はてなキーワード: カフェオレとは
友達がいない隠キャのくせに、おしゃれ好き。
いわゆる「ちょっとしたパーティーでも着られる」、一生日の目を
みないかもしれない服(苦笑)
してるけど、本当はバーンと一枚で素肌に着て、ヒール合わせて真っ赤な
口紅とでっかいギラギラしたイヤリングつけて海外セレブっぽく肩で風切って
歩きたい!!
自分で言うのもなんだけど、そういうハードなスタイルが似合うのですよ。
普段からモノトーンやブルベの服ばかり着てるから、ボーイッシュにみられがちだけど、
外に出ないだけで、家では派手な化粧して遊んでるし。
家族にも違和感ないと言われるけども、行動範囲が地味すぎるのが難点。
図書館、ミスド、百均、スタバ、スーパー銭湯、近所のイオン、ほっこり系のカフェ・・・
が、私のテリトリー。
これでも20代の最初の頃は背伸びして、お、オーセンティックバー?なんてものにも
一人で乗り込んでたりした。
テレビで見た「マティーニ」を注文して、鼻から噴きそうになったりね・・・
若かったあの頃。
アラフォー になった今、経済的事情もあるけど、バーなんて自分に合わなかったのだと
理解して、もともとお酒もそう好きでなかったし、今の生活圏に落ち着いたけど。
服だけは、まだ落ち着かず、まだとんがっていたい。
たとえ普段ミスドのカフェオレ飲んでほっこりしてても、夜は化けたい。
ただ、冒頭でも書いたとおり、隠キャで友達がいない。
一人でバーに入る度胸も若さも失った。(年令的にはちょうど良いんだけどね)。
自由に着たい服を着て集まって、みんなでパーティをするという企画。
私一人がボロッと紛れても大丈夫そう。
顔は写ってないけど、年齢層も幅広そう!(38歳のゴスロリとか、すごい!)
やっている感じだけど、至って普通の方が関東以外で主催されているのも素晴らしい。
まだ正式に日程は決まっていないようだけど、決まったら
即行く!
メチャクチャ濃い化粧して行く!!
Twitterまた作り直して、DMで申し込む!このためだけに!
すっごい嬉しい!
パーティをしなさそうな人にこそ、パーティって需要があると思う。
いっそ婚活パーティで着るか?と思ってたけど、前回もちょっとしたパーティー
コーデで参加したらみんな普段着に毛が生えたような格好で、がっかり。
ここまではっきり突き抜けて、かつ自由な指定があるのはすごくいい。
ものすごーく楽しみ。
死にたくなってしまった。
もうだめだ
こんな真夜中にもすぐにLINEが返ってきた。
そういうあなたのことを分かってくれる人を見つける努力をしなよ、見つかるまではここにいていいよ、
もう俺にはできないよ、俺が全部悪いんでしょ、頼むから寝かせてよと同居人に言われ、私は散歩に出た。
実家に帰ったところで父はいてくれるけど、でも母親がいて、またアマゾンプライムで縄を買うってところまでは見えているのだ。
自分の母親が嫌いだから自分の家族を作りたいとそういうことも同居人にも伝えていたのだけれど
もうわからない、実家帰りなよと言われて、私が今まで伝えてきたことはなんだったのだろう。
私の言葉はどこへ行ってしまったのだろうと、言葉と一緒に身体もぽーんと空中に放たれてしまってああこのまま大気圏突破して燃えてしまいたいなどど耽っては泣いてふわふわと環七をさまよった。
通り過ぎていく光と影にいちいちびっくりしながら、胃痛にカフェオレを流し込んだ。
同居人に言われた悪い言葉たちばかりが頭の中を蠅のように飛び回ってしまっている。
キャラ弁作ってるのは基本的に日本の母親、ごく少数日本の母親のキャラ弁見て作りたくなったって人のみだね。
つーかここ2年ほど、有名な男性の料理研究家が「日本の食事準備にかける労力が他国に比べて著しく高い」って発言してるけど、これは事実。
要求水準が高いというか…。
朝ごはん:チョコペーストを塗ったパン(焼いてない)、注ぐだけのカフェオレ、あるいは牛乳を注いだフレーク類
昼ごはん:ピーナッツペーストを塗ったパン(焼いてない)、丸ごとのリンゴかバナナ
な国とかある。
これ本当にひどい例を挙げたんじゃなくて典型例。
たいていは3食とも典型例ばかりじゃなくて、朝食・昼食は一年中こんな感じだが夜はもっとちゃんとしたものを食べてるとかの子も多いが。
ちゃんとしたものって、パスタに焼いた肉足してるみたいな感じね。
医食同源って何?
