ。もちろん産んでくれたお母さん、育てるために働いてくれているお父さんにはとっても感謝してる。就職してお金ができたら絶対お金で親孝行しようと思ってる。
けどさ、私はやっぱり子供は欲しくない。
結婚はいいな、と思う。いま彼氏いないけど。一緒に人生を歩いていけるような人に出会えたらいいなと思う。恋愛はしたい。せっくすだってしたいと思う。けれど子供は欲しくない。
直感的に欲しくないと思うのもある。可愛いとは思う。他人の赤ちゃんを見て、とっても可愛いと思う。それと同時にこの子にこれからずーーーっとお金をかけていかなきゃいけないのか、とも思うし保育園入れるのかなって思うし、ママ友コミュニティとか絶対嫌だなと思う、私は小学校から女の子のコミュニティが苦手だし、小学校に上がってシール交換でハブられないかとか、スポーツが苦手で体育の時間に嫌な目で見られないかとか、学年が変わってもう友達じゃなくなったよとか言われないかな、とかさ。
中学に上がって中二病に目覚めたらどう対応したらいいんだろ、とか、急に笑い出したり自分は他とは違う、誰も分かってくれないとか。
非行に走らないかとか犯罪に手を染めないかとか、まずちゃんと五体満足で生まれてくるかどうかとか。
話は変わってしまうけど、これを言ったら絶対に怒られるけど、健常者じゃなかったときに育てていける自信がない。本当にない。愛せるかどうか分からない。お母さんは本当にすごいと思う。いちばん尊敬してる。私がシール交換でハブられたときも中二病になって急に笑い出したときもずーーーっと変わらずいてくれたし育ててくれた。もちろん嫌なこともたくさんある人だけど、いまはそれより尊敬と感謝がつよい。
妊娠してる人に厳しい社会で、休みももらえないし保育園も入れるか分からないし、ゲーム買わないとハブられる時代だし、ケータイも買ってあげないとハブられるし、ちっちゃい頃からツムツムとかさせないといけない時代なのかな。この前させてる人いたけど。っていうか私はいまの小さい子供達がどうにも苦手なのかな。多分そうだと思う。
自分の腹から生まれてくる子供がそういう苦手な部類に入るから嫌だと思うのもあるけれど。外的要因もある。
不思議で仕方ない。