自分をゲームのキャラクタと考えれば、予め能力値とかパラメータが決まっているのだから、
何か絶対的基準で他人と比較しても意味なくね、って中学時代の(中二病的な)発想を突然思い出した。
社会からの期待のような絶対的基準を内面化するのは、モチベーション高まるという意味ではOKなんだけど、
一方で極論だけど、どんだけ色々もがいたところで、所詮は他人は他人、自分は自分ってのはどうしようもないことなんだよな。
ほんと中二病なんだけど、社会に出て揉まれていくと若いころに考えていた他人は他人、自分は自分という事実が
どうも何かそこまで軽視できるほどつまらないものではない気がしてきたんだよ。
なんだろ。一人ひとり顔が違うように、一人ひとり能力も違うし、環境や運のような外部条件も結構違う。
まあ、それでも何とか絶対的基準に沿うようにやっていくしかないんだけど、
それでも心のどっかに他人は他人、自分は自分、どこまでいっても同じにはなれない
って当たり前すぎて小学生にも嗤われるような事実を把握しておかないと、
他人と同じになれない自分に絶望して、魂を無駄にすり減らすような生き方することになるんだろうな、と。
便宜上、俺らは人間同士を比較するけど、それはあくまで便宜上であって、
そういう比較しようもないものを比較する何かをあんまり内面化して苦しんでいる必要もないんだな、と
どういうわけか妙に心が軽くなった。
それでも命がけで他人の上に立とうとする人たちの姿もあって、ああどっちが正しい人間の状態なんだろうと思う。 おっさんがその間で揺れ動いて、人それぞれだよな、と思う時がある...