冷たいものは夏以外あまり飲まないけど、あまり良くないんだね。ミルク系が良くないとか考えたこともなかった。そもそもブラックコーヒーはあまり好きじゃないので断然カフェオレ派。そんなに便秘体質じゃないけど、朝は少ししか食べないのと時間に余裕がないせいか、あまり催すことがない。本当は朝食後にお通じがあって一日一回で済むといいんだけどね。
なぜか下痢をしやすい体質である。別に何か悪いものを食べたとか、お腹いっぱい食べ過ぎたとかいうときに限らず、カフェオレ一杯飲んだだけでも30分後ぐらいにお腹が痛くなる。
そういうときに買い物中とかで、トイレに駆け込めない状況だったりすると困る。昨日はタリーズでコーヒーを一杯飲んだあと、スーパーで夕食の買い物をしていたら催してしまった。レジに並んでいるときからちょっとヤバい感じがして、会計が終わった後は買ったものを無理やり袋にぶち込んでトイレに駆け込んだ。こういう店内にトイレがあるスーパーは良いけど、客用のトイレが店内にないと困る。
旅行などで長時間バスとか電車に乗るときは案外平気だったりする。海外でお腹を壊したときは粗相が怖くてほとんど食事が取れないこともあったけど。「飲み物一杯飲んだだけだから平気だろう」とか油断しているとダメだ。お腹いっぱい食べた後とかならもう少し用心するのに私の胃腸はどうなっているのか。
しかも食べた直後ではなく、食後30分ぐらいで来るところが始末が悪い。旅先で友人と旅行中にお腹が痛くなり、その時乗っていた電車に乗り続けていれば宿まで早く着くのに、一緒に途中下車してもらってトイレに行ったこともある。新幹線とかトイレ付きのバスとか、「行こうと思えばいつでも行ける」環境だとかえって行かなくても平気である。胃腸の問題というより「次にいつトイレに行けるか分からない」という不安が症状を引き起こす気がする。
私と同じような症状の人がいたら、どのように対処しているのか教えてほしい。
コテハンが中心となり盛り上がっているスレッドにコマネチとだけ書き込む事を繰り返した
タイムカード代わりだな
最初の方はスルーされて、まぁ誰もこんなキチガイ相手にしないよなぁなんて思ってたんだが、一週間経って出勤後にコマネチと書こうとしたら異変が起こっていた
そのスレッドで中心となっていたコテハン【ひさし】がコマネチに対して
【面白いと思ってやってるの?】
とレスしていたのだ
しかしそれに反応する事はなく、いつも通り午前8時40分頃にコマネチと書いてブラウザを閉じた
退勤する17時頃に覗いてみると朝よりもヒートアップしたひさしがいた
【こんな奴相手にするだけ無駄、みんないつも通り楽しくいこうぜ】
と書いてあった
コマネチに反応してるのはひさしだけだった
翌日、出勤後にカフェオレを飲みながらコマネチを書こうとスレッドに行くと、なんと俺以外にコマネチと書いている奴がいた
とレスしていた
俺は初めてひさしにレスをした
戦場で敵同士初めて会話をした瞬間だった
退勤前、どうなったのかワクワクしながら覗くとコテハン同士で言い争いをしていた
朝の俺の書き込みに対して、ひさしがブチギレた
それに対して他のコテハンが
【ひさしいい加減にしろや!反応するなって言っておきながら反応してるのお前だけじゃねえか!】
とキレていた
とだけ書いてブラウザを閉じた
俺はとんでもない事をしてしまったのかもしれない
タイムカードの代わりにコマネチとだけ書いていたのに、まさかコテハン同士で喧嘩をするとは思わなかった
想定の範囲外だった
土日を挟み月曜日
・平日の朝と夕方決まった時間に書き込んでいるから社会人に違いない
・その時間に書き込んでいた人間がコテハンを外し書き込んだのではないか
・ひさしだけが反応していたので、おそらくひさしの自作自演に違いない
・ひさしは包茎
等と書かれていた
もちろん書き込んだのは俺でありひさしではない
それにひさしとは敵同士とはいえ会話をした仲
そんなひさしを放っておけるほど俺は落ちぶれていない
そこで俺はひさしを救うためにこう書き込んだ
俺が出来る事はここまで、後はひさしの抜群のコミュニケーション能力でなんとか凌ぐはず
そう思い帰宅した
その日は上手く寝付けなかった
目を閉じると、機関車トーマスのBGMが頭の中で鳴り響き、森本レオの声すら聞こえてくる始末
これではいけない、俺はタイムカードの代わりに書き込んでいただけ
ひさしの心配はする事はないんだ
翌朝、いつもより目覚めが良く、普段は食べない朝食を食べ出社した
スレッドを覗いてみると、なんとタイミングが悪いことに昨日の自分の書き込みの直後にひさしが皆の推理に対してレスをしていた
それに対して他のコテハンが
・やっぱお前だろ
・お前が消えれば済むだけの話だ
・一皮剥ける時がきたのだ…
と集中砲火を浴び、それに対してひさしは発狂していた
ひさしは一晩中書き込んでいた
何故誰も信じてくれないんだ
俺は書き込んでいない
ひさし、お前は悪くない
悪いのは俺だ
俺がタイムカードの代わりに書き込んだばかりにこんな事に
俺はもうこんな事はやめようと誓った
二度とこんな過ちを繰り返してはならない
そういう思いも込めて
と書き込んだ
そして今日、久しぶりに覗いてみると、ひさしはキチガイコテハンとして有名になっていた
俺はこの十字架を背負って生きていくのだろう
ひさし、すまなかった
お前がこうなったのも全て俺のせいだ
朝からきたない話ですまない。
便秘なんだ。
不溶性水溶性問わず食物繊維が豊富っぽいやつも食べていれば、牛乳やヨーグルト的な乳製品ももちろん摂っていて、
水分に関しても充分量摂っているのだけれど便秘なんだ。
肥満気味といえばそうかもという体型ながら、まあ166cmの69kgなので、極端にひどいってことはないと思う。でも便秘なんだ。
ただ、便秘なのは便秘で、眠前処方が前提っぽい下剤を出してもらわずに寝た翌日は確実に大きいほうが出てこない。
下剤を入れた日でもカフェオレ的な乳製品をがっつり飲まなければ、なかなか俺のSiriから返事が来やしない。
運動不足が原因かなあと思って、スマホで調べて出来るなりのリハビリはしているんだけれど便秘なんだ。
詰まらない話で良いんだ。(便が
中学時代あたりとか身長伸ばしたくて一日2L近くは牛乳を飲んでいたり(身長は伸びず、のちに骨密度を褒められた)、
母が自殺した。
もう3年も前の話だが、私の中では現在進行形だ。
いつもならば眠い時間で、無視して必要があればかけ直すのだが、父の名前が画面に表示されたので、何事かと思って電話を受けた。
え?お母さん?自殺?え?
一瞬にして混乱の海に投げ出される。
父は続けて「救急車を呼んで、今待っている」というような事を言った気がするが、信じたくない現実に面と向かう事に必死でよく覚えていない。
鮮明に憶えているのは、呼び鈴と同時に入室してくる救急隊員の声と、それに答えて「救急車が来たからまた連絡する」といって電話が切れた事。
切れた電話のツーツーという音を聞きながら、その後どうしたか憶えていない。
夫の話を聞く限り、隣で眠っていた夫が話し声で起きて、どうした?と聞き、私は事情を話したらしい。
とにもかくにも、実家に帰って詳しい状況を聞かないといけない。
夫は会社に欠勤の電話をし、身支度をして二人で車で2時間の実家に行くことになった。
私はタバコを吸うのだが、母はタバコもタバコを吸う私も嫌っていたので、お風呂に入る時間をちょうだいと言って、急いでシャワーを浴び、髪についたタバコの匂いを落とした。
気持ちとしては、悪い夢の続きを見ているような変な浮遊感でふわふわしていた。
長い道中の事も憶えていない。
義父に頼まれた枕花を持った重さだけが、私を地上に結びつけているような気がした。
母の自殺が本当だとしたら、第一発見者の父の気持ちは荒れる海の波のようだろうから私はしっかりしないと…と、平静を装おうとしたが、玄関を開け、並ぶ見覚えのない靴を見て、父の兄弟が先に来ている…つまりは母の自殺は本当だと感じた瞬間、涙が溢れ出た。
しばらく泣いて落ち着いたところで、居間のテーブルに用意された席についた。
ふと、母が居るであろう場所を見ると、そこには何もない。
父にお母さんは?と聞くと、今は警察署に居ると言われた。
なんでも、救急隊員が駆けつけた際に死亡が確認された場合、救急車には乗せられないルールがあるらしい。
そして、自宅での死亡の為、原因の追求をする為に警察署での検死に回されると。
母は一人で冷たい場所にいるのだろうか。
早く会いたい、顔を見たい、それだけだった。
夕方、警察署からの連絡で、母の遺体を収容する施設に移すという連絡があり、その場に居た全員で手続きに行った。
涙を流さず、冷静に見える父の、必要書類に記入する手が度々止まる。
「妻っていう字が思い出せない、書けない」
ああ、父も心の中は混乱していて、いっぱいいっぱいなのだな、と思った。
叔母が字を教えて、ゆっくり、一画一画確認しながら書類を書く。
刑事さんが書き終えた書類を確認し、ご面会はこちらです、と案内された部屋に行った。
私は死んだ直後のままの母が居ると思っていたが、既に白装束に着替え、箱に収められていた。
首には吊った後が残っているのであろう。
首周りに綿の詰められたクッションのような物が巻かれていた。
枕花を頭の横に置き、周囲に流されるように手を合わせる。
これは悪い冗談なのではないかと、そうとしか考えられなかった。
母は残された苦しみから、「どんなに辛い事があっても、自殺だけはだめよ」と言っていた。
私はその言葉に助けられていた。
長い期間、学校でいじめられ続けていた私にとって、生きる事の大切さを教えてくれた母の為にも生きようと、これまで生きてきた。
でも、その母が自殺を選んだ。
母はパーキンソン病で、近い将来介護が必要になる事を嫌がっていた節があった。
その苦労を父や私にかけない為に死を選んだとしか考えられない。
苦労かどうか決めるのは私達なのに。
母の葬儀は、式場の都合で一週間程先になった。
それまでの間、毎日霊安室に通い、好きだったカフェオレを供え、なんで死んだの?と疑問をぶつけていた。
母は自分の将来に、綺麗に決着をつけたと思っているだろう。
実際はそうじゃない。
私も父も親戚も夫も、事情を知った全員がそれぞれに苦しんだ。
その罰があたったのか、もうすぐ葬儀だというタイミングで、綺麗だった母の死に顔に死斑が出た。
人前に出る時に化粧は欠かせない母だったから、このまま葬儀には出せないと、葬儀屋さんに頼んでプロの化粧をして貰った。
過去の心の傷と仕事のストレスで鬱になった私は、抗うつ剤と睡眠薬を長い事飲んでいたが、母の死を知った日から、それらの薬が効かなくなった。
父と母に会う時間の合間にかかりつけ医に臨時でかかって、強い抗うつ剤と睡眠薬を処方して貰った。
葬儀が終わるまでは、四十九日が終わるまでは、一周忌が終わるまでは…とにかく倒れる訳にはいかない。
それだけで動いていた